【 もうカミナリは落ちない 】
◆bsoaZfzTPo




127 No.38 もうカミナリは落ちない (1/3) ◇bsoaZfzTPo 06/12/10 23:13:12 ID:4McSGALH
『カミナリ親父が死んだ』
 どこをどうやって回ってきたのか知らないが、たった一行だけのメールは俺の携帯に届い
た。登録されていないアドレスから、件名は空白。それでも、差出人が俺の知り合いだとい
う事は確実だった。カミナリ親父に一緒に叱られた、大野小学校の誰かに違いない。
 俺はすぐさま実家に電話をかけた。
「はい、もしもし安川でございます」
「母さん?」
「あら、隆志じゃないの。珍しく電話してきたと思ったら、こんな忙しいときに」
「そんなことより、カミナ……じゃなかった。えっと、斉藤のおっさん、亡くなったって」
「あんた誰から聞いたの? 一時間くらい前に連絡あってね。今からお通夜の手伝いよ」
 やはり、カミナリ親父は、死んでしまっていた。
「葬式は、明日?」
「時間が時間だからねえ。お葬式は明後日になるみたいだよ。昼過ぎから斉藤さんの家で」
 俺は腕時計を確認する。十一時を回っていた。田舎ではもう深夜といっていい。
「わかった。ありがと」
「ありがとう、ってアンタ出るつもりかい? 斉藤さんのお葬式。平日だよ?」
「出ないわけにはいかないから、さ。おやすみ、準備がんばって」
 それだけ言って、電話を切った。
 そう、出ないわけにはいかない。カミナリ親父は特別だった。
 カミナリ親父の訃報は、町内会の連絡網からたった一時間遅れで、俺のアドレスを調べ上
げてまで回ってきたのだ。。
 俺は誰ともわからないメールに返信を打った。
『確認した。葬式は明後日の昼過ぎらしい。    安川隆志』
 返事は一分と待たずに来た。
『出るの?   高田学』
 ああ、委員長だったのか。差出人の正体に納得しながら、一行を返す。
『出るさ』


128 No.38 もうカミナリは落ちない (2/3) ◇bsoaZfzTPo 06/12/10 23:13:55 ID:4McSGALH
 斉藤のおっさんは、とっくに絶滅したはずだった近所のガキに恐れられる親父だった。正
にカミナリのように怒るものだから、ついたあだ名がカミナリ親父。小学生のネーミングセン
スなど、そんなものだろう。
 あだ名も安直だったが、俺たちが初めて叱られた原因というのも、かなり使い古されたも
のだった。野球のホームランボールが窓ガラスを割って叱られるなんて言うのをリアルに体
験した小学生というのは、バナナの皮で滑った奴とどっちが多いのだろう。少なくとも、あの
とき試合をしていた俺たち二十人近くが怒られているから、バナナの皮で滑った奴らが超え
なければならない壁は厚い。
 そうだ、まず第一声は「馬鹿もん!」だったはずだ。ボールを取りに行ったのはライトの元
木で、俺たちは空き地に残っていたのに、そこまで声が届いてきたのだ。距離なんか関係な
く、俺たちはすくみあがった。
 元木が半泣きで戻ってきて――もちろん、誰も笑ったりなどしなかった――全員連れて来
いって、と言った。そこで逃げるという選択もあったはずなのに、俺たちは運動会の行進の
如く、ぞろぞろとその玄関へ向かった。たった一声で、逆らう気など根こそぎ奪われていた。
 その後の三十分ほどは、まあ、地獄だった。学校の新米教師などとは格が違う、年季が
違う。言い訳も反論も、心の中で唾を吐くことさえも出来ず、ただうなだれていた。きっと、他
の奴らも同じだったと思う。
 それは強烈な経験だった。
 悪いことをしても教師は決して叱ることは無く、ただ感情的に言葉を繰り返すだけだった、
あの頃。甘やかされることに慣れすぎて、何をしても許されると思っていた、あの頃。
 カミナリ親父だけが、真剣に叱ってくれた。
 その後も場所を変えることなく、あの空き地で野球をした。渋柿だと知っていたけれど、カミ
ナリ親父の家の柿ばかりを狙った。カミナリ親父が消せば消しただけ、壁に落書きを書い
た。特に近道でも無いのに、こぞって庭を通り抜けた。
 そして、そのたびにカミナリが落ちたのだ。馬鹿もん、と。


129 No.38 もうカミナリは落ちない (3/3) ◇bsoaZfzTPo 06/12/10 23:14:44 ID:4McSGALH
 翌々日、俺はバイトも大学も休んで、カミナリ親父の葬式にやってきた。
 近所のじいさんやばあさんに混じって、明らかに俺と同年代の奴らが焼香を上げに来てい
る。見覚えのある顔を、いくつも見つけた。俺たちは再開を喜んで奇声を上げるようなことは
せず、ただ視線を交わして、お前も来たか、という顔をするにとどめた。
 今日ばかりはカミナリ親父に叱られるようなことをするわけにはいかない。
 あの頃俺たちは、毎日のようにカミナリ親父に叱られていたが、懲りずに何度でも悪戯をし
た。懲りずに、というよりはむしろ、叱られるために悪戯をしていた。
 毎日全力の手加減無しで、叱ってくれた。
 けれど俺たちは、あのカミナリ声を聞くといつも縮こまってしまって、ろくに喋れなくなってし
まうのだった。カミナリ親父がもう行っていい、と言うまで下を向いているしかできなかった。
 だから今日こそは、叱られる前に言わなければならない。
 メールを送ってきた高田も、玄関ですれ違った元木も、すっかり女らしくなっていた広瀬も、
きっと同じ目的だ。カミナリ親父に叱られた奴らはみんな、出来なかったことをしに来たのだ。
 俺は前のおばさんの見よう見まねで軽く一礼し、焼香を上げた。
 それから、しっかりと、カミナリ親父に手を合わせた。



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