【 彼女の領域 】
◆v3rMGliNoc




739 名前:彼女の領域 (1/2) ◆v3rMGliNoc :2006/12/03(日) 08:02:06.65 ID:+tojGbpA0
 教室の窓際最後列付近は、水田優子の世界だ。
 正確には、彼女が彼女の席についているときに、その領域は発生する。
 水田が宣言したわけでも線が引いてあるわけでもないが、そこは確かに彼女だけの世界であり、他の人間が踏み入ることを躊躇う領域なのだ。

 僕は今月の席替えで、窓際から二列目の最後尾の席になった。隣、すなわち窓際最後列はなぜか相変わらず水田のものである。
 この席になって早一週間。僕はすごく疲れていた。
 何故って?そりゃ隣が水田だから。
 信じられないだろうけど、僕は授業中、ずっと彼女のいる方向から圧力を感じている。圧力っていうとなんか大層な言い方みたいだけど、
ほかに表現を思いつかないんだからしょうがない。異質な空気というのか、強い雰囲気というのか、そういったものにずっと押さえつけられている
感覚。歴代のこの席、つまり水田の横の席経験者から聞いていたが、本当に水田の領域というものは存在するのだ。
 僕はこの一週間、それをまざまざと思い知っていた。

 「紅葉、綺麗ね」水田がつぶやいた。
 いきなりそんなことを授業中に言われたので、僕は空耳かと思って聞き流した。はるか遠くの教壇では、老齢の国語の佐藤先生が『坊ちゃん』
について説明をしていた。
 かすかに衣擦れの音がする。
 「ね。そう思わない?」今度は明らかに空耳じゃない。彼女のほうを向くと、彼女も僕を見ていた。
 窓の外に視線を移す。確かに見ごろといった色合いの秋の山が遠くにレイアウトされている。
 「佐藤先生の授業って退屈」 手元で教科書にシャリシャリと何事か落書きしながら、彼女もまた視線を紅葉に漂わせている。
 「山は寒いよ。教室の中のほうが僕は好きだな」
 「別に授業から逃げ出したいわけじゃない。紅葉が見たいだけ。綺麗なうちに、さぁ」
 彼女の手元を見ると、夏目漱石が珍妙で立派なカイゼルヒゲを蓄えていた。

740 名前:彼女の領域 (2/2) ◆v3rMGliNoc :2006/12/03(日) 08:02:24.65 ID:+tojGbpA0
 それから彼女と少しずつ話をするようになった。
 近所の山の紅葉の話。隣の県への家族ドライブでみた紅葉の話。京都への家族旅行で見た紅葉の話。
 旅行の話。音楽の話。夏の話。
 僕は彼女の隣に座ることに疲れを感じなくなっていった。


 「なあ」
 「なんだよ」
 「あの窓際の席さぁ」
 「水田のところ?」
 「ああ。なんか前より水田領域広がってね?」
 「そうだな。隣の奴が領域に取り込まれてからは、領域も硬くなったしな」
 「ま、幸せそうだからいいんだけどよ」



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