【 交わす杯は夏の味 】
◆/7C0zzoEsE




95 :No.27 交わす杯は夏の味 (1/5) ◇/7C0zzoEsE:06/12/17 22:53:12 ID:OcsV542b
 今、風呂を浴びて心地よい気持ちのまま、
冷えた麦茶を飲み干した。
 喉の渇きが潤えていき、避暑地の夏は素晴らしい。
ふと、小腹が空き、辺りを見回す。
向こうから、美弥子が何かを持ってきた。
「遠いところから、お疲れ様」
 スイカ、か。子供の頃なら泣いて喜んだだろう。
 きんきんに冷やしたスイカに、顔が汚れるのもかまわずかぶりつく。
それがとても、趣深い。親父も、それが大好きだった。

「……親父は?」
俺が呟き、美弥子は少し目じりを下げて答えた。
「静かに、寝ているわよ」
そりゃそうだよな。俺は、口の中にスイカを含ませる。

「親父は、本当に、子供だから。確かスイカも好物だったかな」
「ええ、スイカも、祭りも、花火も。夏の代名詞は全てお気に入りよ」
そうだった。すっかり忘れていた。というより、気にしていなかった。
「おかげで、俺は夏が大嫌いだけどな」
皮肉った笑いではないが、苦笑とも言えなくもない。
 ああ、確かに親父との夏の思い出はろくなものじゃないけど。
これだけ、年を経て、今では笑い話にできないこともない。
 「こんなことがあったかな……」
 俺が思い出話をしたがっている事に気がついたのか、
美弥子はかいがいしく働く手を止め、椅子に腰掛ける。
そして、机を挟んで俺の記憶の中を覗く。

96 :No.27 交わす杯は夏の味 (2/5) ◇/7C0zzoEsE:06/12/17 22:53:56 ID:OcsV542b
 お祭りの匂いで、腹の虫が鳴った。
胸が騒ぐようで、何故か心が弾む。
 俺の財布を、親父が持っているのは、子供ながらに間違っていると感じていた。
 可愛らしい声で、綿菓子が欲しいというと、
「あんなものは体に毒だ」
と、どこから得たのか、信憑性の薄いことを言う。
 射的で、景品を当ててみたいと言うと、
「あんなものは、当たらないようにできている」
と、射的屋に何の恨みがあるのか、営業妨害まがいのことを言う。
 そうして、俺は折角貯めてきた自分のお小遣いも満足に使えなかった。
 それどころか、
「ほら、これ。無駄遣いするなよ」
と、俺の財布から三百円を取り出し、俺に握らせた。
 そして、俺の貯金で自分の焼き鳥や酒を買うためにどこかに行った。
俺は、呆気にとられ、無性に寂しくなり、次にとても腹がたった。
 どうして、自分の金を親が握っているのか。
蒸し暑く、どこか幻想的な祭りの中で、俺は一人だけだった。
 学校の級友が、親と一緒に焼きそばを食べていたり。
そんなこと、小学ニ年生の男児には過酷なことだったと思う。
 どうして、楽しみにしていた夏祭りでこんな目にあうのか。
これなら、友人と約束しておけば良かったと後悔もした。
 そうして、体も思考力も小さな子供の必死の反抗。
「不良になってやる」
と、分かりやすく、馬鹿らしい考え。
 握り締めた、百円玉。あの時どれほど緊張していただろうか。
 好きな子に告白する時でも、あんな気分になれなかっただろう。
生まれて始めて、堂々とついた嘘。
 親のおつかいだといい、生ビールを手にした。
あの時、いくらの値段だったのか今では覚えてない。

97 :No.27 交わす杯は夏の味 (3/5) ◇/7C0zzoEsE:06/12/17 22:54:29 ID:OcsV542b
 賑わっている場所から、離れていく。
あの時の俺にとって、飲酒というのは、窃盗よりもずっと罪深いこと。
見つかると犯罪者になって、捕まるかも。なんて思っていたと思う。
 遠くで、太鼓の音と、おみこしを担ぎ叫ぶ声。そんな、世界から隔離された暗闇に包まれていた。
 泡を指ですくい、なめてみると、苦い。
だけど、不良になるための儀式だとわりきり、一気に飲みほそうと決心した。
 飲んでしまうと、もう普通になれないような。
そんな可愛らしいことも考え、気合い溜め、さあいざ。という時。
 俺の腕を叩いて、辺りにビールをぶちまける。
何事かと、顔をあげると、鬼の形相をした親父。
何故こんなところに、という疑問もままならないまま、
親父は俺の頭を殴りつけた。
 俺は、悲しくて泣きそうになったが、急に涙が引いた。
何故か親父の方が、先に号泣していたのだ。
「お……おま…お前の初めてはわしと交わす酒じゃろうが!」
何を言いたいのかは分かった。親父の鼻をすする音。
そして、俺は声が出なかった。

 美弥子は、腹を抱えて笑っている。
「な? この話は言ってなかったか。とんでもない親父だろ」
俺も、思い出し笑いが止まらない。
 あの時は、本当に厳しく説教されると思っていたのに。
なんて可愛い親父だろうか、今ではそう思う。
 そうだ、子供なんだよな。いくつになっても。
 夏のスイカ割りで俺を殴ったり、花火を俺に向けて火傷させたり。
「親父ももうろくしたな……甲子園の件は今でも許してない」
 急に、美弥子が真顔に戻った。そして、俺も。

98 :No.27 交わす杯は夏の味 (4/5) ◇/7C0zzoEsE:06/12/17 22:55:04 ID:OcsV542b
俺の一生の思い出になった、夢の舞台の甲子園。
 親父に貯金を渡して、
「これで、甲子園まで応援しに来てくれよな」
と約束した。それが間違いだった。
 それなのに、親父はこともあろうか、その金で呑んだくれていたのだ。
 それ以来、俺は酷い反抗期が訪れたと思う。
こんな家にいたくない。俺は長年思い続けていた留学を決心した。
 親父にそういうと、ろくな学力もないくせに。と、言われた。
それ以来、毎日、必死に机に向かっていたと思う。
なんとかして、親父を見返してやろうと。
その気持ちでいっぱいだった。
 見事に、海外の有名な学校に入学して、向こうに言って以来、
ろくに帰郷もしなかったと思う。
 美弥子はそんな俺の気持ちを知ってか、
「父さんのおかげで、あそこまでできたんだよね」
と言う。俺は苦笑した。
「それは、良く言いすぎだろう」
「ううん」
美弥子は被りを振る。
「父さん。兄さんのこと、ずっと心配してたもの。
 録画していた甲子園。何度も繰り返し見ていたんだから」

 時が止まる。俺は、親父の顔を思い浮かべていた。
本当に、不器用な人だな。わざわざ憎まれるような事をして。
「俺って奴は……本当に親不孝だな」
俺が、呟くと美弥子が言う。
「父さんに会ってあげて。その部屋にいるから。ずっと待ってたんだから」
「そのつもりで帰ってきたんだよ」
 俺は、焼酎を探し、手に持って、親父の下に向かった。
その姿を美弥子は、もの寂しげに見つめていたと思う。

99 :No.27 交わす杯は夏の味 (5/5) ◇/7C0zzoEsE:06/12/17 22:55:35 ID:OcsV542b
ふすまを開けると、部屋の真ん中で親父が眠っていた。
静寂の中、気持ちよさそうに。遠くで蝉の声だけが聞こえる。
 親父の傍まで行き、あぐらをかいた。
「よお親父。……小さく、なったなあ」
 相変わらず、ふてぶてしい顔をしている。 
冷たいのは、まあ変わらないことか。 
 懐かしくて、涙が出てきたが、恥ずかしいのですぐに拭った。
感謝している。親父には心から感謝している。
 だからこそ、早く起きて欲しい。
もっと、多く語り合いたい。それに、甘えたい。
 また、涙が流れた。ただし、今度は拭わない。
 手に持っていた、焼酎を注いで。おちょこを親父の口元まで持っていく。
罰当たりなんて、かまうものか。半分ほど、口に含ませる。

 それは、親父の口の中の綿に染み込んでいった。

「俺さ、これが最初で最後の酒かな。ほら、あれ以来酒って苦手なんだ」
どう思っているだろう、嬉しいかな。父親冥利に尽きるだろ?
 俺は焼酎を飲み干した。
親父の唇は、とうとう真一文字に結ばれたままで。                  
                 (了)



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