【 その先にあるもの 】
◆2LnoVeLzqY




52 No.17 その先にあるもの (1/5) ◇2LnoVeLzqY 06/12/09 21:00:33 ID:yP2xS2zu
「本当に、申し訳ございま」
 全員が言い終わらぬうちに、バシャバシャバシャと耳障りなフラッシュの音。
 言葉の最後のほうはきっと誰の耳にも届いちゃいないだろう。
 きっちり60゚に折り曲げた腰をゆっくりと上げ、俺は会見場に大挙して押し寄せたマスコミ連中を見据える。
 あくまで無表情。反省してますよ、という感じがうっすらと顔に出ていれば、なお良い。
「この件に関して、責任は誰にあるとお考えですか?!」
 そんなマスコミ連中から、いかにも善良ぶった質問が来る。
 だがそれに答えるのは、俺の役目じゃない。
 俺は左へと目配せする。しっかり教えたはずなのに、さっき50゚に腰を曲げた冴えないオヤジが、哀れな目で俺に応えた。
 一応、この会社の重役らしい。が、俺にとってはどうでもいい。
 そのオヤジが椅子から立ち上がり、暗記していたであろう答えをマスコミ連中に向かって喋る。
「その件に関しましては、しかるべき対応を……」
 そう、質問に答えるのは、俺の役目じゃない。
 それは、不祥事だか何だかをやらかした、この会社の奴らの仕事なのだ。
 俺の仕事は、ただ「適切な謝り方を教え、実践させる」こと。
 誰かに対して、出来るだけ好印象を持たせたまま謝りたい。
 そんな要望に応えるのが俺の仕事。
「消費者の皆様に対しては、誠に申し訳無く思っている次第で……」
 さっきの冴えないオヤジが予定調和的な問答を繰り返している。
 俺はひたすら黙ってこの下らないマスコミ向け会見が終わるのを待つ。
 その現場に俺が同席することも、同席しないこともある。
 今回は同席のケースだったが、まあしょうがない。
 今となっては、こんな会見にも慣れてしまった。

53 No.17 その先にあるもの (2/5) ◇2LnoVeLzqY 06/12/09 21:02:22 ID:yP2xS2zu
 会見を終えて会社との報酬の手続きを済ませ、俺は道場に戻った。
 秘伝陳謝道場。
 住宅街のはずれに立っている、おんぼろの建物だ。
 一階建てで、その中はひたすらに畳を敷いただけの稽古場。
 もう何十回も何百回も来たはずなのに、中に入るたびに高校の柔道場を思い出してしまう。
 ここで俺は、「適切な謝り方」を極めるべく、師匠とともに鍛錬の日々を送っている。
 齢にして七十に近い、髭の立派な師匠は、頑固な爺さんといった風貌だ。
 四十年前に、師匠は一人でこの道場を立ち上げたのだという。
 これまで弟子もとらずに来たそうだが、この歳になってとうとう弟子を取ろうと決意したらしい。
 その弟子が、この俺だ。
 高校を卒業して大学へも行かず就職もせず、体たらくな日々を送っていた二年前の俺。
 そんな俺を、窓からここを覗いたという理由だけで「お前、わしの弟子になれ」だ。誰でもよかったのだろう。
 そんなこんなで二年間。俺はここで修行を積み、今では客を抱えるまでになっている。

「……ただいま戻りました」
 横開きの道場の戸をがらりと開ける。
 いつもと変わらぬ俺の仕草。
 無駄に広い稽古場の真ん中には、いつものように師匠が――
 ――俺は、息をのんだ。
 稽古場の真ん中で、師匠は音もなく地面を蹴る。そのまま彼は、垂直に二メートル近く飛び上がったのだ。
 そして最も高く飛び上がったところで師匠は膝を曲げ、体を屈めた。
 あれは――紛れもなく、土下座の姿勢。
 日本人にとって最も屈辱的であると考えられている土下座。それを師匠は、空中でやってのけた。
 彼はその姿勢のまま、当然のことだが落下し始める。
 二メートルの高さから、土下座の姿勢のまま、地面へ。
 それは刹那の出来事。だが俺には、限りなく永遠に近いように思えた。
 そして、師匠は――音もなく、床に降り立った。土下座のままで。
「……ついに、見られてしまったかの」
 師匠は立ち上がり、静かに俺を見据えてそう言った。

54 No.17 その先にあるもの (3/5) ◇2LnoVeLzqY 06/12/09 21:03:54 ID:yP2xS2zu
「い、今のは一体」
「跳躍落下無音土下座」
 師匠が口にした九つの漢字を、頭の中で思い浮かべる。
「わしが十年かけて開発した奥義じゃ」
 十年前といえば、そのころの俺は何も知らないただのガキだった。友達や妹と毎日遊ぶだけの、ただのガキだった。
「この奥義そのものに、意味などは無い。ただ、成し遂げることに意味がある」
 そう言い残して、師匠は玄関で立ち尽くす俺の横を抜け、どこかへ行ってしまった。
 俺がこの奥義を体得するまで戻ってこないつもりなのだろう。そのことが、俺には直感でわかった。
 その晩、大好物のプリンを自宅から道場へと持ち込み、俺は泊まりこみで猛特訓を始めたのだった。


「……やはり、わしが見込んだ男じゃ」
 一週間。俺が特訓を始め、師匠が戻ってくるまでの時間。
 俺は誰にも会っていない。だが師匠は、きっかり一週間後に、戻ってきた。
 それはつまり――
「奥義、見せてもらおうかの」
「はい」
 畳を敷き詰めた道場の真ん中。そこで俺は、地面を蹴る。音は無い。
 垂直に飛び上がること、二メートルと五十センチ。膝を曲げ、体を屈める。
 そしてそのまま――地面に向かって落下。
 畳が迫り、その網目のひとつひとつが見えたその瞬間。

 ――そこには、無音があった。

「もう、教えることは、無いようじゃな」
 師匠の言葉だけが、広い稽古場に響く。
 だが俺は……満足していなかった。
 何かが、何かが物足りない。奥義はできるようになった。だが……それだけだ。
 一週間の猛特訓で、俺の中にはある気持ちが芽生えていた。
 この奥義の先にあるものを、見つけ出したい。

55 No.17 その先にあるもの (4/5) ◇2LnoVeLzqY 06/12/09 21:05:24 ID:yP2xS2zu
「ヘイ! ユーは本当にオーケーなのかい?」
 奥義を体得したその翌日、家にも帰らぬまま、俺は小さなプロペラ機の中にいた。 
 師匠のつてを頼ったのだが、今更になって師匠の偉大さに気付かされた。
「シショー様が言うから初心者のユーを乗せたケド、本当にうごぺぎゃっ」
 さっきからうるさいジョンとかいう男をプロペラ機の扉から突き落とす。パラシュートを背負ってたから大丈夫なはずだ。
 そう、パラシュート。今、俺もパラシュートを背負って、四千メートル上空を飛ぶプロペラ機の中にいるのだ。
 さっきのジョンはスカイダイビングのコーチらしい。だがそんなもの、今の俺には必要ない。
 俺はただ、奥義の先を見出したいのだ。スカイダイビングをやりに来たのではない、謝りに来たのだ。
 開け放たれた扉の外はひたすらの青、青、青。はるか下の方には本当にちっぽけな住宅街が見える。
 機長からのゴーサイン。
 それに頷いて、俺は無音で飛び出した。
 ごうごうと、耳元で風の切る音。重力は感じない。
 小さな雲がいくつも下から上へ飛び去っていく。
 左手には、遠くの方に海が見える。日常では味わえない感動に囲まれて、俺は思わず笑い出しそうになった。
 高度計が千メートルを切ったところで、俺はパラシュートを開く。
 それからポケットから携帯電話を取り出し、ボタンを押した。
「もしもし、俺だ。元気だったか」
「お、お兄ちゃん?! 今までどこにいたの! それに……」
 予想通り妹が電話に出る。時間が無いので妹の話は無視する。
「話はあとだ。外に出て玄関の前に立ってろ。じゃぁな」
 通話終了ボタンを押す。もうすぐ地上だ。家々がずいぶんとはっきり見える。
 俺の家は……見つけた。妹が玄関から外に出てきた。
 地上まで五十メートル。そこで俺は――パラシュートを切り離した。
 妹が上を見上げ俺に気付き驚愕の表情。
 俺は空中で膝を曲げ体を屈める。五十メートル。俺ならやれる。
 地上がどんどん迫る。見上げる妹の目が鼻が髪が口がはっきりと見える。
 手と足に神経を集中。体の力を抜き、無心。
 俺の顔が妹の顔の前を通り過ぎそして――

56 No.17 その先にあるもの (5/5) ◇2LnoVeLzqY 06/12/09 21:07:41 ID:yP2xS2zu
 無音。
 ただ立ち尽くす十六歳の妹と、その正面で土下座をする二十歳の兄の姿が、そこにはあった。
 俺を中心に風が起こり、妹のスカートをめくり上げる。
「……プリンを無断で食って、本当に、済まなかった」
 一週間の奥義の特訓で俺の腹を満たした妹のプリン。俺は妹に、謝らなくてはいけないのだ。
「そのことなら、怒って、ないから」
 驚きの表情が、その顔にまだ見て取れる。
 だが妹はただ一言、俺に向かってそう言ったのだ。


 師匠、俺は今、大事なことがわかった気がします。
 謝るということは、形だけが全てではないと思うのです。
「……妹よ。いちごではなく、今日はくまさんのパンツか。大進歩だぞ」
 謝るということは――
「お、お、お兄ちゃんの馬鹿ーっ!」
 ――謝るということは、喜びなのです。



 <缶>



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