【 百薬の長 】
◆v3rMGliNoc




40 名前:百薬の長(1/5) ◆v3rMGliNoc 投稿日:06/10/23 23:34:46 ID:tKHbgMDh
 「酒は百薬の長とかっていうじゃん。」
吉田は半分とろんとした、出来上がった目をしていた。空いたワンカップは一杯や二杯どころではないのだから当然であろう。
きっと俺も顔が真っ赤だ。嫌いだ。すぐに真っ赤になるこの体質が嫌いだ。すぐ頭の芯が痛くなるこの体質が嫌いだ。
「ねえ聞いてるの?」吉田は口を尖らせた。
「ああ。聞いてるよ」
「あれホントだと思う?」
「さあな。医療の発達してなかった昔はそんな効果を期待されてたのかもしれないし、古来からののんべえさん達がこしらえた口実かもしれない。
それともやっぱり本当に薬効があるかも知れない。まあ、どっちみちこんなに呑んだら薬にはならないだろ。毒にしかならない。」
「もう。佐藤は相変わらず、夢がないなぁ」
「夢の問題じゃないと思うぜ」
 俺の返事がよっぽど気に食わなかったのか、吉田は尖らせた口を膨らませた。かわいい。

41 名前:百薬の長(2/5) ◆v3rMGliNoc 投稿日:06/10/23 23:34:56 ID:tKHbgMDh
 俺は体の中で醸成されていくアルコールの熱を逃がすようにのけぞる。
 肋骨に押し出された肺の中の空気が、熱とアルコールを伴って放出されていく。

 視線の先には星空があった。街の中では見られない、本当の星空。
 アルコールというのは不思議なもので、素面の時にはなんでもないのに、呑むと星々の一つ一つまでがくっきり見える。
気のせいかもしれないけど、俺には見えた。
 熱を持った呼気を吐き出したせいで、体の芯がなんだか冷える。星空の夜には雲がないのだから、余計に冷える。
 ああ、頭が痛い。

 「ドライフラワーってどうやって作るの?」
 吉田が、自分の前に飾ってあった花を、今にも食いつきそうな目で見ている。
 「どうだったかな。逆さにして吊るしてれば勝手にドライフラワーになるんだっけ」
 「そうなんだ。これでも出来る?」
 「ああ。それでも出来る。」
 「ならさ、これ、私の代わりに亮ちゃんがドライフラワーにしてよ。」
 俺の目を吉田は見ない。ふへへ、と口元を緩ませながら、視線を花に向け続けている。
 「わかった。帰ったら作って飾っとくよ」
 俺は呟く。

42 名前:百薬の長(3/5) ◆v3rMGliNoc 投稿日:06/10/23 23:35:08 ID:tKHbgMDh
 「もうそろそろ帰らなきゃ。」
 吉田が立とうとした。俺は憮然とした。
 「なんでだよ。帰っちまうのかよ」
 「私じゃないよ。亮ちゃんのほう。もう帰んなきゃ」
 「嫌だ。」
 「だーめ。帰んなきゃ。」吉田は優しく俺を諭す。彼女の顔がぼやけて見えた。「帰んないと、亮ちゃんもこっちに来ちゃうよ。」
 「俺もそっちにいく。」
 「ダメだって。ほら。ね。この花でドライフラワー作んないと。」
 そうだ。ドライフラワーを作んないと。頭が痛い。グラグラする。
 「ほら、ね、立って。」
 「…ん。」
 吉田は、俺と暮らしてた頃のように世話を焼く。本当にあの頃のように。
 「ちゃんと、ほら。私のマフラー。首に巻いて。あ、ほら。お花忘れてる。」
 「ん。ああ。」
 「気をつけてね。また。またそのうちに、来てね。」
 「ああ。また絶対に来るよ。」
 俺は、彼女のマフラーと花、そして呑みかけのワンカップを持って、ふらふらと歩き始めた。

43 名前:百薬の長(4/5) ◆v3rMGliNoc 投稿日:06/10/23 23:35:28 ID:tKHbgMDh
 彼女のいた丘の上から、道なりに俺はとぼとぼと歩いた。
 途中空車のタクシーを拾った。運転手は初老の感じのいい人だった。
 「どうしたんですか。菊の花なんかもって。」
 「ええ。ちょっと」
 「お墓参りですか? いえ、すみませんねなんかこんなこと聞いちゃって」
 「気にしないでください。彼女にちょっと会いに行ってたんです」
 「そうでしたか。すみません」
 タクシーは街に入った。そこまで運転手と俺はしばらく黙った。俺はとにかく頭が痛かった。タクシーの無線連絡がタクシー内の沈黙を埋めてくれて、少しありがたかった。
 「運転手さん。」
 「なんですか?」
 「お酒、飲まれますか?」
 「ええ、好きです。こういう商売してるとあんまり好きなように飲めませんけどね。」
 「そうですか。そうですよね」
 俺はワンカップの底に残った酒を飲み干した。頭の奥が、一段と疼いた。

44 名前:百薬の長(5/5) ◆v3rMGliNoc 投稿日:06/10/23 23:35:44 ID:tKHbgMDh
 「酒は百薬の長って言うでしょ。」
 「ええ。」
 「あれ、ホントですね。」
 運転手は返事をしなかった。だが、俺にはバックミラーにも移らない運転手の表情が少し困惑に曇ったのを感じた。
 「ホントなんですよ。俺、さっきまで彼女とあってたんです。」
 「お墓の彼女ですか?」
 「ええ。もう死んで二年になるんです。彼女が死んでから、落ち込んで。あまりに酷くて病院にもいきました。」
 「…」
 「それでもダメで。はは。ヤバい薬にも手を出しました。幻覚剤、覚せい剤、脱法ドラック。なんでもやった。
はは。でも全然効きませんでした。彼女のお墓の前で、酒を飲んでたんです。そしたら彼女が出てきた。
嘘だと思うでしょ。俺だって信じられない。でも彼女が出てきたんです。」
 「…」
 運転手は明らかに信じていない。酔っ払いの戯言だ。はは。ホントなのに。
 「ふふ。おかしいですよね。俺。はは。でもね、これだけはわかった。どんな薬よりも、酒の方が彼女を失った俺には効いた。百薬の長なんです。」 
 はは、はは、はははははは。
 どんな薬よりも効くんだ。
 あははは、あはは。あ、ああああぁぁぁぁぁ。
 俺は菊の花束を握り締めて、タクシーが部屋に着くまで声を押し殺して泣き続けた。  <了>



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