【 ひざまずき祈る者の名 】
◆D7Aqr.apsM




110 No.33 ひざまずき祈る者の名 (1/5) ◇D7Aqr.apsM 06/12/10 22:35:14 ID:4McSGALH
 教会の尖塔は、夕暮れに赤く染まっていた。
 ダウンタウンの喧噪の中、ビルに囲まれた中で唯一の石造りの建物。
大きな扉は左右に開かれ、薄暗がりの中、悔い改める為に祈りを捧げる
人々の姿を見ることができた。
 その暗がりの中から、一人の少女が歩み出た。裾のすり切れた、大分
オーバーサイズの軍隊用コートを羽織り、長く伸びた金髪は背中に
垂らされていた。幼さの残る顔をあげ、彼女は尖塔を見上げた。そこに
置いてきた何かを確かめるかのように。
 扉から続く石段からの中程に、そこかしこにプラカードを掲げた大人達が
陣取っていた。彼女は軽く舌打ちをして、少女はその大人達を避けるように
階段をおりた。社会教育隊と自称する大人達。
 プラカードには「全てを許し、受け入れよう!」「戦争反対」「隣国への譲歩が
良い世界への第一歩」などと大書され、幾人かの大人はグロテスクとも言える
大きさの隣国の国旗を掲げていた。
 隣国の一方的な領地宣言に端を発する国境での紛争が起こってから半年。
一部の人々は積極的に隣国に迎合しようとした。
 ブーツがコートの裾から交互に顔をだすのだけを見つめて、彼女は階段を降りる。
 そこだけ広くなった踊り場。階段だけだった視界に、薄汚れた女性の靴。
「あなた、その服の意味はわかっているのかしら?」
 少女は顔を上げた。
「それは人を殺すための服だぞ! お前は人を殺しても良いと思っているのだ!」
 数人の大人が少女を取り囲んでいた。
「教会に来ているのか? 宗教なんかにこだわって、信じ込んでいるから争いが
無くならないんだよ!」
「学校では何も教えてないのでしょう! 学校名を言いなさい。抗議してあげます」
「さあ、過去を償うために跪いて、頭をさげるんだ!」
 プラカードを掲げていた男が、少女の背後から頭に手をかけ、無理矢理に
下げさせようとした。手で押されるよりも早く、頭をさげて少女は肘を背後に
むけて回し打つ。柔らかい脇腹の肉に肘がめり込む感覚。同時にブーツの
かかとで男のつま先を踏み抜く。甲高い悲鳴があたりに響いた。

111 No.33 ひざまずき祈る者の名 (2/5) ◇D7Aqr.apsM 06/12/10 22:35:26 ID:4McSGALH
 少女はポケットに入れていた手をそのまま、コートの中で腰の方へ動かした。
「あんたらのやり方には反吐が出るわ」
 大人達が一斉に気色ばむ。最初に声をかけてきた女性が金切り声を
張り上げた。詰め寄ってきていた大人の中から、数名の男性が前に出る。
手には木製のプラカードが握られている。
 大人と子供の体力差に加えて、明らかな人数の違いと、手にされた凶器。
しかし、街を行く人々は、関わることを避け、足早に去っていった。日常の中で
繰り返される光景。社会教育隊に進んで関わろうとする一般人はいなかった。

「嫌になるわね。神様からコンピュータに宗旨替えの宣言したとたんに
これだもの。天罰ってのならもう少し荘厳なのを頼みたいわ」
 腰を落とし、じりじりと少女は間合いを計っていた。

 その時。
「あー! クリスティーナちゃあん! こんなところにいたのぉ? もう、
監督カンカンよぉ。早いところ楽屋戻って衣装合わせなきゃあ!」
 恐ろしく場違いな声が響いた。

 少女に踏みつけられ、うずくまる男をよけて、一瞬、少女を後ろから
抱きすくめるようにしたのは、黒革のライダースジャケットを羽織った女性だった。
 小さく少女に肯きかけると、背にかばうようにして立つ。
「ややや、なんか騒ぎを起こしちゃってるみたいなんですけど、勘弁して
やってください。これ、うちの劇団の子なんですけど、ちょっと役作りで
行き詰まって、入り込んじゃってまして! やー、シティの演劇フェスティバル
でやる予定なんすけどね、反戦がテーマで。無自覚な主人公が
だんだんと正しい思想に目覚めていく、っていう、まあ、ありがちな内容
なんですけど。玄人の皆さん方には迷惑かけちゃいけないって、厳しく
言ってたんですけど」
 早口にまくし立てながら女性は深々と頭を下げた。
「ふざけるんじゃねえ!」声と同時に、プラカードが女性に向かって振り下ろされた。

112 No.33 ひざまずき祈る者の名 (3/5) ◇D7Aqr.apsM 06/12/10 22:35:37 ID:4McSGALH
 ライダースジャケットの肩口にあたったプラカードは、角材を残して割れ飛んだ。
うずくまっていた男が、いつの間にか立ち上がり、角材を握りしめている。
「――いったぁ……っ! や、お怒りはごもっとも。とはいえ、これでチャラって
ことにしてもらえませんか?」
 肩を押さえながら、それでも少女をかばう。クリスティーナと呼ばれた少女は
青ざめた顔色を隠すように口元に手をあてていた。
「この場を逃げられればいいと思って適当なこと言ってるんじゃないでしょうね?
まあ、いいわ。ならあなたがこの旗にひざまずいて、頭を下げなさい」
 肩を押さえて顔をしかめる女性を、周囲の大人達が旗の前に連れ出し、
無理矢理に膝を折らせた。
「胸に手をあてて。読みなさい」
 女性の前に一枚の紙片が突き出される。
「……平和を誓います。罪を忘れないことを誓います。贖い続ける事を誓います」
 はっきりした声で、社会教育隊のモットーが読み上げられた。
「最初から素直にしておけば私たちも事を荒立てなくて済むんですよ」
 リーダー格の女性が、勝ち誇ったようにひざまずく女性を見下す。
「良く言い聞かせときますんで。……失礼します」
 ライダースジャケットの女性は、少女を抱きかかえるようにしてその場を後にした。

「あなた、誰?」
 足早に人混みの中に紛れ込む。
「いきなりそれ? 冷たいねえ。その質問の答えはちょっと待ってね。
奴らの仲間がいるかもしれない」こきん、と肩を回すと、女性はにっこりと
笑いかけた。肩までの明るい茶色の髪と、同じくらい明るい瞳。
「あと、まあ、君をどうこうしようって訳じゃあないから、さっきから
コートの下で握ってるものから手を離してくれないかな? 多分、ナイフ?」
 一瞬、少女は青い瞳を見開いた後、ポケットに入れたままの手を
腰のあたりに動かす動作をした。カチリ、と何かがはまる音。
少女はポケットから何も持っていない手を抜き出して見せる。
「ありがとう」女性はにっこりと笑った。

113 No.33 ひざまずき祈る者の名 (4/5) ◇D7Aqr.apsM 06/12/10 22:35:47 ID:4McSGALH
「うっわあ……かわいい……」
 アーミーグリーンのコートを脱ぐと、少女が来ていたのは黒を基本色に
した、フリルとレース、そしてリボンが多用されたゴシックなドレスだった。
 街一番の繁華街にあるオープンカフェ。
 二人はその一角に席を取っていた。テーブルに置かれたロウソクが
揺れている。真ん中にある木の、大きく張り出した枝が、周囲のビルの
光を遮り、その席だけが夜の庭園にあるかのようだった。
「質問に答えてください」
「え?ああ。『キミを助けたかった』 じゃあダメ? しっかし、金髪で
肌が白いと似合うよね、そういう服。いいなあ……」
「ふざけないで。勝手に出てきて頭下げて、いったい何が目的なの?」
 少女はまっすぐに女性を睨みつけた。
「んー。なんか打算があればいい? たとえば、キミを助けたら、もしかしたら
キミは奴らの敵に回ってくれて、少しばかり社会に疑問を持って
くれるかも知れない。うまくいけば、ああいった奴らに対抗する組織に、
興味を持ってくれるかも知れない。とか」
「あなたがどんな組織にいるのか知らないけれど、あんな風に簡単に
頭を下げられる人間が、事を成せるとは思えないわ」

 ライダースジャケットのジッパーを開き、煙草を取り出した女性は、
ウェイターに二人分の紅茶を頼んでから、オイルライターで火をつけた。
「まあ、あそこでキミが腰の後ろにあるモノを抜いて、刃傷沙汰を起こしても
何も変わらない……というか、世論は奴らに有利に働く。極端な言い方を
すれば、あたしらにとっては、ぶちゃけ、邪魔だったり」
 少女には煙がかからないよう、遠くに煙を吐き出す。
 黙り込んだ少女は、服装のせいもあって、まるで人形のように見えた。
 青白い顔がロウソクの炎に照らされる。
「や、極論だからね。打算で頭をさげるなんてのは、キミにはまだ早い。
いつか心が本当にくじけてしまったりするからね。くじけていない人が
多ければ多いほど、あたし達は闘える。そんな理由はどう?」

114 No.33 ひざまずき祈る者の名 (5/5) ◇D7Aqr.apsM 06/12/10 22:35:57 ID:4McSGALH
 銀のポットに入れられた紅茶が音もなくテーブルに置かれた。
ウェイターがやってくると二人は黙り込んだ。女性は煙草を
灰皿に押しつけるようにして消す。目線でウェイターに礼をいうと
彼女は口を開いた。
「でもね、それだけの理由があれば、あたしたちには充分なんだ。
銃やナイフや爆弾だけが戦う方法じゃあないのさ」
 女性は言いながら紅茶をそれぞれのカップにそそいでいく。
白い湯気に乗って、香気があたりに広がった。
「勝手な理由ね。肩は痛む?」
「まあね。それ程でもないよ」
「怪我をさせてしまった事は――」
「やめようよ。あたしも好きでしたことだし。ね?」
 女性は少女の言葉を遮ると、カップを取り、紅茶を口に含んだ。
少女もそれにならい、紅茶を飲む。

「さて、と。ごめん。あたしはちょっと次の予定があるから。紅茶は
味わっていってくれると嬉しいな。今の時期、イチゴのタルトも絶品だし」
 ウェイターに目配せで合図を送って、伝票に走り書きのサイン。
「よければ、名前を教えてもらえる?この借りは返したいし。
それなりにスキルをもってるから。わたしはアリス。『アリス・B』とか、
『黒アリス』って呼ぶ人もいるわ」
 立ち去りかけた体を返し、女性は向き直った。胸に片手をあて、
うやうやしく一礼する。
「マーガレット・エイミー・ガードランド。仲間はあたしのことを――」
 ジャケットの内ポケットから取り出したベレー帽を斜めにかぶった。
「――モリーって呼ぶ」 
 彼女はウインクを一つ残して、店の中を横切り、街の中へ消えていった。


<ひざまずき祈る者の名> 了



BACK−その手のひらはペンよりも強くて ◆wDZmDiBnbU  |  INDEXへ  |  NEXT−毒を喰らわばなんとやら ◆/7C0zzoEsE