【 夏の音色 】
◆e3C3OJA4Lw




34 :No.11 夏の音色(1/3) ◇e3C3OJA4Lw:06/12/17 14:31:54 ID:4W2ducKU
 夏。
窓の外から。
蝉時雨の中、交じって誰かの唄声が聞こえてくる。

 それは誰の唄?
 それは誰のための唄?
 それは本当に哀しい唄。

 私が耳を塞いでも聞こえてくる。響いてくる。
早くここから立ち去ってしまいたい。
こんな哀しい唄、もう聞きたくない。
こんな哀しい、蝉と誰かの二重奏なんて。
私は白い掛け布団を強く握り締める。
白い壁に白いベッド、白いカーテン。
そしてドアの方から、白衣を着た白髪のおじさんが入ってきた。
「調子はどうだい?」
おじさんはいつもの一言を口に出す。
私は首を横に振り、あまり良くないですと応えた。
「それに、哀しい唄が聞こえてきて、なんだが嫌な気分です」
それは囁かれるように。幽かに。咳き込めば消えてしまいそうな唄。
けれど、決して消えることはない。
「哀しい唄、ね」
窓の外から蝉時雨。それに交じって誰かの唄。
私はゆっくりとベッドから立ち上がり、窓の外を見る。
外には澄み渡った空に、緑色の葉をつけた大きな樹木が林立している。
それはいつもの見慣れている風景。
「夏実くん、立ち上がっても大丈夫なのかい?」
「はい」
あたたかい風が頬をかすめる。
これで三重奏。

35 :No.11 夏の音色(2/3) ◇e3C3OJA4Lw:06/12/17 14:32:47 ID:4W2ducKU
蝉時雨と風と哀しい唄。
風も吹き続けるわけではない。時々吹くだけで十分。
それだけで哀しい唄が、少しだけ楽しくなる。
あぁ、私の鼓動も入れて四重奏。
それだけで随分と楽しい唄になった。
「何か、うれしいことでもあったのかい?」
医者は私の表情を読み取ったのか、そんなことを聞いてくる。
「はい。哀しい唄が楽しい唄になりました」
私は医者のほうに目を向けて応える。
すると医者もうれしそうな表情になった。
「それはよかった。では私は席を外させてもらうよ。またね、夏実くん」
そう言ってドアの方に歩き、この病室から出ていく。
私はまた、窓の外を眺めた。
こんな素敵な風景を、いつまでも眺めていたい。
そう思った。

 けれど、それは叶わなかった。
私は発作を起こして、その場で倒れ込む。
窓の外から目を外して、床に視点が落ちる。
そこに偶然、食事を持ってきた看護婦さんに抱きかかえられた。
そして何かに乗せられて、どこかへ連れられて――その間に私は窓の外をもう一度目をやった。
青い空は、少しずつ灰色の雲に覆われようとしていて、
それはまるで、私の気持ちを代弁しているかのようだった。

「今日に手術日を早める」
あの、おじさんの声がする。
酷く、焦っている声。
けれど、やっぱり哀しい唄は聞こえてくる。
あの時より、さらに大きな唄声。
横から金属同士がこすれ合う音も。

36 :No.11 夏の音色(3/3) ◇e3C3OJA4Lw:06/12/17 14:33:29 ID:4W2ducKU
私の鼓動に合わせてリズムを刻んでいる電子音も。
外から聞こえる風雨の音も。
みんな、哀しい唄に味方している。
楽しい音色は、私の鼓動だけ。
きっと外は灰色の空で、風は強く吹き荒れ、雨は降りしきり、蝉時雨もとっくに止んでいることだろう。
胸が、とても痛い。
「先生、呼吸が乱れています」
いつも食事を持ってきてくれる看護婦さんの声。
酷く、焦っている声。
けれどやっぱり哀しい唄は聞こえてくる。
さっきより、さらに大きな唄声。
もう私の鼓動では、打ち返せない。
私の鼓動が止んでしまう。
唯一楽しい唄だったのに、消えてしまう。消されてしまう。
リズムを刻んでいる電子音は、急に鳴り響いた。
一定の音程で、鳴り続けた。
「――夏実、くん」
鼓動は、何の躊躇いもなく止まってしまった。
けれど、哀しい唄は未だに聞こえてくる。
ふと、隣を見ると、私が唄を唄っていた。
囁くように、幽かな声で唄っている私。
今まで、私が唄を唄っていたんだ。
もう一人の私は涙を流しながら、私の頭をそっと撫でていた。

 それは私の唄だった。
 それは私のための唄だった。
 それは本当に哀しい唄だった。
 ――それは、夏の日の終わりと、私の命の終わりを掛けている唄だった。

              「了」



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