【 六年二組の転校生 】
◆bsoaZfzTPo




144 名前:六年二組の転校生1/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:05:46.23 ID:oscCRnAS0
 隣の席に座っている転校生は、昼休みだというのに本を読んでいる。いや、転校生が僕らの六年二
組にやって来たのは三ヶ月も前だ。いい加減、高田学と名前で呼ばないと駄目だとは思っているんだ
けど、僕にはなかなかそれができない。
 理由は単純で、この転校生――じゃない高田がとっつきにくい奴だからだ。
 今みたいに、みんなが校庭へ遊びに行っているときも、一人だけ知らん顔で本を読んでいたりする。
それで、声をかけたりするとむすっとした顔で「何?」なんて言ってくるのだ。
「光ちゃん」
 幼馴染の愛美が僕の袖を引っ張った。外に行かないの? って顔で僕を見る。わかっている、早く行
かないとドッジボールが始まってしまう。けれど、そう二組の委員長として、こんな仲間はずれみたいな
ことをずっと見過ごしておくわけにはいかない。
「愛美、ちょっと待ってて」
 すぐ隣の高田に向き直って、声をかける。
「高田」
「……何?」
 ほらこれだ。しかも返事より小説を切りの良いところまで読む方を優先させた。
「僕ら、ドッジボールしにいくけど、来る?」
 口に出してから、間違えた、と思う。誘うならドッジボールするから一緒に行こう、だ。こんな言い方で
は、来たくないなら来なくて良い、って言ってるみたいだ。
「遠慮しておくよ」
 案の定、断られた。むっとしたのが顔に出たのだろう。高田はちらりと本を見て、言った。
「続きが気になるから」
 そんなもんフォローになってない! と爆発しそうになったのを、愛美がさえぎった。
「何を読んでるの?」
 高田は指をページに挟んで、表紙を見せた。「近代文学短編集」と書いてある。
「今は夢十夜を読んでる。第三夜」
「へえ、わたしは一夜と六夜が好きかな。読み終わったら、感想聞かせてね」
 二人はなにやら通じ合っているみたいだけれど、僕にはたぶん話の題名なのだろうということしか分
からなかった。高田が分かった、なんて返事をしているのも面白くない。
「じゃあ、僕ら行くから」
 愛美の手をぐっと握って、教室から駆け出る。愛美がつんのめりながらついてきた。

145 名前:六年二組の転校生2/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:06:50.91 ID:oscCRnAS0
「光ちゃん、速い。速いって」
 慌てている愛美の声に、階段の前でペースを落とした。そうだ、廊下を走ってはいけない。手を繋い
だままだったことも一緒に思い出して、離す。愛美の顔を見て謝った。
「ごめん、つい」
 愛美は軽く眉を寄せて笑う。
「いいよ、別に。光ちゃんがやろうとしてたこと、私がやっちゃったら嫌だよね。当たり前だよ」
 違う、いや確かに高田と仲良くなろうとはしたけど、そうじゃない。上手く言葉に出来なかったから、
話題を変えた。
「それより、さっき言ってたの、何? ユメジューヤとかロクヤとか」
「小説の題名だよ。夢で見た話が十日間分書いてあるの。さっきのは、何日目の夢が好きかって話」
 夢の話か。空を飛んだり、怪獣と戦ったりするんだろうか。
「僕にも読める?」
「どうかな。私も難しくて読めない漢字が多かったから」
 辞書で調べながら読んだんだよ、と続ける愛美。ああ、それじゃあ無理だ。愛美は中学生くらいの本
だってすらすら読めるのだ。その愛美が難しいと言ったのなら、僕には魔法の呪文と同じだろう。
 ……でも、高田の机には辞書なんて置いてなかった。

 校庭では、みんながドッジボールを始めずに待っていてくれた。愛美とチームが分かれたのは残念
だけど、ドッジボールができないよりはましだ。
 試合が始まる前に、校舎を見た。休み時間は換気の時間、ということで窓が開いている。教室で一
人座っている高田は寒くないのだろうか。当たり前だけど、三階の窓辺に高田の姿は見えなかった。

 パスでボールが回るたびに、みんなが大急ぎで反対側へと逃げ出す。逃げ遅れたり、体勢が崩れた
りした奴から順に外野へと追い出されていく。パス回しなんか関係ないとばかりに、真正面から投げに
行く力自慢もいたりする。どちらにしても、あまり硬くないボールは人に当たればぼてぼてと転がる。一
人減っては一人減らし、さっきからずっとシーソーゲームだ。
 いつも通りの試合展開だが、気になるのは安川がずっと愛美のそばにいることだ。体と声が大きけ
れば偉いなんて思っている安川は、愛美のことが好きなのだ。愛美はかわいいから、安川に限らなく
ても、元木とか原井とか、好きだという奴はたくさんいる。愛美は大抵僕と一緒だから、男子が中々話
しかけられないというだけの話だ。

146 名前:六年二組の転校生3/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:07:28.80 ID:oscCRnAS0
 僕が敵チームだと思って愛美にちょっかい出さないだろうな、と不安になるけれど、相手はクラスで
一番体の大きい安川だ。真正面から投げてもそう簡単には当たってくれない。結局、僕はパスを回す
しかない。
 しかし、チャンスは来た。
 急な方向転換で足をもつれさせた安川が、転びそうになる。
 そして、ボールは僕の手へと入ってきた。
 当てるなら今だとばかりに思い切り振りかぶって、三階の窓からこっちを見下ろす人影に気付いた。
 高田だ。
 あっ、と思う間もなく、ボールが手からすっぽ抜けた。
 あさっての方向に飛んでいったボールは、見事に木に引っかかった。

「光ちゃん、大丈夫?」
 下から愛美の声がする。
「平気、平気。木登りは得意だって知ってるでしょ?」
 ボールはあと二つ三つ上の枝に引っかかっている。二階のベランダから長ぼうきでも突き出せば届
きそうな位置だけど、そのために三年だか四年だかのクラスに入っていくのは恥ずかしい。
 試合は完全に中断してしまった。ボールが無いのだから仕方ない。時間的に見ると、ボールを取っ
た後で再開するのも難しそうだ。さっき口に出しても言ったけれど、もう一度心の中でみんなにごめん
と謝って、次の枝に手をかけた。
「あ、もう、届くか、な」
 ボールに向かって手を伸ばした。同時に、耳元でチャイムが鳴った。
「うわっ」
 スピーカーが真横の壁にあることに気付いていなかった僕は、思わず耳をふさいだ。しっかり持って
いた枝を、離してしまった。体のバランスが崩れる。
「わ、わ、わ」
 慌てて手を振り回して、何とか枝をつかんだ。
 ばきっ。
 あ。
 きゃあ! という悲鳴がこだました。

148 名前:六年二組の転校生4/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:08:25.49 ID:oscCRnAS0
「なんって危ないことやってたんですかっ!」
 そして、僕らは先生に怒られている。五時間目のホームルームはお説教の時間に早代わりした。
「委員長っ!」
「は、はい」
 顔を上げられないけれど、先生が僕を見ているのが分かる。
「かすり傷ですんだのがとても幸運なことだと、わかっていますか?」
「はい」
 本当に、運が良かった。掴んだままだった折れた枝が、真下の枝に引っかかっただけなのだ。木に
こすれて皮が軽くめくれた右手に、大きな絆創膏が張ってある。
「下まで落ちていたら、死んでいたかもしれない。一生残るような傷がついたかもしれない」
「はい」
「ちゃんと反省して、二度とやらないでください」
 謝るときは、相手の目を見なければならない。無理やりに顔を上げると、怖い顔をしているに違いな
いと思っていた先生は、むしろ泣きそうだった。だからお母さんは目を見て謝りなさいと教えたのかと、
初めて理解した。
「はい、すいませんでした」

 心の底から謝った僕は、先生の話をしっかり聞きながらでも、周りの様子を気にすることができる程
度の余裕を取り戻した。
 愛美が最前列から僕の方をちらちらと振り返っている。目が赤いのは、僕を心配して泣いたせいだ。
斜め前の安川はにやにやしている。僕が怒られたのが嬉しいのだろうか。
 高田は、すぐ隣の高田は、いつも通りの無表情で先生を見ている。いや、少し、いらいらしているかも
しれない。目を少し細めて、先生を睨んでいるようにも見える。
「見ていた人も同じです。友達が危ないことをしようとしていたら、止めてあげなければいけません。全
員、しっかりと反省してください。特に委員長は……」
「懲戒、ですね」
 先生の言葉をさえぎったのは、もちろん高田だ。今このクラスで先生以外に普通に喋ることを許され
るのは、ドッジボールに参加していなかった高田だけだろう。
 そして僕は、耳慣れない言葉にぽかんとする。チョーカイ? 何それ、っていう感じだ。愛美には意味
が分かっていたかもしれないけど。

149 名前:六年二組の転校生5/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:08:59.47 ID:oscCRnAS0
「この間、新聞で読みました。失敗を犯した人間は、懲戒処分で免職になったりする、と。だから、適当
に処分を決めて、さっさと説教など終わりましょう」
 なにやら難しいことを言ったというのは分かった。というか、高田は新聞なんか読んでるのか。僕な
んかテレビ番組のページと四コマしか見ない。
 先生が、うーんとか言いながら考えている。当然、先生には高田の言葉の意味が分かっているはず
だ。僕らにも分かる言葉に直すのに苦労しているのだろう。
「高田くんが言ったのは、つまり委員長に罰を受けてもらって、しっかり反省させるということですね。そ
 れから免職というのは、仕事をやめることですね」
 さすがは先生だ。さっきまで興奮していたのに、落ち着いてわかりやすく説明してくれた。チョウカイ
ショブンでメンショクと言うのは、僕が誰かに委員長を代わってもらうということなのだ。
 委員長になるには、学期初めの選挙で選ばれないといけない。みんなの中から、クラスの代表にな
れると思った人が選ばれるのだ。だから確かに、危ない事をした僕は委員長をやめないといけないの
かもしれない。
 そんなことを考えていると、突然安川が大声を出した。
「それだ! チョウカイショブンだ、メンショクだ!」
 安川の他にも、元木なんかがそうだそうだと言い出した。僕を気に食わないと思っていた奴らが、手
を組んで僕に罰を受けさせようとしているということだろう。たちまち、教室が騒がしくなった。選挙のと
き、僕に投票してくれた人がそんなことしなくても良い、と言いはじめたからだ。
 先生が、静かにしなさいと声を上げているけれど、そうそう静かになるものじゃない。
 そして僕は、不思議と冷静だった。騒ぎの中、高田は僕をメンショクさせたかったんだな、なんて考え
ていた。
「わかりました」
 ぴたり、と声が収まった。
「先生、僕、委員長やめます。それだけ危ないことをしたんだし、選挙をやり直してください」
 おー、という声とえー、という声が上がった。えー、という声の方が多かったのが、嬉しかった。すぐに
安川が、じゃあ俺委員長立候補ー! なんて叫びだした。
 高田は、声も出さずに目を大きくして僕を見ていた。

150 名前:六年二組の転校生6/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:09:47.38 ID:oscCRnAS0
 教室がまたうるさくなってきた。誰が委員長になるかで大騒ぎだ。
「いい加減にしなさい!」
 ばしん、と先生が机を叩いた。さすがに全員が黙った。
「止めなかった人も同じだけ反省しなさいって、言ったでしょう。委員長は、先生が選びます」
 そう言って、先生は高田を見る。
「高田くん、委員長に指名します。冬休みまであと一ヶ月だから、その間だけお願いね」
 ああ、なんだ。完璧じゃないか。今日のことで、安川はともかく、元木あたりの僕を嫌っていた連中が
高田と仲良くするだろう。そうして、いつも一人で本を読んでいた転校生はいなくなって、代わりにクラ
スの委員長として一目置かれるようになる。
 憎らしいくらいいつも通りに、間延びしたチャイムの音が、鳴った。

 今日は五時間で終わりだから、すぐに帰りの会がはじまった。
 僕はもう、ただまっすぐに前を見て、絶対に横なんか見なかった。
「きりーつ、れーい」
 先生さようなら、みなさんさようなら。僕は口をもごもご動かすだけで結局声は出さず、さっさとランド
セルをかついで教室から出た。
 走ったりなんかしない。廊下は走ってはいけない。でも、おかげで後ろの話し声が聞こえてしまった。
原井の声だ。転校生ー、やるじゃねえかー、と言っていた。
 歩く、歩く。教室から、高田からどんどん遠ざかるように。少し遅れてぱたぱたと足音が追ってきた。
光ちゃん、光ちゃん、と愛美が僕に声をかけてくる。僕は愛美を振り返って、ちょっと待ってと目だけで
言って、また歩いた。
 階段を降りて、下駄箱で靴を履き替えて、グラウンドを抜けて、校門を過ぎて、角を一つ曲がって、周
りにいるのが僕と愛美だけになってから、ようやく気を抜いた。
「愛美、僕、僕っ……」
 口を開くと、それだけで涙が出た。
「高田を、すごいって、思ってた。本だって、難しいの、読んで、すごいなって」
 そうだ、高田はすごい奴だった。愛美が辞書を使って読んだ本を、普通に読むような奴だった。授業
中は聞いてるんだか聞いてないんだか分からない顔で、けど質問されれば全て正解を答える奴だっ
た。一人でいるのが怖くて人に合わせたりせずに、やりたいことをやりたいと言える奴だった。人が気
を悪くしたらそれに気付いて下手くそなフォローを入れる奴だった。

151 名前:六年二組の転校生7/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:10:20.07 ID:oscCRnAS0
「なのに、高田、僕が委員長なの、嫌だったんだ。辞めさせるために、難しいこと言って」
「光ちゃん」
 愛美が僕の肩に手を置いた。服越しでも、温かかった。
「そうかな、本当にそうだったのかな。だって、あのタイミングまるで」
「おいっ!」
 一番聞きたくない声に呼ばれた。ばれないように素早く涙をぬぐって、振り向いた。どうか目が赤くなっ
ていませんように。
「高田、なんでこっちに来たの?」
「帰り道同じだよ、馬鹿」
 そうだったのか。いや、そうじゃなくて、高田は原井たちと話してるはずだ。僕を笑い者にして。
 それなのに、高田は息を切らせてここに立っている。
「なんで辞めるんだよ」
「高田が言ったんじゃないか。辞めさせて反省させるって」
「違う、そうじゃなくって」
 高田は普段から考えられないほど落ち着きを無くしていた。視線はあっちに行ったりこっちに行ったり
と定まらず、手を握ったり開いたりしている。
「光ちゃんを助けようとしてくれたんでしょ?」
 え?

152 名前:六年二組の転校生8/8 ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/26(日) 20:10:50.67 ID:oscCRnAS0
「そうだよ。だって、あの先生、謝ってるのにまだ説教を続ける気みたいだったし」
 泣きそうになって興奮して、話が何回もループしてたし、と高田は続ける。
「だから、反省文とか書かせて、終わりにしようって言ったつもりだったんだ」
 じゃあ、高田は僕を辞めさせようとしたんじゃなくて、むしろ助けようとしてくれていて……。
 高田はさらにそわそわして、ああもう、なんでこんな格好悪い、とか言っている。
「ほら、光ちゃん。高田くんに言うことあるよね」
 愛美はにっこりと笑う。ああ、そうだ。人に嬉しいことをしてもらったら、言わないと。
「あ、その、高田……くん。ありがとう」
 途端に、高田は顔を真っ赤にして、俺全然役に立ってないし。と言い訳をはじめた。そういえば、本を
読んでいない高田と話すのは始めてだ。むすっとした顔以外も、できるんだ。
「あ、高田。方向同じなんでしょ? 一緒に帰……」
 違う、誘う時はこうじゃない。言い直す。
「高田、方向同じなんだから、一緒に帰ろう」
「俺が? いや、俺いたら邪魔だろ?」
 うん、新発見だ。高田はやっぱりすごい奴だったけど、焦ると面白い。
「邪魔は邪魔かもしれないけど、光ちゃんが良いなら、わたしは良いよ」
「ほら、愛美も良いって」
 高田はあー、とかうー、とか言って、さっさと歩き出した。
 僕は高田の横に追いついた。愛美は僕の腕に抱きついきて、くすくすと笑っている。
 僕らは赤、赤、黒とランドセルを並べて、帰ることにした。

         了



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