【 薬にできること、できないこと 】
◆tGCLvTU/yA




53 名前: ◆tGCLvTU/yA 投稿日:06/10/24 00:08:13 ID:wCL05/Fa
 朝の陽射しや小鳥のさえずりなどに関係なく、少女はノートにペンを走らせていた。
 鬼のような形相でノートを睨んでは、黒い文字がノートを埋めていく。時にはすらすらと。時にはのろのろと。
 ノートを走るペンの音のみが静寂を支配していて、邪魔するものは何一つない。あったとしてもさせない。そんな空気だった。
 異様な緊張感に包まれた空間は、少女が持っていたペンを机に置くことで突如として終わりを告げた。
「おお……ふおお……」
 妙な唸り声を上げて、少女は机をばんと叩いて勢いよく座っていた椅子から立ち上がる。
 ノートを片手に握り締めて、一つ息を吸ってから大声を上げた。
「リセリアさぁあああん! やりましたぁーっ!」

 その近所迷惑寸前の絶叫にも似た大声を聞いたリセリアは薬の調合を中断して、声のする二階の方へと顔を向けた。
「……マリエッタ?」
 困惑気味のリセリアに返事をするように階段を騒々しく駆け下りる音がする。どうやら途中で転んだようで、後半の音はかなり激しい。
「マ、マリエッタ?」
 リセリアの声音に困惑の色が更に強まる。救急箱を持っていくべきか、作っている薬を使うかと迷っていると、
「リセリア……さん、やりました……」
 よろよろと這いつくばってマリエッタが部屋に現れた。何をやったのかリセリアには皆目見当がつかない。
「やった、って……その大怪我のこと?」
「ノンッ! です! これを見てください!」
 先程のよろよろとした動きからは想像もできないくらいの早さで、マリエッタは持っていたノートをリセリアの目の前に突き出す。
 ピンク色の可愛いノートだ。リセリアはそこから少し顔を離してノートの表紙に書いてある文字を読んだ。
「売上帳?」
 リセリアはわけもわからずノートを手にとってパラパラと捲る。
「あ、もしかして今月……黒字?」
「イエスッ! です! いや、正確にはあと五百ジェニーで黒字なのですが。風邪薬一個でも売っちゃえば、達成できる金額です」

54 名前: ◆tGCLvTU/yA 投稿日:06/10/24 00:08:53 ID:wCL05/Fa
 興奮気味に、いや、興奮して喋るマリエッタ。
「もうもらったようなもんです! チェスでいうならチェックメイト! ついに黒字……このオレンジ堂もお店らしくなってきましたね!」
 終始困惑しっぱなしのリセリアだったが、確かに黒字というのは喜ばしいニュースには違いない。
「そ、そうね……。うーん、じゃあ今日はお祝いにごちそうにしましょうか」
 贅沢はできないけどね、と付け加えるリセリア。それでもマリエッタは子犬のように素直な瞳を輝かせる。
「ほ、本当ですか!? じゃあ私、ストロベリーパイが食べたいです!」
 勢い良く手を上げて言うマリエッタ。リセリアは彼女の真っ直ぐさに心地よさを感じながら微笑して頷く。
「はいはい。でもその前に、お店を頑張りましょうね」
「もちろんです! ストロベリーパイも、黒字という結果あってこそ! 今日も一日頑張りましょう!」

 時計がちょうど正午を告げるベルを鳴らす。今朝の快晴とは打って変わっての雨。通り雨ならばいいのだが、とリセリアは思う。
「お客さん……きませんねぇ。一人も」
 先程の元気はどこへやら、マリエッタがカウンターの机にだらりと身を預けて言う。
「そうね……」
 リセリアも頷くしかない。普段も、忙しいとは言えないがそれでもこれほどまでではない。
 窓を見ると、まだまだ雨は止む気配はなく憂鬱な気分になる一方だった。
「お天気にも効く薬があればいいんですけどねぇ」
 マリエッタが変わらず気だるそうに言う。
「面白そうだけど、雨というのは別に病気やケガじゃないから、薬で天気を変えるのは難しそうね」
「ですよねー。はぁ……雨、止まないかなー」
 その時だった。ちりんちりんと来客を知らせるチャイムが鳴ったのは。
 二人同時に入り口の方を見やる。女の子だ。花柄のワンピースを着ていて、髪をツインテールに結っている。
「いらっしゃいませぇぇぇっ!」
 今までの鬱憤を晴らすかのような大声で応対するマリエッタ。いきなりの大声にビクっと体を震わせる少女。
 さすがのリセリアもこれには苦笑するしかない。
「こら、マリエッタ。お客さんが驚いてるじゃない。ごめんなさいね」
 リセリアの声にこくりと頷く少女。無表情だが、どことなく愛嬌のある顔だ。
 よく見ると、少女は大事そうに小箱を抱えていた。リセリアは少女の身長にあわせて身を屈める。
「その小箱、どうしたの?」
 そのリセリアの問いかけに少女は少しだけ逡巡したが、意を決したように小箱を開けてそれを取り出した。
「これ……ハムスター?」

55 名前: ◆tGCLvTU/yA 投稿日:06/10/24 00:09:44 ID:wCL05/Fa
「これ……ハムスター?」
 少女がこくりと頷く。
 確かに、誰がどう見てもハムスターだった。
 それでも確認をしたくなったのは、このハムスターがもう息をしていなかったからだろう。
「この子を治すお薬、ください」
 少女は、はっきりとした声でそういった。
 お金もちゃんと出してきた。ポケットから、紙切れ二枚。二千ジェニーぴったりのお金だ。
 今度は、リセリアが逡巡する番だった。マリエッタもまた、困ったようにハムスターと少女を交互に見ている。
 ふう、と一つだけリセリアはため息を吐く。そして、少女に頭を下げた。
「ごめんなさい。その子を治す薬は、この世界のどこにもないの」
「どうして」
 無機質な瞳をして、少女が問う。
「どうしてみんなそう言うの? この子は病気なんだよ? 起きてこない病気なのに、なんでお薬がないの?」
 リセリアは首を横に振る。
「それはね、病気じゃないの」
「病気だもん! 薬があれば治るもん! なんでも治すのが薬なんでしょ!?」
 今までの無感情が嘘のように少女は感情的にまくし立てる。その瞳に涙を溜めて。きっと、心の底では理解しているのだろう。
「薬が治せるのは心と体だけ。死は、治しようがないの」
 リセリアは少女を優しく抱きしめる。
「もう、ゆっくりと寝かせてあげて」
 その言葉と同時に、少女の瞳から涙が堰を切ったように溢れ出した。それでもリセリアは、少女を抱きしめ続けた――


56 名前: ◆tGCLvTU/yA 投稿日:06/10/24 00:10:22 ID:wCL05/Fa

「行っちゃいましたね」
 ペコリと頭を下げて、店を後にする少女を見送りながらマリエッタは言う。少女の手に、ハムスターの姿はもうない。
「そうね」
 晴れてきた空を眺めながら、リセリアは返事をする。どうやら通り雨だったようだ。
「なんか、あの子が今日最後のお客さんになりそうな予感がします……」
 はあ、とため息を吐くマリエッタ。リセリアはマリエッタの肩を軽くと叩いて諭すように言う。
「いいじゃない。薬が必要とされてないなら、それはそれで良いことよ?」
 いつもの笑顔でリセリアは言うが、それでもマリエッタの表情は晴れない。
「それは、そうですけど……黒字とストロベリーパイが一気にパーなのが心残りです……」
「まあ、それはね……あら?」
 その時だった。来客のチャイムが鳴ったのは。二人は顔を見合わせる。
「どうやら、今日はごちそうみたいね」
 肩を竦めてリセリアが言う。
 マリエッタが大喜びで客の応対に向かうと、リセリアもゆっくりと歩き出す。
 完全に雨の上がった空を見て、今日も忙しくなりそうだとリセリアは思った。
               終



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