【 復活の薬 】
◆KARRBU6hjo




45 名前:復活の薬 1/5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:06/10/23 23:47:37 ID:cfMn5E5Q

「うわ、こりゃ凄い!」
 その凄惨な光景を前にして、綾木次彦は感嘆した。
「……不謹慎だぞ、綾木」
 隣に居た岡崎勢津子がそう言ってたしなめるが、綾木は聞かずに、それに向かって走り寄る。
 周囲の人間はそんな彼を白い目で見たが、彼は一々人目を気にするような男ではなかった。
「だって岡さん、こんなの、中々に在り得るモノじゃないですよ!?」
 目を輝かせ、専用の手袋を嵌めた綾木は、はしゃぎながらそれをぺたぺたと触る。
 それを見た岡崎は、頭を抱えて溜息を吐いた。
「煩い黙れ。いいからさっさとテメエの仕事を始めやがれよ、綾木。その仏さんを愛でるのは、後でも十分に出来るだろう」
 その姿に似合わない、酷く乱暴な言葉遣いで、岡崎は綾木を睨み付ける。
 その言葉に従ったのかどうかは定かではないが、綾木は嬉々とした表情のまま、テキパキとその死体の検分を始めた。
 そう、二人の目の前にあるのは、一人の人間の死体である。それもただの死体ではなく、中々に常軌を逸したモノだ。
 綾木が、嬉しそうに死体の背中から突き出した一本の金属棒を撫でる。
 それなりに先が尖ってはいるものの、一人の人間の身体を貫くには相当な苦労が必要な太さの棒。
 だが、それは確実に死体の腹部を貫通し、その背中から赤黒い姿を晒していた。
 他に外傷は特に無し。どこからどう見ても、死因は腹部を貫通した金属棒にある。
 それだけならば、多少えげつなくはあるが、ただの死体と言えたかもしれない。
 だが。
「ったく。何がどうなってやがんだよ……」
 岡崎が再び頭を抱え、冷たい壁に寄り掛かる。その表情は酷く困惑していた。
 煙草に火を付けながら、彼女は不機嫌極まりない様子で吐き捨てる。
「やっとの思いで捕まえたってのに。ふざけんじゃねぇよ、春日当夜」
 ――解体されたパイプ椅子の脚の一つに腹部を貫かれ、うつ伏せの状態で死んでいた男。
 だが、彼は先日逮捕されたばかりの、春日当夜という一人の犯罪者であり。
 そしてここは、その男が入れられていた、とある留置所の一室だった。

46 名前:復活の薬2/5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:06/10/23 23:48:26 ID:cfMn5E5Q
「あっはっは。しかし、中々に凄い事件ですねぇ。何ですか? お知り合いに名探偵でも出来ましたか?」
 綾木は陽気過ぎる程に笑いながら、岡崎が運転する車の助手席で、上機嫌にまくし立てていた。
「捕らえられた犯罪者が、留置所の中でスプラッターな謎の怪死。いやはや、何者なんですかあの人は」
「……ドラッグのバイヤー。それも、ブレッドピース、っつうヤクの元締めだった人間だ」
 しかめっ面で、煙草を燻らせながら、それでも岡崎は綾木の問いに律儀に答える。
「ブレッドピース?」
「ああ。最近ガキ共の間で流行っていた新種のドラッグだ」
 ぎり、と岡崎は奥歯を噛み締める。彼女は刑事課の中でも人一倍、そのドラッグを憎んでいる事で有名だった。
「バカな弟がそれにヤられてね。今も入院中なんだよ」
「……そうなんですか」
 故に、春日当夜は、岡崎勢津子にとっての仇だった。
 絶対に自らの手で春日を逮捕し、罪を償わせると誓って、岡崎は今まで捜査に明け暮れて来たのである。
 だが、結果はこれだ。ようやく捕らえた春日当夜は、何かを聞き出す暇もないまま、その次の日に怪死を遂げた。
「綾木。何でもいい、教えてくれ。春日当夜に、何があったんだ?」
 岡崎が綾木に、仕事場まで送って行こうなどと提案したのは、これが目的であった。
 待っていてもその内情報は入ってくるが、岡崎は一刻も早く、事の真相を知りたかった。
「そうですねぇ。いえ、僕の初見ですが、他殺じゃあ、ないと思いますよ」
「……なら、自殺か?」
「或いは事故か。岡さん、あの死体ね、“落ちて”死んでるんですよ。上から落ちて、お腹に椅子の脚が突き刺さった」
「…………」
 訳が分からない。留置所の一室の一体何処から、人間が落ちるというのだろう。
 困惑した表情で考え込む岡崎を見て、綾木は思いついたように言い出した。
「岡さん、その人の事、もう少し詳しく教えてくれませんか?」
「ああ? 何だ、推理でもするつもりか」
「ええ。悩める友人の為に、綾木次彦が一肌脱いで差し上げましょう」
 瞳を鋭く細め、不敵に笑う。
 綾木とはそれなりに長い付き合いだったが、迂闊にも「頼もしい」と感じてしまったのは、これが初めてだった。

47 名前:復活の薬3/5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:06/10/23 23:49:08 ID:cfMn5E5Q
 春日当夜。男。二十八歳。
 有名大学の薬学部を主席で卒業し、院には入らず一旦渡米。二年間をアメリカで過ごす。
 そこで何があったのかは定かではないが、彼は日本に帰国した直後から、自らが調合したドラッグを若者たちに捌き始めた。
 ブレッドピース。春日本人が名付けたというそのドラッグは、僅かな期間で爆発的な広がりを見せ始める。
「何でも“生き返ったような気分になる”、或いは“世の中の真実に気付ける”薬だそうだ。その快感は凄まじいが、同時に中毒性も異常に高い」
 私はヤった事はないから詳しくは分からんがな、と岡崎は付け足す。
 ブレッドピースの人気は留まる事を知らなかった。そのうち春日は取り巻きを集め、組織として裏の世界でのし上がり始める。
 だがそれでも、春日がブレッドピースの調合法を他人に漏らす事はなかった。
 ブレッドピースを作り出せるのは、春日当夜しか存在しない。
 そして、彼の高いカリスマ性も相俟って、春日は若者たちから一種の神のような扱いを受け始める。
 春日本人も、それは満更ではなかったらしい。最終的に、彼は宗教の教祖のような地位に居た。
「というか、アレは既に宗教だったよ。特に後半の活動は、正に新興宗教さながらだった」
「新興宗教、ですか。具体的にはどんな活動を?」
「はん、言葉の通りさ。信者たちを集めて教えを説いたり、怪しげな集会を開いたり、だよ」
 尤も、その際に彼らが持っていたのが、チラシではなくドラッグだったのは言うまでもない。
「要するにだ。春日は最終的に、ドラッグを密売するカルト集団のトップに上り詰めていたっつー訳だ」
「成る程成る程。だから“パンの断片”ですか。は、いい趣味してますねぇ」
「……ああ?」
「となると、やっぱり、そういう事ですよねぇ。うーわ馬鹿馬鹿しい」
「ちょっと待て、まさか、もう何か分かったのか?」
「ええ。とは言っても、これは僕個人の想像です。納得出来なければそれで構いません。いいですね?」
 そう言って目配せをする綾木に、岡崎は神妙に頷く。
「まず、春日当夜の死は間違いなく自殺です」
 綾木は懐から煙草を取り出し、岡崎と同じように火を点けた。
「これは僕の予想ですがね、彼は自分で椅子を解体して、その上に思い切りダイビングしたんです」
 ああ痛い痛い、と綾木は自分の腹部を擦りながら話す。

48 名前:復活の薬4/5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:06/10/23 23:49:55 ID:cfMn5E5Q
「……意味不明だな。確かに、それならあの状況を再現出来るのかもしれん。
だが、何故そんな事をする必要がある? 他にも、もっと簡単な死に方があった筈だ」
「ええ。ですが、春日当夜は、その死に方が良かったんです。教祖様としてね」
「なんだと?」
「これは“見立て”ですよ、岡さん。見立て自殺、なんて言葉があるかどうかは知りませんが」
 綾木がにやりと笑い、びしり、と岡崎に示してみせる。
「パンの断片、貫かれて死んだ男。そして宗教の教祖。ここまで言えば解りますかね。岡さん、聖書って読んだことあります?」
「……成る程な。キリストか」
「ご名答。イエス=キリストです。春日当夜は、キリストになぞって行動していた」
 ブレッドピース、直訳で“パンの断片”。春日は最初から、自分のドラッグをそう名付けていた。
「彼は成り行きで教祖になったんじゃない。最初から、教祖になるつもりだったんです」
 ここでの詳しい説明は省くが、イエス=キリストが無限にパンを取り出し、配ったというのは有名な話だろう。
「彼の教祖としての活動に踏み込んで調べて見れば、もっと共通点が見つかるでしょうね」
「……それが、あんな自殺方法に至った動機という訳か?」
「納得いきませんか?」
「まぁな。それが本当だとしたら、あまりにもふざけてやがる」
 岡崎は奥歯を噛み締め、真っ暗な夜道を睨み付ける。
「ですが、そういう人間にとって、それは本当に重要な事柄なんですよ」
 綾木は一度煙草を深く吸い、携帯灰皿を取り出して、それをぐしゃぐしゃと揉み消した。
「宗教の教祖様というのね、大抵、自分の教えを人に信じさせる事こそが自分が生きている意味だと、本気で信じているんです」
 車の中に沈黙が降り立つ。
 岡崎はそのまま、車が綾木の仕事場に着くまで、顔を顰めて黙っていた。

49 名前:復活の薬5/5 ◆KARRBU6hjo 投稿日:06/10/23 23:50:38 ID:cfMn5E5Q
「お疲れ様でした」
「いいさ。こっちも有益な話を聞けた。宗教活動の方もこっちで裏を取ってみるよ」
「ええ。頑張ってください」
 綾木は車を降りて、仕事場である中央病院へと足を向ける。既にそこには、春日当夜の死体が運び込まれている筈だ。
「あ、そうだ。岡さん」
「あん? 何だ?」
 綾木が唐突に振り返り、岡崎に聞いた。
「ブレッドピースの現状って、どうなってます?」
「春日が逮捕された事によって、かなり沈静化してるよ。そもそも、作り方は春日しか知らなかったみてーだしな」
 何せ元が断たれたのだ。いずれ数が尽き、消えるのも時間の問題の筈である。
 だが、綾木は瞳を細め、岡崎に向かって宣告した。
「……岡さん。ならば、一つ注意しておかなければなりません」
「……何?」
「キリスト教にはね、復活祭というモノがあるんですよ」

 ――ここに、一枚の紙がある。
 それは、救世主になろうとした男が、捕らえられる直前に、信頼した部下たちに配ったものの一枚だ。
 それは彼の使徒にとっての聖書であり、彼が復活する為の教えであり、そして、一つの薬のレシピであった。
 だが、彼の部下たちの多くも逮捕され、残っているのは極々僅かしかない。
 彼の教えは、彼の思惑をなぞって復活するのか。或いは、ここで途切れてしまうのか。
 その答えは、今はまだ分からない。

 終。



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