【 あかねいろ咲く、冬 】
◆wDZmDiBnbU




17 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (1/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:53:19 ID:NrvaQBzG
 なるほど、そういうこと――茜は納得した。
 自分の高校の学園祭。正直に言えば、茜はあまり興味を持てなかった。まして茶道部の
お茶会だなんて、親友の朋美がいなければ近寄りもしなかっただろう。お茶菓子の注文が
茜の家の和菓子屋に来たのも、朋美の推薦だという義理もあった。「ついでに当日も手伝っ
て」と言われれば、この通り手伝いもする。確かそのときに言っていた「すっごいお礼も
用意してるから」という言葉。なるほどこのことか、朋美らしい。
「さっきの彼、桐島涼太っていうんだけど、和光大学茶道部の部長さんなの。うちの部と
結構交流があるから、今日は茜のために招待したのよ」
 楽しそうな様子でまくしたてる朋美。全く、おせっかいなのか、からかっているのか。
「ね? イケてたでしょ、彼。いまフリーらしいよ。茜と気が合うと思うけど」
 確かに格好よかったのは否めない。大学三年で二十歳、歳の割には少し童顔だが、雰囲
気はとても良かった。柔和な表情、丁寧な物腰、そしていかにも大人っぽい、落ち着いた
その仕草。嫌いなタイプではない。少なくとも茜はそう感じた。
 だが、気が合うかどうかはどうだろう。茜は改めて朋美を見た。可愛くて、スタイルも
いい。何より気さくで明るいその性格。彼がわざわざ招待されてきたのも、彼女の誘いだっ
たからじゃないだろうか――茜は、首を振った。
「私は、そういうの別に、いいから」
 釈然としない様子で、首を傾げる朋美。
「そのわりには茜、顔赤くない?」
 うそ――思わず顔に手を当てる。朋美がにやり、と笑った。
「まあ茜の堅物はいつものことだけどさ。たまには積極的に何かしたらいいんじゃない?」
 何かって、何を。茜が反論するより早く、朋美は茶室の片付けに行ってしまっていた。
 ――積極的に、って。そんなのどうしていいかわからないじゃない。
 茜はその場に立ち尽くしたまま、朋美の言う『何か』について、ぼんやりと考えた。



18 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (2/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:53:36 ID:NrvaQBzG
 結局『何か』かなんなのかはわからなかったが、それは一ヶ月後に突然やってきた。
 どうせ平日の夕方に客なんていない。面倒くさがって店の入り口から家に入る癖がなけ
れば、こうして再会することもなかっただろう。家の前に、見覚えのある顔。目の前には
紛れもない、いつぞやの部長――涼太がいた。
「あ、お久しぶり。たしか、間宮茜、さんだよね」
 茜に気づいた涼太が、軽く挨拶をする。たしかあの時、簡単に紹介はされていたものの、
まさか向こうが憶えているとは――茜は少し狼狽しながら、小さく会釈を返した。
「こんなところで会うなんて。ひょっとして、君もこのお店に用事?」
 そう尋ねる涼太に、茜は消え入りそうな声で答えた。
「ここ、私の家なんです」
 涼太はしばらく唖然としていたが、やがて小さく吹き出した。
「ああ、そうだったんだ。それはごめん。この間のお茶会では、ごちそうさまでした」
 とても美味しかったから、今度うちの部でやるお茶会のお菓子をお願いしようと思って
ね――涼太の言葉に、茜は「いえ、そんな」と首を振る。自分のことを褒められたわけで
もないのに、妙に気恥ずかしいのはなぜだろう。何か話さなきゃと思っても、上手く言葉
が出てこない。多分、朋美が変なことを言ったからだ。茜は少し、朋美のことを恨んだ。
「あ、そうだ」
 そう言うと、涼太は手にした鞄から一枚の紙を取り出した。小さな山吹色の和紙に、『
第三十二回 学生茶会』と印刷されている。茶席券だ。
「これ、うちの部も参加するんだ。もしよかったら、遊びにきてもらえると嬉しい」
 茶席券の代金を支払おうとする茜を、涼太が制する。この間招待してもらったから、そ
のお礼――彼はにっこりと微笑むと、別れの挨拶を告げ、去って行った。
 学生茶会。券を見ると、期日は二週間後の日曜日だ。もう冬、雪が降らなきゃいいけど。
 茜はその小さな券を、お気に入りの手帳に挟み込んだ。


19 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (3/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:53:50 ID:NrvaQBzG
 当日、天気の心配は杞憂に終わった。だがそれよりも気にしておくべきは、茜自身の方
向音痴だった。さんざん迷った末に、どうにか会場に辿り着くことはできたが、既にもう
日は傾きかけている。会場の屋敷に駆け込んだ瞬間、茜はその場に凍り付いた。
 ――別世界。というか、私、空気読めてない。
 会場は大学生か大人だらけというのはわかっていた。でもその格好が、誰も彼も着物か
スーツ。茜は改めて自分の格好を見直した。どう見ても、浮いている。
 どうしよう、やっぱ帰ろうか――そう思い始めた矢先に、光明は訪れた。
「間宮さん、来てくれたんだ。ありがとう」
 突然の声に振り向くと、そこにはスーツ姿の涼太。助かった。茜はほっと胸を撫で下ろ
した。異空間で知り合いに会うというのは、こんなにも安心できることだったのか。
「ごめんなさい、変な格好で来ちゃいました」
 突然の謝罪に、涼太が目を丸くする。
「そんなことはないよ。ずいぶんお洒落なんで、びっくりした。似合ってるし、可愛いよ」
 可愛い、だなんて。お世辞なのはわかっていても、いざ言われてみると恥ずかしい――
茜は初めて思い知った。緊張が倍増する。なんとか絞り出した声は、ほとんど囁きだった。
「そうじゃなくて、みんな格好が、フォーマルっていうか」
「うーん、お客なんだから気にすることもないと思うけど……やっぱり気後れする?」
 少し、と答えて、茜は周囲に目をやった。本当は少しなんてもんじゃない。本音を言え
ば、いますぐ消えてなくなりたいくらいだ。
「その、場違いみたいなんで、やっぱり帰ります」
 振り返りかけた茜の手を、涼太が掴んだ。優しいけれど、力強い、確かな感触。
「ごめん。でもせめて、ちょっとお詫びさせて」
 涼太が茜の手を引く。既に緊張を通り越して、何が起こっているのかさえわからなかっ
た。はっきりとわかるのは、左手の感触。茜の心臓が、小さく跳ねた。


20 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (4/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:54:02 ID:NrvaQBzG
 がらり、と戸を引く音。そこは水屋――お茶やお菓子の準備をする、いわゆるバックヤー
ドとして使われている部屋だった。視線が集まる。茜は、頬が赤くなるのを感じた。
 場所、ちょっと借りるよ――そう言うと涼太は部屋の中へとあがり、茜を隅に座らせた。
「正式な作法じゃなくて悪いけど」
 電気ポットの湯を柄杓ですくい、素早く茶を点てる。鮮やかな手際。差し出された茶碗
を、頂きます、と受け取る。温かい。口に含むと、甘く滑らかな泡が舌の上に広がった。
「それと、もう一つ」
 傍らに、懐紙に乗った茶菓子。椿の花を模したそれは、茜の家で作られたものだ。
「好評だったよ、とても。やっぱり頼んで良かった。いい記念になったよ」
 記念――その言葉に妙な引っかかりを感じて、茜はその意味を問いかけた。寂しそうな
顔で、涼太が口を開く。それは想像もしていなかった一言だった。
「大学、辞めるんだ。海外に行くために」

 あまりに急な話だった。せっかく仲良くなれたと思ったのに、もうお別れ。そんな話っ
てあるだろうか――考える度に、胸が痛む。あの茶会から、一週間が過ぎようとしていた。
茜は沈鬱な気持ちで毎日を過ごしていた。明日から週末だというのに一向に気が晴れない。
 放課後の教室。茜が沈みかけた夕日を眺めていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「茜、あんた聞いた?」
 朋美。なにを聞いたかについては、もう考えるまでもない。茜は頷いた。
「そう……わかった。じゃ、帰ってからまた連絡するから。あ、今日の晩空いてるよね」
 連絡、今日の晩――何のことだろう。問いかける茜に対し、朋美はただ「いいから、任
せといて」と言うばかりだった。教室をあとにしかけた朋美が、最後に振り返る。
「桐島部長にはあたしから連絡しとく。あ、そうそう、彼も茜のこと好きだって」
 好き――。教室に一人立ち尽くす茜の脳内に、その一言だけがこだましていた。


21 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (5/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:54:15 ID:NrvaQBzG
 数時間後。朋美の「任せて」は、茜の想像の遥か斜め上を行っていた。涼太を含めた三
人は、いま一同に会していた。場所は、涼太の暮らすワンルームのアパート。
「ごめんね、狭い部屋で」
 涼太の言葉に、茜は「そんな」と首を振った。謝らなきゃいけないのはこっちの方だ。
 あれから朋美は送別会を理由に、電話で二人を呼び出した。しかも強引に涼太の家にま
で上がり込むなんて、迷惑な上に非常識――非難する茜に、朋美はにやりと笑って答えた。
「わかってるけど、他に場所がないじゃない。送別会にはこれがないとね」
 そう言いながら朋美は鞄に手を入れた。そこから現れたものは、お酒のボトル。それも
一本や二本ではない。ワイン、焼酎、日本酒にウィスキー。これだけの量をよくも、まあ。
「桐島部長は飲めるでしょ?」
 僕なら大丈夫だけど――涼太がそこまで言った所で、朋美は勝手に納得して話を続けた。
「あたしはお茶よりこっちが専門。そうなると茜も付き合わないわけにはいかないわよね」
 無茶苦茶な理屈に茜が気圧されている間に、朋美は持参の紙コップを並べていた。なん
て用意のいい――感心している暇もなく、コップはワインで満たされた。半ば押し付ける
ようにそれを配る。
「それじゃあ、桐島部長の旅立ちに、乾杯!」
 勝手に音頭を取ると、朋美は手の中のワインを一気に飲み干した。

「ごめん、もう無理……」
 それが最後の言葉だった。
 幼稚園の頃から飲んでいたなどと大見得を切った割には、朋美はあっさりと酔いつぶれ
た。それも厄介なことに、トイレの便座に突っ伏したままだ。しばらく放っておくしかな
い――茜は朋美を運び出すのを諦め、部屋へと戻った。
「朋美、寝ちゃった」


22 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (6/7) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:54:28 ID:NrvaQBzG
 ベッドの縁に腰をかけたまま、涼太が「うん」と答える。額に手を当て、顔も赤い。ど
うやらあまりお酒は得意でなさそうだった。茜はといえば――若干ふわふわとした感覚は
あるものの、それほどひどくはない。茜はキッチンでおしぼりを絞ると、涼太に手渡した。
「ありがとう」
 冷たいおしぼりを額に当てる涼太。その隣に、茜は腰を下ろした。
 静寂。二人の間を、無音の世界が支配した。その沈黙を破ったのは、涼太の突然の一言。
「僕の実家は、洋菓子屋なんだ」
 初めて聞く独白。茜は涼太の真剣な横顔を、黙って見つめた。
「田舎の小さな店で、継ぐってほどのものじゃない。そんなつもりもなかったから、大学
に来た。でも、本当はお菓子が好きだったんだろうね。それを、君が思い出させてくれた」
 部長――そう声をかけると、涼太は首を振った。
「もう辞めるんだ、部長じゃない。涼太でいいよ」
 心の中で、涼太、と唱える。この熱っぽさは、お酒のせいだろうか。
「父の師匠の元で、修行がしたい。僕は、フランスに行く。決心がついた」
 交錯する視線。涼太の温かく、優しい瞳。そこに宿る真剣な光。鼓動が、高鳴る。
「君の、茜のおかげだ」
 音もなく、おしぼりが落ちた。甘いワインの香り。そして柔らかい感触。
 ――唇。
 一瞬の出来事。目の前に、涼太の顔。寄せ合うその体が、熱い。まるで現実とは思えな
いほどの熱。もし夢でも、手放したく、ない。乾ききった喉から振り絞った、最後の勇気。
「涼太、さん」
 まるで空の上から聞こえるような、自分の声。爆発しそうな胸の音が消え、脈打つ衝撃
だけが全身を巡る。その背中に、大きな手のひらの感覚。ゆっくりと、天地が横たわる。
自然と閉じる瞼、そしてもう一度――甘い感触。


23 :NO.05 あかねいろ咲く、冬 (7/7完) ◇wDZmDiBnbU:06/11/05 17:54:47 ID:NrvaQBzG
「好きだ」
 その言葉だけが耳に残る。全身が硬く、まるで板のよう。手足の感覚が曖昧で、温度す
ら感じない。わかるのは、甘い香り、彼の体の重み、髪を撫でる手、そして柔らかい、唇。
 混じり合う呼吸が耳元へと流れた。茜――ただ名前を呼ばれただけで、体がはじけそう
になる。背中に感じる手のひらが動く。ゆっくりと、優しく――消えていたはずの全身の
感覚がよみがえり、さらにもう一段と強く硬直する。動けない。喋れない。せめてこの手
で、彼にすがりたい。でも、指一つ動かせなかった。閉じた瞼が、さらに強く閉じられる。
 少しだけ、怖い。でもそれは、とても心地よくて、甘い。
 大好き――。初めて味わうその感覚に、茜は身を委ねた。

「それで、どうしたのよ、そのあと」
 目を輝かせて尋ねる朋美。それでといわれても、困る。茜は一言「それだけ」と答えた。
 なにそれ勿体ない――澄み切った青空に、朋美の声がこだまする。声が大きい。
「……でもまあ、茜にしちゃ上出来なのかな」
 言葉の割には不満そうな朋美の声を無視して、茜は空に向けて手を振った。雪の合間の、
久々の晴れ空。そこに小さく、飛行機が飛んでいる。
「そんで、『カレシ』はいつ戻ってくるって?」
 茜は首を振った。それはまだわからない。わからないけど――。
「あんまり戻って来れないんだったら、私が会いに行くから」
 その言葉に満足そうな微笑みを返す朋美。
「かっこいいね、フランスで脱・処女の旅かあ」
 あまりにあからさまな表現。朋美のいたずらっぽい笑顔に、茜は返す言葉を失った。

 恋人の飛び立った青空の下、茜は一人、赤くなっていた。       <了>





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