【 蜘蛛 】
◆5GkjU9JaiQ




263 名前:蜘蛛1 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/11/19(日) 15:42:58.23 ID:v4KPhKIqO
 薄暗い部屋の中で、僕は目を覚ました。
酷く目覚めが悪い。何故かと考えると、それは頭痛によるものだと思い当たる。
また飲みすぎたのだろう。アルコールに弱い癖に、すぐに酒に逃げる自分自身に呆れ返る。
父親のリストラからやむなく大学を中退し、勤める工務店の安月給は家賃と仕送で綺麗さっぱり消えていく。
残った雀の涙程の金は、こうして孤独な酒盛りで掃除する。
そんな生活を続けて一年が経とうとしていた。
 体を起こそうとするが、上半身は鉛のように重く、すぐに諦める。
力のない笑いが漏れた。
僕は、自分の体さえ思う通りに動かせない。
笑うのも面倒になり、ぼんやり天井を眺めていると、天井の隅の暗闇で何かが小さく動いた。
蜘蛛だ。




264 名前:蜘蛛2 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/11/19(日) 15:44:04.03 ID:v4KPhKIqO
 ふと僕は、小学生の頃に読んだ、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出す。
地獄に堕ちた悪どい男を、釈迦が天上の極楽から蜘蛛の糸で救ってやろうとする。
しめたものだとそれを登っていた男が、ふと下を見ると他の罪人達も糸を伝い登ってこようとしていた。
糸が重さで切れてしまうのを危惧した男が下に向けて一喝した瞬間、ぷつりと蜘蛛の糸が切れてしまう――そんな話だったように覚えている。

 僕が昔テレビで見たおとぎ話風の「蜘蛛の糸」は、独善的な男を批判するような内容にまとまっていた。
けど僕は実際の「蜘蛛の糸」を最初に読んだ時、男に対して深く同情したのを覚えている。
頼りない一本の糸を掴んで必死に登っているのだから、男が切れることを心配するのは当たり前じゃないかと思う。
むしろそんなごく自然な振る舞いさえ許さない釈迦の心の狭さに、僕は疑問を抱いたものだった。




265 名前:蜘蛛3 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/11/19(日) 15:45:40.78 ID:v4KPhKIqO
 天井の蜘蛛が、黄ばんだ電灯に向けてせかせかと動いていた。
僕は両目を閉じ、その上に腕を被せて溜め息をつく。

 例え今、蜘蛛の糸が垂れてこようが、僕がそれを掴むことはないだろう。
僕の住むこの社会は、寛容であることを個人に求めながら、社会自体が個人に対してどこまでも狭量である。
そんな矛盾を抱えているもののどこに信用を置けるというのだろうか。

 僕は腕を額に退け、ゆっくりと目を開く。
蜘蛛は、いつの間にか僕の真上を陣取っていた。
眺めていても、蜘蛛は動かない。まるで僕を静かに見張っているように。
暫く、そのまま僕と蜘蛛は見つめ合っていた。


266 名前:蜘蛛4 ◆5GkjU9JaiQ 投稿日:2006/11/19(日) 15:47:20.29 ID:v4KPhKIqO
 ――受け入れなきゃならないんだろうな。
そんな考えが、脳裏を横切る。
僕は唸りながらゆっくりと体を起こす。
蜘蛛を拒絶したところで、蜘蛛が居なくなる訳じゃないのだ。
それを殺すか、黙って受け入れるしかない。
そして蜘蛛は、僕の見えないところ、見ていないところにもにもたくさんいる。

 目の前に散らかる、空き缶とゴミの山。
まずは、ここから前に進まなければ。
僕は小さく頷き、また上を見る。
蜘蛛は何処かに消えていた。
きっと、電灯の傘にでも隠れたのだろう。

―了―



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