【 製菓班の試供品 】
◆dT4VPNA4o6




48 :NO.12 製菓班の試供品 (1/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:24:50 ID:AdhrRh97
中小製菓販売会社『金平製菓』の若手社員甘垣は、意外な事態に首をかしげた。
 上司から配置転換を言い渡されたのだ。
 それ自体は構わない。部署など元々あってないような物だ、直営店にでも廻されるのだろう。
入社以来営業にいたが、いま一つ成績が伸びない自分に早くも見切りをつけたか。その程度に考えていた。
 だが、甘垣の予想とは裏腹に上司が彼に継げた配置先は、
「悪いが至急、製菓班の手伝いに行ってくれ」
「製菓班…ですか」
 自分の会社に製菓部門があることは彼も知っていた。しかし、ここ最近は販売と卸売りに力を入れており、
製菓班は規模を縮小させているはずだった。にも関らず人員は比較的多めに配置されていた。
「素人が行かなくちゃならないほど忙しいんですか、製菓は?」
「集団食中毒だそうだ。大半が入院してしまった」
 目を逸らしながら上司はそう言った。
 ――嘘だな。甘垣は直感的にそう感じた。
 最も、製菓班の手伝いに行かなくてはならないのは変わらない。嘘をついてまで自分を派遣しなければ
ならない理由が解らなかったが、命令とあらば仕方がない。

 製菓班の研究室は本社のビルから随分離れた町外れにある。甘垣がそこに行くのは初めてだったが、
目的のビルはすぐに見つかった。
『金平製菓 製菓班研究室』等とデカデカと看板を掲げていては見逃すほうが難しい。程よく寂れつつある
町外れにおいて、その看板は強烈な存在感を放っていた。
 責任者はいると聞いていたが、外からでは人気はしなかった。まるで空き家のような雰囲気に
不気味ささえ感じながら、甘垣は研究室に足を踏み入れた。
 乱雑を具現化したような部屋だった、彼は恐るおそる居るであろう誰かに声をかけた。
 「すみません…本店から廻された甘垣ですが……」


49 :NO.12 製菓班の試供品 (1/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:25:02 ID:AdhrRh97
「よく来たな」
 予期しなかった方向からの声に、甘垣はビクッとしながら声の方向を向いた。
 寝袋だった。ソファーの上の寝袋から声がしたのだった。寝袋がモゾモゾ動き、中から
アイマスクをつけた人間が出てきた。
「甘殻君だったな、ようこそ成果班研究室へ」
 アイマスクをつけたまま、その人物は話した。
「あ、いや、甘殻じゃなく甘垣です…。 あの班長さんは…」
 妙な迫力に気圧されながら、甘垣は最もな質問をぶつけてみた。
 アイマスクを外しながら、その人物は答えた。
「私が班長の渋川だ、よろしく」
 間抜けなことに、甘垣はアイマスクを外すまで気付かなかった。渋川氏が女性であることに。

 「悪いがインスタントしかないんだ、我慢してくれ」
 さし出されたコーヒーを、礼を言い受け取りながら、甘垣は密かに渋川を観察していた。
 まず若い。自分よりは年上のようだが、三十は超えていないだろう。女性にしては背も高い。
化粧はしていないようだが、甘垣の基準から言えば美人に分類された。要するに、場末の製菓会社の
研究室に篭ってる人間には見えなかった。
「製菓班の班長が若い女とは思わなかったか?」
 こちらの思惑を見透かした様な問いに甘垣は焦った。
「い、いえ、そんな事は…。それより他の方はどこへ…」
 研究室には今、甘垣と渋川しかいない。本当に食中毒だとしても、この渋川女史以外全員入院したわけでは
あるまい。そう思い彼女に質問した。
「君はこの人員不足の理由を何と聞いている?」
「はあ、集団食中毒だと言われましたが」


50 :NO.12 製菓班の試供品 (1/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:25:20 ID:AdhrRh97
「まあ、当たらずも遠からずだな」
そう言って、渋川は自分のカップにコーヒーを継ぎ足した。
「中毒と言うのは嘘だ。彼らは毒に当たって入院したわけではない、新作の飴を試食しただけだ」
「それは、食中毒と言うんじゃ…」
「中毒と言うのは体に対する悪影響だろう。彼らはこちらが良かれと思って付加した物が効き過ぎただけだ。
まあ、結果的に入院することにはなったが、検査入院だしな」
「あの、薬でも作ろうとしたんですか? ウチは製菓会社ですよ?」
 甘垣の言葉に、渋川はニヤリと笑った。
「君は今日、ただ甘い、香りが良い、それだけの菓子に消費者が満足すると思ってるのかね。
考えても見たまえ、消費者は我侭だ。贅沢だ。同じ値段なら誇大なことが書いてあっても、付加価値の
あるほうを選ぶだろう。世間様は健康ブームだそうじゃないか、ならばそれに乗っかるのは不自然なことかね?」
 中年男性の様な芝居がかった口調で、渋川は一気に喋った。甘垣は目を白黒させている。
「で、でも、おいしくないと売れないんじゃ…」
「もちろんだ、だが君は市販物で驚くほどおいしい飴やチョコレートを食べたことがあるかな?」
「製菓会社の人間がそれを言っちゃダメですよ…」
 しかし事実だった。店頭に並ぶお菓子はどれも似たり寄ったり、どうせ同じなら大手の物を
何の考えもなく購入するのが普通だ。だから、大手とは一線を画した商品を作るのは確かに一理ある。
 あくまで一理だが。
「でも、それならいっそ健康補助食品として売り出せばいいのでは?」
「気分の問題だ。君はまったく同じ物でも、お菓子と銘打たれた物と薬ならどちらを選ぶかな?」
 甘垣は論点をずらされてる気がしたが、言及は出来なかった。
 一方渋川は時計に目をやり、
「さて、お喋りはここまでだ。そろそろ始めるとするか」
「実験? 何のですか?」
「決まってるだろう。新製品のだよ」


51 :NO.12 製菓班の試供品 (4/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:25:40 ID:AdhrRh97
 実験室は隣の部屋だった。どう見てもお菓子を作ってるようには見えない、どちらかと言えば
製薬研究室のようだ。ここに足を踏み入れてから何となく感じていた薄ら寒さがいよいよ
強くなるのを感じながら、甘垣は尋ねた。
「あの、実験と言われても、僕は、その、そういう方面にはまったく素人なんですが」
「大丈夫だ、もう試作品の検査だけだから。それより君、体に何か疾患はあるかね?」
 試作品の検査、自分の体の事、大量の入院者、導き出されるのは一つだったか、甘垣は物も言わずに
立ち去ろうとして――首根っこをつかまれて動きを封じられた。
「逃げるな、なに死にはしない。万が一効き過ぎても半年もすれば還ってこれる、たぶん」
「たぶんって、入院の原因と同じのを食べるんでしょう?」
「安心したまえ、あれはもういい。ちゃんと労災が下りるから何の心配もないぞ」
 安心するどころかさらに不安になったが、もう顔には出さないように努力するのを止めにした。
どうやら覚悟を決めなくてはならないらしい。せめて親には連絡したかったがもう遅い
「ちなみに入院した方々は何を試食したんです?」
「ストレスに効くチョコレートが在るだろう。あれに対抗してさらに効力のあるのを作った。
だが、リラックスしすぎて、皆、恍惚の人になってしまった。」
「やっぱり帰らしてください」
「却下だ。第一、私にはそう効かなかった。君だって例外かもしれない」
――貴方と一緒にしないでくれ――そう思ったが口には出さなかった。
「さて、この飴だ。売り文句は考えてない。コンセプトは神経系統の活性化だ」
「良く解りません。……本当に食べなきゃダメですか?」
 ここまで来て尻込みする自分にあきれたが、それでも命は惜しかった。この年で呆けれるほど彼は
達観しては居なかった。 
「疑り深い奴だな君は。どれ私も一つ食べてやろう、ほら」
 何のためらいもなく渋川が飴玉を口に放り込んだのを見ても、まだ踏ん切りがつかない甘垣の顎を渋川は掴んだ。


52 :NO.12 製菓班の試供品 (5/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:25:54 ID:AdhrRh97
「むぐっ……むむむ…!?!?!?!?!?!?」
 口移しなどと言う強攻策は、流石に想定の範囲外だった。唇が離れても混乱を抑えるには
少しばかり時間が必要だった。
「なななななっ何を、するん、ですか!?」
「ほっとけば何時までも口に入れそうになかったのでな。そんなに気にすることか? 
その年で初めてと言うこともあるまい。ああ、かみ砕くなよ、ちゃんとなめるんだ」
 そう言いながら、渋川は例の飴をもう一つ口に含んだ。何かを気にした様子もない。
「体調に変化があったら教えてくれ」
 そう言って部屋の奥のPCに向ってしまった。
 自失状態の甘垣は口内の飴をコロコロ転がすほかなかった。

 一時間たち二時間たっても、これといった変化はなかった。
「どうだ、何も変わらないのか?」
 渋川の質問に、甘垣はしばし考えた後
「はあ、特に何も…。ああ、緊張で胃が痛いです。て言うかそんなに即効なんですか?」
 渋川は頭をかきながら、
「ふむ、失敗か。まあ良い、よし、もう帰っていいぞ。何かあったら連絡してくれ。
ほら胃が痛いならこれでも食べておけ」
 そう言ってチョコレートを甘垣に寄越した。
「コレって…あの、例の失敗作の奴じゃ…」
「それは製品版だ。…また口移ししてやろうか?」
 ニヤニヤしながら渋川はそう言った。
「け、結構です、それじゃあ僕はこれで…!」
 そう言い残して甘垣は研究所を後にした。チョコレートは散々悩んだ挙句一応食べておいた。
 その後、その日一日妙に気分が良かったのに気付いたのは甘垣が寝る前だった。


53 :NO.12 製菓班の試供品 (6/7) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:26:06 ID:AdhrRh97
それから一月が経過した。営業に戻った甘垣は相変わらず仕事にいそしんでいた。渋川は変化があったら
連絡しろと言っていたが、別段変わった事などない。ただ、妙に仕事が上手くいくようにはなっていたが、
それがあの時食べた飴玉と関連付ける発想は甘垣には無かった。
 その日も、仕事から帰ってきた甘垣はマンションの部屋が空いてることに気付いた。
『泥棒か…?』
 どうせ取られる物も余り無いのだが、犯人との鉢合わせを恐れて甘垣は恐るおそる玄関をくぐり
電気のついてる部屋の扉を開けた。そこでは、
「やあ、遅かったな甘川君。残業かね? 忙しいことだ」 渋川がくつろいでいた。
 完全な予想外だった。強盗なら逃げようと思っていたが、これには対応を忘れてしまった。名前の訂正も出来なかった。
「あの、えっと、何やってんです?」
「うむ、簡潔な質問を有り難う。さて、突然だが甘垣君、逃げるぞ」
「は? はい? え、逃げるって…どこへ、あの、何でです?」
「この前の飴の件だ、まあ、とりあえずこの部屋から出よう。荒らされたくないだろう」
 有無を言わさず、渋川は甘垣の腕を取って外に留めてある車まで連れて行った。
「一体何なんですか? 逃げるって、誰からです? 僕別に何もしてませんよ」
 もはや、逆らうことは諦め、甘垣は当然の質問をぶつけた。
「この前、実験したあの飴だがな。結構な作用があったのだよ。あれはただ服用しただけじゃ確かに効果は無い。
あれは服用した者の能力を、本人の希望道理に向上させる効果があるようだ」
「そんな、SFじゃ在るまいし冗談言ってないで本当のことを…」
 渋川はそれには答えず、サイドボードの特殊警棒に手を伸ばした。彼女が少し力を入れただけで
警棒はいとも簡単にへし折られてしまった。
「君の最近の営業成績を見せてもらった、恐らく無意識の努力が薬の効果を誘発しているのだろう」
 呆けっ放しの甘垣を無視して、渋川は続けた。何とか気を取り直した甘垣は
「で、でも、あの、そうだ、一体何から逃げるんですか?」と尋ねた。
「今のところ、モサドとSVR。まあスパイだな、まだ増えるぞ。ほら、後ろを見てみろ」


54 :NO.12 製菓班の試供品 (7/7完) ◇dT4VPNA4o6:06/11/05 22:26:19 ID:AdhrRh97
促がされて後方を見やると、ぴったりと外ナンバーのBMWがついて来ていた。
「巻いたと思ったんだがな…。君、ちょっと運転を変われ」
 そう言いながら、渋川は窓から身を乗り出すと、素早い動きで車の上に載ってしまった。甘垣は慌ててハンドルを取った。
「な…、ちょっとどうするんですか!?」
「片付けてくる、次の角を右にまがって待っておいてくれ」
 それだけ言うと渋川は、その身を躍らせ後方のBMWに飛び移った。
 もう、言われた通りにするしかない。何とか運転席にもぐりこみ、指定の行動を行なった後甘垣は深々とため息をついた。
 その時突然、窓をノックされた。渋川かと思い窓をおろすと、いきなり太い腕が突っ込まれ甘垣は、外に引きずり出された。
 甘垣を引きずり出した男は別の男と何か話している、甘垣の知らない言葉だ。無駄と思いつつも甘垣は、
むちゃくちゃに腕を振り回した。だが、それだけで甘垣を押さえていた大男は。吹っ飛ばされて気絶した。
「やはりな、君にも効果が出ていたようだな」
 いつの間にか、渋川が追いついていた。不利を悟ったか最後の男は逃げてしまった。
「しかし、しつこい。いい加減追っかけまわすのは止めて欲しいんだがな」
 ブツブツ言いながら渋川はぼやいた。甘垣も車に乗り込みながら、
「あの、でも発表とかしてないのに、なんでスパイが? あと、何で僕も一緒に?」
「私は有名人なんだよその筋では。それと君、連中に捕まったら人体実験間違い無しだぞ」
「はぁぁ、……で、どうなるんですか僕たち? 突然失踪したら皆驚きますよ……」
「存外気の小さい男だな君は。ほら、これでもなめて落ち着け。心配するなただのベッコウ飴だ」
「はあ、……随分おいしいですねこの飴。これ発売したら結構な話題になると思いますけど…」
「それはダメだ。それは気に入った奴にしかやらん。君は運がいいぞ、甘垣君」
「えーと、僕は気に入られたんですか? あ、それと今…」
「さて、どうだろうな? 」
 渋川はそう言って笑って見せ、こう続けた。
「まあ、私について来れば、これが何時でも食べれるんだ。逃亡劇もそう悲観することはあるまい」
 ――結局逃げるのか――甘垣の深いため息を残し、二人を乗せた車は闇夜に消えていった。 <終>




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