【 そんな自分を懲らしめて 】
◆/7C0zzoEsEY




90 名前:そんな自分を懲らしめて(1/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:01:45.79 ID:TQB7xxne0
 毎日、夜遅くまで塾に行く。好きで行っている訳ではないけど、
勉強しないと不安になるのは受験生なら誰でも同じことだろう。
それでも塾になら友達もいる。家で寂しく、一人で勉強するより、精神的にはずっとましだ。
 それなのに、塾から出て駐輪場まで向かう途中に啓太君はまた愚痴をこぼす。
「受験前とはいえ、この勉強量はどうなっているんだよ」
僕はその意見に、まあ同意していたが、仕方無いよねと呟く。

 彼の家はずいぶん裕福だそうなので、
学費は高いけど、優遇されて彼の学力に相応した私立の学校にも行ける。
それに引き換え、僕の家は平凡な会社員の、少し貧しいと思われる暮らしぶりなので、
国公立の学費が安い学校に行く必要がある。
 しかし、僕の志望校の偏差値は見事に二分化。
僕は、背伸びしてでも偏差値の高い公立校に行きたかった。
 そんなことを話すと、啓太君は
「じゃあ、俺もそこに行く」
などと言い出したのだ。
 例によって、僕達は一日中勉強浸けということになる。
彼がどうしてそんなに奇異な事をするのか、僕には分かりかねる。
 
 駐輪場につく。自分の荷物を自転車のかごに乗せると、ふっと自分の肩が軽くなる。
それがとても心地よくて、ああ今日も塾が大変だったな。としみじみ思う。
 自転車にまたがり、帰宅しようとする。が、啓太君がうつむいたまま動かない。
「何してるの? 早く帰ろうよ!」
彼を急かす。すると彼は、ぼそっと呟いた。
「……な……い」
あまりに小さくて、僕には聞き取れない。
僕は、何だって。と聞き返す。すると、彼は叫んだ。

「俺の自転車が無いっ!!」

91 名前:そんな自分を懲らしめて(2/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:03:11.60 ID:TQB7xxne0
 僕は反射的に耳を塞ぐ。一瞬、それの意味するところが分からなかった。
しかし、盗まれた、盗まれた。と喚いている彼を見ていると、徐々に理解できた。
「本当に盗まれたの? よく見てみてよ」
 僕も周りを見渡してみたが、よく見慣れた彼の自転車は見当たらなかった。
一年ほど前に買い換えたばかりで、丁寧に扱っているためか、まだ新品同様なはず。
「鍵はしめたの?」
 僕の言葉に、彼はかぶりをふる。
「必要ないから。だって今まで、盗まれたことがない」
 さらに彼は、駐輪場の入り口近くに置いていたという。
それでは盗まれてもおかしくない。
「とりあえず警察行こう?」
 僕の具体的な案も、彼は蹴った。
「防犯登録を控えてない。あれが無いと、確か警察は自転車を手配しないんだ」
ならもう仕方が無い。
「じゃあ……諦めようか」
どうせ家には、二台も三台も別の自転車があると話していたし――。
 僕がそう続けようとすると、彼は僕を鋭く睨んだ。
僕は、ひっ、と情けない声をあげる。
「自転車が無くなることで、文句を言っているんじゃない……。
 犯人の野郎が、この、俺の、自転車を盗んだことに腹が立っているんだ!」
ちくしょう。と、彼は言い捨てた。
「と……とりあえず先生に伝えてくるね」
 僕は、小走りでその場を去った。


92 名前:そんな自分を懲らしめて(3/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:04:11.48 ID:TQB7xxne0
 塾の講師は、最近この駐輪場で、自転車の鍵がついていないものを探す、
不審な男が現れていることを伝えた。
もっと早くに伝えろよ。と啓太君は思っていたことだろう。
「どうするの?」
 帰り道、僕は自転車を押しながら一緒に帰った。
「どうするもこうするもないだろう。警察も、塾の教師も、皆役に立たない。
 とはいえ、犯人に好き勝手させるには、俺のポリシーが許さない」
  彼は、きっ、と前方を睨みこう言った。
「俺が犯人を見つけて、懲らしめてやる。懲戒だ。
 天罰がくだるだなんて、確実性の無いものに頼っていられるか!」
 彼はどうやら本気のようだ。どうやって見つけるつもりなのか。
「というわけで、明日八時。俺の家に集合な」
「え!?」
「お前にも一緒に探してもらうな」
 そんな……勉強もしなくてはいけないのに。なんてことを言う勇気は、僕には無かった。

93 名前:そんな自分を懲らしめて(4/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:04:55.66 ID:TQB7xxne0
 翌日、僕が啓太君の家の前に行くと、
彼はすでに家の門の前に立っていた。ビデオカメラを片手に。
それにしても、でかい家だ。これなら僕の家なんか兎小屋にすぎない。
「遅い」
だって、君の家の前じゃないか。
 よく見ると彼の右頬が、少し赤くなっているような気がした。
どうしたのかなんて、聞く必要も無い。
 おそらく、彼の母親の平手打ちだろう。
お金持ち特有の甘やかしなど、彼の家には無い。
自転車を盗まれたなどと聞いて、彼の母親が、あらそうの一言で済ませるわけが無いのだ。
「当ても無いのに、どうするか決まったの?」
 僕が尋ねると、彼はあっさり言いのけた。
「あ? もう自転車がある場所は把握しているぞ」
……開いた口が塞がらない。
 一体どうすれば、昨日今日で盗まれた自転車を見つけ出すことが出来るのか。
 どうやら彼の家には幾人かのお仕えの人がおられて、その方々を総動員したらしい。
しかし、どこにあるのか全く想像もつかないのによくやるよ。
探すように言われた人達に、ご苦労様と伝えたい。
「もし乗り捨てられていたら、犯人を見つけるのも生半可じゃないからな。良かった。
 どうやら、この近くのアパートの駐輪場に置いてあったらしい」
「じゃあ犯人は、そのアパートの住人の誰かなんだね?」
「ああ……そうかもな。でも、念には念を入れる必要がある。
 もしかすると一旦、放置しただけかもしれない。何のためかは知らないけどな」
 考えすぎだとも思ったが、たとえアパートに犯人がいることが分かっていても、
僕にはその犯人を見つけ出す素晴らしい案も思いつかない。
「じゃあ、どうやって犯人を見つけ出すの?」
「決まっているだろう」
 彼は、何を当たり前のことを聞いているんだといった口調。
「そいつが、俺の自転車のところに来るまで待つんだよ」

95 名前:そんな自分を懲らしめて(5/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:06:23.84 ID:TQB7xxne0
 
 それから、また数時間が経っている。 
 僕達は、彼の自転車がぎりぎり見える位置から隠れて見張っていた。
見張りは交代制で、待っている間は勉強している。
 僕達じゃなくてそのお仕えの方々に頼んだらどうなの、と僕が言うと彼に怒られた。
そこまで、迷惑はかけられない。などと言っていたが、
どうせ自分で犯人を捕まえないと気がすまないのだろう。
「ねえ……もう、かれこれ数時間も待っているよ」
「来るまでの我慢だろうが。おいそれより、もうすぐ見張り変われよ」
 もしかしたら、来ないかもしれないじゃないか。
せっかくの休日を、こういう風に過ごすのは残念だ。

「犯人は来る」
まるで、僕の心の中を読んでいるかのような台詞。
「どうしてそう言い切れるの?」
彼は少しため息をついてこう言った。
「自転車に鍵がかかっていたらしい。盗品でも、もう所有物扱いだな」
 抜け目がない犯人である。盗品とはいえ、他人に盗られるのは嫌なのだろうか。
それとも、持ち主が取り返しに来ることを恐れてのことだろうか。
 見張りをしている彼の、お腹の虫が鳴った。
僕もさっきから大分空腹だった。もうそんな時間か。
「ねえ、昼食はあんぱんで――」
「しっ! 静かに」
 彼は、僕の言葉を途中で遮った。一体何事かと、こっそり見張っていたところを覗いてみる。 

96 名前:そんな自分を懲らしめて(6/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:07:36.04 ID:TQB7xxne0
そこには、明らかに人と思われるもの。
年も中年間際かと思われる男が、啓太君の自転車をいじっていた。
 啓太君は、やっと尻尾をだしたかと言い、静かにその一部始終をビデオカメラに映している。
「あのおっさんも、これを会社とかに見せたらひとたまりもねえだろ。俺を怒らせたことが運の尽きだ」
 彼を敵にすると、本当に恐ろしいと実感した。
 おじさんは、啓太君の自転車に乗ってどこかに行くようだった。
「おいっ! 逃がすなよ、追うぞっ!!」
 彼は走り出した。僕も走りにくいのを我慢して、必死に後を追う。 

 おじさんの向かった場所は、古ぼけた豆腐屋。

 それは、どうみても繁盛しているようには見えない。立地条件も悪そうだった。
この近くに立派なスーパーがある。そっちの方が便利で、低価格である。
「会社勤めじゃなさそうだね。それに、随分貧しそう」
「たと貧乏でも、窃盗は立派な犯罪だ。罪には罰。これが人間界の摂理。見てろ、裁判沙汰にしてやる」
返す言葉が無かった。
 しかし、その時豆腐屋から声が漏れてくる。

「おい祥平! 今日はお前の誕生日だろ、お前の欲しがってた自転車買ってきたぞ!」
「え、本当に!? 嘘じゃないの!?」
「ああ、父さんがお前との約束を破るわけがないだろう――」


97 名前:そんな自分を懲らしめて(7/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:08:25.79 ID:TQB7xxne0

 どういう事情かは、聞けば分かった。
きっと子供の喜ぶ顔が見たいだけの、ただの親の愚かな判断。
なまじ自分も貧乏な暮らしだからこそ、この不思議な気持ち。
虚しくて、悲しい。共感というのも変だが。
「ねえ……やっぱり帰ろうよ」
 僕の気持ちが、道理に適っていないことは分かっている。
それでも僕は、啓太君に訴えかけるような目で見た。
 しかし、
「子供の誕生日プレゼントに、盗品なんてどうだよ。
 そんなことして、もしその事実を子供が知ったときどんな風に感じると思う?
 俺は決して喜ぶとは思わないね。あのおっさんのためにも……言わなきゃだめだろ」
「わからずや!」

 彼は豆腐屋に入っていった。僕は引き止める事が出来なかった。

 おじさんが少し戸惑っている。中々、客も来ないのだろう。
子供は、純粋できょとんとした目。まさか自分へのプレゼントが盗品だなんて、全く思っていないことだろう。
「はい、いらっしゃいませ。何かお求めで?」
 彼が肩を震わせているのが分かった。
「おい……親父……」 
 知らない方が良いことは人生にたくさんある。
この子供の前で言うのか、啓太君。せめて、この子がいないところで……。
 やはり、彼を止めようとした瞬間。
彼が店中に広がる声で、喉も裂けよとばかりに叫び、言った。

「豆腐を、あるだけ頼む!」


98 名前:そんな自分を懲らしめて(8/8) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/11/26(日) 18:09:23.38 ID:TQB7xxne0
「持ちきれなかったね」
 帰り道。両手いっぱいに、豆腐を抱えて言う。啓太君は、もう何も話さない。
どうして言わなかったの? なんて、無粋なことは聞かない。

 あれが正しい判断だったとは、言い切れない。
あの時彼は、説教じみた忠告を言わないといけなかったのかもしれない。
 しかし、
「これは俺が、自転車に鍵をかけなかった罰。そんな自分を、懲戒するんだ」
とだけ僕に告げて帰宅している。
 クスクスと僕が笑ったことで、怒ったのだろうか。
僕が影を踏めない程度の距離をあけて、先を歩いている。
無言。でも、彼の優しさはひしひしと伝わってきた。
 その姿は憎いほど男前で、僕はそんな彼がどうしようもなく好きだった。
 
 それから、また数歩歩いてから彼が言った。
「……早く帰って、勉強しよう。俺は頑張って、お前と一緒の学校行かなきゃ、だからな!」
そう言って、彼は走り出した。ああ、なるほどそういうことか。
 僕は、顔が赤くなるやらで、
「待ってよ!」
とだけ叫び、スカートをひるがえし走って追った。

                  了



BACK−懲戒免食 ◆7CpdS9YYiY  |  INDEXへ  |  NEXT−手向けるべき華すらもなく ◆D7Aqr.apsM