【 鶴の勘違い 】
◆4LIvr4mdzE




537 名前:鶴の勘違い1/3 ◆4LIvr4mdzE 投稿日:2006/12/02(土) 18:38:23.82 ID:UY0clVOz0
 目が覚めると彼女の家だった。ソファから身を起こし、辺りを見回す。
 昨日から泊まっているはず彼女の家。しかし、どこか違和感があった。
 白を基調とした部屋。
 ガラスのテーブルの上にはバスケットに乗ったみかんとテレビのチャンネルが置いてある。
 グレーのテレビ、真っ白なカーテン、食器棚、キッチン。
 突然、ベッドルームへと続く白い扉が小さな音と共に開いた。
 そこに立っていたのは彼女ではなく、別の女。
「目が覚めた?」
 嬉しそうな表情で笑う女。歳は僕と同じくらいだろうか。
 大きな瞳に、セミロングの黒髪。フリルの付いたワンピースを着ていた。
「誰? って思ってるでしょう」
 僕は頷く。
「私は、天満美香。あなたは?」
「僕は……吉村幸樹」
 声を出すと、ひどく喉が渇いていることに気づく。からからだ。
「そう。もう動いて大丈夫なの?」
 何を言っているのかよくわからない。そもそも僕が何故他人の部屋にいる?
 そんな僕の心を察してか、彼女は言った。
「あなた、道で倒れていたのよ。頭に怪我をして」
 僕は右手で頭に触れる。ガーゼが張ってあった。
「助けてくれたんですか?」
 彼女は頷いた。僕は立ち上がってお礼を言う。そして、水を一杯くれないか、と頼んだ。
「ここって、君の家?」
「そうだけど」
「彼女の家にそっくりだ。部屋の配置も、置いてあるものも」
 彼女はクスっと笑って「その子と気が会いそうね」と言い、キッチンで水を入れてきた。
 僕は渡されたグラスを見つめる。彼女の家には無い品だった。
 何故か安心して、水を飲む。とてもうまかった。
「何故道で倒れてたの?」
 彼女が聞く。僕は首を振った。昨日の夕方以降のことが、何も思い出せない。

538 名前:鶴の勘違い2/3 ◆4LIvr4mdzE 投稿日:2006/12/02(土) 18:38:57.80 ID:UY0clVOz0
 ふと時計を見た。午前十時。いつもなら大学で勉強をしている時間である。
「大学に行かなきゃ」
「まだ無理よ。その怪我じゃ」
「でも……」
「一日くらい休んでも平気よ」
 それもそうだ、と納得する。
 しかし、この人――天満さんに迷惑をかけるわけにはいかない。
「一旦家に帰って、病院に行きます。本当にありがとうございました。このお礼は必ず」
 そう言って玄関へ続く扉へ向かった。彼女の家と同じ構造なので場所は分かる。
 同じマンションなのだろうか。
 そんなことを考えていると、いきなり後ろから腕をつかまれた。
「ダメよ。その向こう側は立ち入り禁止なの」
「え?」
「立ち入り禁止よ。今日一日くらい付き合ってくれてもいいじゃない、ね?」
 彼女は上目遣いで僕を見つめる。恩人の頼みを断るわけにもいかない。僕は頷いた。
 それから昼まで雑談をした。彼女は僕のことを聞きたがり、僕はしゃべった。
 大学のこと、バイトのこと、彼女のこと、これまでの人生。
 天満さんはまだ朝だと言うのにビールを飲み、楽しそうに笑っていた。僕も釣られてよく笑った。
 そのうち天満さんは僕にもビールを進めた。飲んでからはもうずっと楽しかった。
 ここ数年で一番笑った気がする。二人でいる時間が何より大切だと思えた。酔っていたのかもしれない。
 その勢いで、僕は彼女にキスをした。彼女は嬉しそうに笑って僕にキスを仕返す。
 僕の理性はなくなっていた。付き合っている女のことは頭から消え、僕と彼女は一つになった。
 そして、夕方。天満さんは眠っていた。僕はどうしようか、と悩む。そろそろ帰りたい。
 しかし、天満さんはどう思うだろう。許してくれるだろうか。
 どうやら僕はすっかり天満さんに惚れてしまっているようだ。
 帰ったらまず、彼女と別れよう。そして、またここに戻ってくるのだ。
 そう決意して立ち上がる。
 気持ち良さそうに眠る天満さんの寝顔を一瞥して、
「すぐ戻るからね」と呟いた。
 そして、立ち入り禁止と言われた扉へ向かう。その先に玄関があるはずだ。

539 名前:鶴の勘違い3/3 ◆4LIvr4mdzE 投稿日:2006/12/02(土) 18:39:57.51 ID:UY0clVOz0
 ドアノブに手を掛ける。ゆっくりとそれを回す。
 何故か嫌な予感がした。きっと、勝手に帰るという罪悪感だろう。
 僕は首を振って、ドアをそっと押し開く。後ろの部屋の光が玄関に差し込んだ。
 やっぱり、その先には靴箱と、外へ続く扉があった。
 僕は微笑んで歩き出す。すると、何かに躓いた。何か大きな物が倒れている。
 目を凝らしてそれを見つめた。闇の中で、唯一隣の部屋から漏れる明かりを頼りに。
 やがて、ぼんやりとそれが見えてくる。
 人、だった。
 どす黒い服を着ている。いや、その黒さは床まで侵食していた。
 仰向けに倒れている人。暗闇に青白い肌が浮かび上がる。
 胸が膨らんでいるから、女の人だろう。
 顔が、不自然な方向を向いていた。体は仰向けなのに、顔はうつ伏せ。
 恐る恐るしゃがみ込み、うつ伏せになった顔を、こちらに向かせた。
 苦痛に歪んだ顔。見覚えがあった。
「入っちゃったのね」
 不意に後ろから声がして、僕は振り向く。天満さんが立っていた。逆光で表情は読めない。
「ちゃんと立ち入り禁止だって警告したのに」
「君は、一体、誰だ」
 彼女はふふ、と笑う。
「天満美香よ。分からない? 一ヶ月前に私を助けてくれたじゃない」
 一ヶ月前、不良に絡まれていた女の子を救った。まさか、それがこの女?
「それにほら、一昨日もここで会ったでしょう?」
 頭の中に何かが走った。楽しそうに笑う部屋の本当の主、僕の彼女。突然表情が固まる。
 フラッシュバック。何かが割れる音、暖かい液体。遠のく意識と天満美香の不敵な笑み。
「幸樹君と彼女の間に私は立ち入ることができなかった。せめて、夢を見たかったの」
 天満美香の声が僕の頭にこだまする。理解の範囲を超えていた。何が起こったのか。
「お前は、誰だ」
「天満美香。今日から、あなたの彼女よ」
 死体になった彼女と天満美香を交互に見つめ、僕は必死に考えた。
 だけど、しまいには全てがどうでもよくなり、僕の思考は溶けていった……。



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