【 ヒロシ君にうってつけの薬 】
◆2LnoVeLzqY
81 名前:ヒロシ君にうってつけの薬 1/3 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/24(佐賀県警察) 00:03:22.32 ID:Om30Zq350
「おお、ヒロシ君か。久しぶりじゃ。よく来たのう」
大きな机に座ったまま、ヒロシ君の方を見ずに博士は言いました。
「お久しぶりです、博士。どうして僕だってわかったんですか?」
「なあに。玄関の呼び鈴に触れたときに、センサーがその指紋を感知して、人によって違ったベルの音を鳴らすんじゃよ」
博士は、近所では発明家としてちょっとした有名人でした。テレビの取材が来たことも、何度かあります。
これまでいくつも便利な発明品を作っては近所の人を喜ばせたり、またある時には、おかしな薬を作って変人扱いされたりもしました。
「……でも博士、玄関にカメラを設置すればいいだけのことでは?」
「いやいや。大事なのは発明を楽しむことなのじゃよ、ヒロシ君」
博士とヒロシ君は、ヒロシ君が小さい時からの知り合いでした。
ヒロシ君は昔から、博士の家で遊ぶのが大好きだったのです。
小学生のときも、中学生のときも、高校生になっても、暇さえあればヒロシ君は、博士のところに来ていました。
「そういえばヒロシ君も、もう受験生か」
「はい。今日は、そのことで相談があって来たんです」
外を見れば、木々の葉はそのほとんどが、もうすっかり落ちてしまっています。
季節はもうすぐ冬。つまりそれは、大学受験が近いことも示していました。
「協力できることならば、何でも協力しよう」
そう言われ、ヒロシ君は少しだけためらう素振りを見せましたが、やがて静かに口を開きました。
「実は……同じクラスのとある女の子を好きになってしまって……」
若者は羨ましいのうなどと博士は一人で思いましたが、ヒロシ君の顔は真剣そのものです。
「寝ても起きても彼女のことを考えてしまって、勉強が全然手につかないんです!」
意外な内容だったのか、はたまたヒロシ君の気迫に押されたのか、博士はむむむ、と唸りました。
「大学に入ったら、友達と遊んだり騒いだりして思いっきり楽しみたいんです。それなのに……」
確かに、受験生が勉強に集中できないというのは一大事です。
大学に入ったら目いっぱい遊びたいというヒロシ君の願いも、大学に入れなければ元も子もありません。
ひと通り言い終えたあとで、ヒロシ君は顔を少しだけ赤らめて、うつむいてしまいました。
82 名前:ヒロシ君にうってつけの薬 2/3 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/24(佐賀県警察) 00:05:15.05 ID:Om30Zq350
「それならば、その女の子のことをきれいさっぱり頭から追い出すべきだと思うがね」
常識と良識に照らし合わせて、博士はそう言いました。
しかし、ヒロシ君は納得がいかないようです。
「それはいろんな人に言われました。でも気が付けば彼女のことを考えていて、忘れるなんてとても……」
だからこそ博士のところに来たんです、とヒロシ君は最後に、すがるように言いました。
博士は目を閉じて、じっと考え込みました。
「思い切って彼女に告白して、二人で受験を乗り越えればいい」というアドバイスは、学生時代を研究に費やしたモテない博士にはできるはずもありません。
長い長い沈黙のあとで、博士はゆっくりと口を開きました。
「忘れ薬もあるにはあるんだが……勉強に関する記憶まで消してしまっては大変だからのう……」
そう言うと、博士は机の横の棚に並んだ瓶のうち、ひとつを手にとりました。
「この薬をあげよう。勉強のことを考えながら飲めば、きっと勉強に集中できるようになるはずじゃ」
瓶の中には黒くて丸い錠剤が、十錠ほど入っていました。
「ありがとうございます、やっぱり博士のところに来て正解でした!」
そうして瓶を受け取るやいなや、ヒロシ君は満面の笑みを浮かべて博士の家から出ていきました。
その背中を見送った後で、博士はふと、何かを言い忘れていたことに気が付きました。
しかしそれが何なのかまでは思い出せず、まあいいか、と呟いて、再び机に向き直りました。
それから、半年後のことです。
「おお、ヒロシ君か。よく来たね」
「はい。おかげさまで、志望大学に合格できました」
それは間違いなく嬉しいことのはずなのですが、どういうわけかヒロシ君は、どこか浮かない顔をしています。
「それはそれは、おめでとう。あの薬はちゃんと効いたようだね」
「ありがとうございます。ですが、今日はそのことで相談があって来たんです……」
外を見れば、木々の葉はそのほとんどが青々と色づいています。
季節はもう春。新一年生は皆、入学したばかりの大学への期待で、胸を膨らませている頃のはずです。
83 名前:ヒロシ君にうってつけの薬 3/3 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/24(佐賀県警察) 00:06:26.02 ID:Om30Zq350
「協力できることならば、なんでも協力しよう」
半年前と同じセリフを、同じ口調で博士は言いました。
ヒロシ君もまた、半年前と同じように、ためらう素振りを見せたあとで、口を開きます。
「実は……大学に入ったのに勉強のことが頭から離れなくて……」
学生の本分は勉学であるなどと博士は一人で思いましたが、ヒロシ君の顔はやはり真剣そのものです。
「本当は友達といっぱい遊びたいのに、勉強せずにはいられないんです! 頭の中が、勉強のことでいっぱいなんです!」
そこで博士はふと、半年前には言い忘れていたことを思い出しました。
「ヒロシ君……あの薬、いくつ飲んだんじゃ?」
そう言われ、ヒロシ君は少しだけぎくりとしたように見えました。
それから恐る恐る、こう言ったのです。
「……十錠ほどあったのですが、全部飲んでしまいました」
解決策が思い浮かんだら連絡する、と言ってヒロシ君を帰したあとで、博士は一人呟きます。
「なけなしのホレ薬、まさか全部飲まれてしまうとはのう……」
博士は、ヒロシ君のことよりもむしろ、薬が無くなったことを悲しんでいるようでもありました。
本来ならば、人間に使うはずのホレ薬。
モテなかった博士が若い頃に開発し、女性に上手く飲ませては、おいしい思いをするために使っていたホレ薬。
それを応用して、ヒロシ君が勉強だけを好きになるために、博士は残りわずかになったこの薬を渡したのでした。
確かに、それは成功したのですが……。博士は独り言を続けます。
「一錠で、効果は半年続く、ということはちゃんと伝えておくべきじゃった」
半年前に博士が言い忘れていたというのは、このことだったのです。
ヒロシ君が飲んだのは、瓶に残っていたありったけの十錠です。つまり。
「本人は不本意じゃろうが、大学生の間じゅうは、ヒロシ君には勉学に励み続けてもらうしかないのう」
のちにヒロシ君は大学を主席で卒業し、高名な学者として名を馳せることになるのですが……それはまた、別のお話です。