【 男子、厨房に…… 】
◆bsoaZfzTPo




203 名前:男子、厨房に……1/3 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/12/03(日) 23:19:10.07 ID:aPMKCaTE0
 父さんと母さんの馬鹿たれ。
 僕は今頃熱海で温泉に浸かっているはずの両親を罵った。
 久しぶりに夫婦水入らずで旅行に行きたくなった? 僕も姉さんも十分大きくなったから留
守番くらい出来るはずだ? あの万年バカップルめ。自分達の子どもの力量を把握していな
いにもほどがある。
 父さん達が出発した金曜の時点では、軍資金は十分あった。毎日コンビニ弁当じゃ飽きる
だろうから、外食も出来るように色をつけておいたぞ、なんて言って渡されたのが四万円。
 六泊七日の旅行に行った父さん達が帰ってくるまでの約二十食、一食あたり一人千円使
って良い計算なのだから、コンビニ弁当を買えばお釣りが来る。三日目あたりにファミレスに
入って、デザートまで食べても、それでも余裕があるくらいだ。もちろん、計算上では。
 土曜の夜、姉さんにたぶらかされてカラオケに行った。二時間だけのつもりが延長して延
長してこんなことならフリータイムで入れば良かったね、などと言いながらサンドイッチとポテ
トとから揚げにアイスを注文して、飲み物を何度かおかわりした。
 日曜の夜、回らないお寿司食べたくない? などと言い出した姉さんに連れられて、寿司
屋に入った。アナゴ、エンガワ、コハダ、トロ、至福の時間だった。さらにちょっとばかり日本
酒など飲んで気が大きくなっていた姉さんは、二次会だーと叫びながらまたカラオケへと突
っ込んだ。家に帰る途中でコンビニでお酒とつまみを買ってきた。
 そんな感じで月曜の朝、僕と姉さんはテーブルに向かい合って座っている。
「……千四百十七円」
 ああ、ああ、ああ、僕と姉さんの大馬鹿たれ。
 沈黙が場を支配する。現実から目を背けたいのだ。
「あんた、いくらある?」
 唐突に、姉さんが言った。主語が抜けていてもわかる。僕は部屋から持ってきていた財布の口をあけて、逆さに振った。
 じゃららら。
「五百四十二円、姉さんは?」
 姉さんも無言で財布を逆さにする。
 ちゃり、ちゃりーん。
「十三円、かなっ」
 それ大学生の財布の中身じゃないよ姉さん。かなっ、とか言ってる場合じゃないって。

212 名前:男子、厨房に……2/4 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/12/03(日) 23:26:09.90 ID:aPMKCaTE0
「さて、私としてはね。自炊するしかないと思うのよ」
 姉さんがしたり顔で語る。確かに正論だ。冷蔵庫の中身は旅行前に生ものを母さんが始
末したから心もとないが、少なくとも米はある。
 しかし、そもそもの出発点に誤りがある。僕か姉さんに料理の心得があれば、最初の軍資
金がコンビニ弁当前提で立てられるはずがないのだ。
「姉さん、料理できるようになったの?」
 姉さんはカップ焼きそばのお湯を捨てずにスープを入れたことがある女だ。
「そんなもん、お笑い芸人に出来て私に出来ないはずが無いじゃないの」
「いや、あの人達には出たての頃の苦い経験が」
「大丈夫、苦い経験なら私だって負けてないわよ。任せなさいって」
 苦い経験がバンホーテンココアに砂糖入れずに飲んだことを言っているのなら、お笑い芸
人の人達に謝れ。
「まあ、他に方法も無いしね。じゃあとりあえず、冷凍物とか残ってないか、確かめないと」
「え? あんたは出来上がるの待ってなさいよ」
 姉さんがなに言ってんの? とばかりに僕を見る。
「いや、なんでだよ。二人でやった方が効率良いだろ」
 というか、姉さん一人に任せるよりはましだと思う。
「馬鹿ねえ。男女七歳にして同衾せず、って言うでしょ?」
「たぶんそれ男子厨房に立ち入るべからずの間違いだよ」
「そう、それよ。ほら、とっとと出た出た」
 姉さんが僕の腕を掴んで、ぐいぐいとリビングの方へ引っ張る。
「わかった。わかったから、離して」
 胸が、胸があたってる。
「ん、わかったならよし」
「お願いだから、食べられるもの作ってよ」
「まーかせてよ。今どきネットで調べればレシピの一つや二つ、簡単に出てくるんだから」
 鼻歌交じりで上機嫌の姉さんが、材料足りなかったら買い足すからと言って、テーブルの
上のお金を財布に入れた。そして姉さんは部屋を出て行った。たぶん、言葉どおりネットで
レシピを探しに行ったのだろう。
 ……胃薬を買う金もないというのは、本当に悲しいことだと思う。

205 名前:男子、厨房に……3/4 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/12/03(日) 23:20:52.18 ID:aPMKCaTE0
 しばらく部屋に篭っていた姉さんは、ギョウザーギョウザー、と歌いながら買い物に出かけ
た。僕は胃薬の買い置きがないか、真剣に家捜しを開始した。
 正露丸を発見して、なんとか一安心とリビングに戻ってみると、姉さんが帰ってきていた。
キッチンで、プリントアウトしたレシピらしきものとにらめっこしている。
「お帰り、大丈夫そう?」
 姉さんはこれを完全に無視。ネギをみじん切り、とかブツブツ呟いている。
 あんな真剣な顔はセンター試験の前もしていなかったと思う。水を指しては悪いと思った
けれど、お約束回避のために一つだけ言う事にした。
「姉さん、炊飯器は先にスイッチ入れておくんだよ」
「あ、あたりまえじゃないの!」
 忘れてたな、あれは。

 キッチンから離れると、何か起こったときに不安で、僕はリビングで本を読んでいる。
「ネギめっ、ネギめっ」
 みじん切りをしているのだろう。大丈夫、救急箱は用意してある。
「ひき肉、ぐにぐにして気持ち悪い」
 その気持ちはわかる。調理実習でハンバーグ作った時俺も思った。
「うああ、油があっ」
「大丈夫、姉さん!」
 油はまずい、最悪家が燃える。本を投げ捨ててキッチンに駆け込もうとした。
「入っちゃ駄目っ!」
 怒鳴られて、足を止める。
 ぱっと見る限り、火は出ていない。姉さんが血を流してるようなこともない。
「ちょっと油が跳ねてびっくりしただけ」
 姉さんは大丈夫、大丈夫と手を振ってみせる。
「もう、心配性だな。自分の部屋にでも居れば良いのに」
「いや、隣に居るよ」
 怖いから。

206 名前:男子、厨房に……4/4 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/12/03(日) 23:21:28.75 ID:aPMKCaTE0
「出来たよー!」
 あれっきり叫び声もあがらず、平和に本を読み進めていた僕は、立ち上がるついでに時計
を見た。まだ十一時だ。昼には早いけれど、まあ朝を抜いたし問題ない。何より、誰も怪我
人が出なかったことが素晴らしい。……これから二名ほど出るかもしれないけど。
「おお」
 思わず声が漏れた。
「じゃーん、私すごくない? すごくない?」
 すごい、食べれそうなものが出来てる。少なくとも炭化物じゃない。皮が破けて具がはみ
出てたりするけど、それが半生ってこともない。でもじゃーん、って言うな。
「姉さん、やればできるんだねえ」
 素直に賞賛すると、姉さんは顔を赤くした。
「ちょっと、そんな普通に褒められると調子狂うじゃない」
 今日はちょっと姉さんを見直した。うん、ただの生活能力ゼロ人間じゃなかったんだな。
「とにかく、熱いうちに食べちゃいましょう。ほら、座って座って」
 姉さんに促されて椅子に座った。
「いただきます」
「いただきます」
 ギョウザにしょう油をかけて食べる。あ、味も普通に美味しい。
 こうやって向かい合って座っているのは朝と同じなのに、真ん中に置いてあるものが、温
かい食事に変わるだけで、気持ちは明るく、前向きになる。
 ……真ん中に置いてあるものが変わるだけで?
「姉さん、いくら使った?」
「何が?」
「材料費」
「ひき肉とにんにくとネギとしいたけとギョウザの皮で、千円くらいかな」
 ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、もう!
「姉さんの馬鹿たれえっ!」
           了



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