【 夏祭り 】
◆AnyTD/7AYY




81 :No.24 夏祭り (1/5) ◇AnyTD/7AYY:06/12/17 22:40:56 ID:OcsV542b
 生い茂った雑草を足元に、俺は苔の生えた石の上に腰を下ろした。じわっとした熱気を
帯びた空気。火照った体に硬くひんやりとした感触が伝わってくる。
 すでに日の落ちた境内は薄暗く、物悲しい雰囲気が漂っている。眼前にはところどころ
欠け落ちた古い木の柵が、長い年月を経て風化した崖の前に設けられている。その先には
樹齢四百年は超えるであろう木々の隙間を通して、黒い海に面した広場を見ることができ
た。
 短く刈り揃えられた芝の中、茶色い地肌を覗かせた簡単な小道が作られている。小道の
脇に取り付けられたいくつかの白いベンチ、ところどころに植えられた広葉樹が大きく枝
を広げている。向かって手前側、通りに面した位置には道路と平行に、桜の木が等間隔に
並んでいる。
 普段ならこんな時間に人がいるはずもない。しかし、一年のうち今日だけは違う。
 強い光を放つ電飾に彩られた露店が小道に沿って立ち並び、隅のほう広場を囲むように
置かれた行灯が赤々と揺らいでいる。
 子供連れの家族や、若いカップル。浴衣を着た二十代とおぼしき女性のグループ。行き
交う人々の顔には皆、楽しげな表情が浮かんでいる。
 広場の北側には櫓(やぐら)が組まれており、そのてっぺんで打たれる太鼓の音、スピ
ーカーから発せられる大音量の音頭がここまで届いてくる。その櫓を取り囲むように輪を
作って子供たちが一生懸命に踊っている。
 俺はポケットから煙草とライターを取り出した。火をつけてゆっくりと肺に煙を送り込
む。吐き出した煙は霧散して闇に溶け込んでいった。
 俺は目を瞑り、そのまま祭りの喧騒に身を預けた。

82 :No.24 夏祭り (2/5) ◇AnyTD/7AYY:06/12/17 22:41:29 ID:OcsV542b
「来てくれたんだ」
 スピーカーから流れる音楽が三回ほど変わったころ、後ろから見知った声がかけられた。
俺は目を空ける。
「あぁ」
 振り向かずとも分かる。彼女だ。
「ふふ、ありがとう」
 嬉しそうに笑う彼女の気配が、俺のすぐ後ろまで来たのが分かった。
 広場にたたずむ人々は、先ほどよりその数を増し、人の往来による流れのようなものが
できていた。露店には長い列が作られ、売り子が忙しそうに動き回っている。
 彼女は俺の右側に立ち止まり、俺のほうを向いて微笑みかけた。
「久しぶりだね」
「あぁ」
 俺はもう一度同じ言葉を彼女に言う。他に言うべき言葉が見つからなかった。
「ふふふ」
 彼女は二三歩前に進むと、柵に手をおいて軽く体重をかけた。そしてそこから広がる景
色に視線を巡らした。白いワンピースがそよ風にあおられ、さわさわとなびいている。
「懐かしいね。昔は毎年、この中を二人で歩いたよね」
 祭りの露店を見ながら彼女は銃を構えるふりをした。
「ほら、あそこの射的でピンクの髪留め、取ってくれたんだっけ」

83 :No.24 夏祭り (3/5) ◇AnyTD/7AYY:06/12/17 22:42:00 ID:OcsV542b
 俺は当時の記憶を思い起こす。彼女との最後の夏、青い浴衣を着た彼女と人だかりの中
に身を投じ、お互いはぐれないよう手を繋ぎあった。偶然出会った友人たちに冷やかされ
たのも、今とはなってはいい思い出だ。一匹も取ることなく破れた金魚すくい。奇妙な形
をしたおめんや、かき氷など、普段は絶対に買わないようなものまで買い漁った。
「懐かしいな」
 彼女は顔をこちらに向けて微笑む。当時と同じ、眩しい笑顔。
「ほんと、懐かしいよね。みんな今どうしてる?」
「そうだな、ケイは専門学校に入りなおして実家を継いだ」
「実家って、床屋だったっけ」
「あぁ、髪型にはうるさいやつだったよな。シュウはバンドを組んで相変わらずギターを
弾いてる。この間会ったときにCDを渡された」
「へぇー、凄いな。昔からギター、上手かったもんね」
「まだまだ駆け出しみたいだけどな。あと、さっちは大学院を卒業して大学で助手をやっ
てる。物理関係の研究をしてるらしいんだが、話を聞いてもさっぱり理解できなかった」
「ふふ、みんな自分の道を歩んでるんだね」
「君は変わらないな」
 彼女は静かに笑うと、広場に視線を戻した。
「……そっか。あれからもう七年になるんだ」
 一息おいて彼女がそっとつぶやいた。

84 :No.24 夏祭り (4/5) ◇AnyTD/7AYY:06/12/17 22:42:34 ID:OcsV542b
「ヒューッ」
 風を切る音が響いた。続いて「ドーン」という大きな音が鼓膜を揺るがす。広場を越え
た先、海の上に大きな火花が飛び散り、きらきらと輝きながら消えていく。
 続けざまに二発目が打ち上げられ、赤と黄色の炎が夜空を染め上げた。暗い海の水面に
空の光が反射し、波の動きに合わせてちかちかとした明滅が不思議な模様を作り出してい
る。
「……きれい」
 彼女は柵から身を乗り出し、うっとりと柵の向こう見つめている。
 広場にいる人は足を止め、空を飾る花火を眺めている。父親に肩車をしてもらう子供や、
うちわを片手に談笑する人々。通りかかった車が停車し、窓から顔をのぞかせている。
 きらびやかな光彩の織り成す芸術。轟音が身体の芯まで響いてくる。一瞬で消え失せて
しまうにもかかわらず、多くの人々に愛され続けている花火。俺だけではなく、きっと皆
同じように、その儚さに共感を抱くのだろう。
 最後に一回り大きな花を散らした後、打って変わって静寂が訪れた。先ほどの栄華の名
残を惜しむように、空に残された煙が次第にかき消えていった。
「まだ、気にしてるのかな」
 先に口を開いたのは彼女だった。空を見上げたままの格好で彼女は続ける。
「あなたが責任を感じる必要なんてない」
 少し風が出てきた。黒々とした木々と静けさに囲まれた中、風にはためく彼女の白い姿
が月明かりに幻想的に浮かび上がる。
「私のことは、忘れてくれていいんだよ」
 振り向いた彼女の顔は、寂しそうに笑っていた。
 俺は何も答えず、ただ黙って彼女を見つめた。祭りはすでに終わりを向かえ、広場に残
るまばらな人影も帰路に着き始めていた。露店はその明かりを消していき、残った行灯の
光だけが、祭りの面影を照らし出していた。

85 :No.24 夏祭り (5/5) ◇AnyTD/7AYY:06/12/17 22:43:13 ID:OcsV542b
 左手に軽い痛みを感じ、我に返った。
 根元まで火が回った煙草が、人差し指と中指をちりちりとした焦がしていた。慌てて手
を放し、靴の裏で火をもみ消す。
 頭を上げて、目を前にやる。先ほどより気持ち人が増えた広場は賑やかさを増し、和や
かに祭りは続いている。
「パパー」
 遠く後ろのほうから子供の声が届いた。声のしたほうへ振り向くと、五歳ぐらいの男の
子が優しく微笑む母親と手を繋ぎ、こちらに向かって手を振っていた。浴衣に身を包んだ
男の子の空いているほうの手には、自分の顔より大きな綿菓子が握られ、手を振るたびに
ふわふわと形を変えている。
 俺は立ち上がり、ズボンについた汚れを払う。軽く伸びをして雲のない空を見上げると、
澄んだ空気を通して数々の星が瞬いて見えた。明かりのない境内をぽっかりと浮かぶ満月
が照らしている。
「また、来年も来るよ」
 俺は一言つぶやくと、彼女の墓に背を向けて家族の元へ向かった。

<終>



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