【 無題 】
◆twn/e0lews




444 名前: ◆twn/e0lews :2006/04/10(月) 05:56:15.00 ID:sea2gZQE0
勢い良く頬が叩かれた、恐らく赤く腫れているだろう。
目の前の彼女は顔を真っ赤に染め僕を睨んでいる。
彼女が僕に投げつけたペアのマグカップが床に落ちて砕け散った。
床に散った白と黒のガラスの破片がままごとの終わりを示している。
 僕は何もしなかった。僕の頬を撃った後、彼女は罵声を浴びせかける。
甲高く、重く鋭い声がするけど、叩かれたせいか、僕の耳には酷く遠くに聞こえる。
彼女との終わりを目の前にしてもむしろ落ち着いている自分に、初めて彼女を、女性として、愛していなかった事に気が付いた。
 馬鹿にしているんでしょう? 私はアナタにとって都合の良い女だったでしょうよ。
今も大した余裕よね、顔色一つ変えないでそうして立っていられるのだから。
冗談じゃない、冗談じゃないわよ。アナタ私を道具か何かと勘違いしてない?
昔好きだった女に似ている? はっ、本当に冗談じゃないわ。
生憎と私は友紀なんて女知らないわ。ねえ、アナタが私に何度、友紀、の話をしたか知ってる?
二十六回よ、いえ、さっきのを入れたら二十七回ね。
アナタと三ヶ月近く一緒に暮らしたけど三日おきにその名前を聞いていたのよ。
私の気持ちなんてアナタわからないでしょう? 僕はそこで初めてすまなかった、と言った。
 僕の謝罪が耳に障ったらしく彼女がもう一度僕の頬を撃った。
僕は疲れてしまったから、懐から煙草を取り出して火を点け、ガラスの散らばっている床に腰を下ろした。
お尻がちくちくとして座り心地が悪いが彼女の手前座りなおすなんて事は出来ない、我慢する事にする。
 そう、いつもそう。友紀の話で私が怒るとアナタはいつもそうよ。
煙草を咥えて私が黙るまで放っておく。笑っちゃう、笑っちゃうわよ。
アタシが何度、友紀、の話は止めてくれってお願いしたか知ってる? 二十回よ。
最初の七回はただの思い出話として聞こうと努力したわ、アナタに嫌われたくなかったしね。
今考えると笑ってしまうけど。結局アナタは二十回、そうやって煙草を咥えて黙っただけだものね。

445 名前: ◆twn/e0lews :2006/04/10(月) 05:56:40.06 ID:sea2gZQE0
 彼女の向こう側には窓があって、部屋の外の遥か向こうの工業地帯が夜空を赤黒く染めているのが見えた。
そう言えば彼女を初めて抱いた時、あの赤黒い空をちょいとロマンチックに語った事を思い出した。
ああいう一種変わった夜空も結構素敵なものだろう? なんて。
そしたら彼女も、あの空を見る僕の目は素敵だ、なんて言ったけど、僕は特別にあの空が好きな訳じゃない。
ただ工業地帯が西の方角にあって、友紀は今大阪にいるから、要はあの空は友紀の方角だったのだ。
 どうせ今だってその、友紀、の事を考えているんでしょう? それ位分かるわよ、馬鹿にしないで。
僕は初めて煙草を口から外し、そうだね、と答えた。
 場に沈黙が流れ、彼女は怒る気力が失せたのか、その場に座った。
同じ目線で目が合う、彼女の目は酷く悲しげだった。
 アナタは酷い男ね、この期に及んで否定しないのだから。
僕は謝罪しない。肺から吐き出された煙が渦を巻いて昇って行くのをただ眺める。
楽しかった? 突然そう尋ねた彼女に僕はゆっくりと頷く。
全くの嘘、でも無いんでしょうね。彼女は力無く笑った。そういう所も、卑怯よ。
 それきり僕らは黙って、彼女は割れたペアのマグカップをくっつけて遊んだりしていた。
僕はずっと外の、工業地帯の赤黒い空を眺めている。友紀は今、幸せなのだろうか?
 徐々に白みを帯び始める空を見つめる僕に、彼女はお別れを言った。
駅まではいいわ、だからここでさようなら。玄関先で言った彼女の目は赤く腫れていたけど、笑ってくれていたから僕は少し救われた。
 「ねえ、最後にキスしてくれない?」
 そう言った彼女に僕は首を振る。
 「もう、出来ない」
 彼女は僕の答えを予想していたようで穏やかに笑った。
じゃあ、さようなら。僕は彼女の最後の後姿を目に焼き付ける。
卒業の後姿。こんな事言えた義理では無いけれど、貴女は素敵な人だった。
彼女の開けたドアからは朝の春風が心地よく吹いてきて、僕達の朝を優しく撫でた。



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