【 手向けるべき華すらもなく 】
◆D7Aqr.apsM




132 名前:手向けるべき華すらもなく 1/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 19:55:51.83 ID:oW01GDen0
 白い天井にうがたれた小さな窓から、青い空が見えている。
 床に仰向けに寝ころんで、天井を見上げると、それは青くぽっかりと空いた穴のように見えた。
 なだらかな曲線を持った胸が、静かに上下する。
 ――呼吸……リラックス……狙う……身体をゆるめる……引き絞る。
 いつも、時間さえあれば繰り返すように言われた呼吸法と身体の制御。
 自分の身体が固定され、完全に制止するようすを思い浮かべる。心が乱れてはいけない。
 冷たい床の感触が、ダークグレーのジーンズと白いコットンのブラウスを通して伝わってくる。
「もう! 時間がありすぎなのよ!」
 アレックスはぶん、と足を振り上げると反動を使って一気に立ち上がった。部屋を見回す。
小さなベッドと机と椅子、そして本棚。机の前にある窓は、防犯のために鉄格子がはめられ、
閉じられた木製のドアを除けば後は天窓だけが開口部だ。普段、個人の居室として
使われているここは、快適すぎるけれども、独房だった。

 背中に垂らした金髪を無造作にまとめると、ドアに向かった。
「カルロ! いるんでしょう? 返事しなさいよ!」
「ねえ、アレックス。もう少し謹慎中、っていうのを気にしてみたらどうかな?」
 カルロはドアを開けながらのんびりとした声で答えた。いちおう、という感じに、開いたドアの
真ん中に立つ。黒い巻き毛に、浅黒い肌。二重の目はにやにやと笑っていた。
「そんなところに立たなくたって逃げたりしないわよ。今から行ったって邪魔になるだけなんだから」
 アレックスはドアから離れ、ベッドに座った。
「その、なんていうか。悪かったわね。あんたまで巻き込んで。作戦に参加できなくなっちゃったものね」
 まっすぐにカルロの目をみて、アレックスはいった。
「ごめん。シティホールの作戦、行きたかったよね」
 ドアの入り口にたったまま、腕を組んだカルロはため息をついた。
「ま、いいよ。作戦だって今回が最後じゃあないし。誰かがここで留守番するのは決まっていた
事だしね。――今のところ、順調みたい」
 カルロは作戦の様子を付け加えた。とぎれとぎれに入ってくる短い定時連絡。その連絡員をカルロは
任されていた。
「あと、五分ぐらい?」
「うん。そうだね。さっき、最終の決行確認の通信が流れていたから」

133 名前:手向けるべき華すらもなく 2/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 19:57:02.84 ID:oW01GDen0
 アレックスが「国の体制がかわるらしい」という噂を聞いたのは、一年前だっただろうか。なんとなく
大人達が騒がしい、と思っていたらある日、見知らぬ男がテレビのどのチャンネルにも映し出され、
この国を隣国の連邦の一つとする事を宣言し、その晩には軍隊が国を押さえ込んでいた。通学路を
戦車が走り、小学校の校庭にはヘリコプターが着陸していたのを、アレックスはカルロと見ていたのを
覚えている。

 抗議活動や異議を唱える人間もいたが、実質的な武力が、市民の住む街中に展開されている
状態では、効果は全くと言っていい程なかった。そして、政府に不満を持つ人々は、組織をつくり
地下へ潜った。NPO、NGOに近いものから、武装テロを活動の中心とする組織まで、活動の
方向性は様々だった。

 アレックスとカルロの所属している組織は、若く、しかも女性が多いにもかかわらず、武闘派
とされていた。 政府が市民への説明会を行う会場の配電盤の破壊などを行った事があるからだ。
事実、武器・弾薬に関しては闇ルートから、入手していたし、それなりの訓練も行ってきていた。
昨日までケーキを作っていた女の子も、一ヶ月もすればいっぱしに拳銃ぐらい撃てるようになる。
 アレックスは狙撃手として。カルロはその補佐要員として訓練されていた。

 そして今日。隣国へすり寄る政治家の一人が、講演会を行う。その場を制圧、一般市民へその
悪事を暴く情報をばらまく、という作戦が決行される。
 アレックスとカルロ、二人を残して。




「やっぱりさ、どれだけ売国党の奴らに腹が立ってもさ、丸腰の相手に五十口径の銃をフルオート
でぶっ放すのはねえ……いくら身体に当ててないって言っても、まずいでしょ」

 数日前。
 リーダーのモリーは苦笑しながら、アレックスに懲戒処分としての作戦の不参加、謹慎を
言い渡した。

134 名前:手向けるべき華すらもなく 3/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 19:57:44.64 ID:oW01GDen0
 アレックスは単にファッションとしてアーミーコートを着ていた少年が、大人達のデモ隊に
囲まれ、糾弾されるのを見過ごすべきなのか、と食い下がったが、決断は覆らなかった。
ともすれば組織を危険にさらす行動だったのは確かなのだ。

「ま、他の構成員の手前もあるしさ。あたしの部屋で本でも読んでてよ。感想きかせてね。
特にこの本は、わたしの大事な本だから」

 出発前。不満げな顔をしているアレックスに、モリーは本棚から抜き出し、手渡した。
表紙に簡素な線で描かれた惑星と、その上に立つ、黄色い髪の少年が描かれている。
 その本は、未だ開かれず机の上に置かれていた。

「アレックス、本、読まないの? リーダーは楽しみにしてたみたいだけど」
 オーディオ用のコードをアレックスのいる部屋まで引いていたカルロは本に目をとめた。
「……読んでない。そんな気分になれないよ」
 アレックスはベッドの上にばったりと倒れ込んだ。天窓の空のまぶしさに目を細める。
カルロがコードの端子を小さなスピーカーにつないだ。ノイズに混じって、人の会話が聞こえる。

――メインホールの入り口は全て押さえた。
――会場舞台裏、電源を確保。……いつでもOKです。
――ターゲットのスピーチ、佳境に入ったみたいです。

 通信機が自動的に暗号化したものを、復号してスピーカーに流す。そのため、途中で傍受
されても雑音にしか聞こえない。
 誰も話さない、空電の音だけが響く中で、ゴトン、ガッ!という音が響いた。

――オッケー。各員。点呼。
 スピーカーの向こうに緊張が走る。短い返答が次々に入る。
――屋上、どうした?。
 リーダーの声が響く。しかし、返答が無い。
――レッドワン、屋上を確認。……気をつけて。

135 名前:手向けるべき華すらもなく 4/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 19:58:41.05 ID:oW01GDen0
 空電の、ザー……という音に紛れて、ざざざっ、という何かが動いているような音が聞こえる。
シティーホールの要所要所に仕掛けたマイクが音を拾うようになっていたが、それが一台、また
一台と接続を絶たれている。
 アレックスの顔色が白くなる。無意識のうちにカルロのシャツのを掴む。
「アレックス、これ、この音って」
「たぶんヘッドセットでは拾えていないとおもう。たぶん、何かが」
 その時。最初の銃声が響いた。

 小さなスピーカーから聞こえてくるのは、訓練で聞き慣れたサブマシンガンの発砲音。
以外に小さく、軽い音と、怒声。何かが倒れる音。うめき声。

「カルロ!」
 アレックスが叫ぶのとほぼ同時に、カルロは部屋を飛び出し、メインの無線機がおいてある
部屋へ走った。アレックスもそれに続く。一見して普通のマンションの部屋だが、ダイニングに
おいてあるのは無線機をはじめとした機器、そして作戦の舞台となるシティホールの見取り図
だった。
「各員! 敵がいます! 手際のいい……訓練……おそらくアーミーです」
 無線のマイクに向かってアレックスが叫ぶ。
「アレックス。なんであなたが……ってのはまあ、おいといて。そうみたいね。こっちにも聞こえた」
 平然としたトーンでリーダーの声がスピーカーから流れる。
「情報が漏れてるかなあ。そっちに二人残ってもらえてよかった。そこ、引き払おう。機器類の
処分をお願い。終わったら撤退して」
「モリーさん! そちらこそ早く撤退を」
「ちょっとね、そう簡単に帰らしてもらえなさそう。そっちにもお客さんが行く可能性が高いかな。
迷惑かけるけど、お願い。それから、アレックス、あの本、あげる。持って行って。本当に好きな
本なんだ。あとは、燃やして」
 話し声の後ろに、銃声が混じる。
「モリーさん! そんなこと!」
「通信、切るよ。ま、なんとかするから。大丈夫。おねえさんを信じなさい。いい? 最後の命令。
マニュアルどおり港へ逃げて。そして……いつか、また」

137 名前:手向けるべき華すらもなく 5/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 19:59:16.00 ID:oW01GDen0
 がりん、という音がして通信が途絶する。空電音が大きくなった。
 アレックスはマイクを叩きつけるように無線機のフックに戻した。鉄製のハンマーを持ったカルロが
帰ってきた。台所から出ている煙はデータディスクが電子レンジで焼かれているからだろう。
「荷物をまとめよう」
 カルロが静かに言いながら、無線機をたたき壊す。アレックスは小さく頷いた。

 旧市街の路地は、暗闇に沈んでいた。
 マシンガンを持った武装警察が狭い路地を駆け抜ける。
 薄汚れたビルの外壁を走る無数のパイプ。積み上げられたゴミ。街の影の部分。
 その影の中を、アレックスとカルロはうずくまっていた。
「こっちだ! 回り込め!」
 怒気を含んだ声が響く。
 非常階段の上。カルロが拳銃を握りしめる。アレックスがそっとその銃身の上に手を乗せ、制止した。
今は撃つ時ではない。アレックスのライフルが入れてあるギターケースと、カルロの背負った
バックパック、二丁の拳銃が装備のすべてだ。この状態では戦いにすらならない。羽織っていた
ジャケットを脱ぎ捨て、バックパックから取り出した薄手のウィンドブレーカーに着替える。
こんな事でも大分印象は変わる。と教わっていた。
 非常階段脇の通用口へ入ると、薄汚い厨房へ出る。内蔵が抜かれた豚が何頭も吊された
そこを通り抜け、清潔さでは多少ましな店内を通り抜けると、表通りに出た。
 夜の街は光にあふれていた。セントラルステーション前広場では、隣国の侵攻後にとりつけられた
巨大なディスプレイに、でっぷりと太った男が映し出されていた。太った芋虫のような手に、
じゃらじゃらと指輪をはめ、唾をとばしながら話している。
「アレックス」
「シッ──」
 ディスプレイの周辺にくると指向性スピーカーから送られる音声が耳に入り始める。
「本日、我々はテロリストの一団を排除し、市民のみなさんの安全を確保しました。今後も隣国と
協調の精神を主軸として……」
 あのディスプレイを吹き飛ばしたら、多少は気が紛れるだろうか。アレックスは肩に掛けた
ギターケースの重みを確かめ、もう一度画面を見上げて、絶句した。

139 名前:手向けるべき華すらもなく 6/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 20:00:09.07 ID:oW01GDen0
 シティーセンター。今日の作戦の現場。
 壁際にべったりと血の跡。そして、その下にうつぶせに倒れる身体。両脇に立つ武装兵。
今朝見たシャツ。やいつも見慣れた髪の色。何もかもが血にまみれていた。
「見ない方がいいよ」
 カルロがアレックスの腕を掴み、促す。
 ぎこちなく顔を降ろし、アレックスはカルロに従って歩を進めた。




 目を覚ますと暗闇の中だった。アレックスは無意識に手をのばし、脇に置いたライフルを確認する。
身体を起こし、枕元においた拳銃を腰の後ろにねじ込む。周囲から絶え間なく響くエンジン音。水の
音。貨物船の船倉にアレックスはいた。申し訳程度に渡された、油の匂いのする毛布を丸めて
その上に座る。
 あの夜。見張られた港の入り口を回避するためにフェンスを乗り越え、何かあったときには
逃亡を手伝ってくれる事になっている人間を探し回った。やっとの事でその男をみつけると、
そのまま訳もわからず貨物船に乗せられ、気がついたときには港を離れていた。
 アレックスとカルロだけを乗せて。
 船員に他のメンバーからの連絡を尋ねてみたが、肩をすくめられるだけだった。
 鉄のコンテナに背を預け、両手で銃把を握り、祈るように掲げる。冷たく、固い感触だけが
アレックスに、これが現実である事を突きつけていた。見上げると船倉から外へ出る
ハッチが小さく見える。ハッチの周辺から白い光が漏れていた。

 のろのろと立ち上がり、ハッチへと歩き始める。
 狭く、急な階段が靴底の下で乾いた音を立てた。手すりに身体を預けながら、ようやく
ハッチ前の踊り場へたどり着いた。錆を防ぐために分厚く塗られたペンキの感触を開閉用の
レバーから感じながら、ゆっくりとハッチを開いた。

 それまで体中に響いていたエンジン音は風に吹き飛ばされた。青い空と、それよりも濃い外洋の色。
そして、身体を持って行かれそうになるほどの風。日光のまぶしさに、アレックスは目を細めた。

140 名前:手向けるべき華すらもなく 7/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 20:00:42.32 ID:oW01GDen0
――あれだけのことがあったのに、世界は全く変わらないように見える。
 着たままに鳴っている上着のポケットのなかで、あの部屋から持ち出した本がごつごつと
身体にあたった。なんと無しに船尾へと向かう。

 積み上げられたコンテナと艦橋の横を抜けると、船尾が見えてきた。
とてつもなく大きく見えるこの船の船尾は、簡単な柵で囲まれただけの場所だった。
「目が覚めた?」
 カルロは船尾の柵にもたれかかるようして立っていた。
「うん」
 アレックスは短く答える。風に乱れる長い髪を、無造作に手でまとめて上着の中に入れる。
「あと三日くらいで港に入るってさ。そこから先は……考えないといけないけど」
「カルロ。国へ、帰ろうか」
 アレックスは航跡を見つめながら言った。
「やり残したことが、あるから」
 頭を掻きながら、カルロは向き直った。柵に背中を預ける。
「アレックス、戻って何を……」
「ねえ、だって、何もできてない。できてないんだよ! 力をかすことも、助けることも、
何も! 一緒に、その場所にいることすらできなかった。見届ける事もできなかった。
た、確かにルールは破ったのは自分けれど、こんなのって、酷すぎ――」
 アレックスは甲板にしゃがみ込んだ。
 カルロは彼女を見下ろしたまま、口を開いた。
「ねえ、アレックス。多分ね、これが戦うってことなんだよ。恐ろしいほど不条理で、
冷たくて、何よりも血を必要とする。僕らは負けた。それだけじゃないの?」
「わかったようなこといわないでよ!」
 アレックスが叫ぶ。
 真っ赤に泣きはらした瞳で、アレックスはカルロをにらんだ。
「わかりもしないで、ここまできたの?」
 カルロは寂しそうな顔をして、船倉へ向かった。

141 名前:手向けるべき華すらもなく 8/8  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2006/11/26(日) 20:01:16.68 ID:oW01GDen0
 ジャケットから絵本を取り出し、眺める。
 このまま海に流せば、あの人の所へ届くだろうか?そんな思いがよぎる。
 アレックスは本を持った手を、そのまま柵を越えて後ろへのばす。
 見渡す限りの海。航跡だけが波の間に浮かんでいる。
 涙が風に飛ばされていく。背負ったものを後に残して。
 空には、真昼の月がぽつりと浮いていた。

手向けるべき華すらもなく 了



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