【 Give me chocolate 】
◆Awb6SrK3w6




85 :NO.19 Give me chocolate(.1/5) ◇Awb6SrK3w6 :06/11/06 00:04:29 ID:r/JCtT7U
 春に植えたさつまいもが、収穫の時期を迎えていた。
秋口の太陽が、庭の小さな菜園と土をいじる私の首を強く照らす。
九月も下旬となっていたが、残暑はまだまだ厳しく額からは噴き出す物がある。
首にかけた手ぬぐいが、染み込む汗でずっしりとした重さを誇っていた。
「……ふう」
 大きく息を吐き出し、汗を拭う。
掘り出した土の中から見える赤紫。大きい実を付けたさつまいもがその姿を現していた。
国の推奨する、たくさん実を付ける品種である。
今覗いた物の他にも多くの芋がまだまだ地中には眠っていると思われた。
「さて……」
 これから始まることになる重労働を思い、私は立ち上がって一息つくことにした。
腰を屈めた体勢を長く続けることになる作業は、腰痛持ちの四十路の体には少々辛いものがある。
背を伸ばし体を反らした拍子に、体の骨が良い音で鳴った。
空には青を背景に見事な鱗雲が広がっていた。
肌に感じるのは夏の暑さであるというのに、空の色だけはすっかり秋となっている。
 思えば、空をこの様に暢気に見上げるのは久しぶりなことだった。
つい一ヶ月半ほど前までは、空を見上げる時には恐怖心が常に伴っていたからである。
 何故、空を見上げるという何気ない仕草を行う事に、恐れが付随していたのか。
 理由は、とても簡単なものである。
一ヶ月半前の八月十五日。あの日まで私の国、日本は英米を相手とした戦争を繰り広げており、
私の住む街も漏れることなく、爆撃により焦土となっていたからだった。


86 :NO.19 Give me chocolate(.2/5) ◇Awb6SrK3w6 :06/11/06 00:04:40 ID:r/JCtT7U
 重く響いてくる爆撃機のプロペラ音。空襲警報を告げるサイレンの音。
私が空を見上げるときはいつも、あの不気味な合奏が響いていた。
広がるのは爽やかな青空ではなく、暗い鬱屈とした星見えぬ夜空。
 爆撃は夜に行われるのがほとんどだった。
なるべく撃墜されないよう、視認しづらい夜に飛んでくるのであろうが、
それのせいで、私たちは安眠の時間さえロクに得ることができなかったのである。
睨み付けて、どこに爆撃機が居るのか。防空壕に逃げ込むまでの短いながらも恐ろしい時間。
私は空を見上げ続けていた。

 だが。もう爆撃機が私たちを襲うために飛ぶことはない。空から焼夷弾が落ちてくることもない。
機銃を撃ってくる戦闘機もなければ、彼らの攻撃で誰かが死んだり傷ついたりすることもない。
 ただ、暢気にこうして空を見ていられる。戦争が終わったことを私はこんなことで実感していた。

 あらかた芋を掘りだした頃だった。
「父ちゃん、ただいま!」
 その声に私は後ろを振り返る。
国民帽に国民服。鼻を垂らした私の息子がそこにいた。遊びから帰ってきたのだろう。
あちこちを泥で汚しており、ただでさえ見窄らしい国民服がよりいっそう襤褸に見えた。
「おう、勲か。芋を掘ったぞ。後で一緒に食おう」
 私も息子もできるのを待ちに待っていたさつまいもである。
息子もさぞかし喜んでくれるだろう。そう思って私は告げた。
 だが。
「うん。でもさ」
 息子は、その事に対して興味を示さず、何か別の目的を持っているかのように鼻を啜って言葉を続けた。



87 :NO.19 Give me chocolate(.3/5) ◇Awb6SrK3w6 :06/11/06 00:04:50 ID:r/JCtT7U
「そんなのよりさ、父ちゃん。これ! 父ちゃんにも食べて欲しいと思って!」
 そう言葉を弾ませる息子の顔が輝いていた。
まだ小さなその手の平。焦茶色の長方形の固形物が、半ば溶けて握りしめられている。
どうやらこれが今まで長い時間をかけて育ててきた芋よりも重要な、第一に話すべき目的であるようだった。
「なんだ? これは」
 今まで見たことがないよく分からない物である。甘いのか辛いのかさえわからない。
西洋の食べ物など、ロクに食べたこともない典型的な日本人である私は、一種の不気味さを息子の手の平の上にある物に感じていた。
「ちょこれーとっていうらしいよ。進駐軍のアメリカ人に貰ったんだ! ぎぶみーちょこれーとって言えば、くれるんだよ!」
「進駐軍だと?」
 言うまでもない事ではあるが、進駐軍は終戦後、この日本を統括するために送られた英米らの軍隊である。
マッカーサーが八月の終わりに厚木に降り立ってからというもの、ジープに乗った彼らの姿は良く見かけられるようになっていた。 
「お前はもうこれを食べてしまったのか!?」
 私はその進駐軍という単語を聞いて、思わずそう問うていた。
 つい、この間まで鬼畜米英と言って、人外の化物のように蔑んできた連中である。
いくら今は彼らが日本を統治することになったと言っても、何か残虐な事をしでかすかもしれない。
例えば、今息子が握りしめているこのちょこれーととやらに、毒などを入れている事だって考えられる。
 そういう疑念が私を突き動かしていた。肩を握りしめ、私は息子に何か異常な箇所が見られないかを確かめる。
「うん、とっても甘くて美味かった! 口に含むとすぐに溶けていくんだよ!」
 だが、そのような妙な素振りなどは息子には見られない。
そして、無邪気に説明してくれる息子に、私は複雑な気持ちを抱かざるを得なかった。
「……そうか」
「ねぇ、父ちゃんも食べてみてよ!」
 そんな私の様子など構うことなく、息子は私にちょこれーとを勧めてくる。


88 :NO.19 Give me chocolate(.4/5) ◇Awb6SrK3w6 :06/11/06 00:05:13 ID:r/JCtT7U
「勲、お前が食べると良い。父ちゃんの分は良いから」
 はたから見えれば、息子を思いやる父の発言である。
だが、その本心は良く分からない怪しげな食べ物を食べるという恐怖を回避するための発言であった。
息子の様子から大丈夫そうではあるというのはわかるものの、できるならば、食べたくない。
「でも、父ちゃんに食べてみて欲しくて持ってきたから」
 真剣な表情で息子は私を見ていた。
私がこれ以上我を張って食べないと言ったら、悄気てしまいそうなくらいにである。
「……ああ」
 真摯な息子の瞳に負け、私は手の平に乗ったちょこれーとを口に含むことにした。

 目を瞑り、覚悟をする。つまんだちょこれーとは柔らかく、気を抜くと地へ落としそうになる。
息を呑み、そうして。
「……」
 口の中へとそれを入れた。

 甘ったるい香りが口中に広がる。どろっとした口触りが舌の上で踊っていた。
「どう?」
 息子が私の感想を催促する。
「……甘いな。ちょっと甘すぎる」
 正直な感想を私は述べた。これほど甘い物は初めてだった。
おはぎでもみたらし団子でもこの様な甘さではない。砂糖の塊を口に含んだような、そんな濃い味だった。
「そう……」


89 :NO.19 Give me chocolate(.5/5完) ◇Awb6SrK3w6 :06/11/06 00:05:24 ID:r/JCtT7U
 少し残念そうに息子は呟いた。どうやら、私の反応が期待に沿わないものであったようである。
だが、そんな息子を見てはっと気づくことがあった。
 思えば。息子が物心ついてからこの方、私はこれほど甘い物を息子に食べさせたことは無かったのではないか?
甘いものと言えば、さつまいも――しかも生産性を重視して、甘味などほとんど無い品種である――くらいしかない。
これは息子が食べる初めての甘いお菓子であったのである。そして彼は健気にも、私と共にこの甘味を味わいたいと思ってくれたのだ。
「……だが、美味いな」
 私はそう彼に告げた。
今まで、菓子を食べさせてやれなくて申し訳ないという気持ちと、彼への感謝を込めてである。
「やっぱり?」
 息子がそれを聞いて微笑む。これほど嬉しそうにしている息子を見るのは初めてのことの様に思えていた。
澄んだ空の下で息子と菓子を食べる。どれもこれも戦争が終わって初めてできたことだった。
 日本は負けた。その事に複雑な感情を抱かない大人などいない。
しかし、子供はそのようなわだかまりなど簡単に乗り越えてゆく。そして、今まで味わったことのない楽しみを見出していっている。
 それを思えば。戦争が終わって良かった。
日本が負けたと言っても、息子が、息子たちの世代が平和な世を生きて、このような菓子を食べていけるのなら。
 歯をむき出して笑う息子を見て、そんなことを私は考えていた。



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