【 そこから見える景色 】
◆Pkxepa4jRE




72 No.22 そこから見える景色 (1/4) ◇Pkxepa4jRE 06/12/10 02:15:20 ID:cQlvBXis
 窓ガラス越しに見える駅前広場は、冬の寒さに身を震わせて歩く人々で溢れていた。皆
ポケットに手をつっこみ、マフラーに口を埋めている。
 私は、広場が見渡せる駅前ビルの二階にあるファミリーレストランから、その景色を眺
めていた。
 私はこの眺めが好きだ。駅前は常に人が行き来している。絶えず変化するこの景色は、
ずっと見ていても飽きが来ない。
 視界に映るこの何十人という人々は、皆私とは違う人生を歩んできている。私の知らな
いところで、私の知らない人々と出会い、私の知らない物を見てきているのだ。
 このことは、世間の広さ、ひいては世界の広さを私に実感させてくれる。
 世界の広大さを感じたときの、このなんともいえない高揚感。
 一ヶ月前。私は仕事の息抜きでたまたまこの場所にやってきた。そして、この感覚を体
験し、虜となった。
 ここからの眺めが私に与えてくれるものは、この高揚感だけではない。
 私の職業は物書き。つまり小説家だ。
 ここから見える風景は絶えず変化している。行き交う人々の様子を見ていると、私は唐
突に小説に関する良いアイディアを思いつくことができるのだ。
 これらのことが理由で、この一ヶ月の間に、私はちょくちょくこの場所を訪れるように
なっていた。
 私は、視線を広場にある時計台へと向けた。時計台の下には女が一人立っていた。おそ
らく誰かを待っているのだろう。携帯電話をしきりに見ては、メールを送っているようだ。
私はあまり目が良くないので、その表情をはっきりと確認することはできないが、彼女の
機嫌が良くないのは雰囲気で分かった。
 女の年齢は多分十九歳かそこらだろう。見た感じ、あまり良い印象は得られない。不良
そうな女だ。
 援助交際をしていそうだな。私は漠然とそう思った。
 その女の前を一人の少女が通った。不良女とは正反対で、純情そうな少女だ。腰まで届
きそうな黒髪は美しく輝き、歩き方からは気品を感じ取ることができた。
 少女は女の前を通り過ぎ、そのまま駅へと入っていった。

73 No.22 そこから見える景色 (2/4) ◇Pkxepa4jRE 06/12/10 02:15:30 ID:cQlvBXis
 私は不良女に視線を戻した。見ると、彼女の許に一人の男が頭をぺこぺこと下げながら
近寄ってきていた。不良女は近づいてくる男に気づいて、まくし立てるように何かを言い
出した。男は手のひらを合わせて、さらに深く頭を下げた。
 おそらく、デートの約束をしていたが男が遅刻したのだろう。私はそう見当をつけた。
 しばらくの間、不良女の方が一方的に騒いでいたが、男がずっと頭を下げていたおかげ
か、不良女は騒ぐのを止めた。そして、二人はその場を離れ商店街の方へと歩いていった。
 二人が見えなくなると、私は次の観察対象を探した。目が留まったのは、ひょろりとし
たサラリーマンだった。
 サラリーマンは広場の隅で、携帯電話で話しながら何度も頭を上下させていた。彼が立
っているところは、比較的私のいるビルから近かったため、私は彼の表情を見ることがで
きた。
 サラリーマンは四十台後半くらいに見えた。彼は焦った顔をしながら、電話の相手に向
かって頭を下げていた。そんな彼を、道行く人が奇異の目で見ているが、彼は通行人の視
線を無視して、必死になって電話相手に何かを話していた。
 言い訳をしているのだろうか。
 サラリーマンの奮闘は五分ほど続いた。サラリーマンがようやく電話を切ると、そこに
一人の男が現れた。サラリーマン同様スーツ姿のそいつの登場に私は顔をしかめさせた。
 サラリーマンの許へ歩いて良く男は、おそらく彼の上司なのだろう。男に向かって、サ
ラリーマンは膝に顔が付くくらいにまで頭を下げた。
 上司は、それを無視してサラリーマンの頭を叩いた。そして、口を大きく開けて叫ぶよ
うに何かを言い出した。
 彼らの近くを通る人達が、例外なく彼らの方を見た。それだけ上司の声が大きいのだろ
う。残念ながら、建物の中にいる私にまでは、その声は聞こえなかったが、サラリーマン
が上司に相当怒られているということだけは分かった。
 上司は、サラリーマンの襟首を掴み、引っ張るように線路を挟んで向こう側、オフィス
ビルの並ぶ都心の方へと向かって行った。

74 No.22 そこから見える景色 (3/4) ◇Pkxepa4jRE 06/12/10 02:15:41 ID:cQlvBXis
 時刻は四時を十分ほど過ぎ、日も大分傾いてきていた。広場とそこを歩く人々は夕日の
橙色で染められ、どこか哀愁漂う景色となっていた。
 そろそろ私も帰ろうか。そう考えていたとき、広場に見覚えのある男が現れた。私はし
ばらく考え、それが昼にみた不良女の彼氏であることを思い出した。
 男は一人だった。不良女はいない。もうどこかで分かれたのだろう。
 男は、不良女が彼を待っていたのと同じように時計台の下に立つと、腕時計を見た。
 これから誰かを待つのだろうか。
 答えはすぐに出た。男は駅のほうを見ると、何かに気づき、ここだよー、といった感じ
で右手を掲げて左右に振った。
 男の視線の先――駅出口を見ると、そこにはこれまた見覚えるのある人物が立っていた。
こちらは見てすぐに思い出した。あの腰まで届く黒髪は、不良女の前を通り過ぎた少女の
ものだ。
 少女は男に気づいたらしく、手を振り返して駆け足で男の許に向かった。男の前に立つ
と、少女はぺこりと頭を下げた。
 男の妹……という風には見えなかった。どう見ても、二人はカップルだった。
 二股というやつだ。不良女はこのことを知らないのだろうか。いや、それよりもあの少
女がかわいそうだ。自分が二股をかけられていることなど、純情そうな彼女はきっと知ら
ないのだろう。
 二人は、手を繋いで住宅街の方へと歩いていった。
 二人の姿が見えなくなってしばらくして、私はまた見覚えのある姿を見た。不良女だ。
 不良女は広場の時計台のところへと向かっていた。私はちらりと時計台の下を見てみた。
すると、そこにはあのサラリーマンの上司が立っていた。
 不良女は上司の後ろに立つと、肩をちょんちょんと叩いた。上司は振り向き、不良女と
二言三言会話を交わすと、いやらしい手つきで不良女の肩を抱き、広場の北にある道路を
渡って行った。あちらにはラブホテルが多数並んでいるはずだ。

75 No.22 そこから見える景色 (4/4) ◇Pkxepa4jRE 06/12/10 02:15:54 ID:cQlvBXis
 さて……
 時計を見れば時刻は四時半となっていた。私もそろそろ帰って夕飯の支度をしないと。
 と、その前に私はポケットから携帯電話を取り出した。電話帳から母さんの名前を検索
して、通話ボタンを押した。数回のコール音の後で、もしもし、と母さんの声が聞こえた。
 私が母さんに告げ口することで、あの浮気癖のある馬鹿親父がどうなろうと、私には関
係ない。
 前浮気がばれた時は、確かダイヤの指輪を買ってあげることで話はなかったことにして
もらったらしいが、援助交際はどうやってなかったことにするのだろうか。
 私は、馬鹿親父が顔面に青痣を作りながら母さんに土下座をする姿を想像しながら、伝
票を取り、席を立った。


おわり



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