【 姫宇治 】
◆fx8CCLmKL2




76 :NO.17 姫宇治 (1/5) ◇fx8CCLmKL2 :06/11/06 00:01:38 ID:r/JCtT7U
小さい頃、母がよく私に買い与えてくれた思い出の甘味。
今でもその形や味は鮮明に思い出すことが出来る。
二層の和菓子で、下は綺麗な深い緑色をしていた。その容貌から察する事が出来るように抹茶風味の羊羹で、
上は透明なゼリーだった。ゼリーの中には小豆が四、五粒浮かんでいる。
ほろ苦い羊羹と甘いゼリーは不思議な程に私の舌を満足させたし、
瑞瑞しい小豆はほじくり出して最後の楽しみにしていた位だ。
見た感じ子供が好むような物では無く、色彩に乏しいそれは、
どこまでもカラフルやポップと言った言葉とは遠い所にあったが、なぜか年不相応な私の心を引き付けた。
母がそれを買い与えてくれた日なぞ、私はまるでお祭りでもあるようにはしゃいだし、
普段は厳しい母も別段それを咎めたりはしなかった。それがまた私を喜ばせていたのだ。

先にも書いたが、その和菓子――姫宇治と言う名前だったが抹茶が宇治の物であったかは分からない――
を母はあまり買ってくれなかった訳では無い。
頻繁に買ってもらっては食べていたし、時には食べ飽きもした。
だがしかしそれは私の記憶の中で褪せることも無く、好物として記憶されている。

それには少なからず母の事が関係してくる。と、私は思う。
母は、母としてはあまり良い母ではなかった。父が死んだのを良いことに、私と弟の存在を気にもせず、男をつれこんでいた。
まだ私達は幼くて、母が男と及んでいた行為の意味も分からなかったけれど、それが良くない事だと言うことや、
男と酒に溺れて母としての役目をあまり果たせてない事が悪い事だというのは、なんとなく理解していた。
そんなある日母が倒れた。
アルコール依存性だった母にもついにそのツケが回って来たらしい。母はそのま入院し、私達兄弟は母の実家に引き取られることとなった。
そんな母に対する数少ない良い思い出の一つがこの姫宇治なのだ。


77 :NO.17 姫宇治 (2/5) ◇fx8CCLmKL2 :06/11/06 00:01:53 ID:r/JCtT7U
先月母が亡くなったと連絡が来た。
祖母は葬式に出て来てくれとせがんでいたが、高校入学と同時に上京したきり長
い間母の見舞いに来なかった私を祖父はもう見放しているらしい。
母が亡くなったと連絡が来たのは先月だ。
祖母は葬儀に出てくれとせがんで来た。
高校入学と同時に上京し、見舞いにもそれ以来行かなくなった私を祖父はもう見放しているらしい。
私がさっき一つの箱と共に久々にこの家に帰って来たときも、良い顔をせずさっさと奥に消えてしまった。

祖母に案内され、母の遺影の前に立つ。
涙は出てこなかった。

「少し一人にしてくれないかな」

そう祖母に声を掛けて部屋から追い出し、私は改めて母の遺影を見つめた。
母は笑っていて、綺麗で私とはちっとも似ていない顔をしていた。いや、微かに目が似ているかもしれない。
「私は本当に父さん似なのね」と一人ごちた。


78 :NO.17 姫宇治 (3/5) ◇fx8CCLmKL2 :06/11/06 00:02:04 ID:r/JCtT7U
かつての母と向き合い、声に出して言う。
「母さん。あなたはもしかしたら悪い母親ではなかったのかもしれません」
「男はたくさんいたけど、あなたは確かに私の母でした」
男を連れ込んではいたが、私達をちゃんと食べさせてくれていたし、厳しい位までの教育もしてくれた。
でも私は母が嫌いである。それは子供が抱く反抗期の感情を抱えたままなのか
――はたまた本当の憎しみなのか
それとも単に人間性が合わない故の苦手意識が成長した物なのかは分からない。
多分、永遠に。母を亡くした今答えの掴み様がない。
今思えば男の連れ込みも、夫を亡くした母にしてみたら、逞しい異性に頼りたくなるのも当然かもしれない。
でも私はそれを許せない。いやもしかしたら許しているのかも。それを認めたくないだけで。

「私は今日母さんからの呪縛を解きに来ました」
そういって私は箱を取り出した。
中には例の姫宇治が二つ入っている。
姫宇治は母と三人で住んでいた場所の側の和菓子屋で売っていて、そこは祖父母の家から30分くらい電車で行った所にある。
「私は今日母さんからの呪縛を解きに来ました」
そういって私は箱を取り出した。
中には例の姫宇治が二つ入っている。

少し手間になるが、今回ここに来た最大の目的はこれだったので私は迷わず途中下車をし、それを二つ買ってきた。
時とは確かに流れるもので黒髪の店主の頭は白髪になり些か生え際が後退していた。
これは祖父母も危ないな、と縁起の悪いことを考えてしまう。


79 :NO.17 姫宇治 (4/5) ◇fx8CCLmKL2 :06/11/06 00:02:14 ID:r/JCtT7U
私はそれを手も合わせずに供え、もうひとつを自分の手に持った。
「一緒に食べましょう」
そう言って姫宇治の下に敷いてある包みを少しはずして、手づかみのまま口にいれた。

食べながら母に思いを馳せてみる。
厳しく母であった母さん。
父が無くなり子供を持っても女であり男が忘れられなかった母さん。
どちらも母の姿だ。
もう少し母の話を聞くべきだったかもしれない。
考えてみれば母が倒れてから見舞いには行くものの長く話をしたことは一度も無い。
私が拒んだからだ。弁解の言葉でも聞けたら何か変わっていただろうか? 「今日来たのは単に呪縛をとくためだけではありません。母さんに報告があります。母さん、私結婚するかもしれないんだよ。」
そう、私は結婚するかもしれない。でも結婚しても私が母のようになることはないだろう。
母の生き方は忘れない。いや忘れられないだろう。
私が母の子供である限りは。


80 :NO.17 姫宇治 (5/5完) ◇fx8CCLmKL2 :06/11/06 00:02:28 ID:r/JCtT7U
「ごちそうさまでした」
久々に食べた姫宇治は昔ほどおいしく感じられなかった。だがそこには確かな懐かしさがあった。
今度は小豆をほじくり出したりはしない。
やるべきことはやっても呪縛が解き放たれた気はしないし。気分も今までとあまり変わらない。
でも姫宇治は前ほど好きではなくなった。
「お義姉さん、皆さんお待ちですよ。」
一人にしておいてほしいと祖母が伝えたのだろうか?部屋の外から遠慮がちに声をかけられた。
彼女は弟の奥さんだ。彼は彼なりに幸せをつかんでいる。
「今行きます」
言葉を返し、立ち上がる前私、私は自然と母に手を合わせることができた。



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