【 真冬のトロピカル 】
◆VwgR4TO1Y2




76 :No.23 真冬のトロピカル (1/5) ◇VwgR4TO1Y2 :06/12/17 22:34:19 ID:wGsW+Rmx
 窓からのぞく夜の庭に、雪が容赦なく降り積もっていく。
 こんな吹雪の中を彼女からの電話一本でわざわざ歩いてきたのかと思うと、我ながらちょっと呆れてしまう。健気というよりは、ただの考えなしだった。そんな吹雪も、暖房がよく利いたダイニングでテーブルに頬杖ついて眺めるなら、風情もあるような、ないような。
「ごめんねえ、こんな日に」
 視線を室内に転じると、奈々子がキッチンから戻ってきていた。湯気を立てたマグカップからは、ココアの甘い香りがする。
「まあ、別にいいけど」
 姿勢をちょっと正して、隣に腰掛けた彼女から差し出されたカップを受け取る。かなり熱いココアをズッとすすって、電話で話された内容をちょっと思い出してみる。
「親が旅行だっけ?」
「明日が結婚記念日でね、熱海で温泉」
「それで、家においてかれた由香ちゃんが拗ねたり寂しかったり?」
「いや、とにかく由香が裕一を呼んでって騒ぐもんだから」
「ふーん……」
 新しい情報はナシ、か。
 奈々子の言うことが事実なら、由香ももうすぐ中学生なのに、まだまだ子供っぽいところが残ってるということだろうか。ココアを飲みながら、軽く部屋を見まわす。このダイニングには俺と奈々子だけで、リビングにも他に人の姿はない。
「で、由香ちゃんは?」
「え?」
 俺の問いかけに、奈々子が首を伸ばしてリビングをのぞく。
「あ、あれ? 裕一が来るちょっと前まであっちにいたんだけど……」
「ああ、そう……」
 期待した答えが返ってこなくて、俺はちょっと思案する。さて、どうしたものか。由香が俺を呼び出したというなら、奈々子と一緒に彼女の部屋にでも行ってみるべきなのか。
 次に取るべき行動を考えながら、またココアを口にして、
「いらっしゃい、裕一くん!」
「ブフッ……!」
 噴いた。
 勢いよく開いたドアから俺の目に飛び込んできたのは──白いワンピースの水着の上にメイド服を着た由香だった。
 俺が由香の姿に驚きながらもむせていると、となりで目を丸くして固まっていた奈々子が我にかえった。ガタタン、と椅子を乱暴に押して立ちあがる。
「ちょっと由香! あんたなんて格好してんのよ!」
「え〜? コレ、似合わない?」
 奈々子の叱咤の意味を勘違いしたのか、フリルのついたスカートをひらりひらりと翻してみせる。スカートが踊るたびに、剥き出しの細いふとももがちらりと露出する。そんな平然とした由香の態度に、奈々子がまるで貫くようにメイド服を指差す。
「そうじゃなくて、何でそんな格好してんのかってこと!」
 そんな奈々子の指摘にも、由香はきょとんとする。まるで奈々子のほうが理解できないとばかりの表情だ。

77 :No.23 真冬のトロピカル (2/5) ◇VwgR4TO1Y2 :06/12/17 22:35:10 ID:wGsW+Rmx
「なんでって、それは、もちろん……」
 そのままの顔で言いつつ奈々子の脇をすり抜けて、ようやく落ち着いた俺のすぐ脇まで移動してくる。その動きがあまりにも自然だったので、俺は口を挟むことも出来ず、ちょっと上にある由香の顔をただ馬鹿みたいに眺めた。
 由香と視線がバッチリ合う。
 その見つめあった時間は一瞬のような気もするし、あるいは数分のようにも感じられたが、果たして由香は見るものを蕩けさせるようなとびきり満面の笑顔を見せた。
「裕一くんを、接待してあげるの!」
 言うなり、由香は俺に抱きついて頬にキスをした。
「ちょ、ちょっと……っ?」
「なッ!」
 俺と奈々子の困惑をよそに、由香は抱きついたまま絡みつくようにして俺の膝に座る。その仕草とは逆に、由香の体はまるでぬいぐるみでも乗せてるかのような軽さで、そのギャップがさらに俺を混乱させる。
 それでも由香はお構いなしにマグカップを手に取って、左手を添えて僕に向ける。
「はい、裕一くん。ココアをどーぞ」
 こうして飲むのがあたりまえとばかりの、上目遣いである。
「いや、いやいやいや……えっと、ちょっと……」
「なぁに? ココアはむせちゃったからもうイヤ?」
「そういうんじゃなくて……」
 はっきり言って、俺の頭の中はもうグチャグチャだった。由香は明るい子だけど、こんなにも突き抜けてはいなかった。いつもと様子も格好も違う由香にどう対処するべきなのか。現在進行形の状況のなか、整理するには時間が足りなさすぎる。
 あまりにグチャグチャすぎてそろそろ真っ白になろうかというとき、奈々子がテーブルを叩いて俺を正気に戻した。テーブルに諸手をついて、わなわなと震える奈々子がそこにいた。
「由香! あんたねえ、いい加減にしなさいよ! 小学生のくせに人の彼氏にキスしてんじゃないわよ! さっさと裕一から離れて着替えてきなさい!」
 ビリビリと声の振動が肌に伝わる。奈々子の剣幕は相当なもので、それは見ているだけの俺がちょっとたじろぐほどだった。
 しかし由香はそんな奈々子に白けた目を向けて、
「……ねえ、ただのままごとに、なにムキになってんの?」
 しれっと言った。その調子は奈々子の怒りを逸らすのに、十分な効果を発揮していた。
「ま、ままごと?」
 少し上ずったような声で奈々子が反復し、由香がうなずく。
「そう、ままごと。小学生らしいお遊びでしょ? じゃなきゃこんなカッコしないよ」
 そう言って、メイド服をつまんでみせる。
「でも、ねえ……」
「それともお姉ちゃんは、ままごとでも裕一くんを取られたくない? たかが小学生の遊びにつきあう裕一くんはイヤ? お姉ちゃん、高校生なのに?」
 由香にどんな思惑があるのかは知らないが、その言い分だけはもっともだった。五歳も年下の子供の恋人ごっこに、高校生が怒鳴るということは、奈々子にしてみれば妹を同格とみて嫉妬するということであり、俺にしてみれば由香を大人扱いすることになるからだ。
「く……」

78 :No.23 真冬のトロピカル (3/5) ◇VwgR4TO1Y2 :06/12/17 22:37:00 ID:wGsW+Rmx
 案の定、奈々子は返す言葉を失った。苦悩と葛藤の表情を浮かべて、助けを乞うように俺のほうを見たが、俺だって反論を返すことはできない。
「……ままごとなら、しょうがないんじゃないか?」
「──ッ! 裕一の馬鹿!」
 たまらなくなった奈々子が、ダイニングから飛び出していってしまった。勝負はついた。自分の立場を逆手にとった由香の完全勝利だ。
「じゃあ、裕一くん。どうぞ〜」
 由香がひまわりのような笑顔でマグカップを差し出す。俺は奈々子が気になったが、諦めて素直にそれを受け入れた。
「おいしい?」
「う、うん」
「そう、良かった。お菓子を用意するからちょっと待っててね」
 膝からピョンと飛び降りて、たたたとキッチンの方へ駆けていった。
 その後ろ姿を見送ってため息をつくと、開いたドアを見る。奈々子が怒るのも無理はないが、俺はちょっと違う考えだった。
 由香はこの両親のいなくなる日を楽しみにしてずっと計画していたんじゃないかと思うと、それに付き合ってやってもいいかなと思っていた。
 間違っても由香と恋愛することはないし、保父さんみたいな気持ちで迎えてやれば、少しは楽しめるんじゃないかと。
「お待たせ〜」
 ある種の達観状態に入っていると、メイド姿に水着という、正直にいえば珍妙な格好の由香が戻ってきた。
 俺はどうせならと何か気の利いたことでも言おうとして、
「どう? 裕一」
 入り口から届いた、奈々子の悩ましい声に遮られた。
「お、お姉ちゃん!」
「奈々子、おまえなぁ〜……」
 俺は思わず肩を落としていた。何を思ったか、奈々子は水着姿で戻ってきたのだ。それも花柄のビキニという、露出の多い水着で。
 由香がお盆を置いて、奈々子に詰め寄る。
「ちょっとお姉ちゃん! なにそのカッコ!」
「え? 私も小学生の遊びにつきあってあげようと思って。ダメ?」
 いけしゃあしゃあと奈々子が言う。もちろん本音は違うだろう。由香が自分の立場を利用したのに対して、さらに上乗りするかたちで利用しただけにすぎない。
 奈々子は例え妹といえど容赦はしなかったのだ。由香ぐらいませていたら、いずれ敵になると判断したのだろう。しかし、だからといって何もビキニを着ることはない。
 全く大人気ない……と呆れながら二人の言い合いを見ていると。奈々子が気づいてこっちを向いた。
「ねえ裕一、私も一緒に遊んでいいでしょ?」
 ダイニングテーブルに両手をついて、胸を強調してお願いしてくる。そのふくよかな谷間は、視線を外そうとしても外れない魅力を持っていた。

79 :No.23 真冬のトロピカル (4/5) ◇VwgR4TO1Y2 :06/12/17 22:37:39 ID:wGsW+Rmx
「う……」
 答えに詰まりながらも、顔が赤くなるのがわかった。それを敏感に察知したのか、由香が奈々子の前に割ってはいる。頬を膨らませた顔は、さすがに小学生らしい。
「裕一くん! ちゃんとわたしのこと見なくちゃダメなんだから!」
「由香、おとなしく負けを認めなさい?」
 その背後には、さっきとは一変してもはや余裕の奈々子であったが、負けじと由香はキッと睨み返した。
「なによ! そんな派手なカッコしなきゃ勝てないくせに!」
「なんですって?」
 その一言で、奈々子は眉を吊り上げた。
「わたしだって水着だけならお姉ちゃんより綺麗だもん!」
「そこまで言うなら勝負してやろうじゃないのよ!」
 ──かたや花柄ビキニ、かたや白ワンピ水着にメイド服という、場違いな格好で熱くなっている姉妹に、他人の俺が入り込む余地などあるわけがない。
「聞いてたでしょ、裕一。どっちがいいか評価してね!」
「頼んだよ、裕一くん!」
「……ていうかさ──」
 俺に一言向けるだけ向けて、俺が話すのも待たずに二人がダイニングから出ていった。
 おかしな事になってきた。いや、由香が登場した時点でおかしな事態ではあったが、奈々子が絡んでますます妙な出来事になっている。何もこんな季節に、ささやかな水着ショーをやる必要なんて全くないではないか。
 しかし俺の思いとは裏腹に、奈々子が戻ってきた。今度は黒の紐ビキニだった。そのデザインは、見ようによっては下着にも見える。
「どう?」
 やたら挑発的なポーズを取る奈々子は綺麗だったが、俺はもうあまり魅力を感じなかった。さっきは思いがけない胸元に見とれたが、ここまで温度差が違っていて素直に楽しめるわけがない。
「な、なあ……」
 上手く説得できそうな言葉を探していると、今度は由香が戻ってきた。
「ジャジャーン!」
「……由香、ちゃん?」
 由香の姿に、愕然とした。──何を勘違いしたのか、由香はスクール水着だった。一部の方には破壊力バツグンかもしれないが、残念ながら俺にはそういう趣味はない。ついでに、由香の幼児体型も何とも思わない。
 それでも少なからず奇抜な発想に驚愕して思わず凝視していると、由香も奈々子も見事に勘違いした。由香が鼻にかけたように笑う。
「わたしの勝ちだね」
「…………甘いわ、まだ終わってないわ。ねえ見て、裕一……」
 歯噛みするような表情を浮かべた奈々子だったが、見るものを不安にさせる笑みを浮かべると、右手を持ち上げ首の紐に指をかけた。
 シュルシュルと音がして、紐が解けた。左手で胸と水着を抑えて、前かがみにポーズを取る。
「これで私の勝・ち・ね」

80 :No.23 真冬のトロピカル (5/5) ◇VwgR4TO1Y2 :06/12/17 22:38:46 ID:wGsW+Rmx
 奈々子が自信たっぷりに微笑んだ。
「…………」
 俺はそのポーズを見つめて、沈黙で応えるしかなかった。確かに由香のスクール水着よりは、奈々子のグラビアよろしく誘惑ポーズのほうが魅力的だと思う。思うが、ダイニングでわざとらしく見せたそれは、魅力以上に滑稽であり、平たくいえば馬鹿馬鹿しかった。
 しかし信じられないことに、由香は本気で悔しそうだった。
「どう? 素直に負けを認める気になった?」
 奈々子の問いに答えず、思い詰めたような顔で俯いていた由香は、俺の目から見て少し可哀想にも思えた。高校生の奈々子と小学生の由香。俺だけの基準ではっきり言ってしまえば、この勝負は最初から由香に勝ち目なんてなかった。
 どんな慰めの言葉をかけようか思案していると、やがて由香が先にポツリと呟いた。
「……ぐ」
「え?」
 そのあまりに細い呟きに俺と奈々子が聞き返すと、由香は急に真正面を向いて、肩紐に両手をかけた。
「わたし、脱ぐ!」
「ッ!」
 由香がそのままガバッと一気に下ろそうとするので、俺は慌ててそっぽを向いた。視界の隅に、駆け寄って制止する奈々子が見えた。 
「バカ! 何考えてんのこの子は!」
「だ、だってお姉ちゃんズルばっかり……ッ!」
「あんたは脱いだら裸になっちゃうでしょ!」
「いいもん! 裕一くんになら見られたって平気だもん!」
「馬鹿なこといってないで、いいから着なさいぃぃいいい!」
「イヤだイヤだ! 絶対脱ぐぅぅううう!」
 二人の力のこもった喧騒をBGMに、俺は横を向いたままテーブルに肘をついた。
 ……黒い下着風のビキニを着た女子高生に、スクール水着を脱ごうとしている中学生入学間近の小学生。本当であれば、男なら喜ぶべき嬉しい状況のはずなのに、こんなにも疲労感だけが押し寄せているのは何故だろう。
 このどうしようもない雰囲気のせいだろうか。とにかくハチャメチャでムチャクチャだ。もう家に帰りたいとすら思う。いや、そもそも電話で呼ばれた時、安易に行くべきではなかったのか?
「あッ! この!」
「裕一くん! ほら、こっち見て!」
 一体どこから間違っていたのかを考えていると、由香のスクール水着が飛んできて、生暖かい感触と一緒に顔の右半分に垂れ下がる。それでもう、本当にどうでもよくなった。頭に垂れた水着を振り払うのさえ、面倒になってしまった。
「はあ……なんだかな……」
 残った左目で、窓から見える景色をぼんやり眺める。
「……家の外は、こんなに吹雪いてるっていうのに……」
 もちろん俺の声など誰にも届くわけがなく、ビキニと裸の姉妹は、姦しく騒ぎ続ける。



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