【 贖罪の騎士 】
◆XQ8cxZvOos




443 名前:贖罪の騎士 ◆XQ8cxZvOos 投稿日:2006/12/09(土) 00:24:21.92 ID:nICL6bjM0
 それは、まだ私が幼い子供の頃のお話です。
 ある日、私の住む村に流行り病がやってきました。
 その上、その年の村はみぞれといなごのせいで作物がほとんど駄目になってしまっていて、
流行り病を押し返す元気のある者はほとんどいませんでした。
 最初はお年寄りから倒れていき、次に年端のいかない赤子が次々と息絶えてゆきました。
 冬が訪れを告げる頃には、村中の家という家は戸を閉め切ってしまい、外を歩くものはいなくなってしまいました。
 ひもじさと寒さと恐ろしさから皆生きる力を失ってしまい、来年のことを考えるものは誰もおらず、
ただ安らかに死んでいけるようにと神様にお願いするばかりでした。

 そんな時です。あの凛々しい騎士様が私の村を訪れたのは。

 私が騎士様に出会ったのは、村のはずれの泉でした。
 家族の中でまだわずかに元気のあった私が水を汲むために雑木林を抜けていくと、いつもと違う不思議な雰囲気が
辺りに漂っているとことに気がつきました。
 それがなんであるかはすぐに分かりました。
 寒い冬の最中であるのに、薄い衣のみを身に纏ったお姿で水浴みをする騎士様がそこにいらっしゃったからです。
 越冬のために立ち寄った白鳥たちとたわむれる騎士様はまるで絵の中から抜け出てきたみたいで、
とても、そう、とても綺麗な佇まいでした。
 騎士様は私の姿をお認めになると、薔薇のように優しげな微笑で私に話しかけてくださいました。
「君はそこの村の子だね?」
 せっかく騎士様が親しげに言葉をかけてくださいましたのに、幼さゆえに不調法であった私は、
失礼な態度で答えてしまいました。それはそう、こんな感じです。
「そう。でも、もうすぐ村はなくなっちゃうの」
 私の無礼な返事にお気を悪くした素振りも見せず、騎士様は重ねてこう問われました。
「それは……どういうことかな? もし良かったら僕に話してくれないかい」
 騎士様の力強い語調に勇気付けられて、私は包み隠さずすべてをお話しました。
 村を襲う飢饉と病のこと、村の人々は未来を夢見ることを忘れてしまったこと、まもなく私たちは死んでしまうこと。
 私の拙い説明を聞き終えた騎士様は、非常に厳しい面持ちで囁きました。
 それはまるでご自分に言い聞かせていらっしゃるようで、うっかりすると聞き逃してしまいそうでした。
「ここにもまた……未来を打ち消す災厄がはびこっているのか。許せない──!」

445 名前:贖罪の騎士 ◆t/jiB.Bjyw 投稿日:2006/12/09(土) 00:25:12.75 ID:nICL6bjM0
 そして騎士様は私の肩をお掴みになると、私にこう申し付けられました。
「君、済まないが……今から僕が言うものを用意してくれないかい?
 まず、村で一番古いお墓の土塊を小瓶に詰めたもの、、君の家の竈に積もる灰を一掴み、
 牡山羊の顎鬚を一房、そして火打石。頼めるかな?」
 村一番のへそ曲がりであった私でも素直にこっくり頷いてしまうほど、それは威厳と優しさに満ちたお声でした。

 申し付けられたものを揃えた私は、騎士様がお待ちになる村の鐘楼の元へ急ぎました。
 小高い丘の上に立てられた鐘楼の前に立つ騎士様を見つけたとき、私は思わず息を呑んでしまいました。
 泉で拝見した涼やかなお姿とは打って変わって、銀に輝く甲冑を身に付けていらっしゃて、
とても真っ直ぐな眼差しで空を見上げていました。
 私もつられて首を上に向けましたが、そこには代わり映えのない曇り空があるだけでした。
 騎士様は私に見えないなにかを見ていらしたのでしょうか。それは今でも分かりません。
 私が件の品々を騎士様にお渡しすると、騎士様は私の頭を撫でて労ってくださいました。
「ありがとう。よく揃えてくれたね。さあ、始めようか」
 私が「なにをですか?」とお聞きしますと、騎士様はいっとう凛々しいお顔で教えてくださいました。
「君たちの心に未来を取り戻すのさ」
 私がお持ちした数々のものを、騎士様は実に様々な有様でお使いになりました。
 土塊は瓶ごとお足元に埋められ、灰はお腰の剣に塗されて、顎鬚は風へ。
 そして最後に火打石を高く、より宙に放り投げられ、そして火打石にこうお命じになられました。
「万物の根源よ! 黄金の欠片よ! 我が呼び声に応え、昏き理を照らせ!」
 なんと不思議なことでしょう、騎士様の雄叫びに応じるようにつむじ風が吹き荒れ、
空に掛かる暗雲が一点に集まり始めたのです。そして辺りは霧に包まれ、不気味に蠢いて恐ろしげないななきを立てていました。
 黒い霧は瞬く間に騎士様のすぐ目の前に固まり、そして形を変えて──。
 世にも禍々しい怪物の姿となりました。
 一目見て、すぐに分かりました。この怪物こそが、私の村を滅ぼそうとしてる悪意そのものなのだと。
 騎士様のおっしゃる『未来を打ち消す災厄』なのだと。そして──
「顕したな、プロオンに仇なす暗黒の眷属!」
 そう叫ぶや否や、騎士様はお腰の剣を抜き、金色に光る長いお髪をたなびかせて、その怪物に斬りかかりました。

446 名前:贖罪の騎士(3/5) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/09(土) 00:26:11.63 ID:nICL6bjM0
 まるで、夢を見ているようでした。御伽噺や詩の中にしか登場しない怪物と互角に、
いえ、それ以上に渡り合う騎士様のお姿は、見るものの心に染み入るような気高さがありました。
 そのお側で立ち尽くすしか出来ない自分が、とても不甲斐なく思えました。
私は騎士様のお名前すら知らないのに、そんな私の村を守るために、騎士様は戦っていらっしゃるのですから。

 騎士様の美しい剣に喉を裂かれ、怪物は苦しげに呻きました。
 次の瞬間には、怪物は大きく息を吸い、そして燃え盛る業火を口から吐き出したのです。
「騎士様──!」
 私は思わず騎士様の前に立ちふさがりました。騎士様をお守りしたかった気持ちもありますが、それ以上に、
あんなにもお美しいお髪が炎に焼かれるところを見るのが嫌だったのです。
 熱い空気が私の頬を焼き、私は騎士様の盾になれたことを嬉しく思いながら死を覚悟しました。ですが──
「なんて無茶を……」
 騎士様は私を抱えるように怪物に背を向けておられました。騎士様の胸に包まれて、
私は炎よりも熱い騎士様の魂に触れたような気持ちになりました。
 怪物はなおも火を吐いていました。その炎が止まない気配を察してか、騎士様は私にお命じになりました。
「僕の懐から小さな筒を取り出すんだ! そしてあの怪物の方に向けて!」
 私は訳のわからないまま、その通りにしました。
「神聖なる灯心、オオウイキョウの筒よ! 汝の主、プロオンの御名に於いて命じる! 禍つ蝿を匣へ還せ!」
 すると激しい轟音と共に風が吹き荒れ、乾いた地面に、杭を打ち込んだような穴が一つ開きました。
 小さな筒は私の手を離れ、宙で眩い光を放ち、その光に当てられた怪物はおぞましい断末魔の悲鳴と共に
地面に穿たれた穴へと吸い込まれていきました。
「この世の暗黒よ、我が名を称えよ! 我は汝らの王! プロオンの影を踏む者! あらゆる具物を備えし供物なり!」
 怪物の姿が掻き消えると同時に、筒も輝きを失い、ぽとりと地面に落ちました。
 私をお胸に抱いたままの騎士様は、ゆっくりとかがむと筒をお拾いになりました。
「兄様……兄様のお力で、また一つ世界から苦しみを取り除くことが出来ました。
 僕はいつまでも兄様をお慕いしております。ですから、どうぞこれからも僕をお守りください」
 愛しげに筒を額に押し当てる騎士様を見て、私は訳もなくその筒を羨ましく思ったものです。
 空を覆っていた雲は晴れて、お日様が顔を覗かせました。丘には爽やかな風が吹き、暖かな春の訪れを告げています。

 こうして、この村は救われたのです。

447 名前:贖罪の騎士(4/5) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/09(土) 00:26:46.32 ID:nICL6bjM0
 村の人たちが元気になるのを待たず、騎士様は再び流浪の旅に発つとおっしゃいました。
 私がどんなに引き止めても、悲しげに首を振るばかりです。
「でも、まだ十分にお礼もしていません」
 私がそ言って追いすがりますと、騎士様はとても怖いお顔でこうお答えになりました。
「僕にお礼を言ってはいけない。僕にはその資格がないんだ。だから、二度とそのようなことを言わないでくれ」

 そして騎士様は私に昔話をしてくださいました。
 それはとても悲しいお話でした。

「遥か昔、世界は平和だった。老いもせず、苦しみも悲しみもなかった。
 だが、ある愚かな女が秘められし災厄のすべてを世に解き放ってしまった。
 その女には未来を見通す力が無かった。その行為がどんな結果をもたらすか考えもしなかった。
 それ以来、この世には死と病と憎しみが蔓延するようになった。
 僕はその愚か者の償いをするために、世界中のあらゆる場所を巡って、飛び散った災厄を集めているんだ。
 ──その過ちは決して許されるものではない。いや、許しを請うことすら浅ましい。
 その最悪たる愚行がなければ、すべての人々は幸せでいられた。君もその家族も、こんなに苦しむことはなかった。
 そして……僕の大切な兄様も、その咎を追われて暴力と権力の虜になってしまった。
 今このときも、兄様は腸を掻き毟られる苦しみに耐えている。あんなにも聡明で心優しいお方だったのに、すべては僕のせいなんだ。
 だから僕は、僕は……その女の愚かさを、今でも許すことが出来ない」

 そう語る騎士様はとても痛ましく思われて、私は身の程も弁えずに騎士様に意見を致しました。
「でも、私、幸せ者です。その女性の行いのことはよく分かんないですけど、でも、そのお陰で貴方と会うことが出来ました。
 生きていれば辛いことや苦しいこともあります。でも、それでもいいんです。私、今とても幸せです。
 いつかきっと、お兄様の苦しみも晴れます。貴方が、私から苦しみを取り除いてくれたように。
 だから、その女性のこともあまり責めないであげてください。
 その女の人と同じで、私にも未来を見通す力はありません。でも、未来を信じることは出来ます。
 きっと、いつかみんなが幸せになれるって、そう信じてます。信じて、これからも生きていきます」

448 名前:贖罪の騎士(5/5) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/09(土) 00:27:45.37 ID:nICL6bjM0
 愚にもつかない私の言葉でしたが、騎士様はまるで眩しいものを見るように目を細められてじっと耳を傾けていらっしゃいました。
「僕は、その女を今でも
 そして、私の額にそっと口付けして、こうおっしゃってくださったのです。

「黄金のごとき気高き魂を持つ君よ、どうかいつまでも、その輝きを喪わないで欲しい。
 いつかこの世からあらゆる苦しみが消え去ったとき、僕は再び君の元を訪れるだろう。
 そのとき、僕は君に言うべき言葉がある。
 自らの罪を畏れるあまり、夫君にも、兄様にもついぞ言えなかった、たった一つの言葉を──」

 そうして、騎士様は私に別れを告げて、朝日の向こうへと去ってしまわれました。
 そのお別れの最後に、私は彫像のようなお背中に向かってこうお尋ねしたのです。
「騎士様、貴方のお名前は?」

「──パンドラ」



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