【 おかしな爺さんの話 】
◆dx10HbTEQg




55 :NO.13 おかしな爺さんの話 (1/5) ◇dx10HbTEQg:06/11/05 23:10:28 ID:AdhrRh97
 じいさんが来たよ!
 現れた貧相な老人のもとへ、わあ、と子供達は一斉に集まっていった。平均年齢は十歳程度だろう。中には五歳程の子も交じっている。
「飴ちょうだい、飴」「クッキー! レモンのやつ!」「あーそれ俺が欲しいのに」「チョコないの?」
 都会の小さな公園が、子供特有の甲高い声に満たされる。偶に通り過ぎる大人たちは好奇の視線を送るものの、足を止める
ことはしない。
 毎週日曜日の早朝。そこは無邪気な子供と、菓子の詰まったスーパーの袋を高く掲げる老人だけの空間となっていた。
「お前貰いすぎ!」「キャラメルはー?」「早いもの勝ちだばーか」「痛い、押すなって」
 喧騒の中心で、老人は微笑む。古びた服がびりびりと音を立てた。足は踏みつけられ、伸ばされた手により引掻き傷が出来る。
もみくちゃにされるが、それでも微笑みは絶やさない。
「沢山あるから大丈夫。ほらガムだ。こら、君は沢山貰いすぎだね、そっちの子に分けなさい」
 握った菓子は次の瞬間には掠め取られてしまう。地面に落ちて砕け散ったものには誰も目を留めない。瞳を輝かせて菓子を
見つめ、我先にと手を伸ばす。誰よりも多く、欲しい物を。そのために大きなカバンを準備している子供までいる。
 老人は出来るだけ平等に配分しようとはしているが、子供達のパワーに押されままならない。
 袋をそのまま奪おうとする子供も居たが、それだけは頑固に阻止した。それでは意味が無い。
 幸福感に浸りながら袋に手を入れ、最後の飴を掴んだ。ぽん、と空高く放り投げ、ひらひらと両手を振る。
「ああ、無くなってしまった。今日はもうおしまい」
 不満気な声があちこちから上がる。半透明の袋から手を離すと、丁度吹き荒れた強い風に飛ばされていった。
 がしゃりと近くの木に衝突したそれを見て、少年の一人が呟いた。
「ほんとだ」
 その一言を皮切りに、彼らはやっと老人から離れた。時間にして五分程度。小さな戦場は各々の戦利品を自慢しあう場となった。
 ブランコと滑り台、ジャングルジムがある程度の小さな公園は、特に魅力的な場所ではない。すぐに去ってしまうだろう彼ら
を見守りながら、老人は名残惜しげに少年の頭を撫でた。
「じゃあ、また来週な」
 ありがとう、と異口同音に叫んで散っていく子供達に、老人はいつまでも手を振り続けていた。


56 :NO.13 おかしな爺さんの話 (2/5) ◇dx10HbTEQg:06/11/05 23:11:06 ID:AdhrRh97
 タダでお菓子を配ってる変なじいさんがいる。
 その噂は口伝えで広まり、付近の子供達を寄せ集めた。近くに団地があることも手伝い、集会は開くたびに人口を増す。
 浮浪者の集まる公園であったため、親は遊びに行くというだけでも良い顔をしない。ましてや変な老人から菓子を貰っている
などと知られたら。
 お菓子は欲しい。けれど、親の言いつけも守らねばならない。
“知らないおじさんにお菓子を買ってあげると誘われても、ついて行ってはいけないよ”
 ならば簡単だ、と彼らは結論付けた。
 お菓子は貰おう。誘われてもついて行かなければいい。


 しかし、所詮は幼稚な子供の秘密。何処かから得てくる菓子に親が疑問を抱かないはずもなく、老人の存在は知れ渡っていた。
「何のつもりなのかしら」「怖いわ」「でもタダで配ってるだけですし」「ホームレスでしょう?」
 菓子は誘拐犯の小道具の代名詞だ。何を思って老人が配っているかが分からない限り、不安は募るばかり。
 ただでさえ全国的に、子供を狙った犯罪は増加の一途を辿っているのだ。手懐けて云々、と想像してしまうのも無理はない。
「でも、まあ」
 人影のなくなった公園を遠目に見据えながら、主婦の一人が呟いた。
「警察がどうにかしてくれるんじゃ、ないかしら?」
 その一言を皮切りに、井戸端会議は終りを告げた。国民の税金で生活する彼らがきっとどうにかしてくれる。
 スーパーの袋を掲げて、彼女達はぼんやりと思った。
 タダより安いものはないし、ねえ。
 そこに、子供達が好む菓子の類は入っていなかった。


57 :NO.13 おかしな爺さんの話 (3/5) ◇dx10HbTEQg:06/11/05 23:11:18 ID:AdhrRh97
 しかし、所詮はつまらない主婦の思考。何かが起こってから対処するのでは遅いと、刑事達はよく知っていた。
 信頼されているというよりは、面倒事を押し付けられているに近かった。それでも彼らが仕事を疎かにするわけにはいかなかった。
「全くなんなんだそのジジイとやらは」「ボランティアでしょうか」「脳味噌入れなおして来い阿呆」「サーセン」
 何やら怪しい老人の情報が入ったのだ。曰く、小学生程度の子供を対象として菓子を配る不審者がいる、と。
 どうでもいいよそんなん、とは思うのだがそうは問屋が卸さない。知っていたというのに何もしなかった場合、もしもの事が
起こった時に酷い汚点になるからだ。市民とやらは勝手なものだとそろってため息をつく。
 配っているのが菓子ではなかったならよかった。誘拐犯の小道具の代名詞でなければ、誰もここまで危惧しなかったろうに。
 話し合いの続く中、刑事の一人呟いた。
「とりあえず逮捕すればいいんじゃねえですか?」 
 その一言を皮切りに、無駄な口論はぴたりと止んだ。
「別に法に触れちゃいねえよボケ」
 小突かれて、痛、と彼は声を上げた。けれど確かにその通り。
 とりあえず張本人に問い質せばいいだろう、と刑事二人は重い腰を上げた。


 しかし、所詮は凝り固まった刑事の想像。老人は別に悪事を働くことを前提にして、子供達に菓子を配っているわけではなかった。
「お前さんも物好きだなあ」「楽しくてやってるんでね」「完全に不審者になってるぞ?」「お菓子をあげてるだけなんだがなあ」
 浮浪者仲間とコンビニ弁当を囲んで、老人は柔らかに微笑んだ。彼の奇行は友人達にも知れ渡っており、完全に変人扱いをされている。
 何故、と問う人も少なくなかった。しかし、彼にしてみればそこまで疑問視されることが不思議だった。
 ただ菓子を配っているだけじゃないか。
 結局、子供が好きだからだよと当たり障りの無い答えを返していた。
 だから、警察官の制服を着た二人にも、同じように返答した。
 子供は須らく菓子が好きだから、集めるためにあげているだけだ。


58 :NO.13 おかしな爺さんの話 (4/5) ◇dx10HbTEQg:06/11/05 23:11:32 ID:AdhrRh97
「……それは、ねえ。困るんですよ」
 それを聞き、刑事達はあからさまに嘆息した。何かおかしな返答をしただろうか、と首を傾げる。
 嘘を吐いたのがいけなかったのか。しかし、嘘だとばれる筈はない。
「子供にいつか危害を加えられるのではと、近隣の住民が懸念しています。意味のない行為は慎んでください」
 その通告を聞き老人は合点した。なるほど、犯罪者予備軍に数えられているらしい。
 では、と立ち去りかけた刑事を老人は慌てて引き止めた。国家権力に逆らいたくはないが、細々とした楽しみを奪われたくもない。
 人情に訴えようと、老人は本当の事を語り始めた。
「私の家内はな、身ごもったまま事故に……」
 それは何処にでもある悲しい不幸。話は老人自身の転落人生へと及び、子供への無念で締めくくられた。抱きしめることも、撫でて
やることさえも叶わなかった。老い先短くなってふと思い立った。他人の子供でもいい、誰かを可愛がりたい、と。
 皺くちゃな顔に皺が増え、痛苦に歪む。年老いた手で為せる事は少なく、彼は菓子をあげる事くらいしか考え付かなかった。
 淡々と続く話を、刑事達は適当に聞き流していた。他人の不幸は蜜の味とは言うものの、ありふれた話に興味は沸かない。
市民の不平を抑える事以上に重要な、個人の事情など存在しなかった。彼らを納得させる理由が必要なのだ。
「ま、そういうことなら。子供の好きなものさえ配らなければ、ご自由にどうぞ」
 老人を遮って、にへらと刑事が笑った。馬鹿、ともう一人の刑事が殴る。態度が悪い。しかし、内容に関しての訂正はしない。
 市民とは単純なものだ。おそらく菓子さえ与えられなくなればそれで満足する。彼らが不安に駆られるのは、老人が物品の見返りを
求めていないからだ。何の姦計もないなどとは信じられない。本当に自己満足だけで為されているというのなら、気味が悪い。
 今度こそ本当に立ち去って行った刑事達を、老人はぼんやりと見送った。やり切れない思いに頭を抱える。


59 :NO.13 おかしな爺さんの話 (5/5完) ◇dx10HbTEQg:06/11/05 23:11:45 ID:AdhrRh97
 事の経緯を黙って見守っていた、浮浪者の一人が呟いた。
「お菓子をあげなければいいわけだから……ほら、遊ぶだけならいいんじゃないかね」
 その一言を皮切りに、周りの浮浪者達は一斉に老人を慰め始める。
 だが、みすぼらしい公園と同様、貧相な老人自身に子供達を集める魅力が無いのは本人が一番承知していた。
 それでも、と老人は願った。
 今までお菓子をあげていた恩がある。どうか、これまでのように通ってきて欲しい、と。


 しかし、所詮は萎びた老人の願望。子供達は次の週の日曜にもやってきて、案の定菓子をせがんだ。
 菓子はないよ、と謝る彼に遠慮することなく不平をこぼす。隠しているのだと疑う子までいたが、持っていないものは持っていない。
 やがて諦めたものから公園を出て行った。折角の休日をつまらない場所で過ごすはずがない。
 唇を尖らせながら散っていく彼らを見送りながら、老人は一人目を伏せた。刑事達に逆らおうとは思った。だが、どうしてこれ以上続ける
必要がある。結局、子供達の親は老人ではなく、彼の行為によって子供の身を案じる者たちなのだ。それを押し切る意志も、気力も失っていた。
 ああ、今日でおしまいか。小さな背中達に、語りかける。今まで、楽しかったよ
 踵を返そうとした老人の背中が、ふと引っ張られた。振り返ると、小さな少女が満面の笑みで立っていた。
「あげる! 今までの、お礼!」
 少女の手には小さな飴が一粒乗っていた。彼女が喋りかけたのは間違いなく老人であり、飴は彼に差し出されていた。
 信じられずに、老人は何度も瞬いた。見返りを求めたことはない。ただ、子供達の笑顔を見れていただけで幸福だった。
 だが実際に何かを与えられると嬉しいものだなあ、と彼は瞼に僅かな涙を乗せた。言葉にならない礼を何度も呟きながら、それを受け取る。
「ありがとうね、お嬢さん。嬉しいよ。本当に、嬉しいよ」
「うん。タダより安いものはない、ってお母さん言ってたから!」
 嬉しいでしょ、と笑って走り去っていった少女に、老人は小さく呻いた。子供とは、何と無邪気な。
 口に放った飴は甘く、まるで自分自身のようだと思った。






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