【 毒を喰らわばなんとやら 】
◆/7C0zzoEsE




115 No.34 毒を喰らわばなんとやら (1/3) ◇/7C0zzoEsE 06/12/10 22:41:57 ID:4McSGALH
 大学のセンター試験に、肉じゃがの作り方は出てこない。
だから、家庭科なんて全く無駄だって常々言っているのに。
 中年過ぎて今だ独り身の、妖怪みたいな婆さんが教師。
そいつの給料の為に時間を犠牲にしているとしか思えない。
 正味、飯なんか作れなくてもいい。
俺は大手の企業に就職して、専業主婦の嫁さんを探すんだ。
彼女なら、俺の健康を考えたバランスの良い食事を毎日用意してくれる。
そして、仕事から疲れて帰宅した俺に、月並みな台詞だが、
「私にする? ご飯にする? それとも私?」
とか言ってくれるのだ。きっと。おそらく。

 ああ、包丁の傷跡が痛い。

 この悪夢の調理実習は、至福の一時になるはずだったのだ。
確かに、この授業が始まるまで期待していた。
 頭脳明晰、容姿端麗。さらに運動神経も抜群で文句の付け所が無い。
我が学校で、古臭い言い方をすればマドンナである美咲ちゃんと同じ班になり、
手料理が食えるのに喜ばない男がどこにいるのだ。
 同じ班の男子で、
「空腹は最高のスパイス!」
と豪語して、三日間断食した猛者までいる。馬鹿だ。

 そこまででは無いが、確かに俺も腹を減らして楽しみにしていた。
 先程、目の前に並べられている料理を口に運んだ時は、
一体何処の殺し屋に狙われているのかと疑心暗鬼した。
 毒を盛った殺し屋の顔が、目の前で少し俯いている。ちくしょう可愛いじゃねえか。

116 No.34 毒を喰らわばなんとやら (2/3) ◇/7C0zzoEsE 06/12/10 22:42:09 ID:4McSGALH
 彼女が、醤油の代わりにぽん酢を入れている時に気がつくべきであったか。
いや、それとも、
「みりんって何? 何処の国の言葉?」
ととぼけていた時か。ちくしょう、あの時にやけていた自分を殴りたい。

 完璧な人間だって信じていたのに、天は人にニ物を与えずというが、
特例もあるのだと頑なに信じていたのに。彼女とは、結婚、できないな。
 しかし毒を喰らわば皿まで 、同じ班員の顔面が潰れているのかと問いたくなる女子が、案外料理が上手なはずで、
なんやかんやで中和してくれると思ったのに。
あいつら、ぺちゃくちゃ喋って、ろくに授業に参加していなかった。張り倒すぞ。

 重たい空気が、俺たちを包む。
誰も料理に手をつけようとしなかった。他の班は楽しそうに、食事をしているのに。
ここだけ、軍法会議のような。
 そして断食の猛者が、この沈黙を破る。
「何だよこれ! これは……これは肉じゃがじゃねえよ!
 じゃがいもは硬いし、酸味はきついし。家畜の餌かこれは!」

 君の意見はもっともだ、間違っていない。あれほど楽しみにしていたプレゼントが、
生ごみだったんだもんな。切れたくなる気持ちも分からないことは無い。
 でもな、頼むから空気を読んでくれ。ほら美咲ちゃん泣きそうじゃないか。
お前も、さぼっていたから分からないだろうがな。
 美咲ちゃん頑張ったんだぞ。下手なりに、一生懸命。
砂糖と塩を間違えていることに、ちゃんと気がつけたんだぞ?偉いじゃないか。

 皆が何も応えないので、彼もさすがにいたたまれなくなったのか、
急に俺を指差して吼える。
「お前だろ! お前がこんな肉じゃがにしたんだな! そうだろ?」
 え、俺。俺ですか。そうくるか。皆が俺のほうを睨む。
いやいや、美咲ちゃんが向くのは間違ってるだろ。

117 No.34 毒を喰らわばなんとやら (3/3) ◇/7C0zzoEsE 06/12/10 22:42:19 ID:4McSGALH
 俺の血液が、肉じゃがに含まれて、何かしらの超絶反応を起こし、
こんなことになってしまったのなら悪いと思う。そんなこと……あるのか? 正直無いだろ!?
 だけど、この場の雰囲気で、自分を正当化できない。
何故だか、皆が救いを求めるようで俺を見ている。いやいや、間違っているだろうこれは。

 しかし、このままではにっちもさっちもいかないので、俺は甘んじて罪を受けることにした。
ただし、最低限のプライドは捨てたくない。こんな料理、俺が作ったんじゃない。
「何だよ……。上手いじゃねえか、これ! 文句あるのか!」
そういって、肉じゃがにかぶりつく。貪る。
ものすごく、しょっぱい。涙まで、スパイスされている。
ああ、お袋の料理って美味かったんだな。そんなことを思いながら。 
 俺は、完食した。それは何かをやり遂げた男の顔だったと思う。
皆も、その姿を見て半ば何かを諦めたかのように食べ始める。
完食する猛者は、俺を除いて一人もいなかった。

 それにしても、俺は思う。
 美咲ちゃんは俺たちに、何か言うことがあるはずだ。
いや少なくとも俺には言うべきだ。毒を食らわせ、罪をまで被せた俺に。
言わなければならない。
その言葉を、伝えなければならない。


――教室に帰るときに、彼女が寄ってきて俺の耳元に小さく囁く。
ふっくらした唇が小気味に動き、息が首筋にかかるよう。
「ありがと」

 いや、そうじゃないんだが……。
まあいい。どちらかと言えば、感謝される方が気持ちいい。
 俺はにやけながら、便所へ走った。         (了)



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