【 ダンスは終わる 】
◆X3vAxc9Yu6




121 No.36 ダンスは終わる (1/3) ◇X3vAxc9Yu6 06/12/10 22:58:01 ID:4McSGALH
青白いブラウン管が私の眼鏡と部屋の壁を照らす。
今宵は筆が走る。
もとい。
キーボードの上を指が走る。
私はまるで狂ったように指先を動かし続けて、止められない。
眠らないのは肌に悪いらしいが、知ったことか。
いまの私を止めたやつは直々に殺してやる。

頭のなかを素晴らしいスピードで物語のページがくられていくのが分かる。
私はそれになんとかしがみつくように言葉にしていくのが精一杯だ。
イメージに言葉が足りていないのが分かる。
いま足りていない言葉を、後から足すことなんてできない。
イメージは字にした瞬間に一度死ぬのだ。
私はストーリーテラー、作品の産みの親であると同時に、
生まれようとしているべつの物語の首を切り落とす殺人者だ。
ああ、ああ、追いつかない。
物語が完全に死んでしまう前に、
私が完全な物語を覚えていられるそのうちに、
生きたままの胎児のようなその子を取り出さなくては。
私は念じながら鍵盤に指先を叩きつける。
ぶうん、ばさり。
ぶうん、ばさり。
処刑人の鎌が風を切ってうなるのが聞こえて、私を否応無しに駆り立てる。

122 No.36 ダンスは終わる (2/3) ◇X3vAxc9Yu6 06/12/10 22:58:11 ID:4McSGALH
見る間に真っ白い画面が文字で埋まっていく。改行。
私は苦しいが、もちろん楽しくもある。改行。
キーボードを叩く音の間に私の呼吸音が混じり、改行。
コーヒーの湯気がその隙間を溶かしていく。改行。
この物語は私にしか書けないもので、改行。
そして今しか書けないものだ。改行。
私は書かれるべき物語に見合うだけの書き手だろうか。改行。
私は幸せだ。
そして、とても辛い。
改行……。

流石に疲れが見え始め、手が言うことを聞かなくなってきた頃、
ようやく濁流のような思考にも終わりが見えた。
ああ、今なら書ける。
最後まで。
この話を最高の状態で終わらせることができる――いまの私なら。
思わずにやりと笑ってしまう。
指はまだ踊る。
黒馬が白い平原を進んでいく。

123 No.36 ダンスは終わる (3/3) ◇X3vAxc9Yu6 06/12/10 22:58:32 ID:4McSGALH
ジャッ。
その時、背後のアコーディオンカーテンが開いた音がして。
「お姉ちゃん」
弟の呼び声だ。
集中していたせいだろう、息が詰まるほどの緊張が一瞬だけ張りつめて――『なんだ、弟か。』――ぷつんと切れた。
そして愕然とする。
すでに頭の中は台風が過ぎ去ったあとの空のように明るく静かだ。
行ってしまった。私はもう空っぽだ。空虚で無意味だ。
主人公が読み手にむかってなにかを語りかけるところで話は止まっている。
はて、彼女が言いかけたものはいったいなんであったか。
指はぴくりとも動かない。
胎児は生まれる前に死んでしまったのだった。

次に私はひとりでにからだが震えはじめたのを感じた。
雪原のなかで立ちすくんでしまったときみたいだ。自分の意思で動けない。
「お姉ちゃん? ……トイレ」
ひねり殺してやろうか。
ちぎり殺してやろうか。
きしむ首を無理矢理に動かして、彼を見た。
歳のはなれた弟だが、もじもじと腰を動かす姿は妙になまめかしい。
男になまめかしいと言うのも変か。
どうでもいいことばかり頭に浮かんですぐ消える。
終わりのない物語を抱いてどこかのビルから飛び降りるところを想像した。
子犬みたいな瞳に対して拳を振り下ろすところも想像した。
そして。

ふ、と短くため息をついて、ごめんごめん、と口だけで呟いた。
プツリ、と電源を落とし、
それきり物語は消える。
私はスイッチを切る瞬間、あれほどはまり込んでいたそれに対して、謝ることさえしなかった。



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