【 立ち入り禁止のその先へ 】
◆S9GHc.38jU




560 名前:立ち入り禁止のその先へ1/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:25:26.69 ID:Pu24c0970
 ここはどこで、自分が誰なのか。
 そんなことを考えたら、知らない自分にでもなれるだろうか。なんだか可笑しい。
 ここは学校で、自分は学生。名前は葉木山直人――それくらいしか自分を表せる何かを思

いつかないっていうのも、なんだか物寂しい。
 そして授業中。担任の佐和先生が教える数学。僕は彼女と視線を合わせないようにして、

いつものように目を閉じる。
 落ちていく感覚が僕を襲う。優しいまどろみが僕を包む。
 授業中の居眠りは、どうしてかくも最高なのだろうか。
 決して睡眠時間が足りないわけでも無いのに、つい、こうして机に突っ伏してしまう。
 楽な体勢ではない。だけど、何にも代え難い至福の瞬間がそこにある。
 咎められる行為ではあるのだが、しかしそれを咎める者が居ないと言うのも問題だろう。
 佐和葵。彼女の授業がつまらないとは思わない。的確で、明瞭だ。
 それ故に、手を抜いても差し支えが無い。
 後で真面目に授業を受けている灯里あたりにでもノートを見せてもらえば、欠点も回避できる。
 それにしたって、いくらなんでも、灯里以外全員寝てるこの状況は無いだろう。
 圧巻というか、逆に見事だ。
「あの、先生」
「えっと、なあに? 笠原さん」
 手を上げた灯里を振り向いて、佐和先生が問うた。
「……いえ、なんでもないです」
 灯里の気持ちが分からないでも無い。灯里は自分の勉強の邪魔にさえならなければ良いのだ。
「そう……じゃあ、続けるわね」
 問題は、先生の方である。なんとなく、寂しそうな目をしていた。気のせいでは、きっとない。
 良い気分はしないだろう。そりゃ。
「直人、「寝た振りなんかして、趣味が悪い」
「ほっとけ」
 これだけの集団睡眠だ、起きている方がおかしい。だから、余計なことは考えないことにする。

561 名前:立ち入り禁止のその先へ1/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:26:41.99 ID:Pu24c0970
 その日の放課後、僕は佐和先生に用事があった。
『進路希望表』。第三希望まで書いて、提出しなければならないもの。
 提出日の締め切りは一週間ほど前で、僕だけが遅れていた。
「失礼しまーす」
 間延びした声で職員室の扉を開ける。
 試験期間中の為、中には入れない。
 外からざっと見回してみるが、佐和先生の姿は見受けられなかった。
 居ない。呼び出しておいて、居ない。
「佐和先生ー?」
 僕が誰にともなく言うと、視線が集まる。
 これはあれだ、問題児を見る目つき。もう慣れたけど、良い気はしない。
「なんだ、葉木山。お前、また何かやったのか?」
「あ、山内さん。ねえ、佐和先生は?」
 丁度近くに居たのは、古典の山内先生だ。隣のクラスの担任。冬でも半袖着て、体育会系をアピールするような悪趣味の人。
 僕は山内の言葉を無視して、自分の用件だけを告げる。
「佐和先生なら、まだ戻ってないぞ」
「そ、ありがと」
 僕はそう言ってその場を離れる。
 正直、山内という男を好きにはなれない。
 人間としてどうなのか、という観点でなら十分評価に値する。
 教師としても、そうだ。
 でもそれだけ。何の魅力も感じない。
 他のどの教師、どの大人を見たって同じだ。
 正直なところ、進路なんて考えたくない。ずっと子供のままで居たい、なんて考えている。
 格好悪い大人になんか、なりたくない。

562 名前:立ち入り禁止のその先へ3/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:27:38.75 ID:Pu24c0970

 ……………………。
 ………………。
 僕はしばらく待っていたのだけれど、果たして佐和先生は来なかった。
 僕は職員室の壁にもたれて、考えてみる。
 佐和先生が教室を出たのは見ていた。僕は帰り支度をしてから、その後を追った。
 彼女はここにまだ来ていない、と考えるのが妥当だろうか。
 どこか寄り道をしているのかも知れない。
 だとすれば尚更、待っているのがいいだろう。
 そう思って待ったのに、これだ。日ももう沈んでしまってる。
 もしかしたら帰ったのだろうか、と思って下駄箱を覗きに行ったのだが、佐和先生の外履き用の靴は置いてあった。
 まさかスリッパのまま帰ったのだろうか。有り得なくも無い。
 …………僕も、帰ろうか。
 さっきから、職員室を出て行く教師たちの視線が痛かったところだし、もう流石に待てない。
 試験期間中、僕をそこまで暇だと思われても困る。
 僕は床に降ろしていた鞄を背負うと、昇降口へと向かった。
 生徒たちの姿も、教師たちの姿も、そこにはもう疎らにもいなかった。
 やっぱり、もう帰ったんだろう。
 僕は自分の靴を下駄箱から取り出し、履こうとする。
 違和感があった。
 普段は感じないような、気配。柔らかいけれど、異質なそれは僕の動きを止めるには十分だ。
「誰、だ……?」
 ゆっくりと振り向く。
 後ろに居る、という保証は無かった。けれど、後ろ。

563 名前:立ち入り禁止のその先へ4/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:28:54.55 ID:Pu24c0970
「佐和先生……?」
 半分座っている僕、そのずっと後ろでにこやかに立っているのは、僕が待っていた佐和先生だった。
「先生……?」
 僕が何を言っても表情を変えない。少し不気味な雰囲気だ。
 佐和先生と対峙して、こんな思いを抱いたことなんて今まで一度も無かった。
「葉木山、くん。用事がある、って、言ったじゃない……?」
 言葉が放たれた。それが僕に届いたのは知っている。
 だけど、それを理解するのに少し時間がかかった。
「待って、たんですけど。先生こそ、どこに?」
 なんとか平静を装うとする。そうやって隠さなければならない程に、動揺していた。
 ――動揺? 違う。これは、恐怖だ。
「どこに、か……。興味、ある?」
「先生、何か変だよ」
 誘いに乗ってはいけない。警鐘が脳内に鳴り響く。
 先生が近づいてくる。僕は動けない。縮まる距離感。
 怖い。怖い怖い怖い。
「怯えているの、ね。何も怖がることなんて無いのよ……」
 説得力が無い。
「あんた、誰だ、よ」
 辛うじて言えた。彼女が近づくごとに、空気が圧迫されるようで息が詰まりそうだった。
「私……? さあ、誰、かしら。『知っている人』だと、良いわね」
「冗談は――」
「あら、まだ分からないのね」
 僕の言葉を遮って言う。
 佐和先生は僕の目の前に居た。目と鼻の先。そして僕の顎に手をかけた。
 冷たい。その手に、顔を上げさせられる。

「私はあなたを殺そうとしているのよ」

564 名前:立ち入り禁止のその先へ5/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:30:04.93 ID:Pu24c0970
 表情は変わらない。抑揚の無い物言い。
 どう考えても冗談なこの状況なのに、彼女の目は本気だ。
 ――僕を、殺す。
 その言葉に嘘は無い、のかも知れない。
 確証は無かったけれど、可能性なら考えられた。
 彼女は佐和葵では無いのかも知れないという、可能性。
「殺、す……って、うわぁ!」
 銀色に光った何かが目の前を掠めた。咄嗟に後ろに飛びのいてそれをかわす。
 顎に手をかけれられていたから少しバランスを崩して、横ばいに倒れこんでしまう。
 横腹を打った。痛い、が僕は視線を戻す。
「避けた、かぁ……」
 酷く残念そうに、銀色に光る――ナイフを僕に突きつける。
 突きつけたナイフの穂先から、赤い雫が垂れた。
 頬が熱い。
 そっと触れてみると、切れていた。避けきれなかったのだろう。
 つまりは、本物だ。
「先、生、そんな物騒なもん、早くしまってよ」
 彼女はもう佐和先生ではない。
 だけど僕は虚勢を張る。
「ごめんね、葉木山くん。先生、もう、戻れないの」
「戻れない?」
「私ね、来てはいけないところに来ちゃったの。行ってはいけないところに行っちゃったの。進んではいけないところまで、進んじゃったの。だからね、もう戻れないの」
「何言ってんのか、さっぱり分かんないって!」
 ――来てはいけないところ?
 ――行ってはいけないところ?
 ――進んではいけないところ?
 どこだよ、それ!

566 名前:立ち入り禁止のその先へ6/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:31:35.84 ID:Pu24c0970
「とにかくさ、一回落ち着いてよ!」
「ごめんね、葉木山くん、ごめんね」
 どうして謝られてるのかも分からない。
 とにかく、振られたナイフを避けて、逃げ惑うことしか出来ない。 
 普段の佐和先生からは考えられないようなナイフ捌き、瞬発力。
 何の武道の経験も無い俺にはとても敵いそうになかった。
 校舎の中を走り回る。生徒も教師も、誰一人としていない。
 照明も落ちて、窓から差す月明かりだけが唯一の光源。
 足元すら満足に視認できない状況なのに、佐和先生は的確に僕を襲う。
「行き止まり……っ!?」
 追い詰められた鼠、というやつなのかも知れない。
 まんまと僕は、逃げ場の無いところにへと追いやられてしまった。
 それにしても、ここはどこだろうか。
 闇雲に走ったからか、暗いからか、僕にはその場所がどこなのかわからなかった。
『第三特別室』と書かれたプレートが見える。
 僕はその教室の前に居る。
 ――第三特別室、だって?
 そこはいわゆる、開かずの扉だ。
 昔、ここの鍵が無くなったとかで、開けることが出来なくなったという。
 授業でも使わなくなったから、学校側も放置しているという話だ。
 どう、しようか。

567 名前:立ち入り禁止のその先へ7/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:32:17.60 ID:Pu24c0970
どうにも出来そうに無い。
 背後には開かずの教室、正面に佐和先生の影が見えた。
 近づいてくる。
 逃げる場所は――。
 後ろを見やると、開かずの扉に数センチの隙間があった。
 開いているはずが無い、というのはどうやら思い込みだったらしい。
 ゆっくりと、だけどしっかりと僕はその扉に手をかけて、横に開いた。
「残念、でした」
 開けて、廊下と変わらない暗闇が広がったその中へと僕は、引き込まれる。
「授業中だけじゃなく、ずっと、眠っていなさいね……」
 ――来てはいけないところ。
 ――行ってはいけないところ。
 ――進んではいけないところ。
 ――知ってはいけないところ。
 開けてはいけない扉を開けてしまったのは、僕だ。
 ――僕は夢の世界へと、落ちていく……。


568 名前:立ち入り禁止のその先へ8/9 ◆S9GHc.38jU 投稿日:2006/12/02(土) 20:33:07.55 ID:Pu24c0970
「起きなさいよ、馬鹿」
 声が、した。聴き慣れた声。でも、どこか懐かしい。
「ホームルーム、終わったよ」
「え?」
 僕は顔を上げた。ごちん、と鈍い音がして、頭に激痛が走る。
「いってえええ――」
「のはこっちよ! 人がせっかく起こしてあげたのに、この扱いなの!?」
 僕の下方で額を押さえていたのは、灯里だった。
 ちなみに、僕は後頭部が痛い。どうやらぶつけたようだが、僕の方がダメージは少ないようだ。頑丈な頭に心から感謝。
「あー、なんだ。ありがとう。ごめんなさい」
「一緒くたにして謝られたって、誠意を感じないわ」
 込めてないのだからそんなものが感じられる筈も無いのだが、そうは言わない。ますます怒らさせてしまうだけだ。
「すまん、感謝してるんだ。これでも」
「……やけに素直ね。なんか、肩透かし食らっちゃった」
「そいつは良かった。……あ、そういや山内先生に用事があったんだっけ」
 昨日出せなかった進路指導のプリント。あれを提出しなければならないのだ。
「あ、そうだ」
「どうしたのよ」
「灯里さ、後でちょっと話したいことがあるんだ。ちょっと時間かかるかもだけど、待っててくんない?」
「ん、良いけど」
「ありがと。そんじゃ、『第三特別室』の前で待ってて」
 灯里は少し怪訝な顔をしていたけれど、特に反論も無く先に行った。
 そして誰も居なくなった教室。僕はポケットに手を入れる。
 ナイフ。
 僕は灯里を殺さなければならない。
 そんなことを平然と思える僕は、もう僕じゃない。
                                          了



BACK−鶴の勘違い ◆4LIvr4mdzE  |  INDEXへ  |  NEXT−さよなら立入禁止都市 ◆7CpdS9YYiY