【 痛悔 】
◆E4QAxg7KWA




350 名前:『痛悔』 1/3 ◆E4QAxg7KWA 投稿日:2006/11/26(日) 23:43:40.33 ID:K6EqTEWY0
 神父さま、主への祈りはどうか省かせてくださいませ。
 いいえ、いいえ、違うのです。わたくしはただ、御父に
誠実でありたいだけなのであります。『今より心を改め、
再び罪を犯して、御心に背くことあるまじ』などと言ってしまっては、
嘘になります。出鱈目です。そう、御父はいつでも、どこでも、
天下のあまねくをご覧になっておいでです。わたくしのことも、
一から十までまったくご存知でしょう。わたくしはただ、
御父に誠実でありたいだけなのであります。こうして神父さまに申し上げることが、
賤しいわたくしのただひとつの誠意なのであります。
 わたくしは、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。
はい、はい。落ちついて申し上げます。神父さま、わたくしは女を、
無辜なるたださびしいだけの神の羊を拷じ殺しました。この村の郊外に住む、
御マリアとおなじ名をもつマリアなる女でございます。ただ人と交わらず
ひっそりと暮らしてきただけの、さびしいマリアをめちゃくちゃに犯し殺してしまったのであります。
そう、そうです、西の丘に父も母もなく心細い一人暮らしをしていた、そのマリアです。
彼女をかどわかしなぶり殺しにしたのは、なにをか隠そうこのわたくしでございます。
 いいえ、名乗りますまい、名乗りますまい。どうかこの罪人の痛悔をおしまいまで
お聞き通しくださいませ。はい、はい、元よりそうするつもりでございました。
異端審問官が懺悔する姿など、見せられようはずもございません。罪人らしく、
裏口からそっと、人目を避け逃げるように消えうせましょう。そうそう、
話はわたくしの身の上ではございません。自罪を告解するためにおいとまを
頂戴したのでございます。あの可哀想なマリアのことを語りましょう。

351 名前:『痛悔』 2/3 ◆E4QAxg7KWA 投稿日:2006/11/26(日) 23:44:11.24 ID:K6EqTEWY0
 マリアは、好い女でした。わたくしが申し上げるのもはばかられますけれど、
マリアは劣情を掻き立てる気分のある女でござました。ですが決して、決して不貞な女ではございません。
わたくしはマリアのすべてを存じております。彼女は父も母もなくし、兄弟も知己もなく、
ただ御父があるのみの、落莫たるただの女でございます。妖しげな魔術を用いたことも、
サバトを行ったこともない、たったひとり孤独の修道へ入ったまじめな女でございました。
誰一人このことを知らずとも、御父と、わたくしはすべてを存じ上げております。わたくしは
すべて悟ってございました。マリアは、善い女ございます。
 けれど、彼女を焚き殺したのは他ならぬわたくしでございます。御父の御前に申し開きは致しますまい。
わたくしは、敬虔なる神の羊をおのれの勝手で屠り殺してしまったのであります。
ああ、厭な男。虫唾の走る悪い人。わたくしなど、地獄の業火へ放られればいいのだ。
 だってマリアは、なにもしていないのです。原罪のみをその細い肩に背負って、
恩寵を与りながら粛々と狭き門へと歩み続けていただけなのです。どこも、なにも、悪くない。
わたくしは知っています。調べ上げたのです。このよく知りもしない女を、罰すべきか否か、
隅から隅まで舐めるようにして調べ上げたのです。いま、マリアという女をよく知っているのは、
御父に次いではこのわたくしでしょう。
 神父さま、なぜわたくしがマリアを裁きにここへ参じたかはご存知でしょうか。
いいえ、答えずともようございます。人間など、所詮は弱い生き物です。その中で、
少しばかり富める者、少しばかり力の強い者があればひれ伏し生き延びるのは間違ったことではありません。
わたくしが答えましょう。かの屋敷の息子、セバスチャンめの告発により、わたくしは派遣されてまいりました。
しかしながら本来ならば、失礼なようですがこのような小さな集落に数少ない異端審問官が
派遣されることはまれです。そう、彼は彼の名誉のために権威を欲し、また教会は金銭を欲していたためであります。
わたくしは、御父の名においてと口にしながら、なんのために彼女をどこへ導いたのでしょう。
彼女を焼いた薪はなにによって購われたものなのでしょう。

352 名前:『痛悔』 3/3 ◆E4QAxg7KWA 投稿日:2006/11/26(日) 23:44:41.92 ID:K6EqTEWY0
 いいえ、神父さま。これは懺悔です。わたくしはただの迷える羊に相違ありません。
あなたを責めているわけでは、ないのです。あなたの聞いた言葉はきっと御父の御許へ届くことでしょう。
わたくしはあなたに話しているわけではないのです。どうぞ、あなたは明日も変わらずあなたの勤めを
全うしてください。これは、わたくしの告白なのですから。
 ああ、マリア。可哀想な修女。偽りの魔女。わたくしが手にかけた羊。わたくしは、ちょうど彼女で
十人の魔女を浄化しました。なによりも強い、火の浄化。これにより浄化されぬものはないと謳われる炎をもって、
十人もの魔女を浄化しました。魔術を用いて人を殺した女、病を流行らせた女、子供を食い殺した女、
サバトを行った女。みなすべて、聖火を燃しつけ、その清けき魂を送りました。わたくしは、
そのすべてを調べています。マリアだけではありません。すべてすべて、のらりくらりと審問を長引かせ、
真実をつまびらかにしてきたのです。
 けれど、わたくしは弱い人間です。駄目な男です。本当に、厭な奴。
 聖書も十字架も放り出す勇気のない、賤奴です。聖書のためならば、真実をかなぐり捨てることもいとわぬような男です。
御父よ、あなたは決してわたくしを御憐れみくださらないでしょう。承知しております。覚悟しております。
けれど、いかに駄目な男とて、これだけは理解しております。わたくしは、この職から逃げ出すことはできないのです。
 御父よ! あなたはなにをした! わたくしは今まで裁き、殺してきた女たちのすべてを知っているぞ。
その上で、十人、十人もの無辜なるあなたの羊を殺し続けてきたのだ。これからも殺し続けるのだ。
あなたはなにをしているのだ。この罪深いわたくしを放置し、のうのうとなにをしているのだ。
あなたを慕い敬ってきた十人の女たちを見殺しにし、なにをとぼけているのだ。御自らの威光が金であがなわれていながら、
なぜ彼らを罰しない。いったいぜんたい、なにを薄ら惚けているのだ。
 ……いいえ、神父さま、わたくしは正気でございます。正しく理解し、
申し上げております。はい、はい、左様でございます。このことは、口外不出にお願いいたします。
神父さまはなにも聞いてございませんし、わたくしはここへ参上しておりません。はい、
その通りでございます。ありがとうございます。
 ああ、もう斜陽のまぶしい時間となりました。まったくお手間を取らせてしまって申し訳ございませんでした。
わたくしはそろそろお暇させていただくことに致します。いいえ、先ほども申し上げたとおり、
主への祈りは必要ございません。わたくしは嘘をつきたくないのでございます。できることならば。
はあ、わたくしの名、でございますか。ええ、ご迷惑をおかけした謝罪といてはおこがましいかと思われますが、
せめて名乗らせていただきましょう。わたくしは異端審問官のギリュルモ。バルセロナのギリュルモでございます。

終わり



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