【 出たくないけど入りたくない場所 】
◆/7C0zzoEsE




730 名前:出たくないけど入りたくない場所(1/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:55:24.32 ID:w3xGonPJ0
 高い金を払ってまで、一体何のために塾に行くのだろうか。
過半数の人は答えるだろう、勉学を補うため、と。
 しかし、それでは本質を見抜けていない。
携帯は電話をかけるためだけのものだろうか、パソコンはただの計算機だろうか。
 否、それは愚か者の解釈である。
 それ故、僕は塾に通う理由を問われた時、はっきりとこう応える。
 出会いを求めに、と。さらに勉強にもなる、と思えば一石二鳥。

 学校で、好きな人ができない。これは由々しき事態である。
中学生に出会いの機会が少ないのは周知。
無論、合同コンパだなんて甘美な香りがするものがあるわけもない。
 塾は、そんな僕達の最後の砦。
受験の時期が近づくにつれて、新参者の登場も珍しくない。
同じ屋根の下で、苦労を共にし難問を解き明かして、恋に落ちない理由が無い。
 夜遅くまで勉学に励む。ふりをして、今日も斜め前の席の娘に見とれていた。
小学校の頃に、彼女をこの塾で見つけてから、ずっと魔法が解けない。
 小柄で、育ちが良さそうな容姿。毎回の宿題を忘れない謙虚さに、常に成績が上位の頭脳明晰。
髪が、肩までのセミロングで整っている。ただ少し無愛想といえばそうだ。
 しかし、こんな思い出がある。
大分、前に随分と女の子女の子した可愛らしい服を着てきて、
似合っていると思っているの? と皮肉たっぷりに、言うつもりだった。言ったつもりだった。

731 名前:出たくないけど入りたくない場所(2/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:55:45.45 ID:w3xGonPJ0
 分かっている。そんなことを言っても疎ましがられるだけ。
でも分かってほしい。好きな子には、意地悪したくなるのが男の悲しい性。
 その時、彼女は良く聞き取れなかったのだろう。僕が、
「その服、似あっている」
と言った風に解釈したらしく。顔をほころばせて、本当に嬉しそうに、
「ありがと」
と、微笑みかけてくれた。
 気絶しそうになった。
 彼女は、その気高さから親愛なる意味を込めて、皆からお嬢様と呼ばれていた。

 僕の視線を感じてだろうか、首元を少しかく。
その一挙一動を見て、良く分からない幸福感を感じる。
ストーカーの気持ちが分かるようで、すごく自分が嫌になる。
 新しい出会いがあることは喜ばしい。
ただそれは、今の僕にはそんなに意味は無いかもしれない。
 色々、思ってみたが、結局は彼女に会いに塾に通っている。それだけのことか。

「起立! 礼! ありがとうございました」

 今日もろくに板書もできないまま、終わってしまった。
僕は、そそくさと帰る準備をする。
 彼女も、友達と仲良く会話をしている。一緒に帰るのだろうか。
いや、確か2時間後の講義にもでるから、それまで自習しているのか。
 トン、トン、トンとリズム良く階段を降りる、僕。
玄関口まで来たところで、ふと思い出す。
「そうだ……」
 今日は学校で分からないところがあったから、それを質問しようと思っていたんだった。
受付の女性に尋ねる。
「田中先生、何処におられます?」
「ええ……と確かまだ授業中かも……分からないわ。探してみて」

732 名前:出たくないけど入りたくない場所(3/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:56:35.26 ID:w3xGonPJ0
 引き戸式の扉というのは、珍しいのだろうか。他の塾には通ったことが無いので分からない。
ただ、取っ手の上。ガラスの部分から、扉が閉まっていても部屋の中が少し見えるようになっている。
 302号室のそこから、光が漏れているような気がした。三階まで上がった瞬間に気がついた。
 それは、幻想。しかし必然に、起こったものである。
 中では、例えるなら天使。それが、教科書の例文と悪戦苦闘。
 もう少し、近くで見たい。そばにいたい。触りたい。死ぬときも見ていたい。
友人と一緒にいるなら、僕が入れば恐らく怪しまれる。そんなことは構わない。
 僕は、重たい扉を力いっぱい引いた。
「桂木さん? ここで何やっているの?」
 僕は、白々しい嘘をつく。自習していることなど、百も承知。
 彼女は、ビクッ、と小動物のように。そして、ゆらりと僕の方を向いた。
「あ……。西川君……?」
「いや、田中先生探しててさ。どこにいるか知らない?」
 彼女は、知らない、と言って何故か顔を伏せた。良く分からない態度。
しかし、そんなことでへこたれる僕じゃない。
「ええと……そうだ! 桂木さん、ここの部分教分かる? 教えてくれない?」
 相手も、自習していることを考えてもいない。その場の思いつき。
彼女は、腕に巻きつけている時計を見た。
 そして一言。
「いいよ」 

733 名前:出たくないけど入りたくない場所(4/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:56:58.15 ID:w3xGonPJ0
 彼女の説明は、どの教師よりも分かりやすい説明だったと思う。
ただ、華のような香りだとか、麗しい瞳だとかが邪魔をして、全く頭に入ってこない。
「わかった?」
「うん、うん。本当に桂木さんは、頭良いね」
 やっぱりだ。彼女は褒められると、嬉しそうに顔を赤らめる。
 ただ、僕がこの部屋にいる意味がもう無い。嫌だ、ここから出たくない。
僕は、当たり障りの無い会話を交わす。時折、小粋なジョークも挟んで。
 彼女は、それに笑ったり、しかめたり、陽気になったり、俯いたり。
感情を、はっきりと外見に表しているのに、僕をうとましく思っているかは分からなかった。
 何分か何十分か会話しただろうけど、相対性理論によって瞬く間に過ぎたように思う。
彼女がまた時間を気にし始めたので、出てって、と言われる前に自主的に出よう。
「またね」
 そういって、手を振った。彼女はまた微笑んで手を振り替えしてくれた。
 僕は、子供の頃に自分だけの秘密基地を見つけた時の様な感動を覚えて家路につく。

 それから、一週間に一日は最高の思いを過ごせるようになった。
どれだけ、邪魔だったとしても、僕の足は302号室へと自然に向かう。
 彼女は、というとやっぱり毎回微笑んでくれるからやめられない。
もしかして、僕に気があるかもなんて、そんな馬鹿みたいなことも考えていた。
 何回、彼女の下へ通った時だろうか、また別れ際になって微笑んでくれると思っていたが、
急にこんな事を言い出した。
「お願い。今度は私をこの部屋から出して。連れ出して」
「……え?」
 意味は理解し難かった。だけど、その言葉が僕には、
「助けて」
と確かに聞こえた。

734 名前:出たくないけど入りたくない場所(5/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:57:19.19 ID:w3xGonPJ0
 あれは彼女なりの、アピールだったんじゃないだろうか、
そして僕は今日こそ彼女に告白しようと、302号室の前に立っている。
 この向こうで、彼女が僕を待っている。そう思うと心臓が高鳴る。
深呼吸。そして、いざ!

ピロリロリ―ンピロリロリ―ン

 気の抜ける携帯の着信音。
しかしその内容は、相反するものだった。

「母が、倒れた」
 
 僕は、後ろ髪をひかれる思いで、その場から去った。
 駐輪場まで走って着くと、今度は車体が軋むほど、チェーンが外れるかというほどの速さで風を切る。
 病室に着いたときは、息切れをしていた。
 父が立っていて、
「心配するな。過労だ」
と言ったので、母の顔を覗き込む。
 安らかだったので、一安心した。
「じゃあ……もう……問題…ないんだよね?」
「ああ、無理矢理読呼んでしまったようで、すまないな。帰れとは言わないが……」
 座るか、と椅子をだしてくれたが、のんびりと座るわけにいかない。
本当は、母を看取っていたかった。だけど僕は約束を破れない。
「ごめん! 父さん! 俺、大切な用事、抜け出してきたから!」
 父は、そうか、と少し驚いたような顔をしたが、お構いなしにまた塾に向かった。
 行きよりも速く走ったつもりだったが、いかんせん体力が尽きている。
 息も荒く、塾に入ったときは、教師陣にも何事かと心配された。
階段を駆け上がる。まだ、さっきから1時間45分経っている。
まだ大丈夫、まだ大丈夫! 僕は、302号室を乱暴に開けた。
 あの時とは、比べ物にならないほど軽かったのは、天使がいなかったせいだろうか。

735 名前:出たくないけど入りたくない場所(6/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:57:51.99 ID:w3xGonPJ0
 何としても謝らなければと強く心に誓っていた。
きっと、彼女は傷ついた。どうしてだか分からないが、無償に謝罪したかった。
 しかし、この切実な思いも叶わない。次の週塾に向かうと、今日は休みだと言われた。
どうして? と尋ねても、誰も教えてくれない。
 そんな時、同じ学年の女子の内緒話が少し聞こえてきた。

「……田中先生が?」
「嘘? 嫌あ、気持ち悪い。あのロリコン教師」
「怖いね……どこでだって」
「301号室だって……」

 なんとなく、事情が把握できるような気がした。
しかし、俺の頭がそれを受け付けない。そのままずっと待ったが彼女は塾に来ない。
 ぼうっとしながら、家について布団を被っていた。
 数日後の新聞、
「塾生徒に、田中容疑者が暴行」
という見出しを見た時は、トイレに篭って、吐いた。
 被害生徒や、時間を見た時に今回見つかった相手が、彼女じゃないのは把握した。
だけど、だけど……。

736 名前:出たくないけど入りたくない場所(7/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:58:10.86 ID:w3xGonPJ0
「おい! 見ろよこの部屋だぜ!」
 常識のない奴らが、あの部屋に行っている。
 あれから、当分塾へは通えなかった。謝罪等の問題で、色々と時間がかかったらしい。
当たり前といえば、そうだが、生徒数は確実に減っているようだった。
 そして、彼女の笑顔も見れなくなった。
 あの時、母の様子を聞いて、行かないべきだったのだろうか。
何としてでも、彼女をあそこから救い出すことが先決だったのだろうか。
 悔やめば悔やむほど、後悔が湧いて出てくる。
その後悔自体意味が無いものだと分かっている。
 彼女の学校まで行って謝ることもできない。一体どの面さげて会えるというのか。
 だから僕は、もう塾に勉学を補うためにしか来れない。
人も好きになれそうにないというのは、幻想だろうか。

737 名前:出たくないけど入りたくない場所(8/8) ◆/7C0zzoEsE :2006/12/03(日) 07:58:43.59 ID:w3xGonPJ0
 302号室に向かう馬鹿達を止めることもできない。
秘密基地が大人によって壊されていく。そんな気持ちだった。

 だけど、あの場所を僕は拒んでいて、あの場所も僕を拒んでいる。
あそこに行く事はもうできない。立ち入ることを許されない。
 
 あんなに、出たくなかった場所なのに、
こんなに入りたくない場所だっただろうか。
  
                     (了)



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