【 六弦の騎士 】
◆D7Aqr.apsM




124 名前:六弦の騎士 1/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:17:58.44 ID:+f97B44r0
 べたべたとステッカーの貼られたドアを開けると、あたしは久しぶりに
軽音楽部の部室へ足を踏み入れた。練習用のスタジオも兼ねているここに足を
運ばない日は、中学に入学してから二年間、無かったと思う。
 楽器を磨くクリーナーの匂いが懐かしい。たかだか数ヶ月なのに。乱雑に
並べられたパイプ椅子に窓から斜めに夕方の赤い光が差し込んで光っていた。
部屋の奥のラックに、ケースに入れられたギターが一つ、置かれていた。うっすらと
ホコリを被っている。あたしのギター。小さな、学生鞄ぐらいの大きさの、個人練習用の
アンプ。大ざっぱにホコリを払って背負う。久々の重みが制服の肩と手に掛かる。
「小里先輩。お久しぶりです!」
 誰もいない時間を見計らってやってきたのに、タイミングが悪い。振り返ると
後輩の一人が立っていた。胸元の赤いリボン。一年生。
「あ、ギター……取りにいらしたんですね」彼女は曖昧に視線をそらした。「あんなに
凄いバンドだったのに。残念です。再結成とかはないんですか?」
 中学二年最後のライブの後、あたしのバンドは解散していた。
「うーん。しばらくはないかなぁ?」
「もったいないですよ! あたし、いまもあのライブのテープ、いつも聴いてるんです。
先輩のギターも、ボーカルも凄くて……あの、で、これ」
 カバンから、くしゃくしゃになった封筒が差し出される。
「MDなんです。あたし、ベースをやっていて。友達がドラムで。き、聴いてみてください。
で、もし良ければ一緒に……」
 ぽん、と肩に手を置く。彼女は少しだけ涙ぐんでいた。
「ありがと。必ず聴くね」
 必ずですよ?とか、そんな言葉を背中に聞きながら、振り返って愛想笑いを返した。
小さく手を振ってみたりもする。奥歯を食いしばっているのが解らないといいな、
と思いながら。
 彼女は、どうしてそんなことに触れてくるのだろう。あたしが音楽をやろうがやめようが、
バンドが無くなろうが、そんなのはあたしの問題なのに。
 どこにいても、そんな居心地の悪さはあたしにつきまとった。教室でも、家でも。
何を見て、何を感じようが、何を聴いて、何を思おうが、そんなのは他人に
伝わるわけもない。言葉にした時点で、絶対に伝わらなくなる。不純なものが

125 名前:六弦の騎士 2/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:18:52.24 ID:+f97B44r0
混ざってしまう。それは、もう、どうしようもなく、しかたのないこと。
「寒い」小さく口に出してみる。建物の中なのに、吐く息が白い。
 廊下から、窓の外を見る。がらんとした放課後の校庭に、雪が舞っていた。

「まったく。なんだっていうのよ」
 傘をさしていても、雪は容赦なくコートやスカートに張り付き、学校指定のローファーは
すっかり冷たく濡れていた。ギターとアンプの重さが嫌な気分に拍車をかける。
 学校からの帰り道。三十分遅れで発車した電車は、次の駅で運行をとりやめた。
代替えとして用意されたバスにのる列は、そこそこに長く、あたしは他の選択を取った。
この駅に、あたしが通う塾……のようなものがあった。そこへ避難する。しばらく暇を潰せば、
電車も動き始めるだろう。

 畑に囲まれた林に埋もれるようにして、その建物はあった。コンクリートがむき出しの、
冷たい印象のサイコロみたいな建物。窓から灯りが見えるのを確認してほっとする。
ここまできて、誰もいない、などという事は考えたくなかった。
 大きく、分厚い扉の脇にあるノッカーを鳴らすと、程なくして扉が開いた。
「あれ、香織ちゃん? いらっしゃい。どうしたの?」
「すみません、先生。雪で電車が……」
「ああ、そうみたいね? まあ入って入って」
 先生は、長い髪を揺らして奥へ導いた。ほの暗い廊下。かすかに本の匂い。いつもの場所
玄関から細い廊下を抜けると、一気に視界が開ける。廊下を抜けた真正面の壁は全て
ガラス張り。その向こう側に雪が舞う林の風景があった。ガラス以外の壁は、三方を本棚で
埋め尽くされている。文字通り床から天井まで。かなり天井の高い部屋だから、高いところの
本を取るために、脚立が置かれていた。
 部屋のあちこちに、まばらに置かれた低い椅子やソファとセットになったスタンドライト
だけがこの部屋の照明だった。薄暗い部屋の中で、ライトの周辺だけが、ぽつりぽつりと
離れ小島のように明るかった。
 多分、学校の教室と同じような広さがあるのじゃないだろうか。一見すると、カフェか、
やたらと本の多いレストラン、とかそんな感じだと思う。しかし、ここは英語専門の塾で、
あたしは数少ない生徒の一人だ。

126 名前:六弦の騎士 3/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:19:30.14 ID:+f97B44r0
 あたしは、いつも座っているソファに座った。ギターをどうしたものか、と思っていると先生が
タオルを持ってきてくれていた。
「おお、これが香織ちゃんの相棒だね? 話に聞いてはいたけど、初めて見るね」
「あたしも、かなり久々に持ち歩いてます。部室に寝かせてたので」
 ごしごしとタオルで水気を吸い取っていく。
「そうなの? もったいない」
「仕方ないですよ。受験ですし。バンドも解散しちゃいましたし」
 先生は、ふーん。そんなもんかなあ。とつぶやきながら、タオルを受け取った。
「そうそう。さっきまた『先生』って呼んだでしょ」
「あ」
「ぶぶー。だめー。二階級降格だグンソー。第一のルール。わたしをなんて呼ぶんだっけ?」
「……絵美さん、です」
「よくできました! じゃあルール違反の罰としてココアを入れてきて。あ、三つね」
「三つ?」
「あ、初めてだっけ? 今日は香織ちゃんの他にもお客さんがいるのだよ」
 せんせ──絵美さんは、にやりと意味ありげに笑って、あまり明るくない部屋のコーナーを
指さした。男子が一人、本に埋もれるようにして座っていた。たぶん、同学年ぐらい。
声は聞こえているはずなのに、全く顔をあげようともしない。無視。いい傾向。
気楽だ。とあたしは思う。
 
「どうぞ」
  マグカップにいれたココアを差し出すと、絵美さんは洋書から顔を上げて、にっこりと
笑った。何歳なのか教えてくれないから知らないのだけれど、たぶん大学生よりもちょっと
上っぽい彼女は、とても子供っぽく笑う。長くてさらさらとした髪と、日本人離れして白い肌、
厚手のセーターを着ていてもそれなりにわかる体の曲線なんかをみても、たぶん、かなり
美人の部類だと思う。いつも読んでいるのは洋書。
良くはわからないけれど、バーなんかにいたら五分に一回くらい男の人から声をかけられ
そうな感じ。
「あ……あまいっ! 最高! やっぱりココアは香織ちゃんにかぎるよねー」
「その手にはのりません」

128 名前:六弦の騎士 4/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:20:11.90 ID:+f97B44r0
 言いながら、あたしは部屋の奥にいる男子のテーブルにもココアを置いた。
ひょこ。下がる頭。あいまいに相づちをうって、自分の席に帰ろうとすると、後ろに
絵美さんが立っていた。
「あー。きみら。若いダンジョなんだから、少しは声をかけるとかしたらどうかね? ほら、
とりあえず自己紹介とか。たぶん、これから長いつきあいになるのだから」
 にやにやと笑いながら、絵美さんはあたしを背後から抱きすくめた。柔らかく、暖かい感触。
少しだけ鉄っぽい、かわったパフュームが香る。
「長いつきあいって……そんな大げさな」
 あたしはさりげなく体をずらして絵美さんから逃げる。この人は油断するとすぐに人を
おもちゃにする。この間も小一時間、からかわれたのを思い出していると、この部屋で聞
いたことのない声が響いた。
「やっぱり、警報でました?」
「はい! 幸司くん大正解! 商品としてなんと! 香織ちゃんを差し上げます。
──好きにして、いいよ?」
「さりげになんかすごいこと言わないでください。警報ってなんですか?」
 あたしは、また抱きすくめられそうになるのをかわす。
「オーユキケーホー。電車はもう動きません。バスも。県道は車両ツーコーキンシだって。
車両ってことはスノーモービルとかどうなるんだろうね? 活躍の舞台なのにね?」
 そんなことはどうでもいい。
「──というわけで。あなた達のご家族にはご連絡済み。コドモハアズカッタ。って
言っておいた。どうせ学校はあしたお休みだから、ゆっくりしていってね? さて。
小里香織さん、こちら、石川幸司くん、石川幸司くん、こちら、小里香織さん。わたしは
絵美さん。ってなわけで、一晩楽しくやろうね」
 よろしく、とかろうじてつぶやくと、あたしは呆然としたまま、自分のソファへ戻った。

 だだっ広い部屋の真ん中に、テーブルと椅子を寄せて作った食卓でカレーを食べ終わると、
食器を片付けていた絵美さんが、勢い込んで部屋へ帰ってきた。大きな銀色のお盆には、
湯気の出ているマグカップと、なにやらケーキらしいものが三つずつ。
「ひとつずつねー! 絵美さん特製のアップルパイとグリューワインだ!」

129 名前:六弦の騎士 5/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:21:01.15 ID:+f97B44r0
 バニラアイスクリームが乗ったアップルパイと、赤っぽい色をした、湯気の出る液体が
入ったマグカップが見える。ふわり、と甘い香り。中に浮いているのはオレンジだろうか。
「ワインって……未成年ですよ」
 あたしは匂いをかぎながら言った。正直言ってお酒を飲んだことがない訳じゃあない。
けれど、今日、ここでアルコールを飲む気には到底なれなかった。
「大丈夫大丈夫! 火にかけてあるから、アルコールなんて飛んじゃってるよ!
いいかい、これはドイツのクリスマスには欠かせない飲み物なんだ。アメリカは移民の
国だからね、みんなが色々なバックグラウンドを持っているんだ。色々な習慣を
知っておくのは大事な事なのだよ」
 あたしは無難にアップルパイを口に運んだ。味は絶品だった。中に入っているリンゴを煮
たものの味付けが少し変わってるな……とは思っていたけれど、それも手作りっぽくて
いい、くらいに考えていた。あたしは大きく切り分けられたそれを、食べきった。
 失敗だった。大失敗だ。
「絵美さん……。このフィリングの味付けって」
「あー! 良く聞いてくれました! カルヴァドス! オーバンブルマイです!煮込むときと、
煮込んだ後に分けて入れるのがポイント」
 カルヴァドスってリンゴで作ったブランデー……煮込んだ後に入れたって……どれだけ?
「そういえばさ、ねえ、香織ちゃん、ギター、弾いてみせてよ」
 そんなことは意に介さず、絵美さんは目を輝かせていた。

 がっしゃがっしゃとピックで弦をかき鳴らす。当てずっぽうに、コードを押さえて、流行の
ラブソングを弾いて見せた。絵美さんは嬉しそうに、あたしのギターにあわせて歌っていた。
所々歌詞が怪しかったけれど。数ヶ月、練習すれば即興でこのくらいは弾けるようになる。
小さな練習用のアンプからは、安っぽい、適当な音が流れていた。
 久しぶりに弾くと、柔らかくなってしまった指に弦が食い込む。痛い。
「ああ、凄いねえ。楽器が弾けるってのはいいもんだ。ねえ、幸司くん、そう思わない?」
 絵美さんがグリューワインを飲みながら言った。既に頬が染まってるどころじゃなく、
完全に酔っぱらっているようだった。
 本を読んでいた男子は、つい、と顔を上げた。薄い唇が開かれる。

130 名前:六弦の騎士 6/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:21:29.75 ID:+f97B44r0
 小さな、落ち着いた声が、暗い部屋の中に響く。
「あなたは、ギターを弾くのをやめるべきじゃないと思う」
 本が閉じられ、初めて彼の視線があたしの目を捉えた。
「自分で、何かをつくろうとして、それを本当に実行できる人間は少ない。本当に少ない。
だから――」
 ギターのネックを握る手に、力が入った。身体が急に冷えて、逆に頭へ血が上る。
「ふざけるな! 「変わっちゃう自分を遠くで痛くない程度に叱って」か? 「夢はいつか
かなう」? そんな三流のポップスみたいに適当な言葉をあたしに使うな。わかりも
しないくせに!」
 絵美さんが、つい、と目を伏せた。
「わかるはずはない。そのつもりもない。ただ、事実を言っただけだ。」
 彼は、また、本を開いた。




 柔らかい匂い。石けんの匂い。そして、少しだけ変わったパフュームのそれ。
 目を開くと、いつの間にか朝になっていた。ブラインドが下ろされた窓の外が明るい。
見知らぬベッド。見知らぬ部屋。
「いつ……寝たんだっけ?」
 小さくつぶやく。絵美さんと一緒に、お風呂に入ったのは覚えている。ただ、それから
先の記憶が……ない。ベッドから降りて、ブラインドを開けてみた。かしゃ、と軽い音。
「あ、起きたー? 着替えたら降りておいで。コーヒーがあるよ」
 絵美さんの声が聞こえて、あわてて部屋を見回した。どうやら寝室を占領して、あたしは
寝ていたらしい。
「すみません、すぐ起きます!」
 制服はきれいにハンガーにかけられていた。いつの間にか借りていたTシャツは、
あらって返す為にカバンに押し込む。ベッドサイドに置かれていた、小さな手鏡で
髪の毛をチェックすると、あたしはすぐに階下へ向かった。

131 名前:六弦の騎士 7/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:22:01.42 ID:+f97B44r0
「おはよう。どう? 気分は?」
 絵美さんはいつもの、教室として使われている部屋でコーヒーを飲んでいた。
「すみません。ぐっすり寝てしまって……あまり記憶がないんです」
「まあ、その辺はね、おいおい。あ、幸司君は先に出たよ。よろしくって」
 絵美さんはにやり、と笑いながら、あたしの分のコーヒーをポットから注いでくれた。
 
 大きな窓の向こうは、一面白く輝いていた。雪は止んだようだ。
 窓の側に立つ。
「きれいですね」
 思わずつぶやいてしまう。
「ん? そうだね。きれいだよね。
 振り返ると、コーヒーを飲んで、絵美さんは少し考える風に目を伏せていた。
 すうっ、と大きく息が吸う音が聞こえた。
「……香織ちゃんさ、結構前から思っていたのだけど。人に関わるの、あまり
得意じゃないよね?」
「そうですか?」
 あたしは外の景色を見るふりをして、顔を背けた。
「一定の線があるっていうか。ここからは入ってくるな、みたいな感じの」
 コーヒーを口に含む。苦い。手のひらでガラスに触れると、びっくりするほど冷たかった。
「どう、なんでしょう。……わからないです」
「影響を受けるのは恐い? 干渉されるのは嫌?」
「どちらもあると思います」
「まあ、別に無理をすることはないんだけどね。ちょっとだけ、先輩からアドバイス
してみてもいいかな?」
 あたしは振り返った。椅子に座ったまま、彼女は少しだけ辛そうな顔をしていた。
「素直に聞けないかもしれないです。それでも――いいですか?」
 こくり、と絵美さんは肯く。
「それでいいよ。あのね、香織ちゃんは変わらない。国や社会や学校や友達や、そうだね、
 両親だって、キミを変える事はできないよ。プライドと信念。そして自分の決めた
ルールに従って生きるんだ。昔の貴族や騎士みたいにね。

132 名前:六弦の騎士 8/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/12/03(日) 21:22:26.38 ID:+f97B44r0
うん、丁度良いんじゃない?ギターがキミの剣だ。盾はないけど、そんなのいらないよ。
ワルモノが出てきたらギターでぶった切っていけばいいさ」
 絵美さんはゆっくりと立ち上がって、あたしを抱きすくめた。
「ごめんね。年寄りの言うことだから、あまり気にしなくてもいいけれど。時々香織ちゃんは
酷く辛そうに見えるから。ねえ、ずけずけと心に入り込まれるのは、誰も好きじゃないと
思う。でも、少しずつ、適当に近づいたり離れたりしながら、丁度良い距離を探せば
いいんじゃないかな。どっかの王子様ときつねみたいに」
「絵美さんは、くっついてばかりですよね。こんな風に」
 うつむいたまま、あたしは言った。
 目をつぶる。あたしが失ったもの、遠ざけてしまったものが思い浮かんだ。でも、
それは過ぎてしまったこと。取り返しのつかないこと。
 絵美さんの胸に顔をうずめる。暖かい匂い。あたしは初めて、背中に回す手に力を
いれて、抱き返してみた。

 2ヶ月後。
 あたしは一年生の教室を訪ねていた。教室の戸口で名前を告げると、女の子が廊下へ
走り出てくる。
「せ、香織先輩。聴いてもらえました?」
「うん。……ごめん」あたしは制服のポケットから、もらった封筒を取り出して続けた。
「指がさ、動くようになるまで、こんなにかかっちゃったよ」
「え?それって……」
「今からで良ければ、是非、お願いしたい。ごめんね。遅くなって。あなたと、
ドラムスの子と。スリーピースバンドで」
 まん丸に見開かれていた彼女の目から、ぼろぼろっと涙がこぼれた。慌てて肩を
抱いて落ち着かせようとする。やばい。このままだと一年生をシメる上級生の図だ。
「ねえ、バンド名も考えたんだけど、聞いてくれる?」
 泣きじゃくったままの顔で、彼女が顔を上げた。
「三銃士、――なんてどうかな」

(了)



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