【 グライダーの滑走 】
◆D7Aqr.apsM




71 :No.22 グライダーの滑走 (1/5) ◇D7Aqr.apsM:06/12/17 22:20:19 ID:wGsW+Rmx
「やっぱりだ。見間違えなんかじゃなかった」
 村から山を一つ越えた丘にあるグライダー用の滑走路。
 茂みの中から、僕は滑走路の脇に翼を休めるグライダーの機体を見ていた。
 昨日の夕方。家の手伝いで畑に出ていた僕は、山の向こうに白い翼が
一瞬光るのを見た。誰に言っても信じてもらえなかった。村で唯一、物好きにも
グライダーを持っていたミックじいさんが、小麦畑に墜落してから、
近くの村のどこにもグライダーなんて持っている人はいなかったから。
 十四歳になったら乗せてやる。グライダーの整備を手伝う僕に、じいさんは
口癖のように言っていた。それももう、かなわないのだけれど。
 僕の見間違いかどうか。それを確かめる為に、僕はここへやってきた。
 あたりを見回すのももどかしく、吸い寄せられるように、機体に近づく。
 滑走路脇の草原に、そのグライダーは長い翼をかしげてたたずんでいた。
開け放たれたキャノピー(風防)から操縦席をのぞき込む。狭いコクピットは、
ミックじいさんの機体みたいに手作りではない、工業製品の匂い。そういえば、
この機体のパイロットは――。と考えていた、その時。
 がちり、という嫌な金属音。
「機体から離れろ。拳銃で狙っている」
 鋭い声が背中に響いた。

「ほら、ちゃんと力いれてよ! せーのっ!」
 がごん、と大きな音がして、グライダーは草原からアスファルトの敷かれた滑走路へ
戻った。機体の下につけられた三つの車輪で、かろうじて翼を引きずらずに自立する。
「よし、そんじゃ少年、そのまま機体を、あの小屋の近くまで押していこう」
 つなぎの飛行服を、上半身だけ脱いで、腰に巻き、今は黒いタンクトップ一枚。
「ほら、いくよ? ゆっくりでいいからね。翼を引きずらないように」
「わかってるよ」
 機体の左右に分かれて押していく。僕はちらりと、機体の反対側にいる
パイロットを見た。肩よりも上で切りそろえられた金髪。白い肌。
黒いタンクトップが肌に張り付いている。胸元に柔らかい曲線。
 僕に銃を突きつけたパイロットは女性だった。

72 :No.22 グライダーの滑走 (2/5) ◇D7Aqr.apsM:06/12/17 22:20:34 ID:wGsW+Rmx
「少年、気持ちはわかるけど。前、みといてね」
 わざと胸を反らして、にやり、と彼女は笑う。蝉の声がうるさい。

 彼女は、カミラ、と名乗った。かなり遠くにある北国の軍人なのだそうだ。
作戦中、気流に流されて、ここに不時着したと彼女は照れくさそうに言った。
「しっかし、助かったなあ。グライダーの滑走路だったなんて。車がない、ってのは
驚いたけど、カタパルトがあれば要らないものね。それに、キミがいてくれたのも
運が良かった。一人でも扱えない事はないんだけど、結構つらいものがあるからね」
 彼女は機体から荷物を引っ張り出して、僕の方を見るとにっこりと笑った。

 夕暮れの光が、かすかに空に残っていた。
 あれから、僕とカミラは、ミックじいさんが残していった小屋の中から、使えそうな
機材を持ち出して、もう一度グライダーを飛ばす準備をしていた。
 カミラは地面に数字を書き付けて、使うのに必要なスプリングの強度や、機体を引く
金属製のワイヤの強度なんかを繰り返し計算していた。
 滑走路の真ん中に埋め込まれている、金属製のレール。一番手前に、レンガ一つ分
くらいの金具が見える。この金具と、機体をワイヤーで結ぶ。滑走路脇の地面から
生えた、大きなレバーを引き倒すと、この塊がスプリングの力で一気に走る。滑走路の
終わりまで。
 グライダーは既にワイヤで金具に繋がれていた。僕は滑走路脇の射出用のレバーを、
ロープで固定した。肩くらいまでの長く、大きな棒が直立して固定される。
「安全装置? それは良いね。さ、少し食べようよ。火も起こしたし」
 カミラが僕の肩越しに、かがみ込むようにして見ていた。胸元が危うい。
 彼女はぽん、と僕の肩を叩いて、小屋の脇に起こした火の方へ歩いていった。

 差し出されたカップの中には、どろっとしたスープのようなものが入っていた。
「軍の携行食だけどね。まあ、ないよりはマシでしょう?」
 僕は塩味のきついスープを飲みながら、火を挟んで彼女の向かい側に座った。
「そっち、煙いくよ?」
「いいんだよ」

73 :No.22 グライダーの滑走 (3/5) ◇D7Aqr.apsM:06/12/17 22:20:46 ID:wGsW+Rmx
 僕は身体の位置を少しずらした。確かに少し煙い。けれど、相変わらず
タンクトップ一枚の彼女の横に座る気はなかった。
「あ、なに? もしかして、意識してくれてる? ごめんねー。暑くてさ」
 彼女は自分の格好を見て、にやり、と笑った。
「……本当に連れて行ってくれるんだよな?」
 僕はグライダーの離陸を手伝うかわりに、乗せていく事を条件として出していた。
「疑い深いなあ。ただ、その時に誰が射出レバーを引いてくれるのか、それが
謎なままなんだけど」
 射出用レバーを引くと、グライダーは猛烈なスピードで空へ打ち出される。
誰かがそのレバーを引かなければならない。僕は用意しておいた答えを見せた。
「ゼンマイ。全部回り終わると、ロックが開くようになってる」
「これを使ってレバーを止めているロープを切るの?」
「いや、そのための仕掛けがレバーの下についてるから」
 僕はシャツのポケットにそのゼンマイを入れた。
「キミがレバーを引かなければ、グライダーは飛ばないし、その装置が
なければふたりで飛ぶこともできない、ってわけね。うん、だから約束するってば。
一緒に乗って飛ぶ。でも、どうするつもり?ここは戦争もないし、いい国じゃない?」
「ここにいたら、飛べないんだ」
「それだけ?言葉とかどうするの?あたしはたまたまこの辺の言葉も
知ってたから話が通じてるけど」
「覚えるよ。どうせ、帰れないだろうから」
「おお、覚悟はしてるんだ。良いことだね。でもさ、キミ、戦争はできるかい?」
 彼女はいつの間にかポケットから取り出した煙草を口にくわえていた。
たき火に差し込まれた枝を一本抜き取り、火をつける。癖のある香りが
あたりに広がった。真正面から見つめる、彼女の少しだけすがめられた瞳。
口の中が一瞬でカラカラに乾く。
「……なんてね。ま、時間はあるからさ。寝ようよ。明日は早い」
 彼女は煙草をたき火の中に放り込むと、寝袋を広げ始めた。

74 :No.22 グライダーの滑走 (4/5) ◇D7Aqr.apsM:06/12/17 22:20:58 ID:wGsW+Rmx
 僕は浅い眠りの中で、かすかに違和感を感じた。
広い。――寝やすい。夏とはいえ、丘の上は冷える。結局僕はカミラに
説き伏せられて一緒の寝袋に入って眠ることになった。緊急用のそれは、
小さくて、かなりくっついた状態で寝なければならなくて。なのに。
今はゆったりと仰向けに眠ることができた。
――ああ、カミラがいない。……カミラ!

 がば、と身体を起こす。たき火はすっかり消えていて、細い煙を
くすぶらせているだけだった。そして、その向こうにグライダー。
 地面に固定していたロープが全て取り外されている。開かれたキャノピーの
向こう側に小さな影が見えた。
 僕はゆっくりと寝袋から這い出すと、音を立てないように射出レバーに
近づいていった。胸ポケットを探る。ゼンマイ仕掛けのタイマーがない。
「カミラっ!」
 走りながら叫んでいた。約束が違う。
 レバーを止めていたロープも外されている。
 肩口ほどの高さまである、大きなレバーの基部に、タイマーがはめ込まれ
ていた。レバーを倒さないようにゆっくりと抜き取る。
「あーあ。起きちゃった?」
 グライダーからのんびりした声。操縦席に立ち上がるカミラ。
「……なんでこんな事するんだ?」
「まあ、色々考えたんだよ。あたしも。でね、思った。まだキミはここを出て行く
準備ができてない。――動かないでね?キミを撃ちたくないんだ」
「そんなこと聞いてない!」
 僕は射出レバーの横に立ったまま、叫んだ。機体に詰め寄ろうとする。
 軽い、何かがはぜるような音がして、足下の土が吹き飛んだ。滑走路に薬莢が
跳ねる。背中を伝う汗は、暑さのせいばかりじゃあない。蝉の声が途絶えた。

75 :No.22 グライダーの滑走 (5/5) ◇D7Aqr.apsM:06/12/17 22:21:09 ID:wGsW+Rmx
「動かないで。次は外さない。いい?……覚悟ができてない、なんて
言うつもりはないよ。けどね。たぶん、キミはまだ想像できてない。戦場に
行くということが。一人で、出て行くということが。だからね、もう少し待った
方がいい。自分で、キミの村を出て行けるようになるまで」
「なんだよ約束したのに。で、どうやって飛ぶつもり?タイマーは外したし、
僕はレバーを引かないよ」
「ごめんね。あたし、射撃は本当に上手なんだ」

 カミラが、銃口を僕に向ける。
 痛めつけて、レバーを引かせるつもりだろうか。
 奥歯をかみしめる。銃口をまっすぐに見つめた。
「戦争が終わったらさ、会いに来るよ。必ず。……じゃあね」
 そして、二発目の銃声が響いた。

 がきん!という音。
 少し遅れて、ざああっ!という、グライダーの翼が風を切る音がそれに続く。
 加速していく中、操縦席の内側からキャノピーが閉じられた。
 滑走路の中程で、唐突に、機体がふわりと空に浮かび上がる。
 長い翼が、きらきらと朝日を反射して光った。

「飛んだ!」
 思わず歓声を上げそうになって、あわててこらえる。
 振り返ると、射出レバーはきれいに倒されていた。にぎりの部分に弾痕。

 高い雲。ひたすらに青い空。
 その中を、気流を捕まえながら、グライダーが飛んでいく。
 飛び去る機体が、羽を上下に振っているように見えた。
 僕は手を振ることもなく、空を見上げながら太陽に焼かれ始めた滑走路の上を歩いた。

 <グライダーの滑走> 了



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