【 さよなら立入禁止都市 】
◆7CpdS9YYiY




576 名前:さよなら立入禁止都市(1/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:03:58.64 ID:6AYcc1990
 三週間前、僕らの街は立入禁止都市へと変貌した。
 それを為したのは、たった一人の少女だった。
 彼女の名は閉塞女王。夜の闇を歩き、黄と黒の遮断帯を供に引き連れる謎多き怪人。
 彼女は『立入禁止』を司る力を持った王者だった。
 街中に張り巡らされた、彼女の眷属たる『KEEP OUT』のベルトは日に日に数を増してゆき、
彼女の支配する立入禁止領域は容赦なく拡大していった。
 幼い頃の宝物を隠した秘密基地も、駅まで続く心臓破りの坂も、友達とたむろしたコンビニ前も、
すべては立入禁止都市の領土と成り果て、二度と立ち返れない、凍れる領域となってしまった。
 彼女の振るう超常的な力は僕らの理解を越えていて、ために僕らは為す術もなく、
子の街のあらゆる場所から締め出されていった。そうした一切の出来事が示す帰結点は明白だった。
 すなわち、閉塞に殉ずるしか僕らに道は無く、開かれた世界こそが立入禁止──
それが立入禁止都市の真の意味である、と。
 そんな頑なな閉塞女王に逃げ道すらも閉ざされて、僕らの世界は狭まって、そして滅んでいくはずった。

 立入禁止都市に初雪が降ったその日、立入禁止領域の氾濫のために休校となった僕らの学校で、
僕は、休校それ以前から学校を休んでいたクラスメイトと再会した。
「久しぶりだね。ちょうど三週間ぶり、なのかな」
 他に誰もいない教室、僕の机に腰掛けて、彼女は戸惑うように笑っていた。
 僕は廊下から挨拶を返す。教室には入れない。その入り口が、黄色の帯で厳重に封鎖されているからだ。

577 名前:さよなら立入禁止都市(2/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:04:37.81 ID:6AYcc1990
「……久しぶり。でも、君、そこは――」
 立入禁止領域なんだぜ、と言いかけた僕の言葉を、彼女は引き取る。
「うん、私は特別。だって、私が閉塞女王だから。でも、キミは何しに来たの?
今、休校、なんだよね。よく知らないけど。……私、浮いてたから」
 確かに家には休校の旨を告げる連絡網が回ってきたし、「浮いてる」彼女をそのネットワークから恣意的に外した、
という話も耳にしていたが、それらの事実関係を彼女に告げることはしなかった。
 代わりに、肩をすくめて彼女の元々の質問に答える。
「あー、その、ぶらぶら散歩してたら、つい習慣で来ちゃったんだ」
「ふふ、変なの」
 そしてまた笑う。どこか陰のある笑い方だった。
「私はね、教室にお別れを言いに来たの。この街を出ようと思って」
「え、なんで」
 無意識的に伸ばした手はベルトの向こう側へ、そして僕は身も裂けるような痛みに襲われる。立入禁止立入禁止立入禁止。
 慌てて手を廊下側に引き抜くまで、その激痛は絶え間なく僕の神経を苛んでいた。
 これが閉塞女王の支配する立入禁止領域だ。あらゆる異物を排除する、心ない空間。
 こんなにも苦痛に満ちた世界の中で、彼女は静かにたたずんでいる。
ああ、やはり彼女は閉塞女王なんだ、と僕は今更ながら実感した。
 そんな僕を、彼女は唇を噛んで見つめている。もう笑顔はない。
「なんでって、分かるでしょう? 私がこの街を滅亡に追い込んでいる張本人だから、よ?」
「……もしそうなら、立入禁止都市が真に完成するときまで、
この小さな街が終わるそのときまで、ここで見届ければいいじゃなか」
 我ながら空恐ろしいことを言っていると思う。
だがそれでも、僕は彼女と話をしなければならないような、そんな気がしていた。

578 名前:さよなら立入禁止都市(3/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:05:32.49 ID:6AYcc1990
 彼女はするりと机から降り、隣の机に置かれた学生鞄を掴む。
「そうね……そういう選択も、あるかもね」
 言いながら、こつこつと靴を響かせながら、教室を横切り窓辺へと近づく。
「私ね……私、この世界が嫌いだった。怖かった。
 息苦しくて、冷え冷えとしてて、こっそり泣く場所もなくて。
 でも私はなにも出来なくて、愛想笑いの下で怯えてばかりで、そんな自分が大嫌いで。
 世界を変えたかった。自分を変えたかった。
 でも、でもね、どっちも出来なかったの。私、臆病だから」
 彼女は窓枠に手を掛け、そっと横にずらす。軋むサッシが苦しげにか細い金切り声を上げた。
「閉塞女王はね、そんな私の歪みが生み出した、もう一人の『私』なの。
 自分が閉じこもることより、世界を閉じ込めることを選んだ、わがままなお姫様。
 見て、窓の外を。これが閉塞女王の望む世界なの。そして、私が望む永遠の理想郷でもある」
 窓の外ではごう、と風が吹くが、窓が開いているにも関わらず、教室の中は耳が痛むほどの静けさを保っていた。
「ねえ、慣れ親しんだ街が立入禁止都市になったとき、どう思った?
 辛かった? 苦しかった? 悲しかった? でもそれ、今までずうっと私が感じていたことなの。
 この世界は私に冷たすぎたの。私の居場所はどこにもなかったの。
 閉塞女王が私の中に目覚めて、この街が立入禁止領域に覆われて、やっと、やっと私は自由になれた。
 私を苦しめていた世界と、初めて対等になれたの」
 僕は学校の外に広がる風景に目をやった。
 それは、異様な殺風景だった。
 街の光は消えうせ、外を歩くものは絶えて、生きているでも死んでいるでもない、空き箱のような静謐さに満ちていた。
しんしんと降る雪は、その作り物のごとき街にアイシングのように薄く積もっていた。
 これが閉塞女王の世界なのだろうか。彼女にとっての本当の理想郷なのか。

579 名前:さよなら立入禁止都市(4/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:06:22.29 ID:6AYcc1990
 彼女へと視線を戻す。先ほどのいかにも勝ち誇った内容の言葉とは裏腹に、
彼女は──とても辛そうな顔をしていた。目に見えぬ痛みに苦しんでいるようでもあった。
 それはそう、まるで、立入禁止領域の中に在るように。
「やっぱり、最後まで見ていったほうがいんじゃないのか。世間に復讐するなら、僕たちに仕返しをしたいなら──」
「し、仕返しとかじゃない! キミに対してそんなこと出来る訳ない!」
 言ってから、彼女はしまったという風に口元を覆った。
「……私は街を出るって決めたの。だから、もう私のことは放っておいて」
 口元の腕がだらりと落ちて、彼女は力なく俯いた。その横顔は見えない。
今にも崩れ落ちてしまいそうな身体は、窓枠に支えられていた。
 息の詰まる沈黙を経て、彼女は搾り出すように先を続ける。
 彼女の言っていることは突飛過ぎたが……それでも僕は理解していた。
 彼女のその身を削る言葉こそが、告白であり、懺悔であり、街を出る理由そのものなのだと。
「……閉塞女王は、暴走しているの。私にも、誰にもきっと抑えられない。
取り返しのつかないところまで、もう来てるの。なんとかしなきゃいけないの」
 彼女の身体がかすかに揺れる。肩の先が、窓の外側へ出た。
「立入禁止領域は常に私と共にあるわ。私が街を出れば、立入禁止都市は解放される。
 もうここには戻らない。『彷徨えるユダヤ人』みたいに、永遠の旅人になる、そう決めたの」
「決めたって……それで、その後はどうなるんだ? 
 君の立入禁止都市は、君を苦しめる世界は、なにも変らないだろう?
 君はこれっぽちも救われてないじゃないか!」
「いいのよ、そんなの。居心地のいい世界が本当の幸せじゃないって、分かったから。
 だから私、行くわ。外の世界へ。閉塞女王と、ふた……あ、一人か──で」
 少しずつ、だが確実に、彼女は窓の外へと身を乗り出している。

580 名前:さよなら立入禁止都市(5/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:07:19.47 ID:6AYcc1990
「ダメだ!」
 訳も分からないまま、僕は教室の中へ足を踏み入れる。立入禁止立入禁止立入禁止立入禁止。
 三メートルも行かないうちに、走る痛みが膝をつかせる。背中を走る悪寒をこらえながら、それでも僕は腕を前に差し出す。
 僕は今なにを掴もうとしているんだろう?
「行ったら……ダメだ」
「やめて! この教室は立入禁止領域なの、知ってるでしょう!? 入ったらダメよ!
 ……お願い、もう私の心に入ってこないで! 私を一人にして!」
 それに答える言葉が、引き止める言葉があるはずだった。だけど、息苦しくて声にならない。
 喉にまとわりつく淀んだ空気。光すら拒絶する立入禁止、昏い校舎。
 霞む視界の中で、彼女が、戸惑うように、そっと手を差し伸べたように思えた。
 だがそれも、焦点を合わせた頃には幻のように掻き消え、
その代わりに、もはやほとんど外へ身を乗り出した彼女の姿がそこに飛び込んでくる。
「最後にキミと会えた偶然、大事な思い出にするから。
 ……学校にいるときは、くだらない劣等感や閉塞感で悩んでばかりだったけど、
 でもね、キミといるときだけはそういうの、忘れること、できたんだ。……だから」
 彼女は泣いていた。それでもぎこちなく微笑みを浮かべ、
「ごめんね、さよなら」
 彼女は窓から飛び降りた。教室は三階。
「待って!」
 僕は反射的に駆け出した。黄帯が足元に絡む、冷えた空気が肌に刺さる、骨まで染み入る激痛、
立入禁止立入禁止立入禁止立入禁止立入禁止立入禁止―― 知ったことか!
 椅子や机を押しのけて走り、なにも考えずに窓枠を飛び越える。
 窓から地表までの数メートル、僕は彼女の姿を見た。夕日を正面より受けつつ校門へ向かう彼女、
その細長く伸びた影法師からは幾束もの帯が生えていた。

581 名前:さよなら立入禁止都市(6/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:07:53.71 ID:6AYcc1990
 着地の衝撃でバランスを崩した僕に、彼女から伸びた遮断帯が絡み付く。たちまちに動きを封じられた。
 ぎりぎりと締め上げられるが、苦しくなんかない。思い切り肺呼吸して、彼女へ向かって叫ぶ。
「偶然なんかじゃない。君が学校に来なくなって、閉塞女王が街に現れた日から、僕はずっと、君を探していた!」
 僕の声など聞かぬげに、彼女は歩いてゆく。その背中に、僕はもう一度叫ぶ。
「謝らなきゃいけないのは僕だ!
 僕は君が好きだ! 新学期、隣に座る君を初めて見たときから!  なのに僕は、それを伝えようとはしなかった!
 怖かったんだ、思いを伝えることが、君に嫌われることが!  君の心に立ち入ることを恐れていたんだ!
 たったそれだけの理由で……僕は君の苦しみに、君の孤独に気づこうともしなかった!」
 彼女の肩が、ぴくりと揺れた気がした。


 通学路に先回りして、君を待ち伏せるのが僕の毎朝の日課だった。
 偶然を装って、いつも君の側に居ようとしていた。僕はそれだけで幸せだった。でも。
 君がいつも独りぼっちだったのを僕は知っていた。人間嫌いなくせに寂しがり屋だってことも。
 それなのに、僕は君の殻を破ろうとはしなかった。君に潜む閉塞から目を逸らしていた。
 望めば手の届く場所で、君は辛抱強く待っていてくれたのに。
 今になって思う。偶然なんかに頼らないで、もっと自然に声を掛ければ良かったと。

582 名前:さよなら立入禁止都市(7/7) ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/12/02(土) 21:09:19.00 ID:6AYcc1990
 群がる遮断帯を引きちぎり、刺だらけの世界をくぐり抜け、彼女の背中を追う。
 今なら分かる、きっと分かる。彼女だけが閉塞女王である理由なんてどこにもなくて、
彼女が閉塞女王になってしまったのは、ただの偶然なんだと。
 この世の誰しもが閉塞女王になる可能性を秘めていて、そのささやかな偶然のために、
彼女は、たった一人で世界の残酷さに立ち向かおうとしているのだと。
 ならば、僕は彼女の背中を追い続ける。僕の心に巣食う閉塞女王を打ち破るために。
 彼女の背中まで三メートル、僕は、目に見えない力で地面に叩きつけられた。絶対立入禁止。
 彼女は校門を越えた。行ってしまった、外の世界へ。
 僕の手は彼女に届かない。……今は、まだ。
「世界中、どこにいても君を探し出すよ! だから、僕が君の名を呼ぶときは、少しだけでいい、立ち止まってくれ!
 僕は何度でも閉塞女王に挑み続ける、必ず君の立入禁止都市を解放してみせる!
 だから、いつか、いつか一緒に……一緒に……!」
 この声は届いているだろうか。
「――――!」
 彼女の名を呼ぶと、彼女はちょっとだけ振り返り、涙の痕の残る、はにかんだ横顔を見せた。
 そしてまっすぐ前を向き、彼女は二度と振り返らずに街から出ていった。その背筋はしゃんと伸びていた。

 今なお振り続ける雪ともに、僕は彼女の旅立ちを見送る。
 そして、こっそり呟いた。

「──いつか一緒に学校へ行こう」



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