【 摂氏七十一度 】
◆wDZmDiBnbU




53 :No.17 摂氏七十一度 (1/4) ◇wDZmDiBnbU :06/12/17 21:01:04 ID:wGsW+Rmx
 二〇二三年八月一日、政府はついに『萌え税』を導入した。
 財政の行き詰まった日本政府が、最後に取った起死回生のこの策は、その前年の通常国
会において満場一致で可決された。だが税法史上最悪といわれるその内容は、とても信じ
がたいものであった。『萌え』に関連するとされる全ての商品・サービスが課税の対象と
なるのだが、その対象とする範囲はあまりに広い。漫画、アニメ、パソコンゲームやその
関連商品は当然としても、各種の制服、ジャージや体操着、さらにはランドセルまでもが
対象に含まれる。メガネは全てコンタクトに取って代わられ、もはや過去のものとなった。
酷いことにはペットまで『ケモノ耳萌えの対象』とされた。中には、天使の羽や魔法の杖
など、この世に存在しないものまで含まれている。そして、真に驚くべきはその課税率で
ある。課税対象の購買などの取引に際して、その支払金額に対しなんと五十パーセント。
あまりに高すぎる額だ。
 この課税だけでも横暴だが、政府はさらに『萌え特殊税』として、萌えることそのもの
さえも課税の対象にした。たとえば、妹のいる兄は毎月納税。幼なじみや近所のお姉ちゃ
んも同様だ。水泳の授業への参加は途方もない金額が必要になり、マネージャーのいる部
活になど入部できたものではない。女教師の授業も課税の対象だから、担任が女の先生だっ
たクラスは悲惨だ。企業においても同様、秘書課の設置は難しくなり、給料日前には新入
社員の女性と会話なんてできたものではない。風邪を引いて病院に行っても、女医なんか
がでてきた日には料金が倍に跳ね上がる。まして入院して、看護士の世話を受けることに
などなろうものなら――まさに、地獄だ。税金の督促に来た女性職員と目が合ってしまい、
請求額が倍になったなんていう話もあるほどだ。もし、朝、パンを加えて走っている女子
高生とぶつかりでもしたら……一生かけても納税は不可能だろう。

 施行のその日から、萌えの聖地秋葉原は日本一の犯罪の街へと変貌した。脱税である。
施行当初、脱税はどこでも普通に行われていた。だがそれに対し政府が規制を強化し、強
行的な対策をとったことで事態は一変した。脱税は減ったが、その代わりに町中での小競
り合いが耐えなくなった。「萌えた」「萌えない」で口論になり、それが時には死傷事件
にまで発展する。秋葉原は、さながら悪魔の街へと化したようだった。
 事態を重く見た警視庁は、この事態に対応すべく、警官を増員し秋葉原の警備を強化す
るという手に打って出た。しかし、これが良くなかった。増員された警官たちの中には、
課税の対象になる点を配慮し、女性警官は一人もいなかった。このことが、荒廃しきった

54 :No.17 摂氏七十一度 (2/4) ◇wDZmDiBnbU :06/12/17 21:01:16 ID:wGsW+Rmx
秋葉原住民たちの心に火をつけたのだ。抵抗勢力――レジスタンスの結成である。
 きっかけは些細なことだった。インターネット上のとある掲示板で、一人の男が反乱の
声を上げたのだ。そのあまりに真摯な態度、そしてそのリーダーシップに、誰もが惹かれ、
同調した。その男は掲示板の書き込み番号から『四五一氏』と呼ばれた。もしくは単に『
香具師』――その掲示板において『奴』という意味で使われている言葉である――と呼ば
れることもあった。その香具師四五一氏を中心に、ついに彼らは立ち上がったのである。
 彼らはバンダナ、穴空きグローブ、チョッキという動きやすく戦闘的なスタイルで国家
に抵抗した。勇敢な彼らは、ときには戦うことすら辞さなかった。かつて平和だったあの
頃には、存在はすれども決して抜かれることのなかった刃、肩に背負った丸めたポスター――
いわゆる『ビームサーベル』が、抜かれる時代が訪れたのだ。

 この未曾有の事態に対し政府は、強行的でありながら懐柔的な、斬新すぎる戦略を取っ
た。秋葉原にいるすべて警官を引き上げ、その代わりに特殊部隊を常駐させたのだ。それ
こそが『メイド・クリティカル・アサルト・チーム』。頭文字を取って、通称『エムキャッ
ト』だ。彼女らはメイド服型防弾ジャケットに身を包み、ネコミミ型キャップを被り、さ
らにメイドロボアンテナ型耳当て式ヘッドセットを装着していた。手にした魔法の杖型ア
サルトライフルは、暴動鎮圧用の特別仕様だ。背中の赤ランドセル型バックパックには様
々な特殊兵装が用意されている。そのバックパックの両脇に備え付けられているのは天使
の羽を模した高感度アンテナだ。まさに、最強の部隊にして最高の課税対象。彼女らは自
身の運用費を、逮捕者から徴収する税金だけでまかなうことすらできるほどだ。
 二〇二五年七月一日。エムキャットのデビュー当日、つまり配備のその日に行われた大
規模掃討作戦『ボンバーヘッド作戦』は、予想以上の成果を上げた。彼女らは、レジスタ
ンスの隠れ家とされる、秋葉原中の『ツンデレ喫茶』を一斉に強襲した。ツンデレ喫茶と
は、萌え税法の影響から今や廃れてしまったメイド喫茶に代わり、秋葉原全域を席巻した
新たなブームだ。人前では素っ気ないツンツンした態度を取るが、二人きりのときはデレ
デレと甘える、ツンデレ――その特性を逆手に取り、課税の対象からすり抜けたのだ。ツ
ンデレそのものは課税対象ではあるが、しかし、一見ただの冷たい女。『デレ』の部分が
立証できない限り、まるで課税の対象にはなり得ない。法のグレーゾーンを利用した、脱
税すれすれの萌え商売だ。それは秋葉原住人たちの心のオアシスとしても、そしてレジス
タンスたちの密会の場所としても好まれ、使われていた。だが、それは、その日までの話

55 :No.17 摂氏七十一度 (3/4) ◇wDZmDiBnbU :06/12/17 21:01:27 ID:wGsW+Rmx
だった。
 正午ちょうど、平和な昼下がりの秋葉原に、銃声が鳴り響いた。彼女たちは秋葉原中の
ツンデレ喫茶に容赦なく踏み込み、そして、その中にいた人間をことごとく検挙した。レ
ジスタンスたち、ツンデレ喫茶の従業員、そして、その場に居合わせたオタク。僅か三時
間の間に、そのほとんどが、秋葉原から姿を消した。文字どおりの瞬殺――アキバは、死
んだ。誰もがそう思った。しかし現実はそうではなかった。
 秋葉原に、オタクが集まり始めたのだ。早いものはその日の晩のうちから、夜行列車に
乗って秋葉原を目指した。日本全国、いや、時には海外からも、あらゆる土地から、様々
なオタクたちが現れた。彼らは武器も持たず、まして誰に言われるでもなく、自然と聖地
に集結した。何もできないかもしれない。だが、瀕死の秋葉原を前に、黙っていることは
できない――ただそれだけのことだった。エムキャットの力は圧倒的で、日々検挙は絶え
ることがない。それでも彼らは、半笑いを浮かべ、日々秋葉原を闊歩した。秋葉原に殉じ
る――そんな言葉が流行り始めた頃、再びレジスタンスはその息を吹き返した。日夜様々
な噂が飛び交い、ネット上には『聖戦』の二文字が乱舞した。再び立ち上がる者、それを
冷ややかに見つめる者、悲嘆に暮れる者、ただ安らかに死を待つ者。オタクの反応は様々
だった。

 そして、その一ヶ月後。あの施行の日からちょうど二年、二〇二五年八月一日。ふたた
び悪夢は訪れた。作戦名『アキバ死亡フラグ』。エムキャット全部隊を投入した史上最大
規模のオタク狩りに、聖地アキバはなす術もなく陥落する――そのはずだった。
 その日、秋葉原を支配したのは、エムキャットでもレジスタンスでもなかった。作戦決
行直後の正午過ぎ、早くもネットに踊り出た一つの言葉。『アキバに神、降臨』。他に形
容のしがたいこの事実は、まさに奇跡としか言いようがなかった。

 秋葉原を手中に収めたのは、中天に輝く太陽だった。

 猛暑だとか地球温暖化などといった言葉では到底追いつかない。観測史上最高気温のレ
コードは東京各所で塗り替えられ、その値のほとんどが四十度を越えている。大都市の機
能すら脅かす異常気象は、秋葉原においても例外はなかった。人で溢れるこの街にとって
はむしろ、より一層過酷だったともいえる。容赦なく照りつける日差しと、人々の発する

56 :No.17 摂氏七十一度 (4/4) ◇wDZmDiBnbU :06/12/17 21:01:39 ID:wGsW+Rmx
異常な熱気。これらを前にして、明らかに裏目を引いたのは――エムキャットの重装備だ。
 ただでさえ超重量の装備に、メイド服を模したジャケット。真夏の炎天下の元では、移
動することすら困難を極めた。目標地点に踏み込むときにはもはや熱中症にかかっている
という者さえ出たほどだ。武装で劣るレジスタンスたちが、この機を逃そうはずもない。
 この程度の気温、有明の熱気に比べたらそよ風に等しい――熱さを意に介さないレジス
タンスたちは、ついに最後の武器に手をかけた。猛暑に苦しむエムキャットに対して、彼
らが浴びせかけたのは他でもない、あつあつのおでんでった。アキバに古くから伝わる、
伝統の『おでん缶』。高熱を保ったまま携行できるこの武器は、信じられないほどの破壊
力を誇った。アキバに出汁の匂いが満ち、その蒸気が充満する頃には――エムキャットの
ほぼ半数が捕縛されていた。夕方に差し掛かる頃、警察は秋葉原から全ての部隊を引き上
げ、再び作戦を検討することを余儀なくされたのだった。
 まるでゲームのような逆転劇。レジスタンスの、オタクたちの勝利だった。

 夜の帳がおりたその街は、熱狂の渦で沸き返っていた。一時の勝利、明日には再び死闘
が待っているかもしれない。だがそれでも彼らは、おでん缶を手にときの声をあげ続けた。
たとえ一夜限りのことにせよ、彼らは守り抜いたのだ。国家権力を閉め出し、法をモニター
の向こうへと追い返した。その夜、アキバの街に、失われた矜持がよみがえった。
 もはや見ることのなくなっていたフィギュア、闇で取引されていた同人誌、昔懐かしい
美少女ゲーム、そして姿を消していたメイドたち。古今東西、アキバを席巻したあらゆる
萌えが、一夜限りの大輪の花を咲かせる。それはまさに百花繚乱、命の限り咲き乱れ、夏
の夜の夢を彩った。時計の針が深夜十二時を回ろうとも、その熱は消して冷めることがな
い。終わらない夏休みは、たしかにそこにあったのだ。

 記録的な猛暑は日本全土を席巻した。だがしかしそれは、この街の熱気に比べれば些細
なものにすぎないのだ。その日、アキバの夏の風物詩『ドンキホーテの温度計』が叩き出
した数値が、その事実を証明している。あまりに暴力的なその値に、かつて反乱のシンボ
ルに祭り上げられた男の指が動いた。それが本当に香具師四五一氏本人だったのかどうか、
今となっては定かではない。だが彼が掲示板に残したその一言は、今でも語りぐさとなっ
ている。
 摂氏七十一度。アキバの気温には、神すら萌える。          <了>



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