【 五趣六道にこんにちは 】
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294 名前:五趣六道にこんにちは(1/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:01:08.91 ID:MFAvDNIJ0
 何一つ善いことなんかしなかった。
一日一善でさえも、俺にとっては無理難題。
窃盗を悪びれも無く働き、暴力も奮う。
周りの人間に対し、暴挙を尽くしていた。
その日も、いつもと対して変わりなかった。
ただ、他人から無許可で借りたバイクを跨っていた。
交差点。赤信号で止まるのが、邪魔くさい。
一段と大きく、バイクをふかし渡る。
瞬間。何か、鉄の塊が俺に突進してくる。
嫌な音、自分が潰れていく。痛いという言葉じゃ、物足りない。
トラックの運転手を、思い切り睨みつけてやった。
つもりだったが、瞼に力が入らない。
アスファルトに思い切り頭を打ち付けて、あっけなく俺の人生は幕を閉じた。

 そして今俺は、生前全く信じることの無かった世界にいる。何だ此処は。
その現実に、多少驚きはしたが、もう一度生まれ変われるのかと勝手な想像をふくらます。
どこか気分も弾んできた。前の存在、空間ではないものがいる。それに声をかける。 
「天女様っていうのは、本当にいるもんだね。」
羽衣をふわりと。無学な俺でも、その神秘性からどのような存在か理解できる。
美しい。それが素直な感想だが、どこかやけに高飛車な印象も受けた。
「あなたは、人に対して悪事しか働いていませんね。」
急な台詞に、俺も苛立ちを覚えた。
「それがどうした?地獄か、極楽か、これから俺がどうなるのかはっきり言えばいい。
 それともどうだ。嘘をついたから、閻魔さんにでも舌を引っこ抜いてもらこうか。」
投げやりな態度に、彼女もいい気分はしないようだ。
「そんなに単純な話ではありません。……生前の罪により、あなたの行く道は畜生道。
 とは言っても、まともな畜生ですらなりません。」
まともな畜生と、まともじゃない違いが分からない。
ただ一つ分かるのは、簡単にもう一度人生をやり直すという訳にはいかないみたいだ。

295 名前:五趣六道にこんにちは(2/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:01:54.08 ID:MFAvDNIJ0
「あなたの生命は廻り、次は昆虫となりこの世を過ごしなさい。
 そして、その一生で人の役に立てたとき、あなたの生命は次こそ人に戻れるでしょう。」
昆虫。虫だと?虫がどうして人の役に立てる?
大概、混乱していたのだろう。文句も溢れていたが、言葉にできない。
「反省なさい。そして自制なさい。あなたが人の害となる時、次の生涯は保障できません。
 それこそ餓鬼道かそれとも地獄道か、私にも分かりかねます。」
「別に生まれ変われなくても、いいんだがなぁ。」
俺の言葉も聞こえているだろう、ただ無視をしている。
彼女は、あくまでも事務的に俺の運命を決める。

「堕ちろ。そして廻れ。」

何だか、俺の体を包む光。決して心地よいものでは無い。
そして、現世へ舞い戻される瞬間。
もうあの自分にはなれないのだと思うと、虚しく、悲しくなった。
―――自制して、人の役に立つ。その昆虫になれ。
俺に、無理難題をつきつけた。あの天女の台詞が、耳に残っていた。


296 名前:五趣六道にこんにちは(3/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:03:10.77 ID:MFAvDNIJ0
 そうして、今俺は現世に帰ってきた。
生まれたてなのに、意識があるというのはどういうことだろう。
親の姿と周りの兄弟の姿を見れば、自分が一体何になったのか分かる。
人間だった時、ずっと気持ち悪がっていた生き物だ。
蜘蛛。なんて不気味な姿になってしまったのだろう。
あの天女の奴、俺をこんな姿にするなんて。
彼女にもだが、特に前世の自分に腹がたっていた。
そして、目の前の惨劇に目を見開いていた。
―――兄弟が母を食している―――
蜘蛛の習性なんだろうが、人間だった時のギャップの激しさに、吐き気を催した。
あの母もきっと、俺のように元人間なのかもしれない。
そして、俺のように意識があるのかもしれない。
ああ、そんなこと人間でいる時に想像もできなかったことだ。
遊び半分に、バッタの足を引きちぎっていた、残酷な年少時代。
無知というのは、罪深いことだと改めて実感した。
 そうこうしているうちに、空腹という単純な欲望を覚えた。
俺の近くで、兄弟に身を捧げている母。この同じ姿では、愛しさすら篭るのが不思議だ。
それなのに、なんだかとても美味しそうに見えてくる。
自分の母を食ってしまうなんてとんでもない!
この弱肉強食の世界で、人間だったという過去は邪魔にしかならない。変な道徳が自分を締めつける。
 俺を、食べれるのじゃないかと涎を垂らす兄貴を横目。母の巣に引っかかった小蝿を貪っていた。
うん、なかなかいける。
味覚まで、おかしくなっている事に気がついた。

 食っては寝て、食っては寝る。ただ単調でつまらない日常の繰り返し。
ただこんなに、いつ死ぬか、いつ死ぬか、びくびくしながら生きることになるとは思わなかった。
死んでしまえば、また別の生き物になれるのかと思うと、それでもいいかと思った。
しかし、潜在的な死の恐怖が俺を生かそうとする。
もしも、俺が何かに食されると時。
あのトラックにひかれたときと、同じだけの苦痛を伴って死ぬのだろうか。あんなのは、もうこりごりだ。

297 名前:五趣六道にこんにちは(4/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:03:47.65 ID:MFAvDNIJ0
そうして今日も、蜂など見えると体を竦ませていた。あ、また一匹犠牲に。
 何日も経つと、どんどん自分が成長していることに気がついた。
きっと、人間よりもずっと寿命が短いからか、成虫するのも気分的にはあっという間だ。
自分で、あの蜘蛛の巣をつくれるようになった時は感動だった。
つくり方なんて、全く分からなかったのに本能がそうさせる。
自分の巣で捕食すると、それもまた快感だった。
蚊や、蝿も、時ではゴキブリでさえ。あの気持ち悪かった生き物が、御馳走なのだ。
 自分が一生懸命つくった巣を、馬鹿な人間の子供に潰された時ほどむかついたことは無い。
もしも俺に毒があったなら、噛み殺してやろうとまで思っていた。
しかし、そんなことをするときっと一生、人間には戻れなかっただろう。
来世こそは、まともな人間になることをまだ諦めていない。
そのことで、俺はある仮説を立てていた。
あの天女は、俺に人の役に立つ虫であれと言った。
それは、おそらく益虫で過ごさなければならない事だろう。
蜘蛛は、害虫を食べることで益虫だったという事を思い出していた。
しかし、益虫を食べると途端に害虫として扱われるということも。
それゆえの、自制した食生活だ。なるほど。俺は、せっせと害虫ばかり漁っていた。
益虫が、巣に引っかかるということはそんなに無くて、もし引っかかってきても無視するようにした。
ただ、変な虫が引っかかったとき。どっちだか分からない時ほど、困ることは無い。
なるべく食べようにしないが、空腹の時など勢い余って食してしまいそうになる。
 年月は過ぎていく。自分の体の成長は早いが、日常に代わり映えはしないので永遠のように長い。
ある季節。恋の季節がやって来た。俺というものが、なんと年頃の雌の蜘蛛にときめいたりするのだ。
あの頭胸部に!腹部に!これも生前の罰だというのか、残酷すぎる。
ある日、俺の知り合いが死んだ。死ぬことは、たいして珍しくないのだが。
子孫を残そうと雌にアプローチした結果、餌と勘違いされて食されたようだからお笑い草である。
それ以来俺は、自分の子孫はこの世に残さないことを強く決心した。

298 名前:五趣六道にこんにちは(5/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:04:21.00 ID:MFAvDNIJ0
 俺が蜘蛛になって、どれだけ経った頃だろう。
その時の俺は、空腹に耐えかねていた。
せっかく大きくしていた自分の巣を、遊び半分に人間に壊された。
人間に見つかって、殺されるかと思うと、
「朝蜘蛛は縁起が良い」
などと言って、俺の寿命は左右される。
落ちぶれたものだ。
 巣を、改めて張りなおしたのは良いが、餓死する寸前のように思う。
小蝿も、蚊も、捕まらない。
お腹が空いた。お腹が空いた。お腹が空いた―――。
腹の虫が鳴く、俺という虫が死にそうになる。
人間の時も、ちっぽけに死んだ。
今の俺も、誰にも知られずにちっぽけに死んでいくのだろうか。
段々目の前が、薄れてきた。
そんな折、美しく羽ばたかせて、飛んで火にいる夏の虫。
ひらりひらりと舞いおりて、俺の巣に引っかかった哀れな蝶。
俺は、心底助かったと思った。フランス料理、もしくは満完全席に匹敵する。
何とかして逃げようとする蝶に、本能を剥き出しにして襲い掛かろうとする俺。
オイシソウダナ。
それなのに、俺の理性が邪魔をする。
―――待てよ、それは食べてもいい虫か?
どっちだったか、食べてもいい虫はどれだったか。そもそもなんで食べちゃ駄目なんだったっけ?
俺の理性も虚しく、蝶はあっけなく俺の毒牙にかかろうとした瞬間。

「可哀相だな」


299 名前:五趣六道にこんにちは(6/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:05:11.38 ID:MFAvDNIJ0
 ふと、俺の動きが止まった。そこには、散々俺を虐げてきた人間。
それが、俺の苦労も知らずに、言い捨てる。
何にも知らない、無垢な少女が。
何でだ。こんなにも、人間が憎いのに。人間の言う言葉が、俺の身に染みる。
出ないけど、涙が。目の前にいる少女が、天使にも、天女にも見えた。
 俺は、卑しく生きることを諦めた。
無知なだけの天女の言葉に、大切な事を思い出さされた。
俺の魂は、人間だ。道徳を失くせば、見も心も畜生に成り果てる。
目の前にいる蝶も、もしかすると意識のある人間かもしれなかった。
地獄に落ちる寸前だった俺を、その天女の一言が救い上げてくれた。
蝶の近くの、俺が一生懸命造った巣を、自分で食べ始めた。
巣は消えていく。蝶は、気がつくとに逃げ出していた。
天女は蝶を逃がそうともしなかったが、無事な姿を見ると嬉しそうに去っていった。
 もう、俺の巣は跡形も無い。ご馳走が引っかかるはずも無い。
いや、もしもまた蝶が引っかかると、俺は今度こそ俺を止められないことと思う。
ああ、腹が減ったな。
俺は何も考えなくなって、何も考えられなくなって、眠りについた。

300 名前:五趣六道にこんにちは(7/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:06:22.24 ID:MFAvDNIJ0
「良く自制することができましたね。あなたは見事に人の役に立つ虫でいましたよ
 最後に自滅と言う選択は、褒めれるものじゃありませんがね。
 どうでしたか?今度の世界は。」
俺の苦労を知ってか知らずか、目の前の天女が言う。
「どうもこうも無いね、まあまあだったよ。色々学べたしな」
天女は、少し興味深そうに聞いた。
「何を学べたというのです?」
「人間でいることの難しさと、あんたが天女じゃないってことかな」
目の前の天女もどきは、今にも失礼なと叫ばんばかりの顔をしていた。
だが、気持ちを静めて―。
「どうして、そういう風に思ったのですか」
「別に。益虫だとか害虫だとか、人の判断で決めたもので生命の位まで
 決めるものだからなんとなくね。」
「でもそれは、悪事を働いた人に沿う生命の輪廻で―――」
良く分からない言葉を、俺が遮った。
「まあ、約束は守ったのだから人間には戻れるんだよな」
「……あなたの次に進む道は人間道。あなたの今の意識は必ず全て消去されます。
 四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界ですが、頑張ってください」
知ってるよと思いつつ、俺は言う。
「ちょっと待てよ、約束通り頑張ったんだ。少しは融通きかせて俺の頼みごとも聞いてはくれないか?」
「……言ってみなさい、考えましょう」
「なあに。そんなに難しいことじゃないんだ」
俺は少し、遠い目をした。

301 名前:五趣六道にこんにちは(8/8) 投稿日:2006/11/19(日) 18:07:40.43 ID:MFAvDNIJ0
 堕ちて廻る。生命の倫理。



「お母さん!私の弟まだ生まれないの?」
「そうね。あっ、今お腹を蹴ったような気がするわ」
「本当に!?」
 私のお腹に近づいてくる、可愛い愛娘。
今度、生まれてくる子供と、ずっと仲睦まじくいてほしい。
私は微笑みながら、聞いてみた。
「ねぇ。どんな弟が欲しい?」
「えー?えーと…えーと…可愛くて、言うこと聞いて、
 あの優しい蜘蛛さんみたいな―――」

                     了



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