【 親父、見ているかい 】
◆bsoaZfzTPo




583 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:10:23.65 ID:FkfJqPIG0
 ……そろそろか。
 草むらに隠していた身をわずかに起こし、木の枝に巻きつけた糸を見た。
 糸は風に吹かれて、南へと流れている。風向きは重要だ。臭いで気づかれては、こうし
て身を隠している意味が無い。
 自分が風下に居る事を確認して、少し気を緩める。
 緊張はそう長く持続しない。仇に復讐の牙を突き立てる、その時に最高の力を発揮でき
なければ、全く意味が無い。
 ただ、決意だけは鈍らせない。親父、見ていてくれよ。

 魔王が勇者に殺されて、二年だ。たったの二年で、世界は随分と変わった。
 各国の王が騎士隊を組織し、大規模な魔物狩りが幾度も行われた。魔王という指導者を
欠いた魔物は住処を追われ、次第に山や森の奥へと姿を消した。
 勇者の出自が田舎の平民だったという事実に勇気付けられて、村々で自警団が作られた。
魔物を倒せば国から褒賞が出る。ただ逃げ惑うだけだった人々は、森で魔物が出たと聞
けば鍬を槍に持ち替えて戦うようになった。
 一貫して守られたのは、多人数で一匹の魔物を相手にする事。国へ戻った勇者が王に進
言した事だと聞く。事実、それを守る限りにおいて、討伐隊の損害は微少なもので済んだという。
 そう、本来なら群れねばならない。数で上回らなければ、勝つことは出来ない。仇討ち
だのと言って格好をつけても、俺が今からやろうとしている事は自殺行為だ。
 一度や二度は上手く行くだろう。しかし、仇の数は多い。続けるほどに警戒され、逆に
俺を仇と言って襲い掛かってくるようになる。
 それでも俺は、自警団に嬲り殺しにされた親父の最後を忘れる事は出来ない。
 がさりと、下ばえを踏む音がした。最初の仇だ。俺は八本の脚に力を込め、飛び掛るために姿勢を低くした。

584 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:12:32.58 ID:FkfJqPIG0
 あっさりと、男は死んだ。
 草むらから飛び出した俺に反応する事も出来ずに、押しつぶされた。
 退いて見れば、男の体からは折れた骨と内臓がはみ出していた。死体は背に弓を追って
いる。狩人の男は、いつもどおりに森へ入り、いつもどおりに昼を食うため泉へ近寄り、
そして俺に殺された。これで、もう後戻りは出来ない。

 翌日、次の仇が来た。俺は木の上からそれを見ていた。
 昨日殺した狩人の捜索に来たのだろう。屈強そうな男ばかりが五人、弓や槍で武装して
いる。ただ奇襲するだけでは、もう勝てない。
 男達は周囲を警戒しながら歩を進める。少し歩いては、おおいと狩人を呼ぶ。その繰り
返しだ。どうやら獣道に沿って捜索しているようだ。狩に入った者を探しに来たのだ。当
たり前なのかもしれない。
 道が予測できたので、俺は罠を張る事にした。

585 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:13:06.83 ID:FkfJqPIG0
 最初に、先頭を歩いていた男が転倒した。木の間に張っておいた糸に足を取られたのだ
。目論見どおり、倒れた先で粘着性の糸に引っかかっている。簡単に起き上がる事は出来
ない。残りの男達が、倒れた男を起こそうと集まってきた。
「糸が」
 倒れた男が声を上げる。
「蜘蛛か!」
 それだけのやり取りで、男達は俺の正体に気付いたようだった。倒れた男を背に庇うよ
うにして三人が周囲を警戒し、残りの一人が素早くナイフを取り出して糸を切るためにか
がみこんだ。良く連携が取れている。自警団ではなく、冒険者の類かもしれない。
 村の人間で無いなら、親父の仇では無い。だが、蜘蛛であるという情報を持たせて帰す
わけにはいかなかった。
 俺は目の前にある糸を脚で切る。直後、限界までしなっていた木の枝が跳ね上がった。
 次の瞬間には、男達は網に絡め取られて宙吊りになっている。狩人が鹿を取るために使
っていた罠と同じものだ。
 男達が状況を理解する前に、とどめを刺した。

 冒険者を殺したのは、失策だった。
 村の連中は自分達の手に負えないと判断して、国へ泣きついたのだ。
 森の中をがしゃがしゃと音を立てて進む甲冑の群、騎士隊だ。四十、いや五十はいる。
 別の森や山へ逃げようにも、もう遅い。この森から出れば、自分の巨体を隠してくれる
物はない。あっという間に見つかって、殺される。
 何より、親父の仇を討っていない。俺は覚悟を決めた。戦ってやる。

587 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:13:43.07 ID:FkfJqPIG0
 最初の二日は、見つからない事に専念した。この大軍を倒すにはどうすれば良いのか、
見当がつかなかったというのもある。つかず離れず、常に騎士隊の風下を行く。まあ、甲
冑の音や周囲の騎士の気配がある。姿を直接見られない限りは、気づかれる事は無い。
 観察していて気付いた事が二つある。
 騎士隊は森に不慣れな者が多いのか動きが遅い。なにより、固まって進むには森の木が
邪魔なのだ。わかっているのは魔物がいるという事だけ。俺がどんな魔物か、どこに居る
のかもわからない。あてもなく森の中を歩き回るのはさぞ疲れるだろう。
 もう一つ、一番偉い人間が分かった。夜営の配置や周りの騎士達の動きが、その男を重
要人物だと告げている。指示はいつもその男から発せられている。間違いなく、あの男が
隊長だ。
 魔王が殺されて、魔物は統制を失った。人間も同じに違いない。

 さらに四日、俺は逃げ回った。騎士隊の動きは一日ごとに精彩を失っていく。糧食から
生ものが消え、干し肉などの保存食ばかりになった。良い頃合だ。
 夜の闇に紛れて罠を張る。この大人数全てを殺すのは不可能だ。森に潜む魔物が蜘蛛で
あるという事は、出来れば知られたくない。
 知られれば、糸を警戒される。それと知って注意深く見なければ気付かない透明な糸、
それが俺の持つ最大の武器なのだから。

588 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:14:34.37 ID:FkfJqPIG0
 ここ数日騎士隊は、森の中心近くにある泉で夜営をし、そこから森の端まで歩いては戻
ってくるという動きを繰り返している。俺達が張る巣の縦糸にも似たその動きからは、森
をシラミ潰しに探すという意志が感じ取れる。だからこそ、今日どこを通るのかも分かり
きっていた。
 騎士隊が、木の少ない開けた場所に出た。全体に安堵した空気が流れ、自然と広場の中
心へ集まる。俺は、もう何も考えずに、糸を切った。
 無数の矢が、騎士隊に降り注いだ。狩人と冒険者から奪っておいた矢だ。刃には俺の毒
が塗ってある。少しでも傷がつけば、痺れて動けなくなる。まるで死んだように。
 隊列から悲鳴が上がる。
「隊長!」
 騎士達が叫んで、一斉に隊長を見た。その視線の先で、隊長の体がぐらりと揺れて、倒
れた。矢傷を受けた他の騎士達もばたばたと倒れる。
「毒矢だ」
 士気は呆気なく崩壊した。騎士達は倒れた者の生死も確認せずに壊走した。当たれば死
ぬかもしれない攻撃を受けて、なお平静を保つのは難しい。指揮するものが居ないならな
おさらだ。
 動くものが居なくなってから、ゆっくりととどめを刺した。

589 名前:親父、見ているかい ◆bsoaZfzTPo 投稿日:2006/11/20(月) 00:14:47.34 ID:FkfJqPIG0
 結局、親父の仇は討てなかった。騎士隊の敗走を受けて、俺の住む森は第一級の立ち入
り禁止区域となったそうだ。
 仇の村は放棄が決定され、気がつけば誰も居なくなっていた。
 時が経つにつれて、少しずつ、魔物たちが森に集まってきた。
 人に追われた者、騎士隊に勝った俺に従う者。魔物の数が増えるごとに、噂が大きくな
り、新しい魔物を呼び寄せた。
 親父、見ているか。俺は今……。
「魔王様、勇者が来るそうです」
「そうか、二十三番の罠に誘い込め。動きを止めたら、魔法部隊で一斉攻撃。殺しきれな
ければ逃げて来い。とにかく姿を見せるな。見つからなければ、殺されることも無い」
「御意に」
 魔王なんてものを、やっている。
             了



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