【 ドント・スタンド・バイ・ミー 】
◆wDZmDiBnbU




50 名前:『ドント・スタンド・バイ・ミー』 (1/4) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/12/03(日) 16:00:27.84 ID:cHWlCeJg0
 いつからだろう、ゲームが子供のものでなくなってしまったのは。幼い頃、小さな画面
に描いためくるめく冒険の夢。だがそれを重ねるには、その会場はあまりに商業的すぎた。
国内最大と名高いゲームショー、家庭用テレビゲームの新作発表会。その開場を待つ人々
の群れは、独身とおぼしき成人男性がほとんどだった。
 巨大な会場の中、スタッフ以外立ち入り禁止のバックヤードに一人、高橋はため息をつ
いた。感傷ではない。むしろ、ありがたいことだとも言える。子供を相手にするよりも大
人相手の商売の方がやりやすい。問題は、この商品がはたして受け入れられるかどうか。
 社運の全てをかけて送り出す新タイトル、小さな会社の一発逆転をかけたビッグ・プロ
ジェクト。『立入禁止』と題されたそのゲームソフトは、超本格派のサスペンスホラーだ。
その売り文句に違わず、すばらしい内容に仕上がったのは間違いない。
 あとは広告だけだ――高橋はネクタイを締め直した。今日の成否に全てがかかっている。
 改めて手元の進行表を確認する。ぎりぎりだ。開発費に予算をとられすぎて、広告にか
けられる費用は圧迫されている。いろいろと無茶もせざるを得なかったが、しかしこのイ
ベント、失敗するわけにはいかなかった。
 開場まで三十分。割り当てられた資材準備用の個室の中、高橋はついたての向こうへと
声をかけた。
「準備はできたかい、雨宮君」
 雨宮と呼んだその女性、それこそがこのイベントの鍵であり、そして最大の懸案事項で
もあった。ついたての向こうから、その張本人が顔を出す。
「む、無理です」
 おどおどと怯えきった様子の雨宮。それも当然だろう、彼女の格好はさながらレースク
イーンのようだった。丈の短いジャケットは白く光沢のあるナイロン製。その下に着込ん
だ、バックがジップアップになったチューブトップドレス。胸元には、新製品のロゴが大
きくあしらわれている。こうしたイベントにはキャンペーンガールはつきものだ。
「その、私そもそも開発部ですし、こういうのは人材派遣のスタッフにお任せしたほうが」
 今更言ってもしかたない。それにアウトソーシングするような予算もなかった。
「すまない、少ないながら手当は出すよ、協力してくれないか。それに予想通り、派遣に
任せるまでもなかったみたいだしね……うん、よく似合っているよ」
 雨宮が恥ずかしそうに俯く。よく似合う、その言葉はたしかに嘘ではなかった。だがし
かし、全てが予想通りというわけではない。

51 名前:『ドント・スタンド・バイ・ミー』 (2/4) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/12/03(日) 16:01:02.53 ID:cHWlCeJg0
 少なくとも、二つの計算ミスがあったことは認めなければならなかった。一つは彼女が
極度のあがり症であるということ。そしてもう一つは、普段の格好からは想像もつかない、
彼女の胸――あえて下品な言い方をするならば、いわゆる巨乳というやつだ。
「駄目です、緊張して……呼吸が苦しいです」
 つらそうにあえぐ雨宮。それは緊張のせいばかりではないだろう。問題は衣装のサイズ
だった。安く発注したのが悪かったのか、彼女にぴったりに仕上げたはずが、どう考えて
も胸の部分だけが小さい。だからといって、そこだけ出しておくわけにもいかないだろう。
やむを得ず規格外の超容量を無理矢理押し込んだのだ、呼吸が苦しいのも当たり前のこと。
 とはいえ、そのせいでイベントを無様な結果に終わらせるわけにはいかない。高橋は少
し思案すると、できるだけ優しく雨宮に声をかけた。
「大丈夫、ただ立ってるだけだから、落ち着いて。よし、じゃあリハーサルだ」
 雨宮を立たせる。こういうのは実際にやってみるとたいしたことはないものなのだ。
「そう、あとは笑顔――ああうん、いいね。ちょっと表情が硬いかな。リラックスリラッ
クス、まずは深呼吸」
 胸に手を当て、目をつぶる雨宮。大きく息を吸い込み――そして。
『ビリッ』
 なにかが弾けるような音。それに小さな悲鳴。俯く雨宮は、その手を力強く胸に抑えた
ままだ。なにが起こったのか――いや、そんなことを考えている場合ではなかった。彼女
に自信を持たせるためのリハーサルが、裏目に出ては元も子もない。
「大丈夫、雨宮君。こんなハプニングはよくあることさ。その程度で俯いていちゃいけな
い。まずは身を起こして」
 言いながら必死で考える。おそらくいまの音、背中のジッパーと服のつなぎ目が避けた
のだろう。ジッパー自体が壊れていなければ修復は難しくない。それに本番でまた避けた
としても、ジャケットで見えないのが幸いだ。服自体がタイトな作りなので、多少破れた
程度なら脱げてしまうこともないだろう。大丈夫、依然、問題はない。
 ゆっくりと身を起こす雨宮。胸元を強く抑えたまま、顔を真っ赤にして震えている。多
少パニックに陥っているのかもしれない。それが一番、危険なのだ。
「落ち着いて。会場は騒音だらけなんだ、その程度の音じゃ誰も気づきやしない」

52 名前:『ドント・スタンド・バイ・ミー』 (3/4) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/12/03(日) 16:01:27.15 ID:cHWlCeJg0
「でも」
 いまにも泣き出しそうな声で訴える雨宮。このままでは本会場に出ることすら叶わない
だろう。落ち着かせなければ。できるだけ優しく、説得力のある言葉で。
「大丈夫さ。それよりも平然としていること、慌ててたら何かあったと思われてしまうよ。
それにその手、肝心の製品ロゴが隠れちゃってるだろう?」
 どうやら説得は通じたようだった。ほっと胸を撫で下ろす高橋。彼女の手は既に胸から
下ろされていた。そしてそこに堂々とその姿を現す我が社の期待の星、明日を切り開く新
製品『立入禁止』のロゴが――。
 高橋は目を疑った。なにか、おかしい。どこかが前と違っている。これは、一体。
 あまりに奇妙なこの感覚、まるで遠くから不気味な地鳴りが聞こえてくるかのようだっ
た。なにが起こったというのだろう、明らかに異常なその文字列を、もう一度仰ぎ見る。

『      立   禁   止      』

 何度見ても同じだった。幻覚や超常現象なんて類いのものでは断じてない、どう見ても
ロゴが変化している。立、禁止。何度読んでも、同じだった。
「ば、ばかな……字が、消えただと?」
 軽い目眩を覚えながらも、高橋は思わずつぶやいていた。だが彼女は答えない。全身を
紅潮させたままただ立ちすくむその様子。そのとき、唐突に邂逅は訪れた。
 『入』の一文字は、消えたんじゃあない。吸い込まれていたんだ――。
 削り取られた文字と文字の間、それはぴたりと閉じられている。だがしかし、そこにか
すかに見える服のしわ。押さえつけた手の力のあまり、飲み込まれた、そう表現するのが
ふさわしいだろう。決して立ち入ることの許されない楽園、巨大なその胸と胸の間――あ
えて下品な言い方をするならば、いわゆる谷間というやつに、だ。
 一度理解してしまうと、その光景のなんと衝撃的なことだろう。まるで胸を矢に貫かれ
たようなこのインパクト。こみ上げる感覚に、高橋は思わずかがみ込んだ。
 立、禁止、だと? 冗談じゃあない、説得力がなさ過ぎる。これで立ち上がらない男が
いるとしたら、それこそ再起不能って奴だ。

53 名前:『ドント・スタンド・バイ・ミー』 (4/4) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/12/03(日) 16:02:20.23 ID:cHWlCeJg0
「高橋さん、大丈夫ですか?」
 様子がおかしいのを察したのだろう、雨宮が心配そうな顔で声をかける。だが先程の思
いとは裏腹に、立ち上がることは叶わなかった。文字どおりの『立禁止』に、高橋は小さ
くほぞを噛んだ。この状況を覆すためには、どうにかして落ち着かせなくては。
 前屈みになったまま、視線を時計に走らせる。開場まで残り十分。猶予は、ない。
「雨宮君、すぐにその服を脱いで、破れた所を縫うんだ」
 俺のそばに近寄るな――内心、そう言ってやりたい気持ちだった。雨宮がついたての向
こうに姿を消す。彼女を落ち着かせるためにはそばにいてやるべきなのかもしれないが、
もはや状況は逆転している。未曾有のピンチと言ってもいい。そしてそれは、彼女が視界
のうちにいる限り続くのだ。思うがままにならない自分自身に、高橋はただ天を仰ぐ。
 ゲームに子供の頃の夢を重ねるだなんて、とんでもない話だった。自分自身がいつのま
にか、すっかり大人になってしまっていたのだ。それをいまさら、あの頃の思い出に土足
で立ち入るなんて、なんて愚かなことだろうか。
 ゲーム・オーバー。冒険はいつか終わるもの。だがまだ全てが終わったわけじゃない、
勇者はいつだって立ち上がるのだから。
 ついたての向こうから彼女が顔を見せる。頼もしい冒険の仲間。いや、それとも彼女こ
そが倒すべき魔王なのかもしれない。いずれにせよ迷っている暇などないのだ。いざ船出
のとき、過ぎ去った嵐が再び現れるその前に。
 コイン一個入れて、コンティニュー。新章のスタートまで、あと三分だ。

<了>



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