【 製菓班実験中 】
◆dT4VPNA4o6




135 No.40 製菓班実験中 (1/5) ◇dT4VPNA4o6 06/12/10 23:26:14 ID:4McSGALH
『金平製菓』の社員である甘垣は現在、社内プレゼンの為の書類作りに没頭していた。
 いや、もはや没頭などと言う段階ではなく、彼は急き立てれられるがごとくPCと格闘している。
 現在、午前三時。プレゼン予定時刻は午後三時。既に十二時間をきっているにもかかわらず、
資料の出来は未だに三割と言ったところであった。
 別に彼は不真面目な人間ではない。生真面目ということも無いが、人並みに仕事はこなす人物であった。
 人並みの環境にいればであるが。
「甘垣君、十二時間切ったぞ。今日間に合わなかったら、ボーナスの査定は間違いなくゼロだな」
 部屋の奥から遅れの元凶が口を開いた。
「渋川さん……そう言うなら手伝ってください」
 甘垣がディスプレイを睨みながら返す。渋川と呼ばれた女性は、
「嫌だ。実験が遅れた原因の大半は君にあるのだから、頑張って仕上げたまえ」
 と、こちらもディスプレイを睨んだまま返答する。
「ぼ、僕のせいなんですか?」
 甘垣は思わず顔を上げてしまった。
「そうに決まっているだろう。私は二週間前に試作の最終候補を五つに絞って君に渡したはずだ。
後は君が試食してデータを取ってくれればよかったんだ」
「無茶言わないでください! アレの一番強烈なのを食べて三日ものた打ち回ってたんですよ」
 今回二人が製作しているのはのど飴だった。製作といっても製品の試作はもっぱら渋川が行い、
データ収集と言う名の人体実験を甘垣が行っているのだが。
「結局一番マイルドなのにしてしまって。ツマランな君は、そんな事では出世できんぞ」
 心底残念そうに渋川がぼやく。、
「専務が食べたら冗談抜きで倒れますよ、アレ。ああ、ところであの試作品メントール以外に何かあるんですか」
 再び資料作成に戻りながら、甘垣が質問する。
「別に特別なものは入れていない、メントール以外には乳製品だけだ。まあ、メントールは特別製だが」
 渋川の回答に対し甘垣はしばし手を止めた後再び戻そうとしたが、
「あの、手伝ってくれませんか?」
 甘垣の救援要請に渋川はしばし唸ってから、
「私が今やってるデータの整理を君が代わりにするなら、代わってやってもいいが?」
「本当ですか? やります、やります、そっちの方が楽そうだ」
 言ってみるものだ、とばかりに甘垣は早速渋川と席を入れ替わり渋川のPCに向かったが、

136 No.40 製菓班実験中 (2/5) ◇dT4VPNA4o6 06/12/10 23:26:25 ID:4McSGALH
「……何です、これ?」
 ディスプレイに映っていたのは、見たことも無い複雑な化学式だった。
「新しいメントールの合成式だ。全部英語で頼むぞ」
 渋川はそう言いながら、さっさと資料作成の続きを開始していた。しかも猛烈な勢いで作業を進めている。
「えっと、解っててやってます?」
 甘垣は顔を引きつらせながら渋川に尋ねる。
「何のことだ? こっちかそっちか」
 口ではそんな風だが口元がニヤついているのを見て嵌められた事を悟った甘垣は、
「あ、あの、やはり資料は僕が……」
 無駄かと思いつつも仕事を戻そうとする。
「いやいや、重要な書類はやはり責任者が作成しないとねえ。君はそっちのほうを頑張ってくれたまえ」
 そう言って、渋川は中々代わろうとしない。
 甘垣にとって、このまま何もしないで置く、と言う解決法はあり得ない。もしこのデータの整理とやらが
終わらなかった場合、次にどんな仕事が回されるか彼は考えたくも無かった。
「……僕の認識が甘かったです。お願いですから仕事を戻してください」
 その台詞を待っていたように渋川はピタリと手を止めると
「そうそう、そうやって素直に謝ればよかったのだよ。ああ、あと十一時間だぞ」
 甘垣の肩をポンと叩き、渋川は自分の席に戻ると再び作業を始めた。
 結局甘垣は、正午になってようやく資料を完成させた。

 プレゼンは甘垣一人で行った。渋川に任せると言う考えは彼には無い。絶対にヤバイ方を持ってくる
に決まっていると甘垣は考えていた。製菓会社の役員がメントールが原因で過呼吸と高血圧になり病院に
搬送されたと世間に知れればいい笑いものである。
 製品化はされるだろうと言う役員の言葉にひとまず安心した甘垣は、そのまま研究室に戻った。
 研究室に戻ると甘垣は一応渋川に報告しようとした、だが彼女はソファーの上で寝袋に包まって
ぐっすりと眠っていた。
『鍵もかけずにぐっすり眠っちゃって、自分で無防備だとか思わないのかなこの人。つーか、ひとが
必死に資料作って全然効用を信用しない役員相手にプレゼンしてんのにこの女は。そりゃ連れて行ったら
もっとヤバイ事になるけどさ。俺が帰ってくるまで起きて待っていて報告聞いてからで寝れば良いじゃないか、
こっちは四十時間もねてないっつーの。あーもームカつくな』

137 No.40 製菓班実験中 (3/5) ◇dT4VPNA4o6 06/12/10 23:26:36 ID:4McSGALH
以上が甘垣が数秒のうちに思った事柄である。人間、ハイになると普段と人格が変わる事もある。そしてまともに
動かなくなった脳は普段なら思っても見ないようなことを考えつき、さらに実行してしまうのであった。
『いっつも人体実験の被験者にしやがって、自分も試してるって言うけどアレは絶対うそだ。俺だけ
もがき苦しむわけが無いだろうが。この人自分で試験なんてしてないよ。おまけにどんな目にあっても
謝りもしねえし、そりゃ今回の件で鼻詰まりは治ったけどさ。あーこの人が謝るのって見たこと無いなそう言や
俺がどんだけやばい目にあってるか身をもって知ってもらえば理解できるかな? そうだ、それが良い、そうしよう。
なんか言われたら実験てことにすれば良いや』
 脳内麻薬の力は偉大である。

 かくして実験の大義名分の下渋川に対する日ごろの鬱憤を晴らすため甘垣は実験室の物色を始めたが、
実験室にあったのは既に実験の終わった物やこれと言って害の無いものばかりであった。
 諦めて戻ってくると渋川の机に蓋をしたビンが置いてあった。中に何かの液体が入ってるのを見とめた甘垣は、
蓋を開けて匂いを嗅ごうとして漂ってきたハッカ臭に驚きすぐに閉めた。
 メントールの水溶液である事は理解したが、それにしても異常な強さだった。昨晩、データの整理と言っていた、
新しいメントールだろうかと甘垣は考えた。正確にはメントールではないが。
『今回ののど飴に使ったメントールも中々だったけど、これは段違いだな。こんなもの飲んだらさすがに、
冗談じゃすまない……』
 そんな思いにふけってると後ろでゴソゴソ物音がした。
「ああ、甘垣君帰ってたのか、じゃあどうなったか報告してくれたまえ。まあ、採用は間違いないのだがね。
私は顔を洗ってくるから、その間にコーヒーでも煎れておいてくれ」
 そういい残し渋川は目をこすりながら部屋を出て行った。
『だがそれがいい』
 甘垣の腹は決まった。

「なんか臭わないかこのコーヒー?」
「そうですか? 別に普通だと思いますけど」
 かなり濃く煎れたコーヒーにスポイトで数滴垂らしただけだったが、それでも渋川は気づいた。甘垣は
冷や汗物だったが結局それ以上の追求は無かった。

138 No.40 製菓班実験中 (4/5) ◇dT4VPNA4o6 06/12/10 23:27:46 ID:4McSGALH
「で、どうなったんだ?」
 渋川に促されて、甘垣は報告を始めた。といっても彼女には予定調和であったが。
「フン、一番ツマランサンプルだがまあ良い。製品化されなければボーナスが不味い事になるからな」
 そう言ってコーヒーを一口飲んだ。
『やった!』
 心の中で甘垣が歓喜した次の瞬間、渋川の顔色が変わった。
「ヒッ……ゴホッゴホッ………な、なんだコレは…?」
 自分の身に起こった異常のことか、それともコーヒーの異物のことか。とにかく渋川は首もとを押さえると、
ソファーにひっくり返って、そのまま荒い呼吸を繰り返している。
「そうそう、渋川さんの机にあった液体をコーヒーに入れておきましたよ。あれガムシロップですよね」
 のた打つ渋川を見て、甘垣はしゃあしゃあとそんなことを言った。
「ア、アレを、ヒッ…ヒッ…入れただと? ハァッハァッハァッッ…アレは、ゲホッ」
 あまりの苦しみに珍しく顔をゆがめる渋川を見て、甘垣の理性が急速に回復しつつあった。
『さすがにマズイ、早く何とかしろ』と機能し始めた脳が命令する。
「あ、あの、渋川さん。大丈夫ですか?」
 いまさら質問する甘垣に渋川は、
「じょ、蒸留水、実験室にあるの…ハッハッハ……早く、ゲホッゲホ」
 のどを掻き毟りながら訴えた。
 甘垣は実験室にある蒸留水をありったけ持ち出し、渋川のもとに運んだ。彼女はひったくる様に
甘垣からビンを受けとると、そのまま飲もうとして盛大にむせ込んだ。
「ゴホッゴホッ…クッソ……仕方ないな。あ、甘垣君……私の言う作業をしてくれるか?」
「な、何ですか?」
 渋川の状態はもう限界に達しつつあった。甘垣は当初の目的を完全に放棄していた。
「いいか……私の鼻を押さえて、口に無理やり、ゲホッ、水を流し込め。むせて吐き出しても
構わずやるんだ、いいな、ゴホッ」
 良いも悪いも無かった。甘垣も男である涙を流して苦痛にもだえる妙齢の美人の訴えに答え無いほど
彼は朴念仁ではなかったし悪人でもなかった。
 言われたとおりに行動を実行するが、ひざまづいた女性に無理矢理に水を飲ませる行為に、
――こんな状況にもかかわらず――妙な優越感に浸っている自分に嫌悪した。

139 No.40 製菓班実験中 (5/5) ◇dT4VPNA4o6 06/12/10 23:28:36 ID:4McSGALH
「ふう、やっと落ち着いたぞ。で、あのメントールをコーヒーに入れただと? 何をしたかったのだ」
 ようやく落ち着いた渋川は甘垣に向き直った。吐き出した水が彼女の衣類を濡らして肌が透けていたが
そんものは気にした様子も無い。むしろ気にしているのは甘垣のほうだ。
「すいません。あの、その、実験を…」
 こんな言い訳が通じるわけが無い。そう思い真実を告げようとしたが、
「ん、何だそうか。ならはじめからそう言えばいいんだ」
 渋川はあっさり納得した。
 呆ける甘垣をおいて彼女は続ける。
「いや、まさかこんなに効くとは思わなかったな。しかしこれは興味深い」
 そう言って、向き直り。
「もちろん今のデータは取ったのだろうな?」
 突然の質問に甘垣は動揺した。
「は、で、データですか?」
「そうだ。私の今の呼吸状況とかだが、まさか何も準備してなかったのか?」
「あ、いえ、そ、そのですね……すみません」
 ――結局謝るのは俺か――頭を下げた甘垣に渋川は、
「別に謝らんでもいい」
 と言って自分の机に向かった。
「今回の件でよく分かった。私は結構良くないことを君にしていたようだな。今後はもう少し
マイルド路線も考えてみることにしよう。今まで悪かったな」
 意外な言葉に甘垣は呆然としたが、
「あ、は、はい」
 と動揺しつつも返した。いたずらも何も生まない訳ではなかったらしい。そう、安心している甘垣に、
「それに」
 いつの間にか甘垣の背後に回っていた渋川が声をかけた。
「データは君で取ればいい」
 悪寒を感じ振り返った甘垣の口に例のメントールの粉末がねじ込まれた。     ≪終≫



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