【 Sweet Surrender 】
◆rZOJWTUT.c




93 :NO.21 Sweet Surrender (1/3) ◇rZOJWTUT.c:06/11/06 00:09:53 ID:r/JCtT7U
 付き合って三年、ちょくちょく手作りのお菓子を持ってきていた亜美は、いつの間にか僕の部屋にいついてしまった。
 おかげで台所は一人の時よりにぎやかになった。どちらかといえば何もない部屋のほうが好きなのだが、もともとあまり使っていなかった場所だったので、特に困りもしなかった。
 むしろ亜美がおお菓子を焼いているときの匂いが、これまでになかった爽快感を提供してくれる分、ありがたい。
「はい、どうぞ」
 今しがたしていた甘い匂いの出来上がりが、小奇麗な皿に盛られてきた。こんな皿持っていたのかと感心しながら、まだ暖かいクッキーを一つまむ。途端にしびれるような辛さが口中に広がった。
 涙目で亜美の方を見ると、亜美はニコニコしながら水を持っていた。
 亜美はめったに怒らない。知り合ってから、怒った姿は数えるほどしか見たことがない。感情はいつもお菓子に込めているそうだ。
「分かった、悪かったよ。今度はすっぽかさないから」
 多分昨日のデートをすっぽかしたからだろう。仕事のせいにしたが実際は友達と遊んでいたわけで、それがバレたとしか思えない。
「ふふ、じゃあ、来週楽しみにしてる」
 亜美は残ったお菓子をつまみながら台所に戻った。どんな味でも、残すのはマナー違反だそうだ。
「そんな辛いの、よく食えるよ」
 僕は半分あきれながら、コップの水を飲み干した。


94 :NO.21 Sweet Surrender (2/3) ◇rZOJWTUT.c:06/11/06 00:10:04 ID:r/JCtT7U
 ある日、貯金がなくなった。お互いに仕事はしているので生活の心配は特にないのだが、貯金がないのはやはり心許ない。会社では禁止されていなかったので、僕はこっそりバイトをすることにした。
「最近、遅いね」
 二週間ほどして、帰りが遅くなった僕の心配をしてか、亜美がそんなことを言い始めた。日数は控えてるにしても、やはり急に遅くなるのは不自然に感じるのだろう。ただ、さすがにお金がないからバイトをしているなどとは言えない。
 僕は忙しいだの何だのと言ってごまかしてみたが、彼女の表情は晴れなかった。
 しばらくして、亜美の作るお菓子が甘くなった。もともと甘党の僕にはちょうどいい甘さだったが、そのうち砂糖菓子でも食べているような甘さになった。
 亜美が何を言いたいのかは何となく分かったが、構う気にはなれなかった。最初はバイトを簡単に考えていたのだが、実際に二足のわらじを履いてみると、相当答えた。
 「ごめん、今日はちょっと休む」
 確か先週の日曜日もそんなことを言ったような気がする。思い出すのもおっくうになってうとうとしていたら、夕方になっていた。
 隣で亜美が座っている。一人でお菓子を食べながらため息をついている亜美は、どことなく寂しそうだった。
(来週、どこかに遊びに行くかな)
 西日がそろそろ落ちかけてきた。僕は起き上がってお菓子を一つつまんだ。温かみのなくなったそれは、変に塩辛かった。
 そして次の日、亜美がいなくなっていた。テーブルに書置きがある。
『しばらく空けます。三ヶ月したら戻ります』
 便箋に丁寧な字で書かれた手紙を見て、しばらく呆然としていたが、きれいに折りたたんで、僕はスケジュール帳にそれはさんだ。
 どこに行ったかも分からないのに探す気にもなれなかったし、戻るというならも戻るのだろう。亜美がこんな行動に出たのは初めてだったが、不思議と僕の気持ちは冷静だった。


95 :NO.21 Sweet Surrender (3/3完) ◇rZOJWTUT.c:06/11/06 00:10:58 ID:r/JCtT7U
 三ヶ月、僕は相変わらずバイトを続けていたが、多少の貯金ができたところで辞めることにした。体力的にも限界だったし、目標にも到達したので。
 亜美が戻ってくる日、僕は最後の給料をもらって帰路に着いた。
 久しぶりに、部屋の明かりがついている。ドアを開けると、亜美が座っていた。
 久しぶりに見る顔は少しだけやせて、目も少しだけうつろだった。
「はい、どうぞ」
 テーブルにはお菓子が置かれている。亜美は座ったままうつむいていた。
 僕は荷物をそばに置くと、座ってお菓子を一つつまんだ。
「これ……」
 そのお菓子は、まるで市販の水みたいに、何の味もしなかった。ほんのりとした甘さも、厳しい辛さも、切ないしょっぱさも、何もない。
 ふと顔を上げると、亜美は泣いていた。
「私、もう、嫌われたから……」
 涙をボロボロ流しながら嗚咽交じりに言葉を続ける。
「構ってほしいとかわがまま言わなければいいと思ったけど、それも辛いから……」
 バカだなあ。一人で勘違いして、一人で悩んで、あと一日、待ってくれればよかっただけなのに。
「ごめんなさい、私、私……」
 目の前で泣きじゃくる亜美が、気の毒になった。そして、そんな気持ちにさせた自分に、少しだけ腹が立った。
 僕は立ち上がって、台所から砂糖を持ってきて、お菓子にふりまいた。そして、美味いと一言言ってまた座った。
「ごめん」
 僕は最初にそういうと、婚約指輪を買って貯金がなくなったこと、それを埋めるためにバイトをしていたことを、洗いざらい話した。
「ごめん、呆れてないなら受け取ってくれ」
 そう言って、かばんから小さな箱を取り出し、差し出した。亜美はいつまでも泣いていた。

「はい、どうぞ」
次の日亜美が焼いたお菓子は、とびきりの辛さだった。




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