【 宇宙 VS 貧乳女教師 】
◆wDZmDiBnbU




26 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (1/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 13:59:32.15 ID:5ZjYPrQ90
 あれから十年。こうして全く同じことをしているなんて、まさか思いもしなかった。
 鍵を差し込み、ゆっくりと回す。古びた鉄のドアが、がちり、と音を立てた。すぐに闇
へと吸い込まれたはずのその音が、いやに耳について離れない。胸に引っかかる妙な居心
地の悪さ。それを振り切るように、綾は思い切りドアを開いた。
 肌をくすぐる心地よい冷気。爽やかな風が長い髪を撫でる。次いで踏み出したその一歩
が、目の前の世界を大きく開いた。頭上にどこまでも広がる、突き抜けるような夏の夜空。
ただ広く大きく、そして静かな夜。その真ん中に綾はいた。
 ほらね、別になんてことないじゃない――。
 自分自身にうそぶくと、綾は大きく深呼吸をした。胸いっぱいに広がる澄み切ったその
空気。気持ちいい――そのはずなのに、どういうわけか気分は晴れない。
 別段どうということもない、ただの学校の屋上。いままで避けてきたその場所に、いま
再びこうして立っている。かつては大好きだったその場所。だが正直なところ、なんの感
慨もなかった。大人になったんだと言えば、聞こえはいいのかもしれないけれど。
 気がつけばいつの間にか二十七歳、大人になるどころか、なにも変わってなんかいない
んじゃないか――そう思うと、少し身震いがした。ややこしい考えを打ち消すように、小
さく背伸びをしたそのとき。ようやく後ろから、待っていた声が聞こえた。
「ちょ、ちょっとくらい手伝ってくださいよ、先生」
 その言葉の内容に違わず、どこか頼りない間延びした声。ドアの影から、大きな荷物を
抱えた少年が姿を現した。聞き慣れた声に、見慣れた顔。突如現れたその『日常』に、綾
は緊張がほぐれるのを感じた
「ほんと非力ね、しっかりしなさいよ。私にはそんな大きな荷物持てないんだから」
 冗談めかした言い方をしてはみたものの、それは決して誇張ではなかった。どうにか一
五〇センチを超える程度の綾の体は、中学の頃に成長をぴたりと止めてしまったままだ。
「だからって先生、なにもこれだけの量を一つにまとめなくたって」
 肩で息をするその少年。月明かりに照らされたその顔は、普段とはまた少し違って見え
た。薄い唇に、小さな鼻。丸く大きな瞳が、少し伸びた前髪の間から覗いている。華奢な
体つきと控えめな性格も手伝ってか、彼は高校生とは思えないほど幼く見えた。
「だってそもそも私は付き添いだもの。夏休みのど真ん中、それもこんな真夜中に学校へ
呼び出される身にもなりなさい」
 綾の苦情に対し息も絶え絶えに「すみません」と答えるその少年。二年C組、田川裕太。

27 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (2/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 14:00:09.41 ID:5ZjYPrQ90
受け持ちの授業が少ない綾にとって、校内の生徒の中では一番親しい存在だ。
 まあ謝ることじゃないけどさ――そう言うと、綾は服の裾を払った。学校に私服で来る
というのは初めてのことだった。ましてカットソーにジーンズ、それにサンダルと言うラ
フすぎる格好。どこか落ち着かない気持ちを抑えるように、綾ははっきりと言った。
「ま、せっかくの部活動なんだから。とりあえずさっさと準備しちゃいましょう」

 そもそもこの天文部というのはほとんど活動がない。校内一の零細部活で、その存在そ
れ自体を知らない生徒のほうが多いだろう。だがそれ故に、まだ教師としては経験の浅い
綾でも顧問を務めることができた。というよりも、うってつけと言った方が正しい。
 だが――綾はどうしても腑に落ちなかった。
「久々のまともな活動なのに、部員が一人きりってのもどうかと思うわ」
 不満を漏らしながら、綾は自分の用意した荷物を広げた。手際よくレジャーシートを敷
き、その上にクッションを置く。ペットボトルの飲料やお菓子まで用意されたそれはまさ
に狙い通り、ちょっとした観覧席の装いだ。
「仕方ないですよ。先輩たちも受験で忙しいでしょうから」
 傍らには同じく準備に忙しい裕太の姿。なにやら巨大な天体望遠鏡らしきものを設置し
ている。荷物の半分以上はこれだった。
 一足先に準備を終えた綾は、クッションの上に腰を下ろした。
「それよりも日程がひどすぎるわよ。いくら何でもお盆真っ最中はないわ」
 そればかりはもうどうしようもありませんから、と裕太。もう少し考えて計画すればい
いだろうに。とはいえ、決行日になってそんな文句を言っても仕方ない。
「で、今日はその望遠鏡でなにを見るの?」
 裕太が照れくさそうに頭を掻いた。どこか所在無さげなその様子。
「これは時間が余ったら使おうと思ってただけで。あとは、なんていうか、雰囲気です」
 そのただの『雰囲気』の重量に泣き言を言っていたのは当の本人ではなかったか。唖然
とする綾をよそに、裕太は満足げに立ち上がった。どうやら準備が整ったらしい。綾の方
へと歩み寄ると、その隣に腰を下ろす。
「でも先生、よく許可が下りましたね。僕、深夜の学校なんて使えないと思ってました」
 その言葉を聞いて綾は思い出した。確かに校舎の鍵は持っているし、現にこうして屋上
にもいる。だが。

28 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (3/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 14:00:39.20 ID:5ZjYPrQ90
「そういえば、使用許可を申請するの忘れてた」
「……それってひょっとして、すごくまずいんじゃないですか」
 まずいなんてものじゃない。間違いなく懲戒処分だろう。だが懲戒の一つや二つに怯え
ていては、教師など勤まるものではない。それに、綾には自信があった。
「まあまずバレないだろうし、問題ないわよ。それに多分免職まではいかないんじゃない?」
 免職。その言葉は裕太にとって、余程重く響いたらしい。
「やっぱり帰った方がいいんでしょうか」
「それじゃわざわざ来た意味ないじゃない。そうしたいのはやまやまだけどね」
 裕太が神妙な面持ちで黙り込むのを見て、あわてて付け加える。
「いや、帰りたいって意味じゃないの。ただこの場所がね、あんまり好きじゃなくて」
 この場所、というのは屋上のことだ。それは裕太にもわかったらしい、大真面目な表情
で彼がつぶやく。
「高所恐怖症ですか」
 その言葉に、綾は思わず吹き出した。
「そんなんじゃないわよ。ホント言うとね、昔は大好きだったの。意味もなく夜の屋上に
忍び込んだこともしょっちゅうだった。でもある日、ちょっとした事件があって」
 綾は屋上の端、柵の向こうに目をやった。
「見つけたの。屋上の縁に、靴と手紙」
 もうとっくにかすんでしまったはずその思い出を、手繰るように綾は続けた。
「一コ上の先輩だった。幸い一命は取り留めたから、ひどい事件にはならずに済んだんだ
けどね。でもそれ以来、なんとなく行きづらくなって……いつの間にか避けるようになっ
たの。それだけ」
 二人の間を、しばらくの静寂が支配した。
「……すみません。先生にそんなトラウマがあったとも知らずに」
 その大げさな表現に綾はかぶりを振った。トラウマなんて大層なものじゃない。なら何
なのかといえば、それは綾自身わからなかった。しかしいまでも時折、綾は思う。
 彼はその一歩を踏み出したとき、一体なにを思っていたのだろう。生きているのが嫌に
なることと、自ら命を絶つことは違う。どれだけ辛い思いをしたら、人はその選択に辿り
着くのだろうか。いつも、どれだけ考えても、それは理解できそうになかった。しかし。
「現に、自ら命を断つ子もいるのよね。それが身近に起こったことが信じられなかったん

29 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (4/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 14:01:11.59 ID:5ZjYPrQ90
だと思う。いまだにそうなんだから、成長がないわよね、私」
 言ってしまったあとで、はたと気がついた。少し湿っぽい話になってしまったかもしれ
ない。不安を感じ、裕太の顔を覗き込む。彼はまっすぐに見つめ返してきた。
「そんなことないです。立派だと思います」
 真顔のままの裕太の言葉。綾は自分の胸が小さく跳ねるのを感じた。こんな照れくさい
言葉を、よくもまあ――視線を外し、つぶやく。
「で、いつまでこうして空を見上げてるつもり?」
 その言葉に、裕太は視線を腕時計へと走らせた。
「……やっぱり望遠鏡の出番はありませんでしたね」
 残念そうなその口ぶり。だがそれとは裏腹に、その目がにわかに輝くのがわかる。
「そろそろです。いや、話し込んじゃって気づかなかっただけで、もう来てるかも」
 その言葉に首を傾げる。来てるって、なんのことだろう。
「説明したじゃないですか。それにニュースでもやってますよ……あ、ほら先生!」
 裕太が空を指差す。慌てて追った視線の先には、とても信じられない光景が広がってい
た。
 一体、どんな魔法を使ったのだろう――。
 流れ星。それも一つや二つじゃなかった。遠い空の向こうからこぼれ落ちる小さな星の
一つ一つ。そのまばゆいばかりの輝きが、夜空の漆黒に無数の線を引く。まるで月を砕い
てブラシでこすったような、空一面の光のしずく。満天の星空が、それこそ巨大な滝のよ
うだ。
「ちょっと……なに、これ」
 目を疑う、という言葉を実感したのは初めてだった。どこか現実味を欠いたその光景。
かつて見たことのない、あり得ないその情景を、理性が否定しているのかもしれない。だ
が現に、綾の両目はその景色を捉えて放さない。輝き、尾を引いて流れ落ちる星屑の群れ。
「流星群ですよ」
 裕太の声。それはいつになく静かで、深かった。
「こんな光景は初めてですけどね。昔からこうして、よく星を眺めていたんです」
 見上げたまま、独り言のように続ける。
「共働きの両親はいつも忙しいし、遊んでくれる友達もいませんでした。毎晩一人、家の
屋根の上で夜空を眺めて。馬鹿ですよね、星なら部屋の窓からでも見れるのに」

30 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (5/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 14:01:35.47 ID:5ZjYPrQ90
 わざわざ屋根に上ったのは、きっと寂しかったんでしょうね――その言葉に、裕太の方
を振り返る綾。それがどういうものかはっきりとは言わなかったにせよ、彼にもそれなり
に辛い過去があったのだ。当たり前のことだけれど、まったく想像だにしていなかった。
夜空を見つめるその穏やかな表情、それはいつもの裕太にしか見えなかった。
「もし僕が自殺するとしたら、やっぱりなにか手紙くらいは残すと思います。生きてるう
ちが駄目なら、せめて死んだあとでも気づいて欲しい。誰かが手紙を見つけてくれるだけ
でも、僕は嬉しいと思います。都合が良すぎるかも知れませんけど、そう思うんです」
 言い終えると、彼はちらりと綾の方を見た。予想外だったのだろう、しっかり合ってし
まったその目を慌ててそらす。どこか照れくさそうに頭を掻く、その仕草。
「流星、奇麗ですね。先生」
 ええ、本当に――綾は再び空へと視線を戻す。いまだ降り止む気配を見せない、星々の
雨の下。音もない夜空の舞台に、二人はただ見入っていた。

 どれくらいそうして眺めていただろう。長いような短いような、そんな時間の感覚さえ
どこか曖昧になったような気分だった。ちょっとした祭りのあとのような空気を残し、静
まり返る夏の夜空。その下で綾は脱力しきったまま座り込んでいた。きっと裕太も同じだ
ろう。胸に残る満足感と、その余韻。そしてなんだろう、この妙な居心地の良さ。
「ちょっと田川くん、やりすぎよ。あれじゃ願い事し放題じゃない」
 僕がやったんじゃありませんよ、と裕太が笑う。
「でも先生、願い事だなんて。意外とロマンチックなところがあるんですね」
「そんな事ないわよ。大人の願いってのはもっと切実なものよ。お金とか、仕事とか。あ
とこの平たい胸とか」
 自分で言ってしまったその言葉に、綾は急激な勢いで現実に引き戻されるのを感じた。
恨めしい思いを込めながら胸に目をやる。自分の小さな体の中でも、群を抜いて成長のな
い部分。それはもはや完全な平面と言っても過言ではなかった。
「そ、そんなことないです。立派だと思います」
 真顔のままの裕太の言葉。綾は自分の胸が大きくなったところを想像した。こんなあり
得ないお世辞を、よくもまあ――視線を外し、つぶやく。
「田川くんにはなにかお願いはないの?」
 その一言に裕太が俯く。その返事はほとんど独り言のようだった。

31 名前:『宇宙 VS 貧乳女教師』 (6/6) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2006/11/26(日) 14:02:04.63 ID:5ZjYPrQ90
「たった一つだけ……これだけの流れ星にお願いしたら、叶うかもしれないと思って」
 その言葉の意味を理解するより早く、裕太の手が動いていた。そのしっかりとした感触
が、綾の心を揺さぶった。肩を抱きすくめられるなんて、いつ以来のことだろう。
「先生、その、僕は」
 震える声に、真剣な表情。その瞳にはまるで子供のような、まっすぐな輝き。綾は小さ
く目を伏せた。なぜだろうか、少し、悔しい。
 ――こんな華奢な少年の腕にさえ、私の小さな体はすっぽりと収まってしまう。
 裕太の肩に手を触れ、そっとやさしく押しのける綾。
「田川くん。あなた、私の立場わかってる?」
「ごめんなさい、でも僕は本気で――」
 そんなことは表情を見ていればわかる。綾は黙ったまま、ただ裕太を見つめ返した。そ
の目が少し悲しそうに歪む。やがて、ゆっくりとほどかれる、彼の腕。
「……すいません。こんなの先生、クビになっちゃいますよね」
 俯いたまま、ばつが悪そうにつぶやく裕太。その耳元で、綾は「大丈夫」と囁いた。
「懲戒免職にはまだ足りないかな」
 なにか言いかけた悠樹の口を、綾の唇が遮る。柔らかいその感触。もう一度止まる、二
人の時間。
 しばらくの後。唇の戒めを解くと、綾はにっこりと微笑んだ。
「多分これくらいはしないと、駄目ね」
 目を丸くして固まる裕太。よほど虚をつかれたのだろう、彼はしばらく呆然としていた。
やっとのことで「そうなんですか」とつぶやき、再び俯く。恥ずかしそうなその様子に、
少しいたずら心が湧く。
「一応言っておくけど、まだ足りないってのはナシだからね」
 自然と微笑む綾の視線の先には、さらに縮こまる裕太の姿。まったく、素直すぎるにも
ほどがある――。

 流星の過ぎ去った空の下、そびえ立つ天体望遠鏡だけが、静かに二人を見つめていた。

<了>



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