【 賢者のお詫び 】
◆7CpdS9YYiY




89 No.28 賢者のお詫び (1/5) ◇7CpdS9YYiY 06/12/10 18:53:04 ID:NtJC36xc
 俺と妹は仲が悪い。
 そりゃ憎しみ合うとか互いに無視するとかそういう間柄ではないが、
仲が良くないのは誰の目にも明らかな厳然たる事実だ。
 思春期も終わりに近づいた今なら分かる。はっきり分かる。
 妹なんか持つべきではないと。
 わがままだしこらえ性がないしすぐ怒るし独占欲まで強い、おまけに誰に似たのか天邪鬼の神が乗り移っている。
 まっとうな性格の持ち主である俺とは正反対であるからして、常にケンカが絶えないのである。
 ウザい。ひたすらにウザくてウザくて、もうこんなやつとは一刻も早く縁を切りたいと東京の大学への進学を志望する昨今である。

 ある日の休日、俺が自室で読書にいそしんでいると、妹が血相を変えて飛び込んできた。
「ちょっとお兄ちゃん! あたしのプリン食べたでしょ! もー、そういうことしないでって何度も言ってるのに!」
 俺は本から目を離さずに答えた。
「食ってねえよ」
 我ながら実に明快な回答だったが、妹のちょっと可哀想な脳の演算能力ではその意味を理解できなかったようだ。
「は、はい?」
「俺は、プリンを、食べていない」
「ど、どうしてそういうすぐバレる嘘をつくのかなあ」
「見たのか?」
「他に誰もいないでしょーが」
「果たしてそうかな?」
「……え? 誰かいるの?」
 妹のきょとんとした声音に、俺は文字を目で追うのを中止した。
漂流した少年たちが「豚ヲ殺セ!」と踊り狂っているシーンだった。あーあ、ちょうどいいところだったのに。
 さて、と考えてみる。
 一つ、家には俺と妹しかいない。一つ、外からの侵入者はいない(と仮定する。警察沙汰にしないためにも)、
一つ、内側からの侵入者(例えば未来よりのネコ型ロボットとかな)もいない。
 そこから考えられる可能性はいくつもあるが、その中で特にもっともらしいのは──。
「なるほど」
 俺は膝を打った。
「プリンが自我に目覚めて自分で自分を食べたんだ。プリン・ウロボロシウムと命名しよう」

90 No.28 賢者のお詫び (2/5) ◇7CpdS9YYiY 06/12/10 18:53:17 ID:NtJC36xc
「そんなわけないでしょ! どうしていっつもそーゆーことばっか言うの?
 お兄ちゃんの馬鹿! イジワル! 嘘つき! 変態!」
 いや待て、もちろん俺は馬鹿でもイジワルでも嘘つきでもないが、
「変態ってのはなんだ? なにを根拠にそんなことを言う」
「変態じゃん! あたし知ってるんだからね!」
 と俺の机を指差す。
「そこの引き出しにエッチなゲーム隠してて、しかも全部妹とエッチなことするやつなんだって!
あたしって妹がいるのにそんなゲームするなんて変態以外の何者でもないじゃん!」
「馬鹿野郎、見損なうな! 興味本位でジャケ買いしたやつがたまたま三本とも妹がメインヒロインだっただけだ!」
「なおさら悪いよ! どんだけ凄い嗅覚してるの、変態!」
 なるほど、そういう考え方もあるか……って納得してる場合ではない。
なんとしてでもそれ以上にインパクトのあることを言わなければ兄としての威厳が地に落ちる。
「ベッドの下にベーコンレタス隠してるお前には言われたくないな」
 俺がそう告げると、妹は面白いほどの速度で顔を真っ赤にした。俺の発言は酸性らしい。
「な、なな、なんでなんで知ってるの? 見たの見たのね見たんだね! ほ、他には!?」
「えーと、森奈津子の百合小説とか。お前ってやつは実に節操がないな」
 反応から察するに、かなりの大ダメージであることは容易に窺える。
 しかし、さて、そろそろ次の行動フェイズに移行する必要がある。
 なぜなら首の付け根まで赤くなった妹の身体がぷるぷると震えているからだ。
それと同時に凄まじいまでのプレッシャーがやつの内面から膨れ上がっている。
キルリアン映写機で今のこいつを写したら、きっと眩いばかりのコロナ光が観測できるだろう。
 ま、そーゆー訳で、俺は財布と読みかけの本を手にとって部屋を出、玄関に向かった。
途中で振り返ってみるが後を追ってくる様子はない。
 慌てず騒がず取り乱さず、靴を履いてドアを開ける。
 外に一歩足を踏み出したところで、廊下を突き抜ける大音声が響き渡った。
「お兄ちゃんの馬鹿! もう帰ってくるな! 死んじゃ……たら困るけど、もう二度とご飯作ってあげないから!」
 いや、それは困るな。そこまで言われるとさすがに胸が痛まざるをえない。
今俺が感じているように、俺の暴言はそこまでやつの小さな胸を痛めていたのか。

 それに冷蔵庫のプリンを食ったのは他ならぬ俺だしな。

91 No.28 賢者のお詫び (3/5) ◇7CpdS9YYiY 06/12/10 18:53:30 ID:NtJC36xc
「しかしなんだな、プリン食ったくらいであんなに怒るってのはおかしいよな」
 とある一軒屋の門扉を前に、俺は一人ぶつぶつ愚痴っていた。
 これが他所の家なら通報の対象だが、ここは俺の家の門扉だ。なんの遠慮もいらない。
「これは手続きなんだ。俺が今夜の夕食にありつくための。そうだろ、俺」
 何度も何度も食うからだとか夕飯くらい自分で作れよと天からの声が振ってくるが、理性の力で無視する。
「……よし」
 ようやく覚悟を決めた俺は門扉を開けて三歩でドアに辿り着き、素早くノブを回した。
「ただいま……ってうおっ」
 妹が玄関で仁王立ちしていた。
 予期せぬ伏兵にうろたえる俺だったが、今さら回れ右は出来ない。
 深呼吸して、右手を前に突き出した。
「ほれ、好きなだけ食え」
 俺が差し出したコンビニ袋いっぱいのプリンを前に、妹はアーモンド形の目をぱちくりさせていた。
 こんな餌付けみたいな真似は気が引けるが、他に何も思いつかなかったのだから仕方がない。
「……」
 無言、約十秒。
「あー、っと……プリンだよ、ね、それ」
「飼い葉に見えるか?」
「……」
 さらに延長入ります。
 永遠とも思える時間だった。くそ、許すなら許す、怒るなら怒るではっきりしてもらいたい。
 こんな気まずい雰囲気を味わうくらいなら夕飯なんていらない。俺は自分の浅知恵を呪った。
 ……いや、違う。そうじゃない。確かに気まずいのは嫌だが、それは正確な表現ではない。素直な気持ちではない。
 俺は許してもらいたかった。許してくれるなら、またいつもみたいに笑ってくれるなら、俺は夕飯なんかいらない。
「……ぷっ」
 ぷ? ぷ、ってのはなんだ? 何語だ?
「く、くふ……ふふっ」
 妹は声を噛み殺すように笑っていた。さらに腹に手を置いてぴくぴくし始めた。あまつさえ涙目になる始末である。
 この反応はちょっと予想外だった。

92 No.28 賢者のお詫び (4/5) ◇7CpdS9YYiY 06/12/10 18:53:45 ID:NtJC36xc
 ひとしきり笑い終えて満足したのか、妹は真っ直ぐ俺を見てちょいちょいと手招きした。
「来て」

 そこにはプリンがあった。
 しかも明らかにお手製と分かる、シロップ付けの果物と生クリームでデコレーションされた洗面器サイズの特大プリンである。
「よく考えたらさ、プリンくらいでケンカするのっておかしいよね。お互い、もうちょっと大人になれれば済む話なのにね。
これならさ、二人で食べても足りるかなあ、って、まあ、つまりそういうこと。仲直りしよ?」
 そして俺の手から袋を取り、ひょいと持ち上げてみせる。
「でもさ、お兄ちゃんも同じこと考えるなんて、笑っちゃった。嬉しかったけどさ」
 ……えーと。俺はなんて答えるべきだろう。言うべき言葉はすぐに閃いた。
「ば、馬っっ鹿じゃねーの? このプリンは俺が食べるつもりで」
「さっき『好きなだけ食え』って言った」
「い、いや違う。これはそう、そのアレだ」
「どれ?」
「ただ食った分のプリンを現物清算しようと思っただけだ。貸し借りなしのフィフティフィフティが俺の信条なんだ」
 俺がしどろもどろにそう言うと、妹は目を細めて憎たらしい笑みを浮かべた。
「ふーん? ま、いいけどさ。あたしの作ったプリンは食べるよね? 断る理由、ないもんね」
 テーブルの上にでんと置かれたキングプリンに目をやり、俺は答えた。我ながら情けなくなるような声だった。
「ん、あー、いや……そーだな。どうせお前一人じゃ食べ切れなさそうだから助太刀してやるよ。……しょうがねーな」
「じゃ、お茶淹れてくる」
 そう言って台所にぱたぱた駆け込む妹の後姿を見送りながら、俺は思った。
 この世でいっとう美しいもの、それはあの口の減らない妹を許容する度量を持った俺の心だろう。
 ……ま、あいつの心の広さをその次点にランクしてやってもいいけどさ。
「お兄ちゃん、早くー」
 これらのささやかな顛末は、かの三賢者にも、あの若い夫婦にも及ぶべくはないが、
それでも俺は妹の贈り物を腹に詰め込むためにテーブルへ向かった。

93 No.28 賢者のお詫び (5/5) ◇7CpdS9YYiY 06/12/10 18:53:59 ID:NtJC36xc


「……ぐうぅ」
「無理して食うこたねーだろ。明日にでも回せよ」
「ダ、ダメだよ。仲直りのものはその日の内に分け合って食べるようにってお婆ちゃんが言ってた」
「……ま、頑張れや」
「お兄ちゃんも頑張ってよ!」



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