【 懲戒免食 】
◆7CpdS9YYiY




71 名前:懲戒免食1/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:37:01.15 ID:i+vBBQMQ0
「丹田・ステフェン・ロス。貴方は食料庁の資材管理局バイオスフィア保全担当官という立場にありながら、
 その資材を横領し、不正に民間に供していた。認めますか?」
「……はい」
「よろしい。実によろしい。それでは、本日付をもって、貴方を懲戒免食処分とします」

 ──こうして、俺は『食』を免ぜられることとなった。

「……ふーん、よかったじゃん。死刑とか懲役とかじゃなくて」
「ああ、まあな。むしろ朝飯作る手間が省けて良かったよ」
 免食となって一日目、俺は街中の喫茶店で恋人のエリと話をしていた。
 処分を受けた翌日にデートとは我ながら不謹慎だが、免食を言い渡された時点で俺への罰は終了している。
後はどうしようとそれは個人の自由のはずだ。
「昔と違って、飯を食べなくても死にはしないからな。太陽光と水だけで十分だし、各種調整剤の服用も制限されていない」
「でもさ、食事をする楽しみが無くなったわけじゃん? それって、どんな感じ?」
「どうって……別に、普通さ」
 ちょうど肩をすくめて見せたところへ、ウェイトレスが「お待たせいたしました」とチョコパフェをテーブルに置く。
 バナナとチョコシロップと生クリームがたっぷりの、この店目玉の一品だった。
「お前、まだ食べるのかよ」
 俺はなんとなく呆れてしまって、溜め息をこぼす。
「えー、でもここのは美味しいんだよ。……食べる?」
「だからもう食えないんだって」
 免食された彼氏を目の前にスイーツを食べるとは、なかなか不謹慎な女だ。まあ、俺といい勝負だろう。
「ねえ、もし食べたらどうなっちゃうの? 頭が沸騰しちゃうとか?」
「するか!」

72 名前:懲戒免食2/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:37:35.89 ID:i+vBBQMQ0
 俺の大声に驚いたのか、隣の席の女学生が何事かとこちらに視線を寄せる。
 さすがに気まずくなった俺はひそひそ声でエリに説明した。
「A10神経系にある種の制御が掛けられてな、口に入るもののほとんどがまずく感じられるんだと」
「『だと』? まだ試してないの?」
「なんでわざわざまずい思いしなきゃいけないんだよ」
 そこでエリの顔がぱあっと明るくなる。この顔はなにかロクでもないことを思いついた顔だ。
「ね、これ食べてよ」
 と、長スプーンにすくったバナナとアイスと生クリームを俺の鼻面に突きつけてきた。
「嫌だよ」
「えー、ものは試しって言うじゃーん。あたしが『あーん』ってするのに食べてくれないの?」
 「ね、お願い」と猫なで声で懇願するエリに根負けした形で、俺はしぶしぶそれを口に入れた。
「……どう?」
 舌に『それ』が乗った瞬間、椅子から腰が浮きかけた。
 俺が知っているパフェの味はなにも感じなかった。甘味も脂肪のこってりした味も、冷たさも無かった。
その代わりに、なんとも形容しがたい舌ざわりと、錫か亜鉛でも飲んだような上顎に張り付く違和感が口いっぱいに広がった。
 反射的に込み上げる嘔吐感を辛うじて押さえ込み、卓上のペーパーナプキンを掴み取ってそこに吐き出す。
「うぇっ、なんじゃこりゃ! な、これ、かはっ、マジか!? マズッ!!」
「あはは、すごい顔色。信号機みたい」
 能天気に爆笑するエリを尻目に、俺はナプキンに吐いたものを確認する。
 実際に目の当たりにしても信じがたいが、やはりどう見てもバナナとアイスと生クリームである。
 あの不快感の元がこれなのである。
「……そんなに不味かった?」
 空のスプーンをぷらぷらさせながら、エリが少しだけ心配そうに訊いてきた。
 俺はエリの手からスプーンを取り、それを舌に押し付けてみた。それは普通にあの金属の味がした。
 それからチョコシロップをほんの少しだけすくい取り、恐るおそる口に運ぶ。
「ゲホッ! ぺっ、ダメだこりゃ。人間の食うもんじゃねえ」

73 名前:懲戒免食3/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:38:32.25 ID:i+vBBQMQ0
「なにその言い方。なんかむかつく」
「いや、でもこれはビックリだ。マジで受け付けねーよ」
 ある意味新鮮な感覚に興奮した俺は、スプーンを左右に振りながら不味い不味いと連呼する。
通りがかったウェイトレスが露骨に顔をしかめた。
 ひょい、ともう一匙すくって口に入れる。
「──おえ、けほっ。やっぱ無理だ」
「なんで食べたの、今」

 それから二週間が経過した。
 免食直後は、飯くらいどうってことないと思っていたのだが──。
「……あー、血の滴るレアステーキが食いてー」
「うるさいなあ、ここのとこ毎日そればっか。食べに行けばいいじゃん」
「はあ!? ふざけんなよ、俺が免食したって知ってんだろうが!」
「な、なによう、怒鳴ることないじゃん……」
 身を縮こませて涙を浮かべるエリを見て我に返った俺は、ぶっきらぼうに詫びて背中を向けた。
 エリに八つ当たりしてもしょうがないことは分かっているのだが、最近は精神状態が不安定だ。
 原因は分かりきっている。飯を食べていないからだ。
 あんなに好物だった牛のレアステーキも、今ではゴムのような味しかしない。俺が食べたいのはゴムではなく牛なのだ。肉なのだ。
そこのところを俺の脳神経は分かってない。まるで分かってない。
「……エリ、もう帰れよ。飯の時間だろ」
 エリは俺に遠慮してか、俺の前では一切ものを口にしない。
 考えてみればいじらしいやつなのだが、そこがまた俺の情緒不安定を掻き立てるのだ。
 だから今は、こいつとはあまり長い時間を過ごしていたくない。
「分かった、帰るよ。……でも、もう来ないから」

74 名前:懲戒免食4/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:39:11.64 ID:i+vBBQMQ0
 それが別れの言葉と理解するのには数秒を要した。
「え、それって──」
 俺が何かを言うより早く、エリが早口にまくし立てる。
「最近、キスもしてくれなくなったよね。ううん、理由は分かってるの。
 あたしが美味しく感じないからでしょう。その、唾とか、肌とか、色々」
 エリはそこで言葉を一瞬切り、搾り出すように次の言葉を吐き出した。
「──だから、さよなら」
 それきりエリは振り返ることも無く、というかむしろ脱兎のごとく俺の部屋から出て行った。
「う、うう……」
 独りきりになった部屋で、俺は掻き毟るような胸の苦しみに襲われる。
 衝動的に台所に駆け込む。冷蔵庫も米櫃も空だ。中身なんてとっくにゴミの日に出してしまった。
 力任せに棚の戸を開ける。その勢いに蝶番が軋むが、それに構うことなく奥に残しておいたカロリーブロックを取り出し、
包装を破り捨てるように剥いて口元へ運ぶ。
「っ……」
 免食以来、何度も味わった不快感が脳裏に呼び起こされるが、それよりも強く突きあがる暴力的な衝動に身を任せて、
その黄土色の物体を思いっきり頬張り、乱暴に咀嚼し、無理矢理嚥下する。
「──うぐぇ」
 次の瞬間には激しい耳鳴りと割れるような頭痛が押し寄せてくる。トイレに行く間もなく、その場に全てを吐き出してしまった。
「うぇ、げふ、ごぼ、うう、ちくしょう……ぐ、はぁっ、げほ」
 全て吐いてもまだ胃はびくびくと痙攣しており、その不気味な蠢動と頭痛と耳鳴りに満たされて、
吐瀉物と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、俺はいつまでも呻き続けた。
「うう……食いてえよ……ステーキ……」

75 名前:懲戒免食5/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:39:53.62 ID:i+vBBQMQ0
 耐えかねて復食を願い出た俺に、区役所の窓口はあからさまに軽蔑した態度で応じてきた。
「食料資材の横領は重罪なんですよ、分かってますか?
 なんのために私たち人類が、光と水とだけで生きていけるように身体を作り変えたと思ってるんです?
 人類の手による環境破壊を防ぐためです。バイオスフィア、食物連鎖からヒトという種を外すためです。
 それでもなお、私たちは娯楽のために物を食べ、環境を破壊しているのです。
 その無駄な破壊を最小限に食い止めるためには、徹底した食料資材の管理が不可欠なんです。
 貴方のしたことはそれを根底から覆す、まさに地球への反逆です。
 非国民どころか宇宙船地球号の非乗組員です。食事が出来ないくらいなんだって言うんですか?
 食事の大切さは身に染みて分かってるでしょうが、それでも食べなくても死にはしませんよ。
 結論としましては、一度、懲戒免食処分を受けた方の復食は不可能です。復食が適用されるのは停食処分までです。
 ──はい、次の方」
 俺の手が肉切り包丁だったら間違いなくこの雌豚を細切れにして野菜炒めにしているところだが、
俺の手は肉切り包丁ではなかった。なので俺は最後の自制心を発揮して憤怒を収め、その場から離れた。

 その晩、俺はしたたかに酩酊して夜の緑地公園を歩いていた。
 酒はもう飲めないのでダウナー系の薬物で酔っ払っている。
「うーあー、もー、ダメだ。飯なんてクソ食らえだっつーの」
 ぐるぐる回る視界のなか、俺は藪に突っ込むのも木にぶつかるのも気にせずにふらふら歩き回る。
「クソなら食えるかもしれねーなー、あー、ステーキ食いてー」
 ふと気がつくと、指先が濡れていた。それは血だった。どこかに引っ掛けたのに気がつかなかったらしい。
 大した傷ではないが、血が垂れ流しというのも具合が悪い。仕方なく指を口に含んで血を舐め取った。
「──っ!」
 俺の脳裏に、痺れるような感覚が上ってきた。それは立っていられないくらいに強烈なものだった。
 これは──正真正銘、掛け値なしに──血の味だ!
 そのくらくらする感覚の洪水にやや遅れて、ある認識が甦ってくる。


76 名前:懲戒免食6/6 ◆7CpdS9YYiY 投稿日:2006/11/26(日) 16:40:42.90 ID:i+vBBQMQ0
 そう言えば、エリの身体は味覚的に受け付けなかったのに、自分の唾液にはなにも感じていなかった──。
 俺に施された免食処分、それは、自分自身は対象外だったのだ──!!

 がくがくと震える足は重力に負け、俺は地面に倒れ伏せる。
 それでも視界は回っている、耳鳴りはファンファーレを奏でる、風は吹いていて大地は暖かい、
 そして、そして──

 舌の上では血の滴る肉が踊っていた。


 それを発見したのは、環境庁のバイオスフィア保全担当官、つまり緑地公園の管理人たちだった。
「あの、これって……」
 口元を押さえてわななく若い管理人の背後から中年の管理人が覗き込み、ほう、と面白そうな声を上げる。
「ああ、ひさびさに現れたな。こいつ免食処分者だよ、見れば分かる。おい、警察と救急車」
「は、はい。……でも、免食処分を受けるとみんなこうなっちゃうんですか?」
「みんなとは言わないが、まあ少なからずいるな」
「こうならないように処置することだってできるでしょうに」
「ん? 出来ないこともないが……真っ先に発狂するだろ。逃れがたい自分の味が我慢ならないとあっては」
 若い管理人は、痛ましい目つきで足元に視線を落とす。
「はあ」
「ま、いいんじゃねえか? 人間死ねば、行き先は三つだ」
「はあ」
「煙か土か食い物、ってな。いや、昔のミステリのタイトルなんだが」
「はあ」
 若い管理人は、やはり割り切れない面持ちで足元に転がるものを見続けていた。

 そこには、腹がぱんぱんに膨らみ、右腕のほとんどと左手の肉がこそげ落とされた死体があった。
 男の顔は幸せそうに歪み、左手の骨をしゃぶるように咥えていた。



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