【 悪魔の社会も歩合制 】
◆ybxPR5QFps
537 名前:VIP村人P 投稿日:2006/11/25(土) 09:50:21.98 ID:dQ4d9atf0
澄み渡る青空。肺いっぱいに吸い込む朝の風。いいねえ……こう、なんつーか気持ちのいい日って、こういう日のことを言うんだろうな。
いつもは遅刻ぎりぎりの時間に走って通り過ぎてしまう街の景色も、こうしてのんびり歩けば違って見える。
休みの日に限って早起きしちゃうんだもんなぁ……ったく。まあ、そういうこともあるよな。
「ねえ、君」
さて、今日はどうするか。あてもなくぶらぶらするのもいいが、なにかこう目的が欲しいところだな。とりあえず駅の方にでも――。
「ねえ! ちょっと無視しないでくれる?」
「どわっ!!」
顔面から地面にヘッドスライディングをかます俺。いや、誰かが勢いよく足払いをかけてきたということはすぐに理解できた。
「つつつ……てっめえ! なにしやが――」
しかし俺は抗議の叫びも忘れて息を飲んだ。
「な……」
なんっつー美少女だ。
さらさらの髪は腰までのロング。肌は透き通るように白いが健康的なみずみずしさを保っている。意志の強そうな大きな瞳で、じっとこっちを見据えている。
OLのスーツのような服のせいで大人びて見えるが、たぶん俺とそう変わらない年齢だろう。
「もう。どこまでボケてんのかしら。私、人に無視されるのって嫌いなの」
「はあ……」
なんとか起き上がって鼻の頭を押さえる。
なんというか、せっかく可愛いのにこの毒舌……素直に喜べた状況じゃなさそうだ。
「えと……俺になんか用っすか?」
「あなた、私のことどう思う?」
「へ……?」
「私のこと美人だと思う? かわいいと思う? ナンパしたいなって思う? ホテルに連れ込んであんなことやこんなことをしちゃいたいなって思う?」
538 名前:悪魔の社会も歩合制 ◆ybxPR5QFps 投稿日:2006/11/25(土) 09:50:53.17 ID:dQ4d9atf0
ずいっと顔を近寄せてまくし立ててくるのだ。
はっきり言ってめちゃくちゃかわいい。しかし一体この女の子は何を言っているのだろうか? 正直言ってかなりキテるような気がする。危険だ。でも……。
「か、かわいいです……」
俺が言った瞬間、女の子は本当に嬉しそうに微笑む。
そしてこんなことを言ってくるのだった。
「はい、決まり。私は涼子。じゃあ、契約しましょっか?」
近くのファミレスに半ば強引に連れて行かれた俺は、”契約書”なるものに判を押した。当然印鑑など持っていないので拇印だ。
「ふふふ、バカねえ。これがキャッチセールスだったら、君もうアウトだよ」
まったくもってその通りです、ハイ。ああ、俺はこんなふうに人生を転落していくのだろうか……。
「いやあよかったよかった。無事契約も済んだところでぶっちゃけるけど、私、悪魔なのよねえ。で、ちっとサボりすぎちゃってぇ。今日中に契約取れなきゃ懲戒免職だったのよね。いや、ほんといいカモがいてよかったわ」
などとその”カモ”を目の前にして言うのだ。
悪魔。堕天使。マンガやアニメで出てくるあれか……。ふーんなるほど……。
「って、そんなのあるわけないでしょ? はは、冗談にしてもスケールがでかすぎですよ」
苦笑いを浮かべつつオレンジジュースをすする。そして沈黙。涼子はなぜか真剣な表情だ。
しまった……。俺ひょっとしてハズした?
涼子はひとつため息をついて切り出す。
「じゃあ証拠見せてあげる。契約は対象が信じなければ効果がないからね。あなたには私の言うことを信じてもらう必要があるの。来て」
席を立ってついてくるよう促す涼子。
レジの店員が金額を告げた時、涼子の目が少し細められた。
「……ありがとうございました〜!」
営業スマイルで店員が復唱する。涼子は金を支払った様子はない。
「ちょっと涼子さん!」
「ん? なに?」
店の外で俺は声を荒げた。
「今の。お金払ってないでしょ。一体どういうことなんですか!?」
涼子はめんどくさそうに振り返る。
「あーもう。だから言ったでしょ。今のが悪魔の能力。信じてくれた?」
「いやでも……それでもちゃんとお金は払わないと……あああああ! やっぱり俺が払ってきます!」
539 名前:悪魔の社会も歩合制 ◆ybxPR5QFps 投稿日:2006/11/25(土) 09:51:59.44 ID:dQ4d9atf0
「君は体が動かない」
涼子がぽつりと言ったとたん、体が文字通り動かなくなる。パニックになりそうな思考をなんとか落ち着かせようとするも、恐怖で心臓が締め付けられるようだ。
「こ……これって……マジ?」
涼子はそれこそ”悪魔的”な微笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んでくる。
「ふふふ……マジだよ」
「じゃあもしかして俺が支払うのは」
聞いた事がある。悪魔の契約で人間が払う代償というのは……。
「もちろん、君の魂……だよ」
「………………」
お、終わった。何もかも。
早起きしなけりゃこんな目に会わずに済んだのに。美人に鼻の下伸ばさなきゃ、ついていかなきゃこんなことには……。
そもそもなんで俺は簡単に捺印しちゃったんだ? もしかしてあれも彼女の能力で?
「あーそんな暗い顔しちゃってえ。いい、言っとくけどこれってそんなに悲観したものじゃないんだよ? それどころかちょーお買い得。君ってば数万人に一人のラッキーボーイなんだから」
「……」
ウソくせえ。超ウソくせえ。人を動けなくした状態で悪魔が囁いたところで信用などできるわけがない。
俺の鬱憤が顔に出ていたのか、涼子はすこしむくれて言う。
「う〜ん、本当なんだけどなあ。えっとね、私の能力は催眠暗示程度のものでしかないけど、契約した術者はさらに色々な力を使えるの。物を動かしたり火を出したり空を飛んだり。
そして使い魔になった私はあなたの好きなようにできる。エッチしたりし放題なのよ? どう? いいと思わない?」
思わずつばを飲み込んでしまう。
「だから私が君を選んだのだって、君が私の好みだからなの。キモい男に抱かれるなんてまっぴらだしね。それに魂だって死んだ後にもらうだけだし……なにもいますぐ殺す〜ってわけじゃないのよ?」
540 名前:悪魔の社会も歩合制 ◆ybxPR5QFps 投稿日:2006/11/25(土) 09:52:57.32 ID:dQ4d9atf0
「本当……?」
なんだかすごくいい条件に思えてきた。つまり魔法が使えるようになって、こんなかわいい彼女ができて寿命が縮まるわけではないということか。なんだいいじゃないか。はははは。
「えと……ぜひぜひよろしくお願いしますです!」
「ふふ、こちらこそ」
「今日から魔法使いか。いやぁわくわくするな。どれ、さっそくなにか試してみるか」
別れ際に涼子からもらった魔術書をめくって、地獄の炎を召喚する呪文を唱えてみる。
しかし変わり映えのない自分の部屋。なにも起こる様子はない。
「おかしいな……発音が悪いのかな? じゃあ次は……えっと、念動力の呪文」
しかしまたもや失敗。何も起こる様子はない。
いやな予感が脳裏をよぎる。まさか俺、ハメられたんじゃ……?
「飛行呪文! 召喚呪文! 呪い! 回復! 自爆!」
……………。
お、終わった。何もかも。
今日二回目の終焉。やっぱりあの女は詐欺師だ。そして契約書の、きっと隅っこに宝石を買わせる文章でもあったに違いない。もし親にバレたらどうしよう……ああ……この歳で借金を背負うハメになるのかな……。
布団にもぐって悶々と思い悩む。
今日は眠れそうになかった。
「じゃ、いってきま〜す……」
次の日。天気は昨日と同じ快晴。しかし気分は沼の底よりも沈んでいた。
玄関からふらふらと出てきた俺を待っていたのはしかし、昨日会ったばかりの人物だった。
「えへへ……おはよう。ちょっといいかな?」
バツが悪そうに頭を掻きながら、涼子はおずおずと言った。
「実はね、私、クビになっちゃった」
「え、でも昨日は契約が取れたって喜んでたんじゃないですか?」
通学路を二人連れ立って歩きながら話す。
「それがねえ……ちょっとしたミスなんだけど、実は契約するにはお互いが相手の名前を知ってなきゃいけないのよね。私、君の名前まだ知らない」
「はあぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜?」
思わず大きな声がでた。落胆というか拍子抜けというか、とにかくそんな声だ。
541 名前:悪魔の社会も歩合制 ◆ybxPR5QFps 投稿日:2006/11/25(土) 09:53:35.27 ID:dQ4d9atf0
「いや、だってさ。き、緊張するじゃない。好きな子と話す時って。うっかり忘れてて……」
「好きって俺が?」
「……うん。昨日も言ったと思うけど、ほとんど一目惚れ……」
「そっか〜、ちょっと残念だな。せっかく魔法が使えると思ったのに。あ、でも涼子さんの方が大変か。クビになっちゃったもんね。えっと、会社……じゃなくてえ〜っと……」
「東方の血の七星会。あ、私の所属してたとこなんだけどね。まあこれで私の悪魔のキャリアはおしまい。そこらへんの自縛霊くらい権威のない存在になっちまったってわけ」
「じゃあ契約も……?」
「そう、無し」
ちょっと残念だ。悪魔とか抜きにしても涼子は本当にかわいいし、口は悪いけど根は悪い人じゃないと思っていた。このまま別れてしまうのはとても寂しい気がした。
「あっあの……」「あっあの……」
見事にハモる。
気まずい空気が流れたが、涼子が手にしたカバンを見せて言う。
「これ、なんだと思う?」
どうみても普通の通学鞄です。うちの学校の。……えっ?
「私の能力知ってるでしょ。今日から君の学校に通おうと思うの。だからもしよければ、契約とかなしに……付き合って……欲しいかな……なんて」
確かに彼女の能力を使えば今まで普通に通ってた風に教室に溶け込むことも可能だろう。しかしそんな理屈を抜きに、正直に――。
「俺の方こそ……よろしく!」
本当にうれしかった。心から。
今日はなんていい日なんだろう。
「あっ――」
涼子が突然口に手を当てて驚いたような顔をした。
「え、なに?」
「そういえば、私まだ君の名前聞いてない……」
「あはは、また聞くの忘れてたのか。俺の名前は――」
二人で仲良く校門をくぐる。
キャリアが絶たれたというが、今はただ感謝しよう。彼女との出会いを。
-了-