【 薬殺 】
◆v3rMGliNoc




10 名前:No.03 薬殺 (1/5) ◇v3rMGliNoc 投稿日:06/10/22 03:27:48 ID:uRybilZU
 俺を出迎えたのは、当然ながら、蔵人だった。
「お帰り、佐藤さん」の声に、俺は反応を示せなかった。それほど疲れていた。
 東京という街は本当に疲れる。田舎生まれの俺にとって、あまりに複雑すぎる街のシス
テム、人の多さ、空気の汚さ。何一つ耐えられたものではなかった。それでもこの東京と
いう街の一角にすがり付くようにとどまり続けているのは、仕事があるからだった。

「打ち合わせ、どうだった?」
「ああ。順調だ。お前の考えた通りの筋書きでいけそうだ。」
「そう。良かった。」蔵人が微笑んだ。「これでまた佐藤亮介の名前が売れるね。」
 俺は首元に鬱陶しく巻きついたネクタイを寛がせ、蔵人の用意したビールを一気に飲み
干した。喉元を通過していく発泡の快感。そして体の底から染み出る一日分の気疲れ。
「俺はそんなにうれしくねえ」
 本音だった。
 佐藤亮介。新進気鋭のミステリ作家。二ヶ月前に上梓した前作の売れ行きも上々。
 何が新進気鋭なものか。

11 名前:No.03 薬殺 (2/5) ◇v3rMGliNoc 投稿日:06/10/22 03:28:01 ID:uRybilZU
 そもそも俺がデビューしたのは青春小説というようなジャンルだった。すぐに食うに困っ
た。俺の小説は売れなかった。何篇か書かせてくれた出版社は、一向に人気の上がらない
俺を切った。自分でも仕方がないと思った。しかし、小説が書きたかった。いや、小説を
書く以外に食っていく方法が分からなかった。
 渋る編集者たちのつてを頼って、いろんなジャンルで小説を書き始めた。歴史物、恋愛
物、そしてミステリ。一番気が乗らなかったミステリで、俺は少しだけ認められた。
 少しずつ仕事を貰えるようになった。だがミステリを書くのは苦痛だった。出版社の依
頼の期日でストーリーを考えるのは拷問だった。俺はまもなく、精神に変調をきたした。
 病院で出されたのは抗うつ剤だった。きっとこんな姿を見られたら、仕事が激減するだ
ろう。また仕事のない生活に戻るのは嫌だった。たとえ苦痛のミステリの仕事でも。小説
を書きつ続けるためには、通院の事実を隠すしかない。
 俺のミステリが売れはじめるとともに、出版社は俺に上京を薦めた。出版社にしてみれ
ば、この金の成る木を手元に置いておきたいという事なのだろう。俺は頷いた。東京に出
れば元の青春小説のようなジャンルを書くチャンスも巡ってくるかもしれない。持ち込み
にも頻繁にいけるようになる。
 だが、俺にとって東京で住むという事は、想像を絶する苦痛であった。生きた心地がし
なかった。結果、地元の病院で書いてもらった紹介状を使って、近所の病院に通院する事
になった。通院の頻度は地元の時より明らかに増えていた。俺は、いつか編集や同業者に
この事がバレるのではないかとひやひやしていた。


12 名前:No.03 薬殺 (3/5) ◇v3rMGliNoc 投稿日:06/10/22 03:28:13 ID:uRybilZU
 そんな時、病院で出会ったのが蔵人だった。少年といってもいいくらいの年恰好で、俺
と同じ「通院者」だった。通院を重ねるたびに顔を合わせ、徐々に親しくなっていった。
彼はいつも白いシャツを着ていた。俺の通院頻度が週一回を越えたあたりから、蔵人は俺
の家に遊びに来るようになった。

 「お前のせいだ。」
 二杯目のビールも、あっけなく喉元を過ぎていく。
 いきなり自分に責任の所在を求められた蔵人はきょとんとした表情で俺を見た。
 「お前が口出しなんかするから・・・」
 蔵人は俺の職業がミステリ作家である事を知ると、そのアイディア提供をし始めた。元々
ミステリなどを書くつもりのなかった俺にとって、通院し始める頃からずっと、ミステリ
のアイディアなど枯渇し続けていた。最初は話半分に聞いていた蔵人の話も、だから俺に
は次第に福音に聞こえはじめた。
 蔵人の出すアイディアは好評を得た。次々に彼のアイディアが世に羽ばたく。佐藤亮介
名義で。俺は一躍「新進気鋭のミステリ作家」となった。


13 名前:No.03 薬殺 (4/5) ◇v3rMGliNoc 投稿日:06/10/22 03:28:24 ID:uRybilZU
 「ごめんなさい、佐藤さんは嫌だったの?」
 「いや、そうじゃねえけどさ。」
 確かに、蔵人の提供するアイディアは面白かった。俺も書くのが楽しかった。  
 だが、俺はもう「疲れたよ。もう疲れた。すべてに。」
 「そう。」今では俺の家の第二の住人となった蔵人は相変わらず微笑んでいる。「じゃ
あ、次を最後にしよう」
 「次?」
 「うん。あるミステリ作家が殺されちゃうんだ。毒殺。」
 「毒殺?」
 「そう。出されたビールに毒が入ってて、二杯飲んじゃったところでそれに気づくけど、
もう遅いっていう筋。面白そうでしょ。」
 蔵人がいつもより目を細くして笑う。

 俺はシンクに走った。喉に指を突っ込む。
 「そんな事したってもうダメだよ。アハハハハハハハ」蔵人の笑い声が脳に響く。
 俺は困惑と吐き気と悲しみと恐怖と疲労と絶望とその他もろもろのよく分からないけれ
ど決して精神衛生上よくなさそうな感情の塊に襲われていた。とっさにシンクの下の包丁
を取り出して身構え、ズボンのポケットの携帯電話を取り出して編集者の杉山を呼び出す。
 「あ、あぁぁ、す、杉山さんですか。あ、俺です俺佐藤です。こ、殺される。助けて。
殺される。毒。蔵人に殺される。蔵人。毒で、あ、もう、あ、助けて…」


14 名前:No.03 薬殺 (5/5完) ◇v3rMGliNoc 投稿日:06/10/22 03:28:46 ID:uRybilZU
 「で、打ち合わせから社に戻ってきた時、佐藤さんから電話がかかってきたわけですね」
「ええ。間違いありません。着信履歴も残ってます」
「そうですか。で、内容は『毒殺されるから助けてくれ』、と。」
「ええ。たまにあるんです。自分の小説と現実が区別できなくなっちゃって編集にわけの
分からない電話をかけてくる作家は。でも今まで佐藤さんはそんなことなかったのに」
「ふむ。他には何か、言ってませんでしたか」
「クラドがどうとか言ってました。クラドに殺されるとか」
「クラド…。そうですか。…ここだけの話ですがね、検死結果によると彼、毒なんか飲ん
でません」
「え?」
「その代わり、幻覚剤かなんか飲んでたみたいなんですよ。ビールと一緒に。死の直前に。
死因はその幻覚剤の飲みすぎによるショック死ですね。アルコールと一緒に飲むなんて正
気の沙汰じゃない。」
「はあ」
「死体には自分で握った包丁で出来たと思われる生活反応のある自傷のかすり傷以外は外
傷なし。机には精神科の処方薬の袋とともに、白い得体の知れない錠剤が散乱。さっき言っ
た幻覚剤もおそらくこれでしょう。その錠剤の入ったビンに書いてあったんです。『クラ
ド』。なんかの脱法ドラッグの隠語なんですかね。そんな名前、長年刑事やってる私でも
聞いた事ないんですが。あ、今聞いた事は内緒にしておいてくださいね。」                   <了>



BACK−万能薬 ◆Xenon/nazI  |  INDEXへ  |  NEXT−絆を治した薬 ◆ba5YrE1pk6