【 想いの方向 】
◆dx10HbTEQg




41 名前:NO.10 想いの方向 (1/5) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:47:57 ID:nOeZ2hNy
 足を地に叩きつけるようにして歩きながら、ラエリウスは憤怒していた。
 あの馬鹿達は何を考えているのだ。愚れ者め。あんな法案を通せるものか、常識を考えろ。何故私の正しさが分からないのだ。
 ぶつぶつと吐き出される幾つもの罵り言葉に、聞きとがめた人が胡乱げな目をやる。なんだ、この気狂いは。
 それが更にラエリウスの苛立ちを増幅させる。なんだ、その目は。私は祖国の繁栄のため働いているのだぞ。
 公園が遠目に見えてきた時、馬車とすれ違った。誰が乗車しているのか分からないように処置されている。その外観は辻馬車ではなく、個人の
持ち物のようだった。貴族のお忍びだろうか。下流貴族層の居住地区は、そういった“お遊び”の的になることが多々ある。
 ラエリウスは馬車の主を思って眉を顰めた。浮気を絶対悪と断言するほど彼は信心深くはない。問題なのは、時間だ。日はまだ南から少し傾い
た程度。今から帰るのだろうその貴族は、今日の公務を一体どうしたというのか!
 そういう貴族が政治を駄目にするのだと、青年は歩を進めた。上流貴族には縁のないそこも、通いなれた彼が迷うべくもない。
 木陰の下、簡易に設えられたベンチに目的の人物を見つけ、彼は僅かに相好を崩した。眩い金の髪が風にたなびく様子に目を細める。近づく足音に
気付き、彼女も顔を上げて微笑んだ。
「こんにちは、ラエリウス様。よいお天気ですね」
「ああ、アレッシア。偶然だな」
 彼女の前に立って空を仰ぐ。雲ひとつ無い蒼空に浮かぶ太陽。しかし風は少々強く、寒い。散歩をするにも、一人で物思いに耽るのにも適さない
陽気だろう。それ故か、公園には二人以外の人の姿はなかった。
 冷えているのではと心配して見下ろすと、彼女は口に手を当て上品に笑っていた。
「何だ」
「先週も会いましたわ。先々週も、ここで、同じ時間に」
「……そういえば、そうだったかもしれない、な。偶然に」
 散歩がてら通りかかっただけだ。偶々仕事が早く終わったからだ。矢継ぎ早に出される言い訳は、彼女を通り過ぎて虚空に消えていく。誤魔化せ
はしないと分かっているものの、言葉は止まらない。わざわざ会いに来ているなどと認めるのは、矜持が許さないかった。
「そうですわね。偶然、ですわ。先週も、先々週も、その前の週も、出会った時も」


42 名前:NO.10 想いの方向 (2/5) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:48:15 ID:nOeZ2hNy
 ころころと笑う彼女の隣に、憮然とした面持ちで腰を下ろす。
 出会いは確かに偶然だった。政敵に追われ、這う這うの体で逃げ込んだ先でラエリウスとアレッシアは邂逅した。仄かな街灯の下、輝く髪の
鮮やかさに息を呑んだのを覚えている。
 凶手から匿ってくれた彼女に対し、しかしラエリウスは感謝よりも先に疑念を抱いた。何故、夜中に妙齢の女性が公園にいるのか。
 問い質す彼に、忘れ物を取りに来ましたの、と彼女は答えた。赤く腫れた瞳と頬に、少し歪んだ微笑を浮かばせて。
「どうしましたの? なんだか怒っていらっしゃるよう」
 回想に耽る彼の様子に何を思ったのか、アレッシアは小さく首を傾げた。整った顔立ちをした彼女の仕草は、いつ見ても可愛らしい。思わず見惚れて
しまった自分に愕然とし、首を振って雑念を振り払った。下級貴族如きに何を馬鹿な。
 誤魔化すように目を逸らし、嘆息する。
「……一つ、問題を抱えていてな」
 その一言だけで、アレッシアは納得したらしい。それは、と呟いたきり視線を前に向ける。
 そこには一人の掃除夫がいた。ボロ布のような服を纏い、落ち葉をかき集めてはゆるゆると息を吐く、その姿は酷く滑稽だった。汚らしい存在から
目を背け、彼女に問う。この娘は女の身で政治に興味があったのだろうか。
「知っていたのか」
「え? え、ええ。殿方が熱心に議論なさっていますもの。女の耳にも入りますわ」
 政治に口を挟む女は嫌いだった。政は女の領分ではない。アレッシアの返答に安心し、ラエリウスは再度空を仰いだ。ここは彼にとって癒しの場所だった。
 あれは危地に見た幻ではないかと、暇を見つけては公園に訪れた日々は無駄でなかったと思う。何故そんなにも彼女を求めていたのかは、彼自身にも
分からない。ただ、こうして彼女と共にいると、心身ともに安らぐ事だけは確かだった。
「反対派のリーダーなのでしょう? ラエリウス様は」
「まあ、実質的にはな」
 父親が政治家ではない彼には、後ろ盾がいない。若輩者は嘗められるという事もある。だから表向きには別の人間をリーダーに据え、愚かな
改革を掲げる敵と戦っていた。没落した人々に農地を分け与え、自活の道を与えようという馬鹿げた法案だ。


43 名前:NO.10 想いの方向 (3/6) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:48:51 ID:nOeZ2hNy
 心底下らない。どうして貴族がそこまでしてやらなくてはならないのか。庶民のために国の政を担ってやっているというのに。
「没落するのは無能だからだ。生きる術がないのなら死ねばいい」
 自分自身の力でのし上がった彼は、身分や権威への執着が強かった。上流階級に属する誇りがあった。国にとって無駄な存在など、消え果てしまえばよい。
 未だ雲の流れを追っていたラエリウスは、アレッシアの悲しげな表情を見ることはなかった。貴族の端くれとは言え、彼女の家は平民と大差ない。
案件の無産市民とも交流を営んでいた。友人を救うために私財を投げ打ち落ちぶれた父は、家族に暴力を振るうことで鬱憤を晴らしている。
 だから、彼女は口を挟まない。彼らを救って欲しいとも思う。だが、農地を与えられたとしても有効に使えはしないことも知っている。結局父の
友人は、提供されたもの全てを無為に食い潰しただけだった。
 彼女の陰鬱の原因は他にもあった。何の面識もなかった自分を、頬の腫れを、労わってくれた青年。妙にうろたえていたから、女の涙に慣れて
いないのかもしれない。それでも母が迎えに来るまで、ずっと付き添ってくれていた。その優しさにアレッシアは惹かれた。
 家に居場所をなくした彼女にとっても、彼と過ごす時間は傷ついた心を癒す大切なものだった。だがそれも永遠に続けられるわけではない。彼も
アレッシアも、いずれ家庭を持つ日が来るのだろうから。
「では、もしも。もしもですわよ。そのような没落した民が上流貴族と、恋に……恋に、落ちたら。どう、思われます?」
 彼の誇りは強固だ。彼女の想い全てを弾き飛ばすほどに。恋心は砕かれるのか、否か。どうしても早くはっきりさせたかった。
 ラエリウスは真っ赤になって俯いたアレッシアを瞠目して見つめた。この娘は一体何を考えているのかと。自由に恋愛をする余地はなく、幼い
頃から勉学に邁進してきた彼は、恋など意識したことさえなかったのだ。
 不審に思うと同時に、彼の理性は答えを導き出していた。
「……冗談ではない。そんな不遜な事、そもそも起こり得ないし、おこがましい。下らないな」


44 名前:NO.10 想いの方向 (4/6) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:49:11 ID:nOeZ2hNy
 紡がれた言葉にアレッシアは落胆し、絶望した。どうしたのかと訝しむ彼を、瞳を閉じて遮断する。分かっていたことだった。もう、戻れない。
分別のある振りをした理性の下で、想いは主張する。彼と一緒にいたい。ずっと。
 こみ上げてくるものを押しとどめ、アレッシアはふわりと立ち上がった。少し歪んだ微笑を浮かべる。
「そろそろお帰りの時間ではありませんの?」
 彼が来てから一刻は経っている。本来ならばこのような場所に訪れる暇などないはずだったし、命を狙う輩がいつ現れるとも限らない。
 お気をつけを、と囁いた彼女にラエリウスは嘯いた。
「理想を貫くためなら、政敵を殺してをもみせる世界だ」
 覚悟はしている、と。
 望むのは祖国の平和。自身の幸福。そして、安らげる場所。そのためならば、命さえ惜しくは無い。



 足を血に叩きつけるようにして走りながら、ラエリウスは焦燥していた。ぼたぼたと滴る血液で足が滑る。
 帰宅途中にいきなり斬りかかられたのだ。警戒していたつもりではあったが、現状認識の甘かった事は否めない。闇雲に走っていると、見覚えのある
風景に出会った。下級貴族層の居住地区だ。感覚のなくなってきた左腕を庇いつつ駆け抜けた。敵はどうあっても彼を殺したいらしく、諦める気配はない。
 大丈夫だ。今回も、逃げ切れる。通いなれた道を進む。日は西に完全に沈み、人影はない。
 どこかで見た記憶のある馬車が目に留まるが思い出す余裕はなかった。背筋を伸ばした馬はぴくりとも動かず、誰も乗ってはいないらしい。その横
を通り過ぎ、彼は公園に逃げ込んだ。
 鮮やかに光る金糸が、目に飛び込んだ。何故、彼女が、ここに。彼女の赤く腫れた目が、歪んだ微笑を形作った。
「あら、ラエリウス様……。よい、お天気ですわね」
「……アレッシア、か。偶然、だな」
 夜空には雲が流れ、街灯に灯された炎はぱちぱちと弾けて消えかかっている。風の強さは木を攫おうとしているかと思われる程で、間違ってもよい
天気とは言えない。暗殺者には良いだろうがな、と二人きりの公園を見渡してラエリウスはアレッシアに詰め寄った。
「どうしましたの? なんだか焦っていらっしゃるよう」
「あ、ああ。そうだ。また追われている。匿え」


45 名前:NO.10 想いの方向 (5/6) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:49:30 ID:nOeZ2hNy
 彼女の背後の茂みを指差す。一人入れる程度の空間があり、以前はそこに隠れてやり過ごしたのだ。彼女の細腕を乱暴に掴み、引き寄せて退かす。
 さあ、私をそこへ入れてくれ――しかし、それは呻き声にしかならなかった。
 感じたのは熱さ。そして、痛み。闇の帳を引き裂いて、剣がラエリウスの腹部を刺し貫いていた。
 唖然として目を瞠る。黒い服に身を包んだ男と、俯いたアレッシア。血が抜けた所為かショックの所為か、眩暈がした。まさか。
「アレッシア……お前も、か? お前もな、のかっ」
 剣が引き抜かれ、どぼりと大量の血が抜け落ちた。何かが落ちる音が遠くに聞こえると共に、全身に衝撃が走る。地に伏した彼を、凶手は嘲笑った。
「己の女にさえ騙される、か。はは。間抜けだなラエリウス。この女はお前を売ったのだよ」
 茂みに身を潜めていた男は、草を払い落としながら銀貨の入った袋を打ち捨てた。重い音と、中身が散らばる音が静寂に響く。
 彼女の家が大して裕福ではないことは知っていた。彼女がそうと言ったわけではないが、上等とは言えない服や装飾品が物語っていた。
「金、のためか。金のため……に、なんて」
 そんなもののために、私を騙したのか。それほどまで彼女は卑しかったか。金の方が大切なのか。
 動かない頭を必死に傾けて彼女を見上げる。ラエリウスの傍に屈み込んだアレッシアの頬は濡れていた。
「貴方には私達の辛さは分からないのでしょうね。私の気持ちも、分かってはいただけない……」
 金銭に困ったことなどないだろう上流階級に属する彼に、下層の苦しみは理解できない。想像しようとしたことさえないだろう。金の大切さは、
持たぬ者ほどよく知っている。それが無ければ生きてはいけないのだ。
 けれど、お金のためだけではありませんの、と彼女は告げた。
「私は、恋を叶えるためでしたら、恋敵を殺してしまいたいとさえ思いますわ」
 瞳の底には、爛々とした光が宿っていた。愛するものを手に入れようという、女の目。気がつけば、自分でも怖ろしいほどに執着していた。その
場所も、彼自身にも。いつか失われてしまうくらいなら――。
 望むのは家族の平穏。自身の幸福。そして、安らげる場所。そのためならば、命さえ惜しくは無い。


46 名前:NO.10 想いの方向 (6/6) ◇dx10HbTEQg 投稿日:06/10/29 22:49:48 ID:nOeZ2hNy
「愛しいラエリウス。ああ、でも。私の恋敵は、あなた自身でしたのよ……?」
 彼の理想と、アレッシアの恋は両立しない。振り向いてもらえないのなら、殺して掌中に収めればいい。頭を駆け巡る思考は、彼女のものではなかった。
家から逃げ出して佇む彼女の元に通い続けた男は、ラエリウスだけではない。何度も何度もアレッシアを諭し、宥め、彼の暗殺を承諾させた男。それが
ラエリウスの政敵であった事は知っていたが、繰り返される説得に彼女の心は揺らいだ。
 結局、身分に執着するラエリウスよりも、その男の方がアレッシアを理解していたのだ。
「アレ、シア、わた、し、は」
 間違っていたのか? そう遺し、ラエリウスは力を失った。
 ええ、間違っていたわ。だから私は正しい。アレッシアはすすり泣いた。私は間違っていない。ならば何故、私は泣いているの。
「さて」
 冷たく血潮に沈むラエリウスと、すがり付いて泣く少女。つまらなさそうに男は鼻を鳴らした。三文芝居はさっさと幕引きするに限る。
 お前にも死んでもわねばな、と凶手は血に汚れた剣を無造作に掲げた。暗殺の証人を生かしておくわけにはいかない。
 ラエリウスは死に、政争は改革派の勝利に終わるだろう。少なくとも有利にはなる。無産市民も救われるのだ。これで祖国はさらに繁栄する!
 望むのは祖国の平和。自身の幸福。意志を貫ける場所。そのためになら、姑息な真似さえやってみせる。
 アレッシアは、何かに憑かれたかのように笑う男をぼんやりと見つめた。死ぬ? ラエリウスは死んだ。なら、私も死ねば、ずっと。
「貧民のため、死ね。貧民」
 ずっと、一緒に――。
 金色が舞い、赤色が散った。失われた幸福が、力なく二人を照らしていた。



終わる



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