【 絶望に効く薬 】
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25 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:04:12.94 ID:iqszP1H90
 兄が自殺した。ひゃっほい。
 大嫌いだった奴だ、喜びはあるが悲しみは無い。欠片も無い。
 しかし、どうして自殺したのかだけはさっぱり分からない。
 学校一の秀才で、スポーツ万能、顔だって悪くは無いし人当たりも良い。
 漫画の中の王子様か? と思うぐらい完璧な奴だった。
 今、思い出しても気に食わない。
 そして、その兄の形見に水をやっている俺も気に食わない。 
「それ何の花?」やたらと高い声がした。
 人の家の庭にずかずかと入り込んでくるな。
 それが兄の恋人だったとしても、だ。いや、死んだから元恋人か?
「トリカブト」
 片隅の日当たりが悪い場所にひっそりと置かれた鉢から目を逸らさず答える。
 サトウアイ、甘ったるい名前だ。
 猫みたいに大きな目、半ばから黄色に染めた腰まである髪。
 とびっきり可愛い女の子、砂糖菓子みたいに煌びやか。
 けど、俺は大嫌いだ。
 何故か、理由は簡単、理解できないからだ。馬鹿と言っても良い。
 奴がなんでこんな女と付き合ってたのかさっぱり理解できねぇ。
 頭が良かったから馬鹿を好きになったのか? ま、どうでもいい。
「トリカブト?」
 驚いてるのか感心してるのかそれとも本当に知らないのか、どれだ。
「兄さんが自殺する時に使った物ですよ、そのまま枯らすのは可哀想でしょう」
 笑えるぜ、何だこの台詞、道化か俺は?
「こういうのってアイさんとしては嫌ですか?」
 俺の横にしゃがみ込んでトリカブトの花を指先で突く。
「可愛い花だね、紫色の花が沢山ついてて玩具みたい」

26 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:05:30.54 ID:iqszP1H90
 暢気なものだな、お前の恋人はそいつで死んだんだぞ。
「花に罪は無いもの」
 俺の顔を見上げながら言った。
 見透かされているみたいで、嫌な気分だ。顔を逸らす、こっそり舌打ち。
「どうして死んじゃったのかな、コウ。悲しいわ」
 俺に聞くな、俺が聞きたい、知っててもお前には教えないけどな。
「アキラも悲しい?」
「勿論ですよ、たった一人の兄ですから」大嘘吐きめ。
「じゃあ、今日からお世話になります」
「はい?」
 頼む、俺の耳か頭がおかしくなったのであってくれ。

 悲しい事に悪かったのはアイの頭だったようだ。
 空き部屋の一つを占領して本当にそのまま住み着きやがった。
 両親がいないから良いようなもの……いや、良く無いだろう。
 何度か丁寧にご退場願った。しかし、アイの返す言葉は決まっていた。
「私と一緒にいれば、すぐに悲しくなくなるから」
 やってられるか! 言葉が通じない、こいつは心底の馬鹿だ。
 良いよ、好きにしてくれ。俺は諦めた。
 奴が死んで一週間、未だに俺に向かって慰めの言葉をかける奴が多い。
 クラスメイトから教師、近所の主婦からコンビニの店員まで。
 律儀に悲しんでみせる俺も俺だが、お前ら皆揃って馬鹿か?
 どれだけ悲しんだって死んだ人間が蘇るわけないんだぞ。
 しかも、俺が悲しんでるって決め付けやがって、鬱陶しい。
 そんなに悲しみたいなら骨でも位牌でも持って行け!

27 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:06:35.68 ID:iqszP1H90
 極めつけはお前だ、サトウアイ。
 家にまで住み着きやがって。
 やっと奴がいない生活を謳歌できるっていうのに台無しだ。
 俺の開放感を返せ。

 学校でも内心の苛立ちを隠しながら、ショックを受けた弟の役をやっていた。
 すると、ひそひそ声が俺の耳に届いた。
 ちらちらと視線も感じる。
 どうせ奴の事だろう? どうでもいい事だ。
 と、思っていたら少し違った。
「やっぱさ、コウさんが死んだの、あの女のせいじゃないの?」
 あの女? サトウアイか?
「知ってる。頼めば誰だってで寝れる――」
 またも頼む、俺の耳か頭がおかしくなったのであってくれ。
 誰かが机を蹴り飛ばす音がした。
 目の前に机が転がっている。
 ああ、俺がやったのか。
「ねぇ、悪いんだけどその話詳しく聞かせて貰えるかな」
 俺は普段どおりにクラスメイトに呼びかけた。
 何でか知らないが、妙に怯えた顔をしていた。不思議な事だ。

 でかい喘ぎ声だ。
 苛々しながら階段を登る。アイの部屋の前。
 遠慮はいらない、どうせ俺の家、修理費だって俺持ちだ。
 全力で蹴り飛ばせ!
 蝶番が壊れて落ちる扉。

28 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:08:09.72 ID:iqszP1H90
 間抜け面した男と何も変わらないアイに遭遇。
 ご対面即さようなら。
「……き、君は誰だね」
 しょぼくれたおっさんだ。リストラ筆頭、そんな臭いがぷんぷんしやがる。
 ふざけた事を聞く頭の悪い口を思いっきり蹴り上げる。
 転がったそいつは、女みたいな悲鳴を上げながら逃げていった。

 服どうするつもりだ? 俺の知った事か。
 アイに指を突きつける。
「何をしてる」
「治療」
 何が治療だ!
「今すぐ、出て行け」
 アイは頷いた、硝子球のような目をして。

 何か壊す物が欲しかった。
 思いついたのがあの鉢植えだった。
 両手で思い切り抱え上げて、叩きつけて――
 踏んで、踏みつけて、踏み潰して。
 自分の呼吸音がうるさい。
 畜生、苛々する。
 ざまぁみやがれ、兄貴、あんたの恋人はろくでなしだ。
 ざまぁみやがれ、畜生。
 あんたは完璧だと思ってたよ。女を見る目だけは無かったんだな。
 足音がしたサトウアイだろう。他に誰かがいるわけがない。

29 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:09:02.18 ID:iqszP1H90
「コウの為に、泣いているの?」
 俺が泣いてる? 馬鹿かお前は。
「僕が? まさか、僕は家をホテル代わりにされたのに苛々しただけですよ」
 アイは俺の横に座り込んで、俺の目を舐めた。
 右目、左目、とたっぷり時間をかけて、飴玉を転がすように何度も何度も。
「悲しいなら、寂しいなら、求めて、私を」
 サトウアイに似つかわしく無い、静かな声だった、深い海のように静か。
「――コウのように」
 すぐそばにアイの顔があった。酷く優しい顔。
 奴は、兄貴は、この顔を見ていたのだろうか。
 ずっと、ずっと――ああ、綺麗だ、汚れている筈なのに。
「何もねぇよ。強いて言えば、兄貴を俺の手で殺せなかったのが心残りだ」
「嘘吐きね。悲しい人」
 アイの唇が俺に触れた。
 甘い、甘い、砂糖の味がした。

 そしてサトウアイは姿を消した。
 地面に小さな水滴の後だけが残った。俺じゃない。俺は泣いてない。
 畜生、畜生が、畜生! 俺だよ、あんまりだろ。

 目の前にカセットテープがある。
 あの植木鉢の中から出てきたものだ、兄貴が残したんだろう。
 再生する。
「聞いているのがアキラ以外だったらここでテープを止めてくれ」
 いけすかない声がした。喜べ、聞いてるのは俺だよ。
 数秒の沈黙の後、兄貴は喋り始めた。

30 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:09:48.93 ID:iqszP1H90
「唐突だが俺はお前が大嫌いだ。お前が俺の事を嫌っているぐらいに嫌いだ」
 安心しろ、生まれた時から知ってる。
「だが俺はお前を尊敬している」
 待て、気でも狂ったか? 狂ってたのか、自殺するぐらいだ。
「俺は期待された役目を演じる事に必死だったよ」
 ああ、見事だったよ。俺が認めてやる、一番傍で睨んでた俺が保障する。
 理想の優等生、完璧なヒーロー、俺のヒーロー、憎いヒーロー。
「お前のように本音を隠して器用に生きる事は出来なかった。
 親や教師と接している時はにこにこしていただろ。
 俺には炎みたいな憎しみを向けてたくせに。
 お前が羨ましいよ、俺に出来ないことを簡単にやってのけるお前が。
 俺だって不器用なりに頑張ったんだぜ。
 でもな、気がつくと、本音自体が無くなっていた。
 そうであれと望まれた俺しかいなかった。
 分かるか? これぐらいなら頭の悪いお前にだって分かるだろ」
 尊敬してたんならもう少しは言葉選べよ腐れ兄貴。
「俺が死んだのは、耐え切れなくなったからだ。
 俺で無い俺が、俺の顔をして生きている事に。
 アイにお前から謝っておいて欲しい」
 嫌だ。自分で謝れ、そもそもなんでアイに謝るんだ。
「彼女の慈悲は深い。
 悲しむ者に、苦しむ者に、彼女の慈悲は分け隔てなく与えられる。
 何もかもを包み込む、海のように。
 俺は強く彼女を求めた。
 彼女はその全てに応えた。
 そして俺は絶望した。

32 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:10:40.45 ID:iqszP1H90
 際限なく与えられる愛に、俺は耐え切れなかった。
 彼女は絶望に効く薬だ。
 同時に、猛毒だった。
 分かるか?」
 分からねぇよ。
 お前が絶対に満たされない、そんな事は分からない。
 羨ましい限りだ。永遠に満腹にならなけりゃ永遠に美味い物が食える。
 畜生、想像するだけでも嫌になるぐらい惨めさじゃないか。
「アイに謝って欲しい。
 俺が何度も囁いた愛は嘘だ、と。
 俺は救われたかっただけだ、と。
 とっくに死んでしまった俺をを求めていただけだ、と。
 それにしも間抜けな話だろ。
 おかげで――
 本当はアイを殺すために用意していトリカブトを自分で使ってしまったよ」
 兄貴は最後に似合わない台詞を吐いた。
「さようなら、愛する弟。こっちで待ってるが、しばらくは来るな」
 汚い、汚すぎるぜ兄貴。
 死んでからそんな台詞吐くなよ。
 跳ね飛ばす事も出来ないじゃないか。
 でもよ、一つだけ聞かせてくれ。
 殺そうとしたってのはどういう事だ――
 テープはそこで終わっていた。

 庭に出て放り捨てたままのトリカブトを地面に埋めてやる。
 悪かったな、八つ当たりして。

33 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:11:24.87 ID:iqszP1H90
 軽く撫でると、応えるように揺れた。
 兄貴の携帯電話を取り出してアイに電話をかけた。
 すると、塀のすぐ裏から軽快なマーチが鳴った。
 まさか、と思いながら塀から身を乗り出す。
 大当たり。
 こちらを見上げていたアイと目が合った。
「私を呼んだ? 悲しい人」
 ああ、呼んだよ。俺が悲しい人かどうかは知らないけどな。
 彼女が両手を伸ばして俺の首に絡めた。
 顔が近づいてくる。
 身を乗り出す。
 砂糖菓子の口付け――
――身を乗り出しすぎて落っこちた。

 部屋に入るとすぐ、アイはシャワーを浴びてくる、と言って出て行った。
 俺はその隙に庭からトリカブトの葉を一枚取ってくる。
 これ一枚でも致死量だ。
 ここまで用意しておいて何だが、俺は迷っている。
 殺人なんて正気の沙汰じゃない。
 アイを抱くのと同じぐらい正気の沙汰じゃない。
 どっちをとっても狂ってる。
 困っている間にも時間は過ぎて、アイが戻ってきた。
 葉は握り締めたまま出迎える。
 何も言わず、何も纏わず、アイは俺に抱きついた。
 綺麗な体だ、ミルクより白くて雪みたいに済んでる。
 そして、何より、暖かい。

35 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:11:58.86 ID:iqszP1H90
「いいよ――」
 畜生、こっちは全然良くねぇよ。
「――さあ、私を殺して」
 思考が白に染まる。
 今、こいつは何て言った。
「私を殺すんでしょう? コウが望んだように」
 笑っていた。
 優しく、清く、それが絶対であるかのように、笑っていた。
「求めるなら、私は与える、それが何であれ」
 背筋が、寒い――暖かい体があるのに、酷く寒い。
「私を求めて、私は受け入れる、それが何であれ」
 蜘蛛の巣が思い浮かんだ。
 なるほど、これは毒薬だ。何て甘い毒薬だ。
「コウは私を殺さなかった、そう望んでいたはずなのに」
 どうしてだか、お前に分かるか? 俺には分かるぜ。
「好きだったから、思いとどまったんだよ」
「そっか、愛されてたんだ」
 嘘だよ。
 信じるなよ馬鹿野朗。
 兄貴と言いアイと言い、俺の周りは馬鹿ばっかりか。
「嬉しいな。誰かに好きって言われたの、初めて」
 無邪気に、笑った。
 サンタクロースからプレゼントを貰ったみたいに、笑った。
 馬鹿め、大馬鹿め、最大級の大馬鹿め。
 畜生、こんな顔で笑われたら殺せない。
 結局、何も出来なかった。ただ寄り添って眠った。

36 名前:「品評会」絶望に効く薬 ◆pt5fOvhgnM 投稿日:佐賀暦2006年,2006/10/23(佐賀県民) 23:12:50.87 ID:iqszP1H90
 紫色の小さな花の横に寝転んで目を閉じていた。
 日当たりはよくないが、涼しくて良い。
 もう少し花を増やすのも悪くないかもしれない。
 意外と近所にこの花は自生しているらしいからな。
 時折、妄想する。
 紫の花をアイの口いっぱいに詰め込んで――兄貴の所へ、送る。
 きっと、現実にはならない。
 俺は求めないからだ。求めていたのは兄貴だ。
 求めてなんてやるもんか――
「ねぇ、私を求めて」
 嫌だよ。
 だって、可哀想だろ、求められてばかりじゃ。
 だから、俺が与えるよ、何か色々、沢山の素敵な物を。
「なぁ、何か欲しいもの無いか?」
 甘い甘い、砂糖菓子の味がした。
 甘い甘い、毒薬の味がした。
「愛」
 困ったな。
 この味も悪くないと、思い始めてる。

終了



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