【 のるくらかこどはつな 】
◆8vvmZ1F6dQ




31 :No.10 のるくらかこどはつな(1/3) ◇8vvmZ1F6dQ:06/12/17 11:43:52 ID:4W2ducKU
いつでも海辺に佇むおじさんがいた。小学生のタカシはおじさんのことが気になってしかたがない。
でも海は、溺れると確実に凍死するほど危険なので、近寄るなと親から念を押されていた。
ある日のことだ。久しぶりに雪の降っていない日だった。タカシは外に出て雪の上に足跡を作りながら走り回った。
しかしそんなもの、何の面白みもない。いつしか飽きて、タカシは友達の家に向かった。その途中、海辺が見える道を通る。
タカシは今日もそこを通るとき、いつものように佇むおじさんを発見し、やはり非常に気になってしまった。いつもなら、
親の言葉を思い出して通り過ぎてしまうのだが、タカシはとうとうおじさんに一歩近づく決心をした。
タカシはおじさんを、「ねえ」と震える声で呼んだ。おじさんはあっさりと振り返った。言葉は通じるようだ。
「なんだいぼうや。こんなところで危ないぞ」
こんなところ、にいつもいるおじさんにそう言われるのはなんだか滑稽だ。タカシは質問した。
「おじさんはここで何をしているの」
「夏を呼んでいるのさ」
夏、という言葉にタカシは固まる。聞いたことも見たこともない言葉だった。
「なつって何?」
「季節のことさ」
タカシは目をぱちくりさせる。何せ、タカシたちの世界には、春と秋と冬しか季節がないのだ。
「それ、おじさんが勝手に作った季節でしょ? なつ、なんて聞いたことないもの」
「……そうだなあぼうや、ぼうやは季節がどこから来るか考えたことあるかい」
「ないよ」
おじさんはフーッと息を吐きながら砂浜に腰掛けた。タカシも並んで座る。砂がひんやりとした。
「まず春、これはどこから来るか考えてごらん」
「んー、鼻からかな……」
タカシは自分の鼻を指差す。
「なんでそう思うんだい」
「春になると、鼻水が出てしょうがないんだ」
「ハハハ、ぼうやがそう思うなら春は鼻から来るんだろう」

32 :No.10 のるくらかこどはつな(2/3) ◇8vvmZ1F6dQ:06/12/17 11:44:56 ID:4W2ducKU
次におじさんは「秋はどこから来るか考えてごらん」と言った。
タカシは、これは難しいなあ、と呟きながら少し考えた後、「炊き込みご飯から」と答えた。
「じゃあ、冬は?これは簡単だろう」
「雪からだね」
「じゃあ最後に、夏はどこからくると思う?」
「……知らないよ」
おじさんは、タカシが気になるぐらいだからだいぶおかしな姿だった。
海を呆然と眺めているだけなら、タカシは変な人だ、と思いはしてもそれほど気にはならなかっただろう。
おじさんのあたまには、つばのやたらに広い、麦藁帽子が乗っていて、服がこれまたおかしい。
この寒いのに、タカシが下着にしているタンクトップ一枚しか着ていないのだ。タカシの厚着に比べると、天と地の差だった。
「おじさんはね、昔一冊の本を読んだんだ」
おじさんは語り始める。タカシは黙って聞いた。おじさんの読んだ本というのは、大昔の、古典中の古典小説だったらしい。
その中身は、ありがちなミステリーなのだが、おじさんが読み進めるうちに、その舞台がおかしいことに気付いたという。
「夏、とか、蝉、とか、よく分からないキーワードが出てくるんだ。気になって調べたよ。そしたら昔、もう何百年も前、
 地球にはもう一つ季節があったということを知ったんだ」
夏、というのは命が溢れる、地球の生き物にはかかせない季節だったらしい。それがいつしかなくなった。理由はご先祖さまにしかわからない。
でも、なくなったところで、人間は、タカシはこうして生きているのだ。タカシは何の感慨も覚えず、ふーん、と返した。

33 :No.10 のるくらかこどはつな(3/3) ◇8vvmZ1F6dQ:06/12/17 11:45:49 ID:4W2ducKU

「おじさんは小説を読み終わったとき、“夏に会いたい”と思ったね。それで呼んでいるのさ、海で、夏を」
「そのおかしな格好と、関係あるの?」
「小説の中の人物は、袖のない服を着て、麦藁帽子を被っていて、浜辺で遊んでいた。それで、海に住んでいたらしい」
「魚の仲間だったの?人間は」
「さあなあ。“海の家”って、小説には書いてあった。きっと海に潜ると、家の残骸があるんだろう。遺跡だよ」
「見てみたいね」
「ああ、だがそれは夏が来てからさ。今潜ると、凍死しちまう」
ふいに強い潮風が吹いた。タカシは首のマフラーに顔を埋める。おじさんはじっとその冷たさに耐えていた。
「そういえば」
タカシはおじさんを見上げる。
「結局夏はどこから来るの?」
おじさんは唸ってから、
「おじさんの頭の中からかな」
と答えた。

おわり



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