【 卒業 】
◇BRqZIzGh0




341 名前:卒業 :2006/04/09(日) 23:16:03.20 ID:BRqZIzGh0
一人っきりの部屋は僕には広かった。
先週までは対称に揃っていたセンスの悪いマグカップや、歯ブラシも寂しげに相方を捜しているみたいだった。
虚ろに輝くテレビではバラエティ番組が放送されていて哀愁漂う芸人が自虐的なギャグを芸の為に連発している。僕はまるで胸を針で突かれるような、居た堪れない気分になりチャンネルを変えた。
目に入ったのは彼女の姿だった。
アイドルというのは大変なのだろう、先週最後に見た髪型とは変わっていた。いつか苦手だと言ってた露出の高い服装を何事もなく身につけていた。こんな悪あがきをしたとしてもこの消費社会での彼女の延命にもならないと言うことは彼女自身が一番知っているはずなのに。
番組は生放送でゲストを呼んで恋愛トークをする内容だった。
そして今回彼女がゲストに呼ばれていた。
「あなたは、どんな失恋をしたの?」
「とても、つらい失恋をしました」
彼女の一言に会場はどよめく。テレビの世界のチープな演出。
「私はアイドルとして活動をしています。でも、私はお芝居もしたい、映画にも興味があるのですが……」
「彼氏が受け入れてくれなかったんだ」
彼女は静かに頷く。確かに僕は彼女の芸能活動には賛成はしていなかった。手帳にぎっしりと書かれた過密なスケジュールを見れば恋人として当然だと思う。
「でも、私は彼のことが本当に好きで、忘れられなかったんです。どうしようか、どうしたらいいのか悩んで……」
「で、ぐずぐずしてるから振られたの」
どっかの大物女優が鼻で笑いながら言う。僕はテレビの画面を叩くが女優は下品に笑っていた。

342 名前:卒業 :2006/04/09(日) 23:16:38.35 ID:BRqZIzGh0
「いいえ、私から別れていただきました。私の夢は小さい頃からお嫁さんではなく女優でした」
彼女の瞳から涙がこぼれる。さらにどよめく会場。
「だったら、いいじゃないですか、いい恋が終わったと思えば。」
「駄目、なんです。やっぱり、駄目なんです」
またしても大物女優が皮肉を言ったが、僕には彼女の声しか聞こえなかった。
「最初は彼と距離を置こうとしました、だけど、無理でした」
「その次は、彼の嫌いな格好や仕草をしました。今日の服装も彼が以前町で嫌だなぁって言ってた服がモデルなんです。」
彼女の話はまるで、他人の悲痛な恋愛話のようだった。何故気づいてあげれなかったのだろうが自分を憎む。
「で、今日はその彼見てるの?」
「解りません、彼は気を遣って見ていないかもしれません」
「それは、残念だね。じゃ、最後に恒例の昔の彼に一言のコーナー」
この番組の締めのコーナーで今だからこそ言える昔の恋人にブラウン管を通じて一言告げるというもの。
会場が暗くなり彼女だけにスポットライトが当てられる。
「こんばんわ、見ていますか?突然出て行ってごめんね。私は、女優になる夢、捨てきれなかった。あなたと居られた数ヶ月間はとても、幸せでした。」
そこで、彼女はテヘヘと笑った。こみ上げる何かを我慢したように見えた。
「だけど、その幸せは私にとっては駄目だったみたい。あなたと居るとね、夢なんてどうでも良くなった。でもそれは、自分に嘘を付いちゃうことになるって、思うようになったの」
彼女の頬には綺麗な滴が流れていた。
「今でも愛してます、すぐ側に行きたい。簡単だけど、それは出来ない事だったんだ。だから、あなたを卒業します。いままでありがとう」
テレビには高速でスタッフロールが流れた。割れるような拍手がプツリと切れCMに切り変わった。
僕はテレビの電源を切る。
見回すとやはり、一人っきりの部屋は広く感じた。
だから、僕は引っ越しを決めた。
彼女との思い出に卒業するために。





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