【 極の恋と蜘蛛の毒 】
◆tGCLvTU/yA




568 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:00:14.32 ID:UyhOye9V0
 お嬢様が明日デートをすると言い出したのは、夕食を終えた晩のことでございました。
「父さん。私、明日ちょっと出かけるから」
 お嬢様には母はいらっしゃいませんから、親方様とお二人の一家団欒の時を過ごしていた時のことです。お嬢様はそれまでの笑顔が
嘘のように真剣な表情に変えてそう言いました。はて、お出かけするぐらいでそこまで大真面目な顔する必要があるのでしょうか。
「どこへ行くんだ?」
 私たちに対する時とはまた違う、温かみのある声がお嬢様に問いかけます。親方様の不安そうな表情がとても新鮮です。
「遊園地。デートするから」
 目の錯覚でしょうか。お嬢様がそう言った瞬間、親方様から黒い霧のようなものが出始めているのような気がするのです。
「デートだと?」
 親方様の声は先ほどの温かみを失くし、ただ相手を威圧するような凄みのある声に様変わりしておりました。どうやら、さきほどの
黒い霧、目の錯覚ではないようです。
 成人男性ですら卒倒しそうな鬼を想像させるような声、ですが流石親方様の娘。お嬢様はそんな声にも表情ひとつ変えません。
「そうなの。だから、先に言っとくね。邪魔だけは絶対にしないで。組のみんなにも迷惑かけちゃダメだからね」
 あらあら、見事に先手を打たれてしまいましたね親方様。
「……オウ。当たり前だ」
 返事だけは快諾でしたが、表情が見事なまでに歪みきっています。思えばお嬢様の年齢が十になった頃から、親方様は一度も口喧嘩
でお嬢様に勝ったことはなかったような気がします。
「絶対だからね? 約束だよ? 約束破ったら、ご飯抜きだから」
 お嬢様、いつも夕飯を作っているのは私ですよ。と言いたいところですが、お嬢様が作るなと言ったら私も逆らえません。
「わかってる……邪魔はしない」
 親方様の返答にお嬢様はにこやかな笑顔をお返ししました。これでまた一敗みたいですね。
 お嬢様は満足したのか、鼻唄まじりに皿洗いなど始めました。いつもは私の仕事なのですが、
「いいよ、今日は私がやるから! 聖さんは今日はお休みということで。ね?」
 と、お嬢様がおっしゃられるものですから、私もお言葉に甘えさせていただきます。
 機嫌の良いお嬢様に顔を綻ばせていると、あの凄みある声が私をお呼びになりました。
「聖……わかっているな?」
「心得ております。親方様」
 こうなることはもちろんわかっていました。子煩悩の親方様が娘の初デートを見過ごすはずがございません。明日の夕飯もお嬢様の
貞操に比べたら安いもの、といったところでしょうか。
「へっ、それでこそ鬼蜘蛛組の若頭だ。組のもんも好きなだけ連れて行け」

571 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:01:19.32 ID:UyhOye9V0
 そういう親方様の表情は大変凛々しくて素敵なのですが、尾行だというのに大勢で行ってどうするのでしょうか。ともあれ、明日は
忙しくなりそうです。

 大変爽やかな朝でございます。小鳥はさえずり太陽は燦々と輝いて、今日という日を祝福しているかのようです。ふむ、屋根裏から
見る太陽もなかなか乙なものでございますね。ですが戦い、いや尾行は朝日が昇ると共にもう始まっています。昨晩からすでにお嬢様
の部屋の真上に控えていますが、冬の屋根裏はなかなか応えます。もう少し厚着をしてくるべきだったかもしれません。
「うーん、あんまり寝れなかったかも……」
 どうやらお嬢様が起床なされたみたいです。もう少しその可愛らしい寝顔を拝見していたかったのですが、残念。
「よし……今日は頑張ろう。とりあえず、き、キスくらいはしたいな」
 こればかりは私も声は上げそうになりました。お嬢様が殿方と接吻。ありえません。断固としてありえません。
 どうやら、思いのほかお嬢様は今日という日に賭けているようですね。これは本当に組の人間を何人か使わなければいけないかもし
れません。覚悟してください、お嬢様の寵愛を受けるまだ見ぬ殿方。この蜘蛛は非常に狡猾ですよ。朝の蜘蛛とはいえ油断は禁物です。

 家を出まして自転車で数分の駅で電車に乗ると、デートの定番スポット遊園地に着きます。どうやら入り口で待ち合わせしているよ
うで、お嬢様はそわそわとまだ見えぬ相手を待っているようです。
「若頭」
 それにしても、お嬢様を待たせるとは一体どういう了見なのでしょうか。お嬢様が選ぶ殿方ですから、優秀なのは間違いないでしょ
う。ですが、時間にだらしないのはいただけません
「若頭!」
「なんですか薫くん。いちいち大声で呼ばなくても大丈夫です。聞こえていますよ?」
「はぁ……。それはいいんですけど、なんで俺たちこんなことやってるんです?」
 やれやれ、と薫くんが面倒臭そうに頭を掻きます。人選ミスでしょうか。なんでしょう、この危機感のなさは。
「薫くん、現実逃避ですか? 気持ちはわかりますけど、お嬢様のデートはもう避けられません。それならば、それをいかに失敗させ
るかが勝負所なんです」
 私の説教に薫くんはまた面倒くさそうに頭を掻いて、ため息をひとつ吐きます。
「お嬢の好きにさせてやりゃいいでしょ……大体組の奴らも組長も若頭もみんなお嬢のこと気にかけすぎなんすよ。お嬢は人が良いか
ら大丈夫ですけど、下手すりゃ一生反抗期ですよ? 大体今度のこともそうです。男の方は堅気なんでしょ? なんで――」
 薫くんの愚痴の付き合う気は全くありませんので、再び見張りに戻ろうとお嬢様の方を振り向くと、ついに来ました。
「――薫くん。愚痴はその辺にしてください。来ましたよ。きっとアレです」


572 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:02:11.71 ID:UyhOye9V0
 私が親指でお嬢様の方を指すと、しかたなくという感じで薫くんもお嬢様の方を見ます。
 率直に申しまして、容姿は一安心というところでしょうか。短く切りそろえられた黒い髪に白い歯の輝く爽やかな笑顔。遠目なので
後半はかもしれないなという予測ですが、憎たらしいことにお嬢様の可愛げな瞳にはそう映っていることでしょう。
 ――ですが、なんなんでしょう。この強烈な違和感。
「いい感じの男じゃないですか。これなら安心ですよ。帰りましょうか若頭」
「あ、中に入っていきましたね。さ、薫くん。私たちも行きますよ」
「……はいはい」
 この違和感、気のせいならばいいのですが。

 メリーゴーランド、お化け屋敷、ミラーハウスときて遊園地の半分くらいを遊びつくした頃でしょうか。どちらかの提案かわかりま
せんが、昼食になさるようで園内のカフェテリアで休憩のようです。当然私たちもつかず離れずの位置取りをします。
「いや、それにしても人が多いですね若頭。遊園地って普段からこんなに込んでるもんなんですかね」
「あるまじき失態です……鬼蜘蛛組の若頭襲名以来、ここまで失敗続きの日があったでしょうか。それもこれも誰かさんのせいですね」
 私はジロリと隣の薫くんを睨みました。薫くんはもはや癖になっているのか、またまたため息をついて、
「……そりゃ止めますよ。メリーゴーランドの時は盗聴器をお嬢の服に付けようとするし、お化け屋敷の時はドス抜いちゃうし、ミラ
ーハウスの時に至っては拳銃って何考えてるんですか? 何回も言いますけど相手は堅気ですよ?」
 流石に周り聞かれたらまずい発言なので心なし小さめの声で喋る薫くん。ふう、どうやら今度は私がため息を吐く番みたいですね。
「薫くん。相手は堅気、そう言いましたね。だけど、私たちからお嬢様を奪う人間のどこが堅気なのでしょうか」
「は?」
「は? じゃないです。いいですか。もしこのままいけば私たちに待っているのはあの家からお嬢様がいなくなる。という地獄です。
考えてもみてください。時には妹、時には愛娘のように接していたお嬢様が日に日に帰るのは遅くなってしまいには朝帰りですよ? 
そしてある日言うんです。できちゃった、って。外道です。私たちよりも人の道を外れてます。許せますか? そんなド外道を!」
 ああ、いけません私としたことが。あまりに不憫なお嬢様の将来を思うと、ついつい声を荒げてしまいます。バレてないかと即座に
お嬢様の方に向き直りますが楽しそうに談笑しているところを見ると、どうやらバレていないようです。
「くっ、忌々しい……人目さえなければ」
 懐に忍ばせた拳銃なりドスなり使えるといういうのに。
「若頭……いつもは女神のような人なのに、お嬢のことになると人間変わりますよね」
 私はテーブルに置いてある水を、酒と思って一気飲みしてから、

574 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:02:52.30 ID:UyhOye9V0
「……正直に言うとですね、怖いんですよ。お嬢様も今年で十六歳です。今でこそ私たちと平気で接してくれていますが、環境の変化
なんてのはいつ訪れるかわかりませんから。それこそ恋人の一人でもできれば女は変わります。お嬢様がより美しくなるのは大変喜ば
しいことですけど、いつ私たちから距離を置くのかと思うと、不安で不安で堪らないんです。所詮私たちは、極道ですから」
 それに彼は少し嫌な予感がするんです、付け加えて薫くんの方を見ると、薫くんは私ではなくお嬢様の方を凝視していました。私の
話、聞いてるんですか。薫くん。はあ、今日は私も薫くんもため息の多い日ですね。人がせっかく滅多に打ち明けない悩みを――
「若頭。その嫌な予感、当たったみたいですよ」
 ――え? 私も再びお嬢様の方に向き直ります。もう二人の姿はありませんでした。
「すいません、さっき気づきました。男がお嬢のカップに何か入れるところまでは見てたんですが……」
 なんていうタイミングで愚痴りだしてるんですか、私。完璧なまでに私のせいじゃないですか。でも、ようやく尻尾を出しましたね。
「かかりましたね。巣はとうに張り巡らせています。さて、あとは引っかかるのを待つだけですね」
「? 何言ってるんですか若頭! さっさと追っかけますよ!」
 ええ、もちろん。ですが薫くん。追いかけているのは私たちだけじゃないんですよ。

「さて、軽いもんだな」
 ドアの向こうから、軽薄そうな声が響きます。それにしても、そんな汚い声だったんですか。
「誰かつけてきてたみたいだけど、俺にかかっちゃこんなもんさ! ははは!」
 気持ちの悪い笑い方ですね。そんな大声で笑ってお嬢様が起きたらどうするんでしょうか。もしこんなところで目を覚ましたら一生
心に傷を負いかねないというのに。 
「悪いね、光ちゃん」
 ガサゴソと音がします。彼はどこかから何かを取り出しましたようです。あらあら、何をする気でしょうか。おそらくカメラか何か
でお嬢様のあられもない姿を撮影するつもりなのでしょう。きっと今は、お嬢様に見せたことのない醜い顔をしてるんでしょうね。
「それでは、いきまーす……」
 あ、これはいけませんね。布擦れの音がし始めました。お嬢様の珠のような柔肌、私も非常に興味がありますがそれ以上にあんな汚
い手で触られるのは我慢がなりません。できるだけ音を立てないように扉を蹴破りましょう。
「なっ……」
 あら、とんでもない物音でした。やっぱり扉を無音では蹴破れませんね。でも、変態さんの間抜けな顔が見せてくれたので作戦成功
ということにいたしましょう。
「下衆な真似はそこまでにしていただけます? 変態さん」
 私はできるだけ余裕のある笑顔を装ってそう言います。内心は腸が煮えくり返るような思いですが。

575 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:04:04.51 ID:UyhOye9V0
 そこで変態さんがはっとなり、ようやく体全体がこちらを向きます。お嬢様が魅力的なのはわかりますが、こちらから声をかけさせ
るとは失礼な話です。こちらを向き直ると舌打ちして、脱兎のように部屋を出て行く変態さん。
 無駄ですよ。蜘蛛の巣からは逃げられません。
「う、うわあああああ!」
 ほら、ひっかかった。

 あらあら、面白いことになってますね。まさか腰抜かしてると思いませんでした。でも、しょうがないかもしれません。部屋から飛
び出してすぐ、二百人くらいの人間が待ち構えていたら、私も少しびっくりしますから。
「お疲れ様です。みなさん。まさか全員集まってくれるとは思いませんでした」
 私が一礼すると、雄たけびような二百人分のご苦労様ですという声が私の鼓膜を刺激します。正直、ちょっとやかましいです。
 ですが、みなさんが園内の各所で張っていてくれたおかげで、変態包囲網は容易に完成させることができました。これもお嬢様の人
望あってこそ。流石はお嬢様です。
「若頭……組全員って何考えてんですかアンタ!」
 声を荒げて私を睨む薫くん。ですが、そんなの気にしていられません。そもそも目に入りません。はっきり言って、相当頭に来てい
ます。よくも簡単にお嬢様の信頼を裏切ってくれましたね。変態さん。
「そんなに怒らないでください薫くん。敵を欺くにはまず味方から。それに希望者だけと言ったら全員来たんだからいいじゃないです
か。親方様も了解してくれてますよ……さて、変態にすらなりそこねた薄汚いノラ猫さん。この蜘蛛の巣から、逃げられるものなら
逃げてみてくださいな」
「ひっ……!」
 情けない声を上げて立ち上がるこそ泥さんですが、もう四方八方組のみなさんが取り囲んでるんです。断言します。貴方は逃げられ
ませんよ。ここから出られるのはケジメをつけたあとです。
「く……来るなぁっ! 来るな!」
 来るな、ですか。おかしなことを言いますね。貴方が勝手に入ってきたんですよ。この蜘蛛の巣に。裏切りさえなければ、こんな巣
にかかることもなく、ケジメをつけることもなくここから出られたのに。
「指一本で、いいですから」
「若頭、どうぞ」

577 名前:極の恋と蜘蛛の毒 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:05:27.79 ID:UyhOye9V0
 組のみなさんの一人が、私にドスは差し出します。すでにドスは一本あるのですが、まあいいです。いただきましょう。さて、どれ
がいいですかね。人差し指にしましょうか。小指もいいかな。一番痛いのは親指でしょうか。薬指かな。でもここは――
「ケジメ、つけてもらいます」
 思いっきり、そこに目掛けてドスを突き刺しました。
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 その場所、地面に突き刺さったドスは男の指を抉ることもありません。私は、ドスを持っていた右手を男の肩に乗せて、囁くように
男に言います。
「――今日は見逃してやる。次に同じことしてみろ。指だけじゃねえ、頭から足に至るまでの全身をこの蜘蛛の牙が噛み砕いてやる」
「……」
 返事がありません。本当にここで殺しちゃいましょうか。
「若頭、そいつもう気ぃ失ってます」
 あらあら。だらしのない変態さんですね。

 大変可愛らしいです。お嬢様の寝顔。流石に迷惑になってしまうので私以外の人たちはみんな帰ってもらったのですが、日が暮れて
もお嬢様が起きる気配がございません。はてさて、どうしたものでしょうか。
「お嬢様……もう夜になっちゃいますよ?」
 でも、それもいいかもしれません。このままお嬢様の寝顔を見ながら一日を終えられればどれほど幸せでしょうか。
「ん、うーん……あれ、聖さん?」
 あら、起きちゃいましたか。
「おはようございます。お嬢様」
「う、うん。おはよう……あの、誠くんは」
 なるほど、彼は誠くんというのですか。実に名前負けしていますね。しかし、あんな男でもお嬢様の不安そうな表情を見るとほんの
少しだけ罪悪感が沸いてくるから不思議です。
「その誠くんですが、このような手紙を私に渡して帰っていきましたよ」
 もちろん書かせた手紙ですけど。お嬢様は私から手紙を受け取ると、声を出して手紙を読み上げました。内容は要約すると、家族の
都合でアメリカに永住することになった。遠距離恋愛は自信がないので別れて欲しいとのことでした。しわのない脳みそではこの程度
が限界でしょうね。お疲れ様でした。誠さん。
「そんな……誠くん」

579 名前:極の恋と蜘蛛の毒7/7 ◆tGCLvTU/yA 投稿日:2006/11/20(月) 00:06:45.84 ID:UyhOye9V0
 目を潤ませるお嬢様に何か今までにない魅力を感じながらも、私は必死に表情を取り繕ってお嬢様を慰めます。
「お嬢様、人は別れを経験して強くなるものです。誠さんもきっと、お嬢様と別れると決意するのは非常に悩んだと思います。お嬢様
の愛する誠さんが出した答です。受け入れなければ、女が廃ります」
 そう言って、私はお嬢様を優しく抱きしめました。あの男のためにお嬢様が涙するのはどうにも納得がいきませんが。
「ひじりさ〜ん……わたしぃ、わたしぃ……」
「よしよし、辛かったですね。でも、お嬢様ならその誠さんよりきっといい人、見つかりますよ。簡単には、渡せませんけどね」
 そう。お嬢様は渡せません。お嬢様に手に入れるにはそれなりの人間でなければならないのです。
 ――この蜘蛛の毒を、耐え切れる人間でなければ。

――完――



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